ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

離宮八幡宮

2013-04-27 23:25:27 | ぶらり都めぐり
聴竹居見学の後、近くをぶらっと散策していると、離宮八幡宮がありました。
JR山崎駅から南へすぐ、大きな通りに出る角のところにありました。



石清水八幡宮の元社でしたが、嵯峨天皇の離宮「河陽(かや)離宮」跡であったので社名が離宮八幡宮とされました。




油祖像。
貞観年間にここの神官が「長木」(てこを応用した搾油器)を発明し、荏胡麻(えごま)油の製造が始まったことから、日本における製油発祥地とされています。

山崎の油売りは、八幡宮の神人(じにん:寺社の雑役、力仕事をする人)として八幡宮の燈油を納め、日使神事(八幡宮の例祭)の頭役、御綱引き(淀川を渡る船を引く)といった奉仕をし、その代償として八幡宮の保護を受け、油座(同業者組合)を結成し、関所の通行料や津(港)の使用料免除などの特権、製油販売の独占権を得ました。


「宵ごとに都に出づる油売り更けてのみ見る山崎の月」
油座全盛期の室町時代、山崎は油業で栄え大変賑わいのある町でした。
油商人たちは毎日京の都へ油を売りに行ったのですが、仕事を終え山崎に帰る頃にはいつも夜が更けてしまっていた、という様子を歌ったものです。



幕末「禁門の変」の時に長州藩屯所が山崎にあったため、幕府・薩摩連合軍側の砲撃にあい多くの商家とともに焼失し、さらに1871(明治4)年に境内北側を国策による鉄道事業にささげ、社域はさらに縮小しました。

明治になって社殿が再建されましたが、兵火を免れた江戸時代からの建物は「惣門」と「東門」だけとなっています。


今は狭い境内となっていますが、古い由緒のある神社でした。
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聴竹居で新緑をめでる

2013-04-27 23:03:07 | 建物(京大以外の京都府の)
大山崎山荘の近く(山荘とJR駅との間、ほぼすぐ真下)にある「聴竹居」。
建築家藤井厚二が新しい住宅のモデルとして実験的に建てた自邸です。

通常は見学するにはあらかじめ申込んで許可を得なければならないのだけれど、4月27日(土)に事前申し込み不要で公開されたので、見学に行ってきました。

庭園は無料、建物内部は有料(500円)で、午前10時から午後3時までの間、好きな時間に見学することができました。







藤井厚二(1888~1938)は東京帝国大学建築学科卒業後、竹中工務店に勤務、知り合った武田五一に招かれて、京都帝国大学工学部建築学科の講師となりました。
環境工学の理論を建築に取り入れ、大山崎町に約1万2千坪の山林を買い求め、自宅を「実験住宅」として、何回も建て直して、家族と共に住みました。現在の建物「聴竹居」は、1928(昭和3)年に完成した第5回目の建物です。




内部の撮影はできなかったけれど、さすがに建築家が練りに練って建てた環境と共生する家で、とても住みやすそうな家です。
板張り洋式の部屋のそこここに和の数寄屋風テイストが上手に取り入れられています。床下から外気を取り入れて、天井の穴からまた外に出すエコのしくみ、風景と光を取り入れるサンルーム、当時まだ珍しかった電気を使って便利な生活も追及していました。



新緑の中で気持ちのいい建物見学会でした。





そして、驚いたことに同じ見学グループの中にブログお仲間のぽんさんを発見!
世の中狭いですねえ。

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鴨川を百年見つめる七条大橋

2013-04-19 00:01:54 | 建物(京大以外の京都府の)
七条大橋は、鴨川に架けられた鉄筋コンクリート(RC)製五連アーチ橋です。橋の長さ81.9m、幅は17.8mです。鴨川に沿って流れる琵琶湖疎水にも一連のアーチ橋が架かっていましたが、現在は地下化されています。






1911(明治44)年11月起工、1913(大正2)年3月竣工で、鴨川に架かる橋の中では最も古い橋となっています。

日本でRC構造の橋が初めて造られたのは、1903年に架けられた神戸市の若狭橋と琵琶湖疏水日ノ岡11号橋で、どちらも長さ10メートル未満の小規模なものでした。その後、技術の進歩によって、大規模でデザイン性に優れたRC橋が作られるようになり、大正から昭和初期に全国に造られていきました。

京都の鴨川に架けられた七条大橋、四条大橋は、これらの大規模なRC橋のさきがけとなったもので、市電を通すために重厚なアーチ構造をとり、中でも七条大橋は土木学会の「選奨土木遺産」となっています。


橋の設計は東京帝国大学教授の柴田畦作(けいさく)、意匠は森山松之助と山口孝吉が担当しました。デザインはセセッション式、直線的でダイナミックな装飾が施されています。





橋の欄干は、現在は三十三間堂の「通し矢」をモチーフにしたデザインとなっています。


七条大橋ができて、今年で100年。記念イベントが行われたり、照明灯など橋のデザインを当初のものにできるだけ近づけようとする運きも出てきています。
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西本願寺伝道院

2013-04-16 20:55:31 | 建物(京大以外の京都府の)
西本願寺御影堂前の門を出て、堀川通りを東に渡ると、本願寺総門から東に続く正面通りがあり、仏具屋や門信徒用の旅館等が並んでいます。





東に一筋行った所に変わった建物があります。
西本願寺伝道院です。




1912(明治45)年に真宗信徒生命保険株式会社の社屋として建てられ、昭和33年から48年まで大日本仏教慈善会財団のあそか診療所となり、同年から本願寺伝道院となっています。

設計は伊東忠太。京都市の指定有形文化財です。




塔の右側。




東にまわって、北東から見たところ。
いろいろな意匠の塔が作られていて、かなりエキゾチックな感じがします。



北側の正面通りと西側の通り沿いに不思議な動物の石造の像が並べられています。




さすが、妖怪好きの伊東忠太です。何ともおもしろい動物達です。


以下、京都市の説明板より、

伊東忠太は日本建築もこれからは石材・鉄によらねばならず、しかもその建築様式は欧化でも和洋折衷でもなく、木造の伝統を進化させることにより生み出さなければならないという「建築進化論」を提唱し、日本の建築界に大きな影響を与えた。
 建物はこの「建築進化論」の考え方を明確に表現した作品で、外観は古典様式に基づくものの、開口部まわりや軒まわり、塔屋の形態などにサラセン様式、日本の伝統敵な様式が用いられており、日本の近代建築の発展を知るうえで貴重なものである。
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西本願寺で特別公開の建物を見る

2013-04-15 22:40:49 | 建物(京大以外の京都府の)
4月13日~15日、西本願寺で春の法要記念として、飛雲閣、書院と経蔵が特別公開されていました。



西本願寺は御影堂、阿弥陀堂はいつでも参拝できますが、今回公開された建物は原則非公開なので、今回のような機会は滅多にないこととたくさんの人が見学に来ていました。



御影堂(ごえいどう)。(重要文化財)



御影堂の前にあるオオイチョウ。
京都市指定の天然記念物。本願寺に火災があった時に水を噴き出して消し止めたという伝説から「水吹き銀杏」と呼ばれています。



御影堂の南西側に書院があり、対面所と白書院、黒書院(いずれも国宝)から成っています。これらを始めとして、桃山時代から江戸時代初期に建てられた、本願寺の権力と財力をうかがわせる豪奢な建造物がいくつも残されています。
内部の写真撮影はできなかったのですが、203畳敷きの大広間、格天井、部屋毎に趣向の異なる襖絵、とても寺院建築とは思えない実に豪華絢爛な造りでした。


わずかに外から見える所だけですが、

大玄関。



唐門。(国宝)
伏見城の遺構と言われ、彫刻の見事さに日の暮れるのを忘れることから"日暮らし門"とも呼ばれています。


日光東照宮を思わせるような装飾にあふれています。




飛雲閣も撮影できなかったので、塀越しに見た屋根だけを。
滄浪池という池から直接建物に入れるようになっていて、三層の優美な建物を庭から眺めることができました。金閣、銀閣とともに京都三名閣の一つと言われています。




経蔵。
この中には寛永版または天海版と言われる大蔵経(一切経)が回転式書架に収められています。




太鼓楼。
幕末には、新撰組が一時期この太鼓楼と北集会所を屯所に使っていたそうです。


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法然院でジャンピングジャック

2013-04-14 00:11:00 | ぶらり都めぐり
京都ジャンピングジャックは、京都のあちこちを飛び石(jupin')で占拠(juck)して開催している東日本大震災チャリティ音楽フェスティバル。出演するアーティストは交通費だけで、会場はレンタル料をまけてもらって、スタッフはボランティアの社会人と学生で、収益を東日本大震災チャリティに提供するというものです。2013年度は3月9日~4月21日の間に14回開催されました。


聞いたことのないロックグループの演奏が多い中、これならと思った4月13日鹿ケ谷法然院でのイベントに行ってみました。


静かな法然院の境内。




お庭までは来たことがありますが、本堂の中に入ったのは初めてです。お寺の中は結構冷えていました。
午後6時開演、本尊阿弥陀如来像の前、最初に法然院のご住職による追悼法要があり、次に笹岡未生流笹岡隆甫氏によって追悼のいけばなが生けられました。
大きな白い藤の木を真木として、あっという間に見事に生けられたのはさすがです。




そのあと、「シカゴプードル」と「スムルース」の演奏がありました。


お寺でロック、滅多にない体験でした。
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2013青春18春の旅 もくじ

2013-04-10 03:06:46 | 土佐の国
2013春の青春18切符は、日帰りで三重県関宿に行ったのと、高知県に行ったのに使いました。






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2013年青春18春の旅(6)久礼大正町市場

2013-04-09 23:02:29 | 土佐の国
土佐久礼駅で降りて10分程歩いたところにある久礼大正町市場(くれたいしょうまちいちば)に行きました。

中土佐町久礼は小さいながらも高知県中部の漁師町で鰹の本場! 大正町市場では、その日の朝どれ・昼どれの新鮮な魚介類が売られ、他にも野菜や手作りお惣菜などが並んで、一番にぎわうのは午後2時過ぎです。

明治の中頃から漁師のおかみさん達が夫や息子が獲ってきた魚をさばいて売り始め、地元の台所となっていましたが、大正4年に大火があって、市場周辺の230戸が焼失した時に、大正天皇から復興支援金350円が届けられたので、ぞれまでの町名、地蔵町を改めて大正町としたのです。


市場の入り口。



入口横に井戸があったけど、今も使われてるのかどうかは不明。



市場の反対側入口。この間のアーケード内に30軒程のお店が並んでいます。








魚屋さんの店先の初ガツオ。






刺身用におろされたアジ。



一夜干しの干物もあります。









市場のめしや、「浜ちゃん」。
魚屋さんで買った魚を料理してもらってご飯と味噌汁をつけて食べられる食堂もあります。







カツオのタタキ定食に、



かつおどんぶりを食べました。
上にのっているのはトロロです。



市場は昼12時頃から夕方まで営業しています。
お休みは1月1日~3日と海が時化たときです。


少し歩くと、ふるさと海岸に出ました。
「土佐の一本釣り」の漫画家、青柳裕介の像がありました。
向こうに見えるのは双名島(ふたなじま)。土佐十景の一つで、近くに「だるま朝日」が見える海岸もあります。



久礼の街は漁師町独特の街並や、高知県内最古220年前の酒蔵が現存している酒造店などがあり、平成23年に漁師町としては初めて国の重要文化的景観に指定されています。
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2013年青春18春の旅(5)高知~土佐久礼

2013-04-09 00:57:23 | 土佐の国
琴平から高知までは、時間の節約のため、特急列車を使用したので、青春18の旅は諦めました。

今年の春の青春18きっぷの使用期限は4月10日まで、最後に残った1枚を使いきるために高知駅から土佐久礼(とさくれ)駅まで土讃線の電車に乗りました。



高知の街の真ん中、はりまや橋近くの喫茶店にて、龍馬さんに出会いました。



高知市内を走る路面電車、土佐電鉄の桟橋通り車庫にて、たくさんの電車に出会いました。




高知駅から乗った窪川行き普通電車。12:02発。




高知県中央西部の大きな町、須崎駅を過ぎて二つ目の駅、安和(あわ)に近づき、トンネルを抜けると始めて土佐湾(太平洋)の海が現われます。
安和駅は海のすぐ側にあり、眺めは抜群、この美しい海岸は夏には海水浴場となります。



土佐久礼駅。高知駅から24番目の駅です。13:28着。
待合室とホームに面した庇屋根を持つ駅舎ですが、きっぷ売り場は午前中だけ中土佐町が委託を受けて販売していて、その他の時間は自動券売機で対応しています。


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2013年青春18春の旅(4)こんぴら歌舞伎を見る

2013-04-08 23:22:43 | 遠出(国内)
さて、今回の琴平への旅の主たる目的は、
「こんぴら歌舞伎」を見ることでした。


旧金毘羅大芝居小屋(金丸座)は1835(天保6)年に建てられた日本最古の芝居小屋で、1970年に国の重要文化財に指定されています。
元は少し下の町中にあったのですが、1976年に現在の位置、琴平町公会堂から坂をあがってすぐの所に移築復元されました。

1985年から毎年春に「四国こんぴら歌舞伎大芝居」が開催され、今年は第29回目となっています。今年は4月6日~21日、各日第一回(午前11時開演)と第二回(午後3時開演)がありますが、大変人気があるようで松竹からチケットが一般発売されたと思ったら、すぐに全日売切れになってしまっていました。
今年は市川猿之助の襲名披露公演でもありました。


小屋の中は江戸時代の芝居小屋のままに全部桟敷席。廻り舞台は奈落の底でボランティアの地元の人達が人力で押してまわしています。天井は全座席に花吹雪を降らせることができるように「ブドウ棚」になっています。花道は二本、すっぽん、空井戸、セリなどすべて整っていて、照明は1~3階両側の明り取り障子をこれもボランティアスタッフさん達が開け閉めして自然光で調節されます。
こんな江戸時代の雰囲気そのままの小屋で歌舞伎を見られるなんて、滅多にないことと大興奮。




しかも、座席は花道のすぐ横で出入り口(鶴ののれんの所)の真ん前、最高の席でした。役者さんが花道を走って出入りする時の迫力はものすごいものでした。
贅沢を言うと、やはり1つの桟敷の中に12人がぎっしり詰まって長時間正座していなければならないというのは、かなりの難行ではありました。




お茶子さんに扮したたくさんの女性達が座席の案内などお客さんのお世話をしてくれていました。桟敷の仕切りの狭い板の上を器用に歩いて、荷物を持ってくれたりして。。。


上演中の撮影はできないので、お見せできないのですが、「鳥辺山心中」と「義経千本桜-川面法眼館の場」、よかった!ですう、おもしろかったですw。
猿之助扮するキツネが佐藤忠信に化けたり、キツネにもどったり、あっちから引っ込んだと思ったら、こっちから出たり、ものすごい早い早変わりで、最後の場面ではキツネになって「かけすじ」という宙乗り装置で、空中で踊りながら花道上空を飛んで退場していく時、猿之助の顔がもうすぐそこに手の届きそうな近くに、ものすごくうれしそうに笑っているのが見えて、「日本一っ!」の掛け声もかかって、観客もやんやの大喝采でした。

いやー、日本人の血が騒ぎましたわ。



「福山雅治より四代目市川猿之助丈江」の緞帳も掛けられていました。
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2013年青春18春の旅(3)琴平あれこれ

2013-04-08 21:41:47 | 遠出(国内)
香川県仲多度郡琴平町、金毘羅さんには登らなかったけれど、いろいろおもしろいものがありました。


JR琴平駅。
1923(大正12)年築。国の登録有形文化財。



琴平電鉄琴平駅。



街の中を流れる金倉川にはたくさんの橋がかかっています。



琴電琴平駅の近くにある高燈籠。
1865(慶応元)年に完成した高さ27メートルの日本一高い灯籠で、国の重要有形民俗文化財に指定されています。瀬戸内海を航海する船からこんぴらさんを拝む目印となっていました。



金倉川に架かる鞘橋。
木造、屋根付きで橋脚のない珍しい浮橋。建立の年代は不明ですが、寛永・天明年間の建造、現在のものは明治2年に竣工、明治38年に現在地に移転したもので、現在は金刀比羅宮の神事の時だけ使われています。国の登録有形文化財。


鞘橋の渡り口部分。




金毘羅さんへの参道はお土産屋さんや旅館が立ち並んで賑やか、中でも一際大きくて立派なのが、清酒「金陵」の酒屋さん、西野金陵株式会社。1658(万治元)年創業。金陵というのは江戸時代に儒学者頼山陽が琴平を訪ねた折にこの地が中国の古都金陵(南京)を思わせるものがあるとして命名したのに由来しています。

街の至る所に金毘羅歌舞伎ののぼりが立っていました。




金毘羅本宮へ登る石段から横にそれて、坂道を少し上がったところにある「琴平町公会堂」。
1932(昭和7)年の木造建築。御殿のような立派な建物で国の登録有形文化財に登録されていますが、現在も各種催しや集会などに活用されています。


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2013年青春18春の旅(2)赤穂で足止め

2013-04-07 22:57:50 | 遠出(国内)
この春の青春18の第二回目は、

京都10:00→赤穂→岡山→高松→琴平17:32
の予定で、京都駅から新快速で出発しました。

この日は前日から春の嵐が吹き荒れていて、電車が運行休止している路線も多かったので、この朝も瀬戸大橋を無事渡れるか心配だったのですが、何とか瀬戸大橋線は通っていることがわかり、出発。

ところが、ところが、相生から赤穂線に入り、まもなく赤穂駅に着くという所で、電車はストップ。

何と、強風で飛ばされてきたビニールが電車の送電線にひっかかって、電車が走れなくなったというのです。8両編成の電車の一番前の車両まで行って前方を見ると、架線に大きなビニール(多分どこかのビニールハウスから飛ばされてきたような大きなもの)が複雑にからまっていました。
ビニールを取り外すためにどこかの保線区から救助隊が着くのに約40分もかかり、それから取り外しにかかって、結局電車が走り出すまで1時間半くらいかかったでしょうか。


      

これはその間ずっと見えていた景色。
千種川という名板のあるきれいな川を渡ったところ、堤防の上から自動車道路と畑の上にかけてかなり高い位置に電車は止まったまま。緑豊かでのどかな景色の所ながら、晴天なのに、強風が吹き荒れていて、もしかして電車が風で浮き上がって脱線とかいうことにならないかという恐怖が頭をかすめました。

何とか赤穂に着いたものの、この遅れを取り戻すために、高松にまわって琴平まで琴平電鉄に乗る予定を変更、岡山から坂出乗り換え、琴平までJRで行きました。
結果、琴平に着いたのは予定より1時間遅れて18:31。
でも、何とかあまり遅れることもなく琴平の宿に着くことができました。


ちょっとしたハラハラドキドキのハプニングがあって、これも無事クリアしてみると、心に残る旅の思い出になりました。
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御所と府庁の桜

2013-04-04 23:50:26 | ぶらり都めぐり
4月4日よいお天気で気温も上がり、最高のお花見日和の中、京都御苑に桜を見に行きました。

ちょうど御所の一般公開が始まった日で、地下鉄の駅を出るあたりから大勢の人がぞろぞろと御所へ向かっていましたが、今日は桜をメインにしました。




御苑の北側、近衛邸跡のしだれ桜がとても綺麗でした。










中立売門に近い御車返しの桜も満開でした。






次に、京都府庁に行きました。
車寄せの前にある赤い顔みたいなものは建物の周囲で展示されていたアート展の作品です




中庭の一番大きなしだれ桜はすでに葉桜になっていました。
円山公園のしだれ桜の孫にあたる木だそうです。




保容(かたもり)桜。
特に会津と関係があるわけではなく、この府庁のある地に元は京都守護職の建物があったので、新しく確認された品種の桜に、会津藩主松平保容にちなんだ名前を付けたのだそうです。




このしだれ桜も美しかったー。

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2013年青春18春の旅(1)関宿

2013-04-02 22:07:38 | 遠出(国内)
今年の春、青春18きっぷででかけた旅の一度目は、

京都8:35→米原→大垣→名古屋→桑名→亀山→関→加茂→木津→京都18:48
と東海道本線→関西本線→奈良線と乗り換えて、一日でぐるっとまわって帰ってきました。

途中、お昼は大垣で買った駅弁を名古屋からの車中で食べ、桑名でちょっと街を歩いてお茶しただけで、あとはほとんど電車に乗りっぱなしでした。
当初予定していなかったのに、関西本線で関駅に着く直前に突然思いついて、京都に帰り着くのを1時間程遅らせることにして、ふらっと途中下車してみました。

関の街は前に一度きたことがあるので、駅から街歩きして駅に帰ってくるまでの時間が大体予想がつくのも寄り道する心の余裕につながっています。


前回の記事はこちらこちらこちらです。


JR関駅は「関宿ふるさと会館」を兼ねています。



関宿は東海道五十三次の江戸から数えて47番目の宿場町、東西約1.8kmにわたって江戸から明治時代にかけて建てられた古い町家200軒あまりが残っていて、重要伝統的建造物群保存地区になっています。



今回も懐かしい街並みが江戸時代そのままの風情でたたずんでいました。





橋爪家。
江戸時代初めから両替商を営み、江戸にも出店を持つ豪商でした。



左の会津屋は昔からの旅館、今は食堂になっています。ここの中にも立派な漆喰の鏝絵が残っています。
右は二階の意匠が洋風なので、洋館屋と言います。



骨董とカフェの「ナガヲ薬局」さんは閉まっていましたが、この日はお休みだったのでしょうか。



前回は街並みの途中、地蔵院までで引き返したのですが、今回は関宿の西の入り口、西追分まで行ってみました。ここから道は東海道と大和・伊賀街道に分岐していきます。



外壁にいろいろな漆喰の彫刻がつけられていました。
これは鶴。


亀。


鯉の滝登り。



4月2日、地蔵院の桜はまだ咲き始めでした。




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高野川と松ヶ崎疎水の桜満開

2013-04-01 20:34:30 | 松ヶ崎村風土記
本日満開です。



高野川、出町柳から山端北山通りの松ヶ崎橋あたりまで、延々と桜並木が続いています。










松ヶ崎疎水分線の桜も今が見頃です。
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