ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

京都会館を壊さないで

2012-08-30 23:08:24 | これでいいのか京都(京都会館)
前川國男が設計した戦後近代を代表する名建築、京都市の文化会館「京都会館」が壊されようとしています。
第一ホールの部分を壊して、高さ31メートルの10階建てマンションのような高い壁の建物を作ろうとするもので、京都市の景観条例の規制を自ら外して、東山連峰の前に緑と自然あふれる岡崎地域の景観を破壊するおろかな行為です。
しかもその費用は、音響効果改善等、使いやすい文化会館にしていく改修なら、ずっと低額で行えるのに、全面的な建て替えで110億円もかかり、財政逼迫の京都市にとって大変な無駄な出費となります。



上が現在の京都会館、下が建て替え後の姿。見えにくいですが、水平ラインの上に薄い色の高い壁の塊が屹立しています。


既に京都市民原告団112人による解体差し止めの住民訴訟提訴が行われています。

国際的な建築保存・顕彰団体DOCOMOMOJapanが、建て替え計画により建物の「価値を喪失する」として解体工事の中止を求める意見書を門川市長あてに提出しています。

また、ユネスコの諮問機関「国際記念物遺跡会議」(イコモス)の専門委員会からも、現在の建物の文化的価値を認め、建て替えに懸念を表明する意見書が京都市長あてに送られました。



しかし、京都市は多くの反対や慎重検討を願う声を無視して、9月上旬に京都会館解体の工事に取り掛かろうとしています。

そこで、「岡崎公園と疎水を考える会」の知り合いから下記の取り組みのお知らせがきました。多くの方のご参加をお願いします。



<京都会館を記録する会>

9月1日(土)午後2時~ 京都会館ピロテイーにて受付(会費無料)
  呼びかけ人:土橋享(映画監督)、吉村篤一(建築家)、松隈洋(京都工芸繊維大学教授)
  写真、絵、絵手紙、動画、俳句、短歌、随筆、音楽そして心で・・・京都会館を記録しましょう。中には入れませんが、陶板壁画、屋根の形状、透けるホワイエ、中庭など心に刻みましょう。内部見学は京都市に交渉中です。
     

<京都会館抱きしめたい(ヒューマンチェーン)>

9月1日(土)午後4時~ 京都会館前集合 
  たくさんの人で手をつないで京都会館を囲みましょう。多くの方のご参加を願っていますのでよろしくお願いします。


 連絡先:岡崎公園と疎水を考える会 075-751-9841
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2012年京の夏の旅 もくじ

2012-08-21 02:21:58 | ぶらり都めぐり
7月7日~9月30日に行われた第37回「京の夏の旅 文化財特別公開」で公開された所をいくつか見て回りました。





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2012年京の夏の旅(4)龍谷大学大宮学舎

2012-08-20 22:31:54 | 建物(京大以外の京都府の)
こちらの建物も今年の「京の夏の旅」で特別公開されました。



龍谷大学大宮学舎。
七条通り堀川と大宮の間、西本願寺に隣接してあります。

龍谷大学は1639(寛永16)年に西本願寺境内に開設された教育施設「学寮」を始めとして発展してきました。現在は伏見、滋賀県にもキャンパスを広げていますが、ここ大宮学舎が発祥の地なのです。

イギリス製の正門門扉の真正面に本館の美しい建物があります。



竣工は1879(明治12)年。木造石貼り2階建て寄棟造り桟瓦葺の疑洋風建物です。
創建当時の明治の姿がほぼそのままに残り、1992年から1997年にかけて修復されています。









正面玄関を入ると突き当りに階段があります。



二階にあがると、講堂と貴賓室があります。明治天皇が訪れたという貴賓室の中は撮影禁止で。



講堂の中です。
元は100畳敷きで、学生は正座して講義を受けていました。






柱頭にはアカンサスの彫刻が施されています。



本館裏側の入り口。



本館の南に建つ南黌。



北側に建つ北黌。
いずれも、現在は校舎として使われていますが、当初は学寮として建てられていました。



本館と南黌をつなぐ渡り廊下。



その天井は菱組になっていて美しいです。
柱の上部の三角形は明治10年に建てられた京都駅のプラットフォームを参考にしていたようです。



旧守衛所。
現在は龍谷大学オリジナルグッズを展示販売しています。




明治の初めに洋風を模しながら、よくこれほどの美しく堂々とした建物が造られたものだと感心してしまいます。
素晴らしい建物です。

本館、北黌、南黌、正門、渡り廊下、旧守衛所、すべて国の重要文化財に指定されています。

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等持院のお庭

2012-08-20 20:34:54 | お庭
木島櫻谷旧宅を訪ねた後、等持院が近いと知って続けて行ってみることにしました。
暑い暑い日中、住宅街の中を少し歩いて等持院の緑のお庭にたどりつくことができました。


衣笠山の麓、立命館大学の南に隣接しています。
1341(暦応4)年、足利尊氏が創建した禅宗寺院で、足利氏の菩提寺になっています。



茶室前からみた方丈。
霊光殿の中には足利歴代将軍の像がずらりと並んでいて、少し無気味でした。


庭園は夢窓国師作と伝えられています。
小高いところにある茶室は清漣亭。








等持院型灯篭。
近くに有楽椿の大株がありました。



足利尊氏のお墓と伝えられる宝篋印塔。



池に泳ぐ鯉は、今は取り壊されてしまったフジタホテルの中庭で飼われていた鯉で、このお寺が引き取ってこの池にはなされたのだそうです。
いいお庭に引き取られてよかったですねえ。



境内入口付近にあるマキノ省三の像。
日本映画の父と呼ばれ、ここに等持院撮影所があったのを記念して像が立てられています。
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2012年京の夏の旅(3)木島櫻谷旧宅

2012-08-19 23:57:28 | 建物(京大以外の京都府の)
夏の旅第三弾は京都市北区等持院東町にある木島櫻谷旧宅(櫻谷文庫)。(2012.8.19)

木島櫻谷(このしまおうこく)(1877~1938)は明治から大正昭和にかけて、竹内栖鳳と京都画壇の人気をわけて活躍した日本画家で、その旧宅に遺作、スケッチ帖、収集した絵画、書、書籍1万点以上を収蔵しているのが櫻谷文庫です。

櫻谷は三条室町から当時まだ竹藪だった葛野郡衣笠村に転居して来、住居と画業の場としました。その後、多くの画家がこの衣笠の地に移り住み、この辺りは「衣笠絵描き村」と呼ばれるようになりました。


建物は大正初期に建築された和館、洋館、画室からなり、いずれも国登録有形文化財に指定されています。



和館は玄関、仏間、客間、茶の間、台所、女中部屋などたくさんの部屋があります。


二階の部屋は四方に窓が開き、北には衣笠山、東には比叡山が見渡せて、風が通り抜ける気持のいい部屋です。
櫻谷さんはこの南向き廊下の藤のベッドに横たわって昼寝をしていたのでしょう。


足踏みミシンがある主婦の部屋。



おくどさんがある台所。



通り庭。





和館の西側に洋館が建っています。



洋館の1階と奥1・2階は収蔵庫、螺旋階段を上がった2階は作品の展示と画商などの来客と商談をする部屋となっていました。
2階は櫻谷自身の設計によって、漆喰壁、折り上げ天井、腰板部分の竹のデザインなどで和洋折衷の意匠になっています。



和館と洋館の裏に広い畑を隔てて、


画室(アトリエ)が建っています。


外観は2階建てのように見えますが、天井の高い80畳の大画室となっています。
ここで、絵画制作や弟子達の指導にあたっていました。


広い土地と建物を管理するために、土地の一部を近くの学校のテニス場と弓道場に貸していますが、それにしても、よく今まで元の姿のまま維持していただけていたものだと感心しました。

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2012年京の夏の旅(2)梅辻家住宅

2012-08-17 21:25:15 | 建物(京大以外の京都府の)
2012年8月17日、
上賀茂神社前の明神川沿いは代々神社に仕えて神事を運営してきた社家の家々が並んで、重要伝統的建造物群保存地区となっています。




大きな楠の木がある藤木社の横を通り過ぎて、


さらに東に少し行った所に、旧社家、梅辻家の住宅があります。



こちらも今年の夏の文化財特別公開で公開されていました。
梅辻家は上賀茂神社の神主に就任することができる七軒の社家「賀茂七家」の一つで、長屋門、主家、書院などが京都市指定有形文化財になっています。



高貴な客人を迎える玄関・式台(表玄関)。




玄関の左奥にある大戸口(内玄関)は鳥居の形をしています。




主屋は切妻造りで、屋根の高さは上賀茂神社の一の鳥居より低くするように定められていました。
書院は江戸時代の御所の御学問所を移築したものと言われています。




縁側の下には、庭に降った雨を排水する仕組みの石組みがあります。



門近くの中庭にある祠は「御印殿」と言われ、神主である当主が常に上賀茂神社の実印を携帯して、家に帰った時にはこの中に印を収めて鍵をかけていたということです。



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2012年京の夏の旅(1)長江家住宅

2012-08-17 00:10:26 | 建物(京大以外の京都府の)
今年の夏7月7日~9月30日に行われた第37回「京の夏の旅 文化財特別公開」のテーマは、「京の建築・庭園美-社家・町家・洋館と庭園-」、これは見逃すわけにはいきません。
暑い夏の日をものともせず、あちらこちらの町家・洋館を訪ね歩きました。



先ず、最初に訪ねたのは新町通り姉小路下ルにある元呉服商の町家「長江家住宅」です。

現在の建物は、江戸末期1868(慶応4)年から明治・大正にかけて建てられ、店舗・玄関・住居・土蔵などが連なる表屋造り、厨子二階型で、京都市指定有形文化財になっています。



普通は「鰻の寝床」と言われるように間口が狭く奥に長い町家が多い中、こちらは間口が広く13m、奥行54m、約200坪、職住部分の南棟(左側)と隠居所の北棟(右側)が軒を連ねて奥に続く造りで、実に堂々とした構えです。

内部の画像は写せませんでしたが、葦戸の建具や網代敷など涼しげな夏のしつらえ、火袋、おくどさんのある通り庭、緑が涼しげな座敷庭、坪庭など、典型的な大店の町家を堪能させていただくことができました。



このおうちのすぐ前には祇園祭の船鉾の町会所があり、その前の道路には鉾を建てる時に目印にする4つの礎石も埋め込まれていました。
こちらの会所も奥がずうっと深くて相当の長さ、一番奥に懸想品をしまっておく蔵(マンションの足元の白い建物)が見えました。




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2012年8月滋賀県米原・醒ヶ井の旅 もくじ

2012-08-12 02:48:32 | 近江の国
2012年8月10日~11日に滋賀県米原・醒ヶ井に行ってきました。

 



 
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梅花藻咲く醒ヶ井宿

2012-08-12 02:47:08 | 近江の国
米原からまた電車に乗って一駅、中山道の宿場町、醒井に行きました。

JR醒ヶ井駅に着いた頃から、あいにくの夕立が降り始め、しばらく駅で雨宿りをしたあと、少し小降りになってから地蔵川沿いに散策しました。


夏でも冷たい清流の中に、スイカも冷やされています。



流れの中、あちらこちらに小さな白い花が咲いていました。



梅花藻です。
キンポウゲ科の藻で、7月から8月頃にかけて梅の花に似た五弁の花が水の中や水の上にも顔を出して咲いています。




この辺りは「西行水」という淵で、その昔西行法師が飲み残したお茶の泡を飲んだ茶屋の娘が懐妊し、それを知った西行がもし自分の子供なら泡に戻れというと、その子はたちまち泡になったという伝説が伝わっています。
さすが、大河ドラマ「平清盛」でも浮名を流している西行さん、各地の娘心をとりこにしたのですね。

ここで、一年を通して水温の冷たい清流にしか住まない「ハリヨ」も泳いでいるのを見ることができました。



旧醒井郵便局は大正時代ヴォーリズが設計した建物。今は醒井宿資料館として、公開されています。


1階だけ見せてもらいました。


夕立が降った後もまだまだ蒸し暑い夏の一日でしたが、清流の流れを身体に感じながら歩いただけで、涼しい気分になって帰途につきました。

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旧米原尋常高等小学校ももう一度

2012-08-12 02:46:08 | 建物(滋賀県)
米原の青岸寺のすぐ隣にある旧米原尋常高等小学校。

こちらも前にも見たけれど、何度見ても懐かしいいい建物です。





この辺りの「二宮金次郎」は琵琶湖の漁に出るのか、魚籠(びく)を持っているようです。
それとも浦島太郎の像でしょうか。




前回訪ねた時の記事はこちら
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米原青岸寺

2012-08-12 02:44:43 | 近江の国
長浜から米原まで電車で移動。
米原駅から徒歩5分のところにある青岸寺に行きました。


ここは昨年11月にも行ったところですが、とてもいい所だったので、友人を誘ってまた行ってきました。







庭園の池が苔で覆われているのがとてもきれいだったけれど、今回は夏の暑い日差しの中で茶色くなっていて、少し残念でした。






上にはお地蔵様が並び、下は十字になっている和洋折衷のキリシタン灯篭。



キキョウは終わりかけていました。



今回も精進料理のお食事をいただきました。
ご飯はとうもろこしご飯で、夏の季節感がいっぱいのお料理でした。



デザート付き。



玄関前のイワヒバも葉が縮んでこんなになっていましたが、雨が降ると元の緑の葉になるそうです。


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滋賀県長浜黒壁通り

2012-08-12 02:41:57 | 近江の国
8月10日~11日に滋賀県長浜・米原方面を散策しました。


先ずは、長浜と言えば、「黒壁ガラス館」。

1900(明治33)年に建てられた百三十銀行長浜支店だった建物ですが、平成元年に長浜市と民間によってガラス館としてよみがえり、ガラス製品の展示と販売を行っています。


内部は銀行の造りを残していて、レトロな雰囲気がおしゃれです。



ガラスの帯留を買いました。









ガラス館の前の通りは、お土産屋さんや地元産のものを売るお店、食べ物屋さんが立ち並んでいて、アーケードのある大手門通りまで活気にあふれていて、

長浜の街は数年前に来た時はまだ少しさびれた感じが残っていましたが、今ではすっかり観光地化していました。

しかも、とうに終わったと思った大河関連のイベントが今もやっているではありませんか。

「長浜戦国大河ふるさと博」2012年3月24日~12月2日
大河様様ですね。

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もう一つのモネの庭、「ガーデンミュージアム比叡」

2012-08-05 23:48:45 | お庭
先日訪れた高知県の「北川村モネの庭マルモッタン」は少々遠くてという方には、京都近辺で同じような「モネの庭」風のお庭を見ることができます。

こちらにも8月初めに行ってみました。

こちらも「モネの庭」そっくり!


そして、ここは京都市からは別天地のような涼しさを味わうことができるのが何よりのうれしさです。
しかも、夏の間 7/14〜8/31の土日祝と、8/8〜8/16は、10:00〜21:00のナイター営業をしているので、夏の夜の夕涼みには最適。
午後3時以降なら叡電出町柳から八瀬までの電車とケーブルカー、ロープウエーの往復券と、ミュージアムの入園料が込みで1500円という超お得な切符も販売されていましたが、

現在はナイター営業は終了していて、10:00〜17:30(入園は17:00まで)の営業なので、記事が遅く間に合わなくてすみません。




夕方なので、スイレンは咲いていませんでしたが、


ダリアやフロックス等のたくさんの花がきれいに咲いていました。







ここはその昔、「比叡山頂遊園地」で子供を連れて遊びに来る所だったのですが、「陶板名画の庭」になり、今は「ガーデンミュージアム」になってしまいました。
陶板は今もモネ、ルノワール、ゴッホなどの絵が庭園のあちこちに飾られています。


おおっ!この建物は遊園地時代のメインのタワーではありませんか。
今でも姿はそのままに残っていて、中はギャラリーのようになっていて階段を登って上の階にもあがれるようになっていました。その昔は(昔の話ばかりで恐縮ですが)このタワーの上の階がゆっくりと回転していて、レストランに座りながら四方の景色を楽しめたのですが、今は回転はしなくなっています。(残念!)
しかし、今もこの建物が残っていたとは、うれしい限り! 「京都の昭和遺産」に認定するべきです。



タワーに登らなくても園内からは京都市街も琵琶湖もよく見渡せます。
こちらは琵琶湖の大津市から瀬田川あたり。



最近は足湯も始めているようでした。



カフェで夕食を食べている間に日も沈んできて、




園内のあちらこちらにライトアップやLED照明の飾りが灯されてきました。
風が強くてすんごく涼し~いです。





そして、京都側、琵琶湖側どちらも街の灯りが美しい。
京都市街はくっきりと縦横の街路に沿った灯りの線が表れていて、見事です。
この日は空気が澄んでいて特にきれいに見えました。


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