ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

緊急報告-村井兄弟商会旧たばこ工場が解体される

2009-06-21 16:53:13 | 建物(京大以外の京都府の)
6月19日の京都新聞に「明治のたばこ王 工場解体へ
東山、赤れんが 近代京都の象徴」と出ていました。

明治のたばこ王・村井吉兵衛(1864~1926)が興した「村井兄弟商会」の旧たばこ工場(京都市東山区渋谷通本町東入ル)は、1900(明治33)年築の赤レンガの建物。前から見たいと思っていたのが、いまだに見れていないうちに解体されるとは!

解体される前に一目見ておきたいと20日あわてて見に行ったのですが。。。。

建物はすでにほとんど覆いをかぶされていて、わずかにこれだけと、東側の塀しかみえませんでした。

涙・涙・涙。。。。


おや、壊される屋根の上にあるのは、四角い台の上に乗ったハトの像??



残念です。

せめて、この塀だけでも残せないものでしょうか








北側にある新しいこの建物もまもなく壊されるそうです。


たばこ工場の1棟は「短期滞在型賃貸住宅・東山IVY」として再利用されていたので、ブログ仲間のyumeさんといつか泊まりにいこうかと言っていたのに、果たせぬ夢となってしまいました。



教訓:いつか見に行こうとか言っていないで、どこでも早く見に行っておくものですね。




せめて、代わりに東大路通り渋谷街道角にあるたばこ屋さんの建物を撮影してきました。バスの窓から見るたびに気になっていたスクラッチタイルの3階建てのいい感じの建物です。


慶沢園に寄り道

2009-06-09 06:15:33 | お庭
大阪市立美術館の帰りに、その裏側に「慶沢園」という庭園があるのを発見、ちょこっと寄って見てみることにしました。

元は住友本家の茶臼山庭園だったのを、大阪市立美術館建設のために同時に大阪市に寄付されたものです。


図の左側にあるのが美術館です。

設計は木津聿斎(きづいっさい)ですが、あの七代目小川治兵衛が作庭したもので、明治41年に着工し、大正7年に完成しました。広大な敷地の中に大きな池があり、その周りを回遊できるようになっています。

何と、大阪にも植治の庭があったんだ







サツキがちょうど満開で池の水に映えてきれいでした。


一部、借景に高いビルが見えていて残念なのは京都の渉成園と同じこと。




市立美術館の建物は庭園の風景に溶け込んでグー。


裏側から見ても、なかなかいいですね。



池の端に菖蒲園があり、花菖蒲が栽培されていました。





園内に市民の育てた花菖蒲も展示されていたので、いくつかをアップ。








入口にアジサイもたくさん飾られていました。


寄り道で思わぬいい所に出会えました。

そして、「茶臼山」と言えば。。。大阪冬の陣で徳川家康が,夏の陣で真田幸村が布陣したところではあーりませんか。元は古墳跡だった小高い丘になっているのですね。

あの茶臼山がこの一帯だったとは! 歴史の地に触れられて感動しました(大げさ)。








「小袖」展-松坂屋コレクション

2009-06-05 00:17:04 | 遠出(国内)
湯浅町の旅の途中ですが、5月30日に大阪市立美術館に「小袖-江戸のオートクチュール」展を見に行ったので、横道にそれます。

会期は4月14日~5月31日とすでに終了したのですが、行きたいなあと思いながら例の新型インフルの騒ぎのせいで、大阪方面には足を踏み込まないほうがいいかと、ほとんど諦めていました。それが、下火になってきたことだし、いよいよあと2日という頃になって、あれもこれも病に火がついてしまい、やっぱり見に行くことに。




行ってよかったです。
松坂屋さん、すごいです。よくこれだけの着物のコレクションを収集保存されていたものです。

1611(慶長16)年、名古屋で創業された呉服商を母体として、百貨店に発展した松坂屋は、新たなデザインの研究と呉服意匠開発を目的として、昭和6年、京都仕入店に染織参考館を設置し、古今東西の染織関係資料を積極的に収集しました。
なかでも、小袖は総数700点を数え、国内でも屈指のコレクションとなっています。
小袖は安土桃山から江戸時代の女性達が着た袖の小さな着物で、特に上流階級の女性達は呉服屋に好みの小袖を注文して作らせ、刺繍、絞り、友禅染などの技法が駆使され、華やかな模様や色や、斬新なデザインの様々なものが作られています。

今回はそのうち、約300件の小袖や、そのデザイン帳である雛形本や、関連する絵画、工芸品などが展示されていました。
古くて、色あせたものも多かった中に、目にも鮮やかな作り立てのような江戸期のものもあって、作られた後、袖も通さず大事に保存されていたのかもしれません。
たくさんの着物がずらりと並んでいて、どれもこれも素敵でため息がでます。


詳しく見ると時間もかかり、しかも、皆考えることは同じらしく、インフルエンザが下火になったのを待っていたかのように大勢の人が押しかけていて、展示の前に並んだ人の頭越しにしか見られないところも多かったです。
マスクをした人もあんまりいなかった模様。



これが京の新町通り六角下ルにある松坂屋染織参考館です。
祇園祭の時には甲冑鎧ほかの屏風飾りが展示されているのを何度か見ましたが、最初は松坂屋の配送所かなんかかと思っていました。
この中にあんなにたくさんの着物が収められていたとは、大阪に出ての出展だけでなく、この町家の中で着物コレクションの展示がいつでも見られたらいいのになあと思いました。

展示の最後には祇園祭の時の屏風飾りが再現されていて、コンチキチンも流れていました。



ところで、大阪市立美術館は、


大正10年に住友家から大阪市に美術館建設を条件に茶臼山本邸が寄付され、1936(昭和11)年に完成したものです。昭和10年代のコンクリート建築らしい簡素なデザインの建物です。

この美術館でよかったのは、館内に喫茶スペースや、レストランスペースがあって、観覧途中でも疲れた時に、休憩したり食事を摂ることができることでした。




JR天王寺駅からすぐのところにゲートがあって、美術館エリアになっています。
向こうに見えるのが通天閣でしょうか。まだ行ったこともないのです。