ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

南座で「蝶々夫人」を観る

2014-02-09 01:06:25 | 西本智実
南座でオペラ「蝶々夫人」を観ました。







チケットを買うのが遅かったので、3階のてっぺんあたり、断崖の上から見下ろすようでしたが、音は十分響いてきました。





西本智実プロジュース「座オペラin南座~オペラ「蝶々夫人」全幕上演~」
  2月8日(土)16:00~18:30
  指揮:西本智実
  演奏:イルミナートフィルハーモニーオーケストラ
  キャスト:蝶々夫人(佐藤路子)
       ピンカートン(笛田博昭)
         他
  振付:井上八千代
  祇園の芸舞妓さんが8人いろいろな場面で舞われました。

  2月9日(日)14時開演もあります。多分もう全席完売しているだろうけど。


舞台の左半分をオーケストラが占め、右半分でオペラが上演されていたので、オペラの演技を見て、イタリア語歌詞の和訳が舞台両袖に現れるのを見て、オーケストラ(と言うより西本さん)を見て、と忙しかったです。
西本さんの指揮とオーケストラの演奏はもちろん絶品、ピンカートンの男声が南座全体にろうろうと響きわたって素晴らしかったです。

知ったような気になっていた「蝶々夫人」も全幕通して観ると、あらためて感動大盛り上がりでした。




タイトルにちなんで、蝶々の柄の帯で出かけました。
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石清水八幡宮で湯立て神事の福を授かる

2014-02-02 21:53:02 | ぶらり都めぐり
京阪橋本駅からゆっくり登って、約1時間で石清水八幡宮に着きました。


859(貞観元)年に豊前国の宇佐八幡宮からこの地に勧請され、貞観2年に朝廷によって八幡造(はちまんづくり)の社殿が造営されました。
以来、平安京からみて裏鬼門にあたるこの地を守るものとして、都の守護、国家鎮護の社として崇敬を受けてきました。


本殿の前に正月参拝者のためにジャンボ御神矢が立てられていました。
長さ約8mの孟宗竹の先に白い羽がつけられ、必勝祈願や開運厄よけにご利益があるそうです。




ちょうどこの日は湯立て神事が行われる日でした。



先に、巫女さんが汲み上げたお湯を、神職さんが捧げ持って本殿の神様にお供えに行きます。応神天皇、比大神、神功皇后の三体の神様がおられるので、三回お供えに行かれました。




いよいよ湯立てです。




両手に持った笹の葉を煮えたぎったお湯に浸して、



勢いよくあたりにふりかけます。
水滴が散っているのが見えるでしょうか。
かかると熱いけれど、ご利益があるというので、みんな喜んで頭を垂れています。
ぎっしり人が取り巻いていたので、残念ながらお湯は私の所までは飛んで来ませんでした。



そのかわり、湯立ての後にはお湯を茶碗に汲んでふるまっていたので、いただきました。
笹の葉も少しずつわけてくださっていたので、これもいただいて帰りました。玄関にかけておくとご利益があるそうです。

たまたまお参りしたのに、思わぬ福をいただくことができました。





男山ケーブルの乗り場近くに男山展望台があり、木津川・宇治川・桂川の三川が合流し淀川となる地や、天王山、伏見や宇治の山々、名神や京滋バイパスなどの高速道路が(どれが何かわからない)縦横に入り組んで走っているのや、右手に木津川大橋まで見渡せました。
ここは夜景も美しいらしいです。



展望台に谷崎潤一郎の「芦刈」の文学碑がありました。
また、ボランティアで男山周辺の竹林の整備をしている「NPO法人 八幡たけくらぶ」の「展望の館」があり、竹細工品を売っていました。土日祝日だけ開いています。




京阪男山ケーブルで八幡市駅に降りてきました。




駅前に今回の旅の企画の休憩所があり、地元産の紅茶と伏見の新酒の試飲とスイーツの販売がされていました。
これこれ! これも今回の目的の一つなのでした。

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橋本変電所を経て石清水八幡宮へ登る

2014-02-02 02:11:06 | 建物(京大以外の京都府の)
橋本の古い街並みを出て京街道を東へ少し行ったところ、街道と京阪電車の軌道の間に、京阪電鉄橋本変電所があります。


鉄筋コンクリート造二階建、1926(大正15)年竣工の近代化産業遺産ですが、今でも働いています。



南側の「かもしか児童公園」から眺めていると、京阪電車が走り抜けて行きました。
電車の先頭の向こうに見える対岸の天王山の中腹に、アサヒビール大山崎山荘の赤い屋根が見えました。




京街道から変電所に向かう道の脇に大きな常夜灯がありました。
石清水八幡宮への道を照らすもので、「天明七年」と彫られていました。




そこから八幡宮に向かって急な坂道が続きます。
橋本の駅の南側、男山の北側斜面一帯にぎっしりと一戸建ての住宅が建てられています。よくこんなに急な坂道の町に住んでいられるものだと、ぜーぜーと坂道を上りながら思いました。




住宅街の中に狩尾(とがのお )神社があります。
石清水八幡宮が鎮座する前からこの地にあった神社ですが、明治10年に石清水八幡宮の摂社になっています。
社に行く参道はさらに険しい階段になっていたので、パスさせていただきました。



住宅街を過ぎて八幡宮が近づいて来ると、辺りは竹林が多くなってきました。
きれいに整備された林もあり、生い茂り荒れ果てた林もあります。整備された竹林では、春になるとタケノコがたくさん生えて来るのでしょう。




八幡宮の境内に着くと、エディソンの記念碑がありました。
電球を発明したエディソンが、そのフィラメントに八幡の竹を使い続けたのです。




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八幡市橋本の街を歩く

2014-02-02 01:40:13 | 建物(京大以外の京都府の)
2月1日に「歩いて・紅茶で・新酒であったか橋本の旅」という催しがあったので、行ってきました。

八幡市商工観光課の主催で、午前10~11時の間に京阪橋本駅で受付して、約4キロと約5キロの二つのコースを自由に散策して、石清水八幡宮を目指すものです。


受付場所は京阪橋本駅と言っても、駅から少し西に行った所にある駐車場でした。駅に案内板がなかったので、わかりにくく、やっと見つけました。



駐車場と駐輪場のあるこの辺りが鳥羽・伏見の戦いで幕府軍が陣屋を築いた所らしいです。
会津藩や新撰組もこの戦いで大勢亡くなったところです。

今は京阪電車が走り抜けています。



京阪橋本駅のすぐ目の前にこんな石碑がありました。

写真右面に「橋本渡舟場三丁 山崎停留所十丁 柳谷観音一里廿丁 長岡一里 粟生一里半 善峯二里」、左麺に「昭和二年十月 京都三宅安兵衛遺志建之」、写真には出ていない一面に「湯沢山茶久蓮寺(ゆたくさんちゃくれんじ)跡」、もう一面に「京大坂街道 右 八幡御幸橋八丁 左 樟葉八丁 南 志水近道廿丁」と彫られていました。

大正末から昭和初期(1921~1930年)にかけて、京都市中京区の西陣帯地卸商、三宅清治郎が父安兵衛の遺命にもとづいて京都府南部を中心にたくさんの石碑を建立したものの一つだということがわかります。

湯沢山茶久蓮寺は常徳寺という曹洞宗の寺院のことで、現在の京阪軌道上にあり、1813(文化10)年に焼失したという記録が残っています。豊臣秀吉が訪れた時に、茶道に詳しい秀吉にお茶を出してまずいと言われると困ると思い、白湯を何杯も差し上げたため、秀吉が「湯たくさん茶くれん寺」と言い、以後寺号としたという伝説が残っています。

この碑に、「山崎停車所」が書かれていることから、明治43年に京阪電車が開通した後、橋本駅利用者のために、橋本の渡船場から対岸に舟で渡り、国鉄山崎駅や柳谷観音、長岡天神、粟生光明寺、善峰寺などへ行く道しるべとしたものです。



橋本駅の北側、東西に大阪と京都を結んだ京街道があり、その両側に江戸時代の宿場町と明治になってからの遊郭の名残りを残す建物が並んでいます。




一番大阪寄りのほうにある銭湯「橋本湯」。
昭和4年創業です。
























橋本検番だった大きな木造の建物もありましたが、写真を撮り忘れました。



通りに面した欄間に手の込んだ彫刻が彫られているお宅が多かったです。




ばったり床几のあるおうちも、



ステンドグラスのあるおうちもあちました。




街道の家の裏側に流れる小川に橋がかかり、木津川の堤防、山崎への渡し場に続いていました。



橋のたもとに道標があり、「柳谷わたし場」「山さき あたご わたし場」「大坂下り舟の里場 津の国そうじ寺 わたし場」と彫られています。


橋本の街は京阪電車の窓から見て前から来たいと思っていたのですが、一人で歩く機会がなくて、今回の企画を新聞で見つけてやっと訪ねることができました。
コメント (2)
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