ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

2017年鞆の浦の旅 もくじ

2017-05-31 01:06:07 | 遠出(国内)
2017年5月末に広島県福山市の鞆の浦に行ってきました。

鞆の浦は瀬戸内海のほぼ中央にある港町で、古代から中世・近世と潮待ち風待ちの港として栄えました。昔ながらの街並みが残り、今もその中に住民の暮らしが続いています。







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鞆の浦の旅(7)神社と寺の町

2017-05-31 01:04:13 | 遠出(国内)
鞆の浦の旅、二日目も町のあちこちをぶらぶら歩いて見てまわりました。

鞆城跡の高台に「福山市鞆の浦歴史民俗資料館」があります。鞆の浦の歴史と漁業・保命酒・祭りなどの暮らしについてわかりやすく展示していて、楽しく学ぶことができます。
入館料:150円。休館日:月曜日、年末年始。



道端に昔から使い続けられている井戸がありました。



山中鹿之介首塚。尼子十勇士の1人だった山中鹿之介は1578(天正6)年、毛利氏に捕えられて殺害され、その首は鞆城へ送られ、その時鞆にいた将軍・足利義昭が首実検したと伝えられています。



その前にある「ささやき橋」。官妓 江の浦 と都から来た役人が恋に落ち、人目を忍んで愛をささやいたが、それが噂となり、罪を問われた悲恋の舞台だと言い伝えられてます。



沼名前(ぬなくま)神社。
京都八坂神社の元社で、地元では「鞆の祇園さん」と親しまれ、歴史と格式を誇る神社です。



石鳥居(県重文)、灯篭、全国からの寄進による玉垣などの石造物がたくさん建っています。



能舞台(国重要文化財)。元は豊臣秀吉が京都伏見城に設置したと伝えられ、簡単に分割して移動できる移動式能舞台で、福山城築城の際に二代将軍徳川秀忠から福山藩初代藩主水野勝成が譲り受けたものです。



沼名前神社境内にある「力石」。60キログラムを超えるほどの重さで、力試しに用いられました。鞆の浦には住吉神社、鞆の浦歴史民俗資料館にも力石があります。



江戸時代初期、鞆城を築いた福島正則が、城下町整備の一環で「寺町通り」を造営、各宗派のお寺がほぼ一直線に並んでいます。静かな鞆の浦のさらに静かな街並みが続く一画でした。



14:07に泊まった宿から送迎車で福山駅に向かって出発し、14:40福山駅着、15:55福山発18:14新大阪着のこだまで帰ってきました。
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鞆の浦の旅(6)仙酔島

2017-05-31 01:01:24 | 遠出(国内)
鞆の浦の対岸に仙酔島があります。


坂本龍馬の乗っていた蒸気船「いろは丸」を模して作られ、「平成いろは丸」と名づけられた市営渡し船が、鞆の浦と仙酔島の間に運航しています。
いろは丸は160トン、54.5m、主要機関は45馬力でしたが、平成いろは丸は19トン、全長22.3m、主要機関は245馬力です。



船は往復240円、昼の間20分毎に出航していて、仙酔島まで約5分、島に着いてから、ぶらりと散歩してまた好きな時に帰りの船に乗って帰って来ることができます。



仙酔島の手前にある弁天島。



仙酔島の船着き場がある入り江。



島の中央部のくびれた所を通るとすぐに島の反対側に出られます。



そこは絶好の海水浴場になっています。






浜のすぐ前には国民宿舎があります。
夏は海水浴客でにぎわうことでしょう。

小さな島の美しい海岸をのんびりと散歩してゆったりした気分に浸りました。


鞆の浦の旅(7)に続く。
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鞆の浦の旅(5)鞆の浦の宿

2017-05-31 00:59:33 | 遠出(国内)
鞆の浦で一泊した夜の食事は、もちろん瀬戸内の海の幸満載の豪華なものでした。





お風呂はラジウム温泉の「鞆の浦温泉」。大浴場から海が望めます。



部屋にも舟形の露天風呂がついています。



部屋からは朝日が昇るのが見られました。



朝食も魚が盛りだくさんのお料理でした。



鞆の浦の旅(6)に続く。
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鞆の浦の旅(4)福禅寺對潮楼

2017-05-31 00:57:29 | 遠出(国内)
鞆の浦観光で絶対スルーすることができない福禅寺対潮楼を訪ねました。

国史跡・福禅寺は平安時代の天暦年間(947年~957年)創建と伝えられる真言宗の寺院で、狭い路地の坂道を上がった所にあります。



本堂。これに隣接して客殿・對潮楼が建立されました。



對潮楼は江戸時代の元禄年間(1688年~1703年)に客殿として建立され,海に面した石垣の上に佇み、瀬戸内海の美しい景色を眺望できることから、公的な迎賓館として使用されました。特に将軍の代替わり毎などに朝鮮国から派遣された朝鮮通信使は、鞆に寄港し、ほぼ全てが對潮楼を訪れ、国際交流の歴史舞台となりました。

いろは丸事件のときには、坂本龍馬が紀州藩の重役と交渉をした場所とも言われています。



座敷からの眺めは額縁の中の絵を見るようで、海からの心地よい風が吹き抜けて、時間の経つのも忘れるようです。



向かいの弁天島との間に龍馬のいろは丸から名前を採った市営の渡し船が通っています。



1711(正徳元)年、朝鮮通信使8名が對潮楼からの眺望を大絶賛し、従事官の李邦彦が「日東第一形勝」の書を残しました。これが木版刷りのできる版木にされ、今も對潮楼に掲げられています。


鞆の浦の旅(5)に続く。
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鞆の浦の旅(3)太田家住宅

2017-05-31 00:56:00 | 建物(広島県)
鞆の浦の港のすぐ側にある太田家住宅(旧保命酒屋)を見学しました。


港に繋がる細い道に面しており、道の東側の別邸(太田家住宅朝宗亭)とともに重要文化財に指定されています。



保命酒の生産・販売をしていたので、正面に杉玉がかかっています。



裏の通り側の外壁は独特な模様のなまこ壁になっていました。

太田家住宅は、敷地の四方を道路で囲まれた中に、主屋と保命酒醸造蔵など9棟があり、主屋は18世紀中期、炊事場・蔵・釜屋などが18世紀後期から19世紀前期にかけて建造されています。

江戸時代中期から後期にかけて、保命酒屋中村家によって家屋敷を購入しながら拡張・増築されてほぼ現在の規模になり、明治期に廻船業を営んでいた太田家が受け継ぎました。
1996年から2001年にかけて保存修理され、江戸時代末期から明治時代初期の姿に復元されています。



入口門をくぐって店土間に入り、内側から見たところ。右側のしも店が事務室・受付となっていて、左側に畳の店の間、玄関の間、座敷へと続いています。



13室もある座敷と茶室。
長州藩など西国大名が参勤交代の時に宿所とし、「海の本陣」としての格式を備えていました。
幕末になって、尊王攘夷派の三條実美ほか7人の公卿が1863(文久3)年8月18日の政変で都を追われ、鞆の津に寄り、長州に向かいましたが、翌年(元治元年)7月18日から20日に上京の途中に中村家でくつろぎました。公卿たちは保命酒でもてなされ、三條実美は保命酒を讃える歌を詠んでいます。公卿たちは20日に鞆の津を出て、多度津に入港した時、蛤御門の変を知り、急遽鞆の津に集結し、再び長州へと下っていったのです。
太田家住宅は「鞆七卿落遺跡」として、県の史跡となっています。



鶴の釘隠し。



襖の中に箱階段が隠れていました。



雪隠の前に陶器の手水鉢がありました。中に水をためておいて、手を洗う時に栓を開けて水を流します。



店土間の奥に続く広い奥土間は炊事場になっていて、



大きなかまどがありました。かまどの奥側は一段低くなっていて、煮炊きの火がよくおこるように、下の方に浜からの風を取り込む隙間がありました。



土間から中庭に出ると、西蔵・南保命酒蔵・北保命酒蔵・東保命酒蔵・北土蔵・新蔵と、たくさんの土蔵が並んでいました。



保命酒蔵の中には大きな甕がたくさん並んでいました。

保命酒は餅米を主原料に、粳米、焼酎、16種類の漢方薬を使って醸造した薬酒です。1655(明暦元)年に大阪から鞆に移り住んだ中村吉兵衛は、1659(万治2)年に漢方薬酒「十六味地黄保命酒」の製造・販売を始め、藩から専売権を与えられて一子相伝の秘法で伝えてきました。明治になって専売権がなくなり、保命酒醸造業者が増加して競争が激化し、明治34年に太田家住宅での製造を終えましたが、蔵の中には醸造時の様子が残されています。



石の重しを天秤のようにしていました。



作られていた保命酒の数々。



白い木馬。

鞆の浦では、「八朔の馬出し」と言って、9月(旧暦8月1日に近い日曜日)に子どもの誕生と健やかな成長を願って、八朔の馬(台車付きの白い木馬)に子どもたちを乗せて町中を練り歩きます。


「太田家住宅」
開館時間 : 10:00~17:00
定休日 : 火曜(祝日の場合は翌日)、12/29~1/3
料金 : 中学生以上 400円

太田家住宅、BS朝日の「百年名家」でも取り上げられた名建築です。


鞆の浦の旅(4)に続く。
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鞆の浦の旅(2)鞆の津に龍馬の足跡をたどる

2017-05-31 00:55:00 | 遠出(国内)
鞆の浦といえば、鞆の津の港です。

古代から栄えてきた鞆の港は近世になって、大型の北前船も出入りするようになり、港の整備が進められ、常夜燈、雁木(がんぎ)、波止(はと)、船番所などが作られました。





潮の干満の差が大きい瀬戸内海の港では、いつでも積荷の揚げ下ろしができるように、雁木と呼ばれる階段状の船着場を造っています。現在残っている浜の大雁木は1811(文化8)年に造られたものです。



鞆の浦には北前船だけでなく、朝鮮通信使、琉球使節、江戸参府のオランダ商館長などがこの港から上陸し、海外の新しい文化も入ってきました。







常夜燈は、船の出入りを誘導する燈台で、鞆では「とうろどう」と呼ばれてきました。1859(安政6)年に築造され、海中の基礎の上から宝珠まで11mあり、現存する江戸期の常夜燈の中では日本最大級の高さです。



常夜燈の手前にある「いろは丸展示館」。隣接して、軽食やお土産屋さんが並んでいます。

1867(慶応3)年4月23日に坂本龍馬の率いる海援隊が乗り込んだ蒸気船いろは丸と、紀州藩の蒸気船明光丸が衝突し、いろは丸は鞆港沖で沈没しました。いろは丸の乗組員は明光丸に乗り移り、鞆に上陸してから4日間談判が続けられましたが、ついに決裂して紀州藩は長崎で交渉することを告げて出航してしまいました。
この展示館は江戸時代の2階建て土蔵を利用したもので、昭和63年から平成17年まで4回にわたって沖合の海底(水深27m)から引き揚げられた遺物や沈没状況のパノラマなど、いろは丸関連の資料を展示しています。

開館:10:00~17:00。入館料:200円。休館:12/29~1/1。



雁木の近くにあったレトロな建物。



旧魚屋萬蔵宅。
いろは丸側と明光丸側の談判が行われた場所。現在は江戸時代の町家のたたずまいを残したまま、食事・宿泊施設「御舟宿いろは」になっています。

利用時間(食事&喫茶)10:00~17:00 休日:火曜日


ここで冷たいものを飲んで休憩しました。



桝屋清右衛門宅。
廻船問屋を営んでいて土佐藩とも取引があったと思われ、紀州藩との交渉の間、坂本龍馬達が宿舎にし、暗殺の危険があった龍馬は階段のない2階の隠し部屋に寝泊まりしたと伝えられています。

開館:金・土・日・月曜・祝日 9:00〜16:30
料金:大人200円 小学生以上高校生以下100円 小学生未満無料



鞆の浦の旅(3)に続く。
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鞆の浦の旅(1)鞆の町並み

2017-05-31 00:52:16 | 遠出(国内)
2017年5月末に広島県福山市の鞆の浦に行ってきました。

江戸時代から続く風情ある街並みと港の景観が、バイパス道路の開発で壊されそうになるのを、住民の反対運動で止めさせたという現地を見てみたいと思ったからです。


8:43京都駅発の新快速で新大阪へ。9:35新大阪発のこだまで11:16に福山に着きました。
京都から福山までの直通に乗らず、新大阪で乗り換えたのは、JR西日本のお得サービス「おとなび」のWeb早得が京都からではなく新大阪からしか乗れないため。新大阪-福山のこだま特急券付き指定席乗車券が3140円と、お得になっているからです。お安くなるけれど、必ず乗り換えなければならないのが不便です。


福山駅であなご弁当を食べて待っていると、12:00に宿の送迎車が迎えに来てくれました。
鞆の浦までは南へ14km、車で30分程でした。

鞆の浦は瀬戸内海のほぼ中央にある港町で、古代から中世・近世と潮待ち風待ちの港として栄えました。また、戦さになったときの備えとして、まっすぐな道がほとんどなく、少しずつ細かく曲がった細い道を挟んで昔ながらの街並みが残り、今もその中に住民の暮らしが続いています。

歩き回って見かけた街並みの風景を並べておきます。
















福山市の重要文化財になっている「鞆の津の商家」。
母屋、土蔵とも江戸時代末期に造られ、明治27年からは漁網製造を中心に漁具・船具を北海道から東南アジアまで広範囲に販売する会社の建物でした。



鞆の港に続くメイン道路。



と言っても、とても狭い通りです。









江戸時代から鞆の浦で盛んに造られていた滋養酒・保命酒のお店が何軒もありました。


ここで保命酒の試飲をして1本買って帰りました。13種類の生薬と焼酎、もち米、麹からできている薬用酒で、甘くて飲みやすいものでした。



くすり屋さん。



福禅寺に続く坂道もとても狭い。






近代建築もありました。

昭和13年に建てられた しまなみ信用金庫鞆支店の建物。平成15年に福鞆信用金庫支店から引き継がれた現役の銀行です。



平野屋履物店。昭和初期に建てられた商家です。





鞆の浦の旅(2)に続く。
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