今日の寒かったこと!真冬に逆戻りしたようでしたが、松ヶ崎浄水場前の疏水の桜は確実に蕾が膨らんできていました。
旧報徳銀行大阪支店。大阪市中央区今橋2丁目、境筋通りに面しています。
1922(大正11)年建築。設計は皇居二重橋や奈良ホテル等を設計した河合浩蔵。国の登録有形文化財になっています。
近くで写したので建物の全景が写せなくて残念。
現在は、洋菓子ブランド「五感・北浜本館」として、銀行の営業室、会議室はそのまま店舗、カフェサロンに、金庫は厨房に利用されています。
建物の全体像と内部の写真は「こいちゃさんの日記」にあります。
1922(大正11)年建築。設計は皇居二重橋や奈良ホテル等を設計した河合浩蔵。国の登録有形文化財になっています。
近くで写したので建物の全景が写せなくて残念。
現在は、洋菓子ブランド「五感・北浜本館」として、銀行の営業室、会議室はそのまま店舗、カフェサロンに、金庫は厨房に利用されています。
建物の全体像と内部の写真は「こいちゃさんの日記」にあります。
旧三井銀行大阪支店。大阪市中央区高麗橋1丁目、境筋通りに面して東側にあります。1936(昭和11)年建築。曾禰中条建築事務所の設計。
こういう柱を何式って言うんでしたっけ。
こういう柱を何式って言うんでしたっけ。
大阪市中央区今橋3丁目にある「八木通商」のビル。元は大阪農工銀行でした
1917(大正6)年築で設計は辰野・片岡建築事務所、1929(昭和4)年に国枝博によって改築されています。
3階部分は後の増築だそうです。
窓周りなどの飾りは手が込んでいるのに、全体にはすっきりしていて素敵です。
1917(大正6)年築で設計は辰野・片岡建築事務所、1929(昭和4)年に国枝博によって改築されています。
3階部分は後の増築だそうです。
窓周りなどの飾りは手が込んでいるのに、全体にはすっきりしていて素敵です。
1月21日に東寺の初弘法で買ったショウジョウバカマが咲きました。
藤色の上品な色です。普通は赤い花が多いのに、これは園芸種なのでしょうか。
雪割草も咲いています。
藤色の上品な色です。普通は赤い花が多いのに、これは園芸種なのでしょうか。
雪割草も咲いています。
気の早いブログスキンにしてしまいましたが、松ヶ崎村近くの桜もいよいよつぼみを膨らませてきました。あと1週間くらいで咲きそろうことでしょう。
大阪市中央区今橋3丁目、ビルの谷間に木造の御殿風建物があり、目を惹きます。1901(明治34)年に建てられた幼稚園で、今も現役です。1880(明治13)年に船場北部の連合町会が作って幼稚園で、この年にここに移転建造されたものです。外観は伝統的ですが、内部は2層吹き抜けの大空間に格天井、アール・ヌーヴォー調の照明などの意匠の遊戯室があり、圧巻だそうです。設計は伏見柳、久留正道、中村竹松。
この建物は戦争中に危うく取り壊されそうになったそうですが、幼稚園が粘りに粘って、残すことができたそうです。よかった!
門の前に「銅座の跡」の石碑が立っています。意外なことに、江戸時代大阪は銅の精練・貿易を行う工業都市の一面を持ち、全国で生産された銅が大阪に集荷されて精練され、長崎から海外に向けて輸出していたそうです。これらの銅の精錬・販売を統括するために幕府によって作られたのが銅座で、ここはその跡地です。
ご近所の十月桜(不断桜?)(お会式桜?)(確かな品種名は不明)が満開です。
冬中寒さに耐えてちっちゃな花をつけてきていたのが、3月になって花も大きくたくさん咲き揃い、早くも散り始めて小さな花びらで絨毯のようです。
京阪淀屋橋駅から西へ約100メートル、大阪市中央区今橋4丁目にある社団法人大阪倶楽部の建物、1911(大正元)年、安井武雄の設計です。国の登録有形文化財。
玄関前の塑像や装飾が崩れかけてきているのも、経てきた年月の長さを感じさせて、建物の風格を増しています。
しかし、やはり選ばれた方々だけが受け入れられる、そんな感じのする入り口の佇まいです。
玄関前の塑像や装飾が崩れかけてきているのも、経てきた年月の長さを感じさせて、建物の風格を増しています。
しかし、やはり選ばれた方々だけが受け入れられる、そんな感じのする入り口の佇まいです。
嵯峨野からトロッコ列車に乗って亀岡に行き、「楽々荘」を訪ねました。
「楽々荘」はトロッコ列車の旧山陰線生みの親、田中源太郎翁の生家を譲り受けて料理旅館としたものです。
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楽々荘は田中源太郎翁の旧邸を今に伝えるものです。源太郎は生家を明治三十年代後半に五年の歳月をかけ、京都鉄道(山陰線)の開通 に合わせ改築しました。山陰線(現在のトロッコ列車)のトンネルや鉄橋と同じレンガをつかった洋館や豪壮な書院造りの和館や玄関(平成九年国登録有形文化財指定)と六百五十坪の庭園が見事な対比を見せています。この回遊式池泉庭園は明治の元勲山縣有朋の別荘「無隣庵」や平安神宮神苑等の庭で近代造園の総合プロデューサーとして有名な七代目小川治兵衞 (植治)の作と伝えられています。明るく開放的な作風の中に伝統的な造園法が巧みに取り入れられています。庭園内には、源太郎が山陰線建設の時に買収した亀山城にあったとされるものが多く伝わっています。亀山城は明智光秀の築城になりますが、本能寺の変の後豊臣の所有となりました。そしてその豊臣の紋の入った大きな石燈篭や鉄の井筒が昔を今に伝えています。(「楽々荘」ホームページより)*****
の中、たどり着いてみれば、ランチの時間を過ぎて、ディナーの時間には早く、喫茶は春から秋の季節のいいときしかやっていないようで、残念ながら中には入れませんでした。ところが、お庭だけは、別の門からオープンガーデンになっていて見ることができ、ラッキーでした。
650坪のお庭は夏にはビアガーデンになっているそうです。さすが植治のお庭、手入れも行き届いて美しいのだけれど、枯山水の流れを現している上に桟敷を敷いて、ビアガーデンにしてもいいものだろうか?それ程違和感は感じさせないように作ってありましたけれど。
ところが、背景はこの有様。
洋館も素敵でした。
3月18日に天龍寺塔頭の寶厳院に行きました。庭園は獅子吼の庭とも言われ、策彦禅師の作とされ、嵐山を巧みに取り入れた借景回遊式庭園。江戸時代の京都の名所名園案内記『都林泉名勝図会』にも掲載されています。
誰もいない庭内にせせらぎの音が響いて、小雨の中、苔がしっとりとして心を癒してくれます。
どこからともなくいい香りが、と思えば、沈丁花の花が咲いているのでした。
苔の中にショウジョウバカマも咲いていましたが、小さくて撮影できませんでした。
参道の羅漢さん達。
馬酔木の花。
レンギョウ。
紅梅。
人力車に乗って行きました。初めての体験でした。
嵐山保津川べりの梅の木。
お昼は湯豆腐つきの嵯峨野弁当をいただきました。
大阪市中央公会堂。1918(大正7)年の建築。原設計は岡田信一郎、実施設計は辰野片岡建築事務所。辰野金吾の設計と聞くと、「そういえば京都文化博物館と共通してるう」と思ってしまいました。
正面の半円形の屋根の上にいる二人は、ギリシャ神話の神さんで、市民の保存運動の結果2002年に改修された時につけ加えられたそうです。
中でカフェ・レストラン「中之島倶楽部」も営業しています。こんなに素晴らしい建物が壊されず活用されていて、よかったです。
いつか中も見に行かなくては。
正面の半円形の屋根の上にいる二人は、ギリシャ神話の神さんで、市民の保存運動の結果2002年に改修された時につけ加えられたそうです。
中でカフェ・レストラン「中之島倶楽部」も営業しています。こんなに素晴らしい建物が壊されず活用されていて、よかったです。
いつか中も見に行かなくては。
大阪府立中之島図書館。1904(明治37)年、住友家の寄付で建築された。設計は住友家の建築技師であった野口孫市と日高胖(ゆたか)、工事顧問は辰野金吾。
1922(大正11)年に住友家の寄付と日高胖の設計によって左右の両翼が増築され、現在の形が完成しました。
コリント式の柱を持ち、ギリシャ神殿を思わせる建物です。
参照「大阪府立中之島図書館の建物について」
1922(大正11)年に住友家の寄付と日高胖の設計によって左右の両翼が増築され、現在の形が完成しました。
コリント式の柱を持ち、ギリシャ神殿を思わせる建物です。
参照「大阪府立中之島図書館の建物について」
しばらく大阪の建物シリーズです。
1903(明治36)年築。設計は辰野金吾、葛西万司、長野宇平治。ネオルネッサンス様式。中之島、淀屋橋のたもとすぐの所にあります。
1903(明治36)年築。設計は辰野金吾、葛西万司、長野宇平治。ネオルネッサンス様式。中之島、淀屋橋のたもとすぐの所にあります。
天満屋ビルと商船三井築港ビルを見た帰りに、近くにある赤レンガの旧住友倉庫を見に行きました。
1923(大正12)年に作られ、長く港の繁栄を支えてきましたが、今は倉庫としての役割を終え、所有、管理は大阪市、芸術活動をNPO法人アーツアポリアが企画して行っています。この日も倉庫の中で何やらアーツの展示をしていて、倉庫の中まで見ることができました。
1923(大正12)年に作られ、長く港の繁栄を支えてきましたが、今は倉庫としての役割を終え、所有、管理は大阪市、芸術活動をNPO法人アーツアポリアが企画して行っています。この日も倉庫の中で何やらアーツの展示をしていて、倉庫の中まで見ることができました。