ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

これでいいのか京都 シリーズ(2)大宮交通公園が削られ、ゴーカートも廃止に

2019-09-28 23:45:08 | これでいいのか京都
2019年9月28日、京都市北区にある大宮交通公園に行きました。
遊びながら交通ルールを学べる施設として、1969年に開園した公園ですが、2021年に再開園する予定で、9月末に休園するというので、この日に初めて行ってみたのです。


北区玄以通りと船岡東通りに面して木々に囲まれた一画の中にあります。




入口の建物を抜けたところに、街に見立てて、信号や横断歩道、ゴーカートの道路があります。


全体像の模型。



ここのメーンは何と言っても、ゴーカート。
休園までは、ゴーカートは木・土・日・祝日のみ運行、春休み、夏休み期間は毎日運行。
火曜日は公園の休園日でした。




入園は無料。ゴーカートは単席200円(小学3年生 - 中学生)、複席250円(小学2年生までの児童と高校生以上)。しかし、この日は休園前ということで、無料!の大判振る舞いでした。



ゴーカートの乗り場に行列ができていました。



ゴーカートは走る。



森の中の道を走っていきます。



休園3日前の土曜日ということで、たくさんの人が訪れていました。



自転車の乗り方教室。



パントマイムのピエロもいました。




屋台も出ていて、芝生で食事をしたり、くつろぐ家族連れも多く。



かつて加悦鉄道を走っていた蒸気機関車C-160があり、



京都市電で使用された路面電車(N06)も保存されていて、




その中には本が置かれていて、自由に読むことができます。


他に、ジャングルジム、大きなすべり台などもあり、桜の花見、森の中の散策も気持ちよさそうです。

船岡東通りに面した東北のこの一画3,000平方メートルが削られ、木が切られて、北消防署が移転してくることになっています。



今は北山通りにある北消防署。大きな通りに面したこの位置でなぜ建て直しできないのだろうか、わざわざ交通公園の敷地を狭めて、木を切り倒して消防署を建てるなんて。子供に人気のあるゴーカートの運命もどうなるかわからないとは。
移転計画に疑問を抱く地元住民らによって「大宮交通公園をよくする会」が結成され、説明と住民合意を求めたけれど、京都市からの十分な説明もないまま工事が進められようとしています。

【2020年3月4日追記】
京都新聞によると、大宮交通公園の再整備計画がまとまり、市は公園の運営事業者として、大阪市の大和リースに委託し、使用料として年間約160万円を受け取り、大和リースは飲食店、自転車修理店を運営し、おもしろ自転車の体験乗車(有料かも)などを行う、しかし、ゴーカートは廃止することになったそうです。京都市が子どもの楽しみとなる公園事業から手を引き、業者の営利事業に委ねるというひどい計画です。

北山通りの消防署を交通公園の一画に移転してきた跡は高く売却して、市の儲けにしようという魂胆でしょうか。


旧湯本家住宅(京の夏の旅2019)

2019-09-23 23:05:44 | 建物(京大以外の京都府の)
もう一つの「京の夏の旅」、「旧湯本家住宅」も訪ねました。
京都市上京区相国寺門前町にある明治時代に建てられた住居です。

今出川通りの京都御苑今出川御門、同志社前バス亭辺りから北に上がると、右側にヴォーリス設計の同志社大学アーモスト寮があります。



道の突き当りには臨済宗大本山相国寺の総門があります。
門の手前を右に曲がったところに旧湯本家住宅があります。



家の中は撮影不可だったので、外観だけのアップです。

歴史家、湯本文彦(1843~1921年)が60才の時に終の住み家として1903(明治36)年に建てた家です。湯本文彦は鳥取県出身ですが、第3代京都府知事の北垣国道に見出され、京都府に勤務しました。平安京の位置を考察したり、「平安通志」を編纂、大極殿碑など多くの碑を建立、平安神宮建立の根拠となる朝堂院平面図を作成しました。
家は約80坪の木造平屋造り、市の「京都を彩る建物や庭園」に認定されています。茶室「玄古庵」は大徳寺塔頭真珠庵の庭玉軒を模したと言われる二畳代目のこじんまりとしたもの。その隣には「墨囚窟」と名付けた四畳半の書斎があり、その床柱は浄瑠璃寺の古材といわれる大きな丸柱が使われています。自ら作った茶碗や使用した書道用具などが展示されていました。

公開は9月30日まで。料金600円です。



帰り道に今出川通りを東に行くと、同志社女子高校・中学校がありました。
この建物は武田五一さんの設計になります。


富家宏泰回顧展

2019-09-23 01:02:17 | 建物(京大以外の京都府の)
2019年9月22日、京都府立京都学・歴彩館に「戦後京都を設計した男 建築家・富家宏泰生誕 100年記念回顧展」を観に行きました。

    
2019年9月7日~9月30日まで。9時〜 18時、土日と最終日は 17時まで。無料。
ポスターの写真は京都市立体育館(1963)です。


富家宏泰(とみいえ ひろやす)は1919年〜2007年、香川県生まれ。三高、戦争から生還後、京都大学工学部建築学科卒業後、講師を経て、1952年に富家建築事務所を設立、京都府と京都市の公共建築をはじめ、大学、図書館、ホテル、オフィスビルなどの戦後京都における建築物のほとんどを手掛け、やがて三重県、石川県、千葉県を中心に全国の美術館やスタジアムなどをデザイン、その数2000点以上になります。

そのうち、京都の建築物のパネル写真が約 100点展示されています。大学関係では、京大附属図書館(1981)や立命館大学恒心館(1962)・以学館(1965)、同志社大学、大谷大学の建物、京都第二赤十字病院(1959)など、

  
↑最近壊された 京都商工会議所(1963)、 



↑閉館中の京都府立総合資料館(1961)、

府立体育館(1970)、府立文化芸術会館(1969)、京都新聞社本社ビル(1959)、藤井大丸(1969)、からすま京都ホテル(1980)、カトリック河原町教会(1967)などなど・・・、見覚えのある建物が溢れています。

戦後京都の高度経済成長期の景観を形作ってきた建築の数々、今も残るものもたくさんありますが、ホテル建設ラッシュなどで次々と姿を消していくものもあります。
富家宏泰が多くの建物を建てながら、知名度が低いのは、先鋭的なデザインが少なく、建築家の主張を出さないおとなしいデザインが多いことがあるかもしれません。しかし、京都市民にとってはなじみの深い景観を作ってきた建築家でした。


藤野家住宅(京の夏の旅2019)

2019-09-17 23:04:12 | 建物(京大以外の京都府の)
京都市と市観光協会が毎年夏に行っている「京の夏の旅」で今年、文化財特別公開されている「藤野家住宅」を見学に行きました。

京都市中京区高倉通り竹屋町上ルにある数寄屋風町家で、1926(大正15)年に白生地問屋の番頭さんが施主、大工は三上吉兵衛が造りました。



御所南の閑静な住宅街にある住居として造られた町家で、敷地の周りが高い塀で囲まれた「大塀造(だいべいづくり)」です。大塀と主屋、蔵が国の登録文化財に指定されています。蔵は昭和13年の造です。
間口は7.8m、奥行は32mです。


門を入ると、露地に敷石が敷かれ、途中と奥の二箇所の右側に玄関が二つ、突き当りに勝手口があります。



手前の玄関は4.5畳の茶室への入口になっています。
玄関がいきなり茶室になっておもてなしの間になっているのです。
茶室の部分は平屋の造りになっています。



茶室と大塀の間が露地庭になっていて、こちらからお茶室に入ることもできます。



二つ目の玄関から入ったところ、茶室と座敷の間に坪庭があります。




坪庭。



二間続きの座敷。



主座敷の床の間。この右側に仏間があり、その前襖は右に引くと、隣の部屋との間の柱を通過するようになっています。襖の地獄組の桟、兎の模様の唐紙等の凝った意匠もありました。




座敷の奥にある主庭と蔵。大きなつくばいが掘り下げられてあり、坪庭と同じく棕櫚竹が風にそよいでいます。



二階の座敷。

富岡鉄斎等の絵も飾られ、茶の湯や謡をたしなんだ趣味人の数寄屋風町家、今もきれいに住み続けられています。

9月30日までの公開。見学料大人600円です。