ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

修学院村

2005-11-28 05:27:03 | ぶらり都めぐり
赤山禅院に行く手前、道のかたわらにこんなお地蔵さんがまつられていました。



豪農風門構えのお家もそこここにあります。



赤山禅院で咲いていたサザンカ。
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赤山禅院

2005-11-28 03:00:03 | ぶらり都めぐり
修学院離宮の近くの赤山禅院に行ってきました。今がちょうど紅葉の見頃でした。
いつもよりは人が多かったですが、それでも有名なところに比べたら少ないほうでしょう。





















拝殿の屋根の上にお猿さんがいました。御所の東北の角でもお猿さんが守っているので、ここも都の鬼門の方角なので、守っているのでしょう。


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酒蔵でバイオリンを聴き利き酒をする

2005-11-27 06:50:10 | ぶらり都めぐり
11月26日に「ねっとわーく京都21」主催で「酒蔵ヴァイオリンミニコンサートと日本酒「九条」試飲のつどい」があり、洛中に一軒残る手作り日本酒蔵元の佐々木酒造さんに行ってきました。丸太町智恵光院東一筋を少し上がった所にあり、俳優の佐々木蔵之介さんのご実家です。



お店の裏に酒蔵が続いてあります。



「古都」は川端康成が愛飲して、名前を揮毫してくれたお酒だそうです。



店の前に吊るされている杉玉は新酒ができると付け替えられます。12月だそうで、今はまだ古いのが下っていました。



酒蔵見学の前に蔵之介の弟さんでイケメンの専務さんがレクチャーしてくれます。



これが酒造りに重要な井戸。この辺りは出水という地名の通り水がいいことで有名で、秀吉の聚楽第でもお茶に使われた「銀明水」と同じ水脈の水だそうです。



洗いあがったお米。



乾燥しながらお米が蔵の中に送られます。町中の酒蔵なので、周りに気を使ってあまり朝早くは仕事をしておられないそうです。酒造りの詳細は佐々木酒造さんのホームページで見られます。



途中を飛ばしていきなりお酒の出来上がったところ(あらばしり)が出てきました。そして、試飲の湯のみが!



早くも試飲です。



お酒の貯蔵タンクなどを見学して、



李陽さんのバイオリンコンサートとなりました。「川の流れのように」「タイスの瞑想曲」「G線上のアリア」「二泉映月」「新疆の春」「荒城の月」



お酒の製品置き場、集荷場が試飲会場です。



今日のメインは憲法九条を守ろうとNPO法人ねっとわーく京都21が佐々木酒造さんに仕込みをお願いして出来上がった「九条」の試飲です。おいしくて飲みやすいお酒でした。



おいしいお弁当もいただきました。
いやー、いい思いをいたしました。「ねっとわーく京都」の読者!(先着30名)
でよかった
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松ヶ崎の秋真っ盛り

2005-11-24 15:48:59 | 松ヶ崎村風土記

紅葉したつたが大きな木の枝にからまって、枝の先まで伸びていっています。まるで紅いイルミネーションで飾られた木みたいです。







松ヶ崎の銀杏並木ストリート。学園祭ももう終わりました。

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住友活機園

2005-11-20 04:41:46 | 建物(滋賀県)
京阪石山寺駅から徒歩5分、小高い丘の上に住友活機園のお屋敷があります。1904(明治37)年、住友第二代総理事の伊庭貞剛氏が引退するときに、人里離れた地に屋敷を建て、以後亡くなるまで住んでいたお家で、国指定重要文化財になっています。


門からお屋敷まで自然を生かした道が続いていて、歩いているうちに俗世間から遠ざかり、心が洗われていくようです。



門を入ってすぐの通路から見上げると、洋館の屋根の部分が見えて期待が高まります。



洋館の設計は住友のおかかえ技師だった野口孫市。大阪中ノ島の図書館など住友関係の建物をたくさん設計しています。






玄関をはさんで反対側の和館は近代数奇屋の第一人者、八木甚兵衛の設計。



茶室の前に大株のツワブキがありました。

造られた当時は人里離れた土地に広々とした敷地だったそうですが、新幹線、名神に土地のほとんどを買収され、新幹線が通るたびにすごい轟音があたりを揺るがし、情緒も何も吹き飛んでしまうのがとても残念です。

伊庭貞剛は「事業の進歩発達に最も害するものは、青年の過失ではなくて、老人の跋扈である」と言って58才で引退し、静かな余生を送ったそうで、いつまでも政界にしがみつき、跋扈している長老政治家達に聞かせてやりたい言葉です。



歩いて15分くらいのところに石山寺があります。



石山寺門前お食事処の名物は「しじみめし」。いも棒とのセットでおいしかったです。石山寺公園一帯は縄文時代にしじみを食べたことを示す貝塚の跡だそうです。



おみやげは和菓子と甘味喫茶「茶丈藤村」の「たばしる」と「石山の秋月」でした。

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京都工芸繊維大学工芸本館

2005-11-14 09:19:58 | 建物(京大以外の京都府の)
本野精吾の建物をもう一つ。
京都工芸繊維大学旧工芸本館(今は3号館)は1931(昭和6)年に工繊大の前身、京都工芸専門学校が京大西部講堂の地からこの松ヶ崎に移転してきたときに建てられたもの。装飾を排したシンプルなデザインの建物です。



いくつかの附属建物があり、これは南側に建つ倉庫らしきもの。



門衛所。
     

      
本館の正面入り口。



入り口を入ったところのホール。
ここに鶴巻先生の胸像があります。



これがいわゆる、スクラッチタイル。

     
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旧・鶴巻邸

2005-11-14 07:16:59 | 建物(京大以外の京都府の)
11月13日に「近代化遺産 全国一斉公開2005」で特別公開された旧・鶴巻邸を見学に行きました。
山科区御陵の疏水べりにあり、1929(昭和4)年に当時京都高等工芸学校(現京都工芸繊維大学)教授であった本野精吾の設計、同校2代校長鶴巻鶴一氏の自邸として建てられました。
建物全体が「中村鎮式コンクリートブロック」というかぎ型のコンクリートを交互に重ねる工法で作られていますが、ブロックの要所はしっかり固められているので地震対策はできているそうです。昭和初期にコンクリートむき出しというのは先駆的で、ルネサンスからモダニズムへの中間的特長を持つ建築だそうです。と、ギャラリートークの時間に出かけたので、わかりやすく解説をしてもらいました。

これは本当は家の裏側。



こちらが入り口。



家の南面。玄関の上に円柱で支えられたサンルームが張り出している意表をつくデザイン。



コンクリートむき出しの玄関上部。



客間。



階段の添え木はそろばん模様。



二階は5室あって、真ん中のサンルーム的な部屋。こういう部屋でくつろぎたい~。



二階南面西側の部屋。



屋上はかなり広くて、山科方面の眺望が抜群。暖炉の煙突が何本も立っています。



1階食堂のテーブルと椅子、このような本野設計の家具が今も大切に使われています。



客間の照明器具のデザインは鈴蘭風。



各部屋に暖炉があります。



客間と食堂の間の引き戸は、染色学科教授だった鶴巻氏自身のロウケツ染め作品です。作品を制作するための部屋もありました。



鶴巻鶴一先生の胸像。


戦後占領軍に接収された時に台所などがペンキで塗り変えられてしまったそです。
天井や壁が剥がれていたりして、老朽化が相当に進んでいるようでした。代々の持ち主が愛情を込めて大切に保存使用してきた建物ですが、個人の力では限界があり、これを何とかうまく保存継承していけるように、資金的な援助や手立てが講じられることを願ってやみません。

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2005年11月東京の旅 もくじ

2005-11-08 03:55:08 | 遠出(国内)
2005年11月5日~6日、東京に行き、小笠原伯爵邸、東京都庭園美術館、銀座ライオンビアホール、「武田五一の軌跡展」等を見てきました。







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東大前の小道

2005-11-07 07:03:28 | 建物(東京都)
東大前の本郷通りはかつての中山道。学生相手の商店街で古くてなつかしいお店がたくさんあります。

老舗出版社、郁文堂。元は昼夜銀行本郷支店で、1923(大正5)年に建てられ、関東大震災にも耐え抜いた建物。今は郁文堂もお休みしているのか、閉ざされたままでした。




万定フルーツパーラー。本郷通りから露地を少し入ったところ、1914(大正3)年からの営業で、カレーライス、ハヤシライス、絞りたてフルーツジュースなど。



万定の奥の町屋甘味処でおぜんざいをいただきました。かぼちゃぜんざいなど変わったメニューもあり、すごいボリュームでした。
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武田五一の軌跡

2005-11-07 04:25:20 | 建物(東京都)
11月6日に東京文京区の文京ふるさと歴史館で開催されている「近代建築の好奇心・武田五一の軌跡」展を見にいきました。
京大時計台など、主に関西で設計をした武田五一(1872-1938)ですが、福山から上京、文京区西片にあった旧福山藩主阿部家の学生寮に住み、東大で学び、文京区近辺に設計した建物も多くあったなど、この土地にも深い関わりがあったことがわかりました。
12月4日(日)まで開催されています。

文京シビックセンターで同時開催している「まちかどの近代建築写真展」(11月29日まで)で待っていてくださった小道さんにご案内いただいて、五一の設計した求道会館から東大前の本郷通りあたりまで、ミニ町歩きを楽しみました。



求道会館、1915(大正4)年、浄土真宗の僧侶、近角常観が依頼して建てたもので、西洋教会風の中に正面に六角堂厨子がある変わった建物。一般公開の日ではなかったので、残念ながら外から眺めただけ。



1905(明治38)年から今も現役の年代もの下宿屋さん、本郷館。



坂道にこんな屋根のお家が何軒か。同じ頃に売り出されたものか。



お庭の手入れも行き届いた素敵なおうちでした。
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小笠原伯爵邸(4)

2005-11-07 02:21:10 | 建物(東京都)
伯爵邸のデザインには鳥や葡萄などの動植物模様があちこちに使われています。

廊下の間仕切りの上部にあった鳥籠。



これは修復時に新しく作ったステンドグラスらしいです。



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小笠原伯爵邸(3)

2005-11-06 07:08:28 | 建物(東京都)
伯爵邸がまだ続きます。

中庭(パティオ)。ここもオープンカフェになっているらしい。
中庭には、伯爵が趣味で作った水飲み場の彫像もあります。



パティオから屋上に続く階段があります。






トワレット(洗面室)でも、とても広くてこのゴージャスさ



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小笠原伯爵邸(2)

2005-11-06 05:05:33 | 建物(東京都)
小笠原伯爵邸の外観です。

入り口と、右の方がオープンカフェ風になっています。もう少し右側は2階建てになっています。



玄関の両側に鳥の形をしたトリアリー(植木の刈り込み)があります。建物の装飾に動植物がたくさん使われているので、庭にも鳥の置物などがあります。






この細工がたまらない!建物の外部だから、これだけなら無料で見れますよ。



玄関から左に回ってお庭に向かう方の外壁。




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小笠原伯爵邸(1)

2005-11-06 04:02:02 | 建物(東京都)

2005年11月5日、「知るを楽しむ、何でも好奇心」という「あれもこれも」のビバさんにぴったりのテレビ番組に刺激を受けて、終戦後占領軍に接収されていた東京のお屋敷や名建築を訪ねる旅に出かけました。
旅のもう一つの目的は、文京ふるさと歴史館で開催されていた「近代建築の好奇心・武田五一の軌跡展」と、小道さん達が開催していた「まちかどの近代建築展」を見に行くためでもありました。

さて、小笠原伯爵邸ですが、旧小倉藩主小笠原家三十代当主小笠原長幹(ながよし)氏の邸宅として、1927(昭和2)年に建てられ、当時としては珍しいスパニッシュ様式の斬新な建物でした。昭和20年から28年まで占領軍に接収され、返還後一時東京都の児童相談所として使用されていました。その後40年近く使用されず存続が危ぶまれていましたが、2000(平成12)年、修復および歴史的建造物としてふさわしい活用をすることを条件にして、民間企業に貸し出され、スパニッシュレストレン、カフェとして営業しています。
お店の名前も「小笠原伯爵邸」
カフェでは建物の一部しか見れないので、レストランのほうに予約をしてでかけました。ランチ7,000円は、一生に一度のセレブになった気分です。お食事の後、頼むと館内の一部を案内してくれました。
建物の修復は昔の写真を参考にして、調度品にいたるまで忠実に復元したそうなので、建築当初に近い姿を満喫することができました。

先ずは、上の写真はこの邸宅の最大の見せ場と言われる喫煙室(シガールーム)を外部から見たところ。半円形の外壁に植物や鳥のタイルがちりばめられています。


レストランになっているベランダ部分から喫煙室を見たところ。






喫煙室の内部は、大理石モザイクタイルの床など、全てイスラム様式の内装になっていて、「喫煙室はイスラム様式」という慣例を踏襲しています。

シガールームと聞いて思い出すのは、映画「タイタニック」で一等船室の乗客達がお食事をした後、男性だけがシガールームに行く場面、主人公の二人はこれをお断りして、二人だけの世界に向かうんだけど、シガールームってのは上流階級の男性だけのための部屋だったんだとあたらめて認識いたしました。

建物の設計は曾根中條建築事務所。曽禰達蔵氏と中條精一郎氏(宮本百合子のお父さん)によって明治 41年(1908)に創設された建築事務所です。

所在地:新宿区河田町10-10 都営地下鉄大江戸線「若松河田」駅下車すぐ
電話:003-3359-5830 (レストランは要予約)
営業:11:30-15:00,18:00-23:00
定休日:年中無休

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京都府庁旧本館(2)

2005-11-04 00:18:51 | 建物(京大以外の京都府の)
中庭には大きなしだれ桜の木が3本もあります。




円山公園のしだれ桜と兄弟の木なんだそうです。春には素晴らしいお花見ができることでしょう。




中庭には五条大橋の礎石も据えられていました。中央の石柱には「天正拾七年(1589年)五月吉日」と刻まれています。旧本館が竣工した明治37年、庭師により景石として据えられたものというから、ここの庭も植治が作ったのでしょうか。




府庁の地は元は京都所司代があったところだそうです。




また、この地に1874(明治7)年わずかの間、慶応義塾の分校が当地にあった中学校(現在の洛北高校)内に置かれていました。槙村正直京都府参事の求めに福沢諭吉が応じたものでした。




建物は今も現役です。こんなお部屋もありました。






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