ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

後の祭巡行の後

2014-07-24 23:26:30 | ぶらり都めぐり
祇園祭後の祭の巡行は、涼しい自宅でテレビで鑑賞しました。
しかし、テレビ中継は8時30分~11時で終わり、巡行の様子は最後尾の大船鉾が河原町御池を辻回しするところまででした。物足りない!
今から出かけても町内に帰って来るのに間に合うと思って、急遽本物を見に行くことにしました。


烏丸御池まで地下鉄で行って、室町通りから下がって行きました。


室町通り姉小路を下がった町内に帰ってきた役行者山のご神木は既に横になっていました。
かき手の人達が山を持ち上げて方向転換していました。







新町通りに移って、


三条通りを下がった八幡山ではご神木の松の枝を切って皆さんに分けていたので、私も一枝いただいてきました。





新町通り六角下ルの北観音山。





懸装品が徐々に外されているところでした。





ご神木の松の枝には尾長鳥がまだ停まっていましたが、





柳の枝は既にほとんどなくなっていました。





この写真ではちょっとわかりにくいですが、南観音山の上には楊柳観音様がほつんと鎮座しているのが見えました。




こちらのご神木には白い鳩が停まっていました。





さらに下がって、四条通りの南には大船鉾が帰って来ていましたが、四条通りから南へは交通規制が敷かれていて、関係者以外は近寄れないようになっていました。
残念!やはり巡行でしっかり見たほうがよかったかな。





再び室町通りを上がって、蛸薬師上ルの鯉山ではすでに鯉の姿はなく、お社を下すところでした。





でも、タペストリーが近くでよく見えます。





昨夜のテレビ番組で、ベルギー製のタペストリーが5枚組で日本にもたらされ、徳川家→紀州家→京都の豪商と伝わったのではないかという謎解きが行われていた、あのタペストリーのレプリカです。





1枚のタペストリーが切られて山の前後左右を飾っています。
あまり人込みでもなく、遠目でもなく、山の懸装品をたっぷり見ることができました。





室町通り六角上ルの黒主山。
見返りの龍。




胴かけは桜かと思ったらナデシコのようでした。





ご神体の黒主さんが抱きかかえられて、山を下りて行かれました。





飾りを取り外した山の足元は意外に小さな車になっていました。


13時頃には各山はほとんど解体されていきました。
山鉾の部材は各会所にしまわれて、また来年の出番を待つのです。
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2014祇園祭後祭宵々山

2014-07-23 11:51:14 | ぶらり都めぐり
山鉾の巡行が今年から先祭と後祭に分かれた祇園祭、後祭の宵々山にあたる7月22日夕方にちょこっと見てきました。



烏丸通りの三条にある鈴鹿山。
この辺りでは人出もそれ程ではなく、歩きやすくなっていました。




新町通り綾小路まで下がって、今年復活した大船鉾。

初めて現れた姿を見ようと大勢の人が詰めかけて、新町通りは四条から綾小路までが南行き一方通行になっていました。鉾に上がるのにも長い行列ができていました。





去年までは会所に飾られていた大金幣が舳先に輝かしくつけられています。








船尾につけられる舵はまだ会所の中に飾られていました。
会所には神宮皇后のご神体も鎮座していましたが、写真撮影禁止です。

初めての復活巡行はどんなに見事に行われるでしょうか。見てみたいものです。





四条通り寺町のお旅所には三基のおみこしが24日まで八坂神社から出張して来ておられます。





その横でお囃子が奏でられて、町はまたまた祭の熱気が盛り上がっていました。


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怖いもの見たさの絵金祭り

2014-07-23 02:20:15 | 土佐の国
高知県中部の町、赤岡の絵金祭りに行ってきました。
毎年7月の第3土日の夜にあるお祭りです。


     


赤岡の町は今は香南市の一部になっていますが、江戸時代には漁港と近辺の商業の中心となり栄えた町です。

JR高知駅を17:34に出発、御免駅からそのまま土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線に乗り入れる列車で、あかおか駅に18:12に着きました。



まだ明るい時間に着いたので、しばらく町を散策しながら、屋台のビールやおつまみで喉をうるおしました。
いつもはひっそりしている町も今日は近所の子供達や観光で訪れた人で徐々に賑やかになってきました。



町中にある伊能忠敬緯度観測記念碑。
1808(文化5)年、幕府天文方一行の伊能忠敬が測量に訪れ、ここに北緯33度33分の杭を打ちました。北緯33度33分33秒の標識は高知市江ノ口川下流にあります。




その向かいに建つ初代村長小松与右衛門邸。
小松与右衛門は寺尾酒造の丁稚から身をおこし、酒造業を営むかたわら学問を身につけ、1890(明治23)年初代村長となり、私財を投じて香宗川の治水工事で新田を開発、赤岡小学校を建設した人です。



古そうな家や、



土佐漆喰壁の家が並んでいます。




海から近いだけあって海抜8m、というと、津波が来た時が心配です。




やがて、7時になると祭の開始を告げる放送があり、家々の前に絵金の屏風絵が立てられ、その前に立つ1本のろうそくの光で照らしだされる芝居絵を人々が観てまわります。その家の人が絵の側に座り、自慢げに見守ったり、絵の解説をしたりしてくれます。


絵師の金蔵--略して「絵金」。
広瀬金蔵(1812~1876)は、高知市に生まれ、江戸に出て狩野派に入門して技術を身につけて戻り、土佐藩家老桐間家の御用絵師に抜擢されます。しかし、贋作事件に巻き込まれて城下追放となり、10年の流浪の後、赤岡の町の商人達に請われて、町絵師として酒蔵で絵を描きました。その絵は歌舞伎の場面を描く芝居屏風絵が多く、土佐各地の神社の祭礼や商家の軒先で飾られ、夏の夜の庶民の目を楽しませました。
赤岡町には特に絵金の絵が多く、通常は「絵金蔵(えきんぐら)」というミュージアムに保存公開されていますが、年に二度、絵金祭りと須留田八幡宮の祭礼の時に、元の持ち主の家に帰されて、軒先で昔のようにろうそくの灯りの下で見られるようにされているのです。

私も前に絵金蔵で見たことはあるのですが、この祭の中で是非見てみたいと思って長年憧れていた願いがやっとかないました。


以下、表題がわかるものは書いておきました。

源平布引滝
松波検校琵琶の段



花上野誉石碑
四段目 志度寺



浮世柄比翼稲妻
二幕目返し 鈴が森
白井権八と幡随院長兵衛のお話です。



伊達競阿国戯場
累(土橋)



佐倉義民伝
宗吾子別れ



木下蔭狭間合戦
石川五右衛門 壬生村



菅原伝授手習鑑
寺子屋の場



伽羅先代萩
御殿



花衣いろは縁起
鷲の段(二月堂良弁杉の由来)



忠臣二度目清書
寺岡切腹



播州皿屋敷
鉄山下屋敷



屏風絵の他に、絵馬提灯もありました。
長方形の箱型の両面に和紙を貼り、内側に蝋燭を灯して和紙面に描かれた絵を見る仕組みになっています。一つの芝居を続きものとして展示されることが多く、今回は義経千本桜が何枚も飾られていました。







赤岡の町には、昔行われていた村芝居の小屋が復元され、素人の人達が歌舞伎を実演しています。

これがその「弁天座」で、それまでJAの集荷場に舞台を組んでいたのを、2007年から弁天座が建設されたのです。花道、桟敷席、二階席を備え、木の香りのする立派な芝居小屋でした。



毎年、絵金祭りの時には土佐絵金歌舞伎が上演され、今年は第22回です。



浄瑠璃は女の方で、プロの方のようでした。



三題演じられていましたが、最後の「傾城阿波の鳴門巡礼歌」を見ました。
素人とはとても思えない迫真の演技でした。このお二人、実のお父さんと娘さんでした。

おひねりが客席でなく、楽屋から飛んでくるので、笑いを誘っていました。







芝居小屋を出ると、夜もふけてきて、芝居絵はますます妖しくおどろどろしく、広場ではカラオケやロックで盛り上がり、地元の子供達は浴衣で楽しみ、観光客やカメラマンも加わって通りはぎっしりの盛況でした。




名残惜しいけれど、帰りの電車の便もそんなに多くはないので、21:00あかおか駅発に乗って帰ってきました。次は21:52発が最終便です。
土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の電車はタイガース電車でした。



ごめんからは土佐電鉄の電車ではりまや橋まで帰ってきました。





子供の頃に見た絵金の絵は、朝倉神社の夏祭りの時、参道をまたいで何台も建てられた台枠の中に芝居絵が灯りに照らされているのを、下をくぐりながら見上げたものでした。
切り落とされた腕や腹からしたたり落ちる血、苦悶の形相、真っ赤な衣装の色など、おっそろしいものでした。まともに見るのも怖くて、目をそらしながらもやはり見たくてそっと見てしまう。強烈は印象が残っています。
大人になって見てみると、それ程の怖さはなかったけれど、やはり暗闇の中で蝋燭の灯りがゆらめく中見ると、なまめかしく、おどろおどろしく、そして、何故か美しいものでした。
幕末の時代に土地の人々の心をつかんだ絵を描いた絵金、その絵が今も赤岡の人々に受け継がれ、多くの人を引き付けているのもまた自然に思えました。

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桂浜西海岸にウミガメが来る

2014-07-22 22:14:05 | 土佐の国
高知県に行って来ました。


高知県の定番観光地と言えば、桂浜。

何度も行っているので、今回はその裏側へ。裏と言っても、桂浜の西側、高知県のほぼ中央、太平洋に面して南に開けた長い砂浜の海岸です。

画面一番左に見える小さな島のようなのが、桂浜の西の突端の祠のある岬です。




この浜で偶然こんな看板を見つけました。

「高知海岸でのウミガメ情報。
アカウミガメが上陸して産卵するところです。

本日までの上陸は97頭、
産卵は48頭。
(産卵の時期は5月下旬~8月上旬)」

ここでウミガメが産卵するとは知りませんでした。
看板にあるように最近だんだん増えてきているようです。保護活動が功を奏してきたのかもしれません。
桂浜とそのすぐ西側は小石の浜で、五色の石が採れるので、お土産用に売るために地元のおばさん達が石を拾っている姿がよく見られますが、この辺まで離れてくると石というより砂の浜になっているので、ウミガメの産卵に適しているのでしょう。


実は、この近くは戦国時代、長宗我部元親の根拠地だったところで、桂浜のすぐ上の山が元親の城があったところなのです。この海岸にある長い道路の側にも元親の生涯を紹介するパネルが設置されています。長宗我部元親と信親、盛親の隠れファンなので、その遺跡を訪ねようとしたのですが、見つからず、ウミガメ看板で慰められて帰ってきました。
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2014祇園祭前祭宵々山

2014-07-15 23:30:25 | ぶらり都めぐり
宵々山の街をちょこっと歩きました。



放下鉾。




霰天神山。




霰天神山の会所では粽を売るかわいい子供達のかけ声が。





山伏山の会所二階には山伏さんが鎮座していました。






「藤井絞」さんの屏風祭。
奥では芸舞妓のきれいどころも招いてお祭りの宴が行われていました。

今年は屏風祭も前祭と後祭に分かれているらしく、まだ少ししか見ることができませんでした。

まだ早い時間だったせいか、室町通り、新町通りともいつもの年に比べると人混みが少なく、歩きやすかったですが、四条通り、烏丸通りのホコ天は暗くなるにつれてぎっしりの人出になってきていました。
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鉾建て

2014-07-13 12:31:10 | ぶらり都めぐり
7月12日の夕方、祇園祭の鉾が建てられているところを見ました。



新町通り高辻を上がった所にある岩戸山。
屋根の前面に日覆いにつけるのか障子みたいな建具を上げていました。



新町通りを少し上がって、船鉾。
船の骨組みや縄で組み立てられているのがよくわかりました。幕や飾りがついてないせいか、完成した時よりも小さく見えました。
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セロジネの株分け

2014-07-07 18:51:41 | 洋ラン
     

セロジネを株分けしました。大株になっていたので、1株からいくつも子株ができました。


花が咲いた様子は こちら と こちら に。
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