がじゅまるの樹の下で。

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薩摩侵攻史跡めぐり~今帰仁城跡~

2010年06月07日 | ・琉球史散策/第二尚氏

薩摩侵攻史跡めぐりは、
ハンタ道から今帰仁城跡へ。

ご存知、世界遺産。
前に来たのは、桜まつりのときでした。
(昼→ 夜→


↑画像をクリックすると拡大します。


あの時は人ごみがすごかったけど、
この日は雨人もまばら。

こんな今帰仁城跡もいいですな。



入り口の手前にある、盛り上がった土のあと。
これは船に見立てたもので、
ウンジャミという大漁祈願のための祭祀で使われたものだとか。

ははぁ~。

今まで完全素通りしてました



さて、今帰仁城を攻めた薩摩軍。

しかし、琉球側は事前に逃げていたため
難なく今帰仁城を落とします。



当時の、北山看守の屋敷跡。
つまりは「正殿」にあたる建物。

そんなに大きくない。



この建物も、焼かれたか、壊されたか、
とにかくめちゃくちゃにされてしまい、
後に尚寧王が本土に連行される際、ここで一休みする予定だったが
とても休める状態ではなかったらしいです。



ちなみに北山看守屋敷跡のとなりには、
元々の「北山王」の屋敷跡。

北山看守屋敷跡よりさらにひとまわり位小さい。

攀安知王が住んでいた場所(…か!?)。



今帰仁城、そして今帰仁ムラは無人となりましたが、
後々戻ってきます。

そこで、土地の所有について北山看守と村人の間で
いいざこざがあり、王府の仲介もありつつ所有権を認められた北山看守一族が、
この城(土地)は我々のものだ、と宣言している碑文(笑)

そうそう、一時は無人となり、
住む場所を変えていった当時の人々でしたが、
拝所である「火の神」までも動かすわけにはいかず、
そのまま残っている…のが、碑文の後ろの祠。
(「今帰仁ムラ」にも残っていました)


↑画像をクリックすると拡大します。

雨に霞む今帰仁の山々を望む。



やっぱり、このアングルが好き。

まるで高山都市。
ラピュタの世界。



山の上ということもあり、
風も強く、乱れ髪

遠くに見える海も波がたっていました。




トップの猫ちゃんは今帰仁城跡の看板猫。
受付カウンターで雨宿りしてました。

顔を近づけたら頭ごちしてきました。
かなり人懐っこい。

そういえば、今帰仁城跡はよく猫を見かけるんだった。
(・・・あっ、もしかしてあの時のこの子と同じ?)



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