がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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歌を口ずさむ沖田総司とか

2010年06月06日 | ・徒然日記

今日の龍馬伝のコーナー。

池田屋事件でしたねー。

なんともあっさり過ぎていきましたが、
まあ、龍馬と新撰組が直接出会った(関わった)という
歴史資料はないそうなのでしょうがないか…。

亀弥太ばっかり出てましたが、
あれっ?北添佶麿は?

そして、いまだに台詞なしの新撰組一同。
不気味だ…。

陸奥宗光の生意気っぷりもいいぞ~。


「いらん仲間はここには一人もおらん!」

仲間を語る龍馬の姿も熱かった…。





*おまけ*



初孫・初子をあやす、
岩崎家男衆(とーちゃんと弥太郎)の図(笑)

BY北斎漫画
(全集持ってる♪好き好き♪)


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薩摩侵攻史跡めぐり~ハンタ道~

2010年06月06日 | ・琉球史散策/第二尚氏

さて、お次に向かったのは今帰仁城跡。

・・・の手前にあるハンタ道。

今帰仁城と、その城下にあった今帰仁ムラの間にある、
いわば今帰仁メインストリート。



現在、今帰仁城跡を訪れるための車道や、
駐車場、資料館などは↑の写真の右側にあたります。

その向い反対側がかつてのメインストリート、ハンタ道。

では、歩きます。



1609年、運天港に上陸した薩摩軍は、
ここ、まず今帰仁城に向かいます。
(当時、今帰仁城には王府から北山看守が派遣されていました)

そのときに使われた道。



しかし、事前に情報を得た琉球側は、
到底敵わぬことを察知。

このハンタ道周辺にあった今帰仁ムラの人々も
事前に逃げてしまいます。



ハンタ道を登りながら、
無人の今帰仁ムラの家々にあっためぼしいお宝を奪い、
ムラを焼き払いながら進む薩摩軍。

無人で抵抗勢力がないにも関わらず、なぜわざわざ焼く必要が?と思ったら、
当時の戦の風習のようなもので、
その土地の人が使えないようにしてしまうのが目的だったらしいです。
家々から戦利品を頂戴するのも、この“報酬”あっての徴兵だったとか。

にゃるほど~。




ハンタ道を行くツアー一行。
結構人数いましたよ。
40人弱くらい?

女性の方が多かったです。
(20代は…ワタシ含め数名かな?って感じで、やはりご年配の方が多めでした)



所々で、薩摩侵攻とは直接関係ない史跡や解説もありましたが、
それは「番外編」としてまとめて記事にしますねー。

ハンタ道全部歩くと3キロ?(追記訂正/1キロ弱)ほどあるらしいですが、
途中でUターン。

今帰仁城跡へと戻りました。




小雨の中、山道をゆく集団はさながら難民の様…!?(笑)
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薩摩侵攻史跡めぐり~運天港~

2010年06月06日 | ・琉球史散策/第二尚氏

目からウロコの探検ツアー
~薩摩侵攻の史跡を歩く~

の記事を、自分の復習と記録も兼ねて
順を追って1つずつ記事にしていきます。

北上するバスの中で、
薩摩侵攻の背景などをざっと聞き、
最初に向かった先は薩摩軍が上陸した今帰仁村の運天港へ。


去年撮った羽地内海

運天港は、羽地内海に面した港で、
沖縄屈指の良港、かつ、重要港のひとつでした。
(ここと、もうひとつが那覇港らしいです)

その理由は、内海ゆえの波の穏やかさ、
そしてある程度水深があるため座礁の危険がない、ということ。



珊瑚礁に囲まれた島国沖縄にとって、
ここは特異な場所だったのです。

そのような情報を知っていた薩摩軍は、
80隻~100隻の大艦隊でここ、運天港に入っていました。



↑の橋は、古宇利島と本島を結ぶ橋。

この水平線にずらっと艦隊がならんだ様は
ペリー来航さながらの驚愕の風景だったのでは。



運天港には、色々と伝承がありまして、
源為朝が落ち延びて、運を天に任せてやってきた場所だから
運天港とかなんとか。

(源為朝上陸の碑も実際にたっています)

源為朝上陸の真意はさておき、
ゆえに「運天港」というのは間違いで、
昔は「うみどまり(海泊?)港」と呼ばれていたのだそうです。



後々になってやってきたバジル・ホールも、
ここ、運天港を訪れており、
あまりのすばらしさにメルビル港と名づけてナポレオンに報告しているとか?


メルビル港って(笑)



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