ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

グランサンクタス淀屋橋

2020-10-15 00:46:37 | 建物(大阪府)


建物が気に入って写真を撮って帰りましたが、その位置(大阪市中央区今橋3-2-2)から名前を調べると、「グランサンクタス淀屋橋」。って?何かと思ったら、以前には(1968年から)「八木通商」という繊維商社の本社屋だったのです。

元々は大阪農工銀行の建物。1917(大正6)年、 辰野金吾の大阪事務所が設計を担当し、赤レンガのデザインでしたが、前面道路の拡幅に伴い、1929(昭和4)年に國枝博という建築家の改修によって、道路側の壁面はアラベスク文様や唐草文様のイスラム様式のテラコッタタイルで覆われ、辰野の作風とはまったく異なる建築に変わりました。

八木通商の建物を2010年頃に不動産会社が取得してマンションに建て替えるにあたり、コストはかかるものの外壁保存によっ て行うことに。大阪市船場地区の建築制限上、外壁の位置を現状より奥に後退しなければならないという問題が立ち塞がりました。そこで内側と3階部分を解体した後、L字型に残った全長30m、重さ600トンの外壁を水平移動させる曳家工法という難工事を実施。その完了後、内側に地上13階、地下1階建てのマンションを建設し、2013(平成25)年に完成しました。 



新旧のデザインがあまり違和感なく見えるのは、色が統一されていること、開口部を縦長に統一したことによります。



大がかりな工事を行って、テラコッタタイルの外壁がそのまま残されて、とにかくよかったです。

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高麗橋野村ビルディング

2020-10-12 01:44:21 | 建物(大阪府)
生駒ビルヂング から堺筋を3筋上がると高麗橋通りの角に現れる「高麗橋野村ビルディング」。

大阪市中央区高麗橋2丁目1。
1927年築。設計は安井武雄、大林組施工、当時としてはまだ珍しかった 鉄筋鉄骨コンクリート造。戦前は地上は6階まででしたが、戦後に7階が増築されたそうです。 
東南角のカーブが特徴的、外壁のテラコッタの装飾に温かみを感じます。
1階は喫茶店、上階はオフィスが入っています。 



何度見ても気になる建物です。







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生駒ビルヂング 2015

2020-09-29 01:41:18 | 建物(大阪府)
船場ビルディングから東へ3筋で堺筋通りに着き、北に1筋上がると、生駒ビルヂングがあります。



大阪市中央区平野町2-2-12。
1930(昭和5)年建築のアールデコ様式。
宗(そう)建築事務所(大倉三郎、脇永一雄)の設計です。
国の登録有形文化財。






生駒時計店は明治3年淀屋橋筋で操業し、1923年「株式会社生駒商店」に、1954年に「生駒時計店」に社名を変更しました。建物は2002年に改装して、レンタルオフィス、貸し会議室などとして活用されています。


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船場ビルディング

2020-09-29 00:22:57 | 建物(大阪府)
綿業会館から三休橋通りを北へ2筋上がり、淡路町通りを東へ行くと、北側にあります。地下鉄堺筋線・京阪「北浜」駅、または地下鉄御堂筋線・京阪「淀屋橋」駅、地下鉄御堂筋線「本町」駅からいずれも徒歩7分 。

大阪市区淡路町2-5-8
1925(大正14)年築。設計は村上徹一
耐震耐火鉄筋コンクリート、レンガ工法 。
登録有形文化財。


地下1層、地上4階、塔屋1層の住宅兼事務所ビル。外観はタイル張オフィスビルの意匠ですが、内部中央に細長いパティオ風の中庭を設けて吹き抜けとし、その周囲に回廊を巡らす特色ある造りになっています。


・営業時間  平日7:00~19:30、土曜日は17:30まで
・休日  日曜・祝日

見学には事前連絡が必要ですが、10月31日と11月1日は「生きた建築ミュージアム・フェスティバル大阪」の企画で各5回、見学することができました。


中央入口から入ると、エントランスの奥に細長い中庭があり、木レンガが敷かれています。問屋街として発展した船場という土地柄に合わせて、トラックや荷馬車などを引き込むのに便利な機能性を重んじた設計でした。

バブル崩壊後には空室も目立ち、取り壊されようとしていましたが、1998年二見恵美子氏の働きかけによって改装 し、通り沿い店舗のテントやドア、回廊に面した部屋の看板などの統一を図り、中庭には植栽やベンチを配置、屋上緑化も施しました。竣工当時のモダンさを取り戻すだけではなく、中庭に緩やかに注ぐ光や風を感じられる豊かな空間へと生まれ変わり、現在では建築・デザイン事務所やギャラリーなど多彩なテナントが入居しています。







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綿業会館

2020-09-24 01:56:32 | 建物(大阪府)
近代大阪の発展を支えた紡績業、繊維問屋が集まって栄えた船場の栄華を今に伝える街のシンボルが「綿業会館」です。
当初は繊維業界の発展と懇親を目的としていましたが、現在では繊維以外の各業界にも門戸を開放している会員制のビジネス倶楽部の会館です。 

大阪市中央区備後町2-5-8。輸出繊維会館から備後町通りを東へ2筋目、三休橋通りに沿って建っています。
1931(昭和6)年築。設計は渡辺節設計事務所、ヘッドドラフトマンには村野藤吾が参画しました。本館は地上7階、地下1階 。豪華さ重厚さは昭和初期の名建築として高く評価されており、平成15年に重要文化財の指定を受けました。 










館内見学が毎月第4土曜日に開催されているそうなので、一度は見に行ってみたいものです。

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輸出繊維会館

2020-09-24 01:25:42 | 建物(大阪府)
大阪の繊維輸出業界が隆盛の時代に生まれた会館。

大阪市中央区備後町3-4-9 。大阪メトロ御堂筋線本町駅から 徒歩2分 
1960(昭和35)年築。鉄骨鉄筋コンクリート造。設計は村野藤吾。


外壁は疑似石貼り風で、窓のコーナーが丸みを帯びているのが特徴。 
鉄筋コンクリ-ト造り、地下3階 地上8階建て、塔屋付。



大阪を拠点に数多くの名作を設計した建築家・村野藤吾の設計。といっても、外観は一見派手さのないビルで、思わず通り過ぎてしまいそう。し かし、内部の壁画は堂本印象によるもので、モザイク・ガラス製。優美な階段の曲線も見物で、NHK「美の壺」に出たそうですが、見学は予約していなかったので、見ることができませんでした。 


2020年現在は貸しビルになっています。
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高島屋大阪店(南海ビル)

2020-09-20 00:28:00 | 建物(大阪府)
高島屋東別館から西北に向かって歩いて10分程で、高島屋大阪店があります。

大阪市中央区難波5丁目1-5
南海電気鉄道難波駅に併設された 南海ビルディングとして、久野節建築事務所の設計、大林組の施工で、1932年に竣工しました。1972年から1980年にかけて行われた改装工事によって駅舎は南側に移動し、現在は高島屋大阪店のみとなっています。 
2011年1月に国の登録有形文化財に登録されました。


乳白色のテラコッタタイルによるコリント様式です。



建物の角が大きな曲線を描いているのが特徴です。






「南海なんば駅」という看板が出ています。


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高島屋大阪店東別館

2020-09-20 00:09:44 | 建物(大阪府)
大丸心斎橋店の次に高島屋大阪店の東別館に行きました。



大阪市浪速区日本橋3丁目5-25。大阪メトロ「日本橋駅」より徒歩約8分、堺筋に面して立っています。
1928(昭和3)年から1937(昭和12)年にかけて松坂屋大阪店として完成しましたが、1966(昭和41)年、松坂屋の天満橋への移転に伴って建物は高島屋に譲渡されました。 7階建て。設計は鈴木禎次。
2019年、高島屋東別館は国の有形文化財として登録されました 。


ルネッサンス様式の外観。堺筋に沿って続くアーケード上の11連アーチがシンボリックです。



上層部の小アーチと下層部の大アーチで三層構造になっています。



細かなテラコッタの装飾が施されています。


アーケード内部。床のモザイク・タイルはアールデコ・スタイル。 



入口上部。



入り口待合室の照明。 


3階に髙島屋史料館 があり、この期間、展示解説がされていました。
高島屋は1831(天保2)年に京都で呉服商を開業し、美術染織品や室内装飾にも力を注ぎました。長年の間収集した多くの史料、絵画・工芸・服飾などの美術作品を1970年から史料館として公開しています。国宝玉虫厨子の模造、平櫛田中の大黒天彫刻などが常設展示されています。

開館:10:00~17:00(入館は閉館30分前まで)
休館日:火・水曜日/展示替期間/年末・年始


難波の高島屋大阪店の東別館として、長く高島屋の事務所として使われていましたが、2020年1月から「シタディーンなんば大阪」という名前の外国人向け長期滞在型のホテルになっています。

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大丸心斎橋店

2020-09-20 00:09:18 | 建物(大阪府)
2015年10月31日と11月1日に「生きた建築ミュージアム・フェスティバル大阪2015」という企画があったので、2日とも出かけました。


大阪市中央区心斎橋一丁目7-1
京阪淀屋橋駅から御堂筋線で心斎橋駅(南改札口)より地下道で直結、表側は御堂筋に、裏側は心斎橋筋に面しています。

本館は全面改装のため、2015年12月31日から休館し、 2019年9月にリニューアル再開したので、建て替えられる前に見ておかなくてはと、2015年10月31日に出かけました。

1717年に京都で創業した大丸呉服店が、心斎橋の地に店舗を構えたのは1726年。明治に入って1918年、建築家ウイリアム・メレル・ヴォーリズによってゴシック様式の近代的な4階建の店舗が建てられました。ヴォーリズにとって商業建築はこれが初めてでしたが、1920年に火事で焼失してしまい、引き続きヴォーリズによって、1922年から1933年まで10年以上かけて、耐火耐震の鉄筋コンクリートで再建されたものが現在の建物です。大丸の構造設計は通天閣を設計した、内藤多仲が担当しています。地下3階、地上8階、塔屋5階。



御堂筋側の外観はネオ・ゴシック様式に基づくアール・デコ調で、落ち着いた印象です。北端上層に水晶塔があります。
(改修後の新本館は10階建て、7階までの外観は元のままで、水晶塔も残されています) 
















雪の結晶のような正面玄関廻りのデザイン。



御堂筋側玄関ホールの天井。




心斎橋筋側の正面玄関アーチには、テラコッタでつくられた大丸のシンボルであるピーコック(孔雀)が飾られています。







複雑に上り降りする階段と踊り場。



屋上。



1933年頃の7階洋食堂の写真。


1階の天井装飾、エレベーターホール、ステンドグラスや大理石、レリーフなど、ヴォーリズ建築の華麗な装飾がそこここに残され、見事なものでしたが、買い物客もたくさんおられたので、内部の撮影は不可でした。


北隣に建つ大丸北館。

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ホテルになった旧立誠小学校

2020-09-17 00:56:18 | これでいいのか京都
2020年7月21日にホテルが開業した中京区木屋町通りの旧立誠小学校跡を9月14日に見に行ってきました。

1869年開校、現在の建物が1927年に建てられた元の立誠小学校。1993年に閉校になり、その後は地域住民の交流活動や映画館、文化発信の場所として活用されていました。
しかし、京都市が東京資本のヒューリックに土地を貸し出し、旧校舎を改修し、その後方に8階建てのホテル棟を建てて開業したのです。

2007年7月に訪ねた時の様子は こちら


高瀬川をまたいで木屋町通りに面した正面玄関側の外観はほぼ元の通りでした。



玄関。



校舎北側の1階は自治会活動スペースになっています。



その西側は消防分団詰所と地下自転車置き場の出口になっています。



旧運動場の西側にホテル棟が建っています。



184室の巨大なホテル。ホテル名は「THE GATE HOTEL 京都高瀬川 by HULIC」です。コロナ禍の中、どれだけの部屋が稼働しているのでしょうか。



正面玄関を入ると、昔と大きく変わってビックリすることは、明るい廊下の両側に商業店舗が並び、きらびやかなスペースになっていることでした。
以前は薄暗い廊下と階段が続き、懐かしい木の香りが漂っていたのですが、すっかり変わってしまって、ガッカリでした。
店舗は複数のカフェ、ビアダイニング、アイスクリーム、レモネード、台湾フードなど、たくさん入っていました。店舗部分の名称は「立誠ガーデン ヒューリック京都」です。



突き当りにはホテルへの入口があり、その前がロビースペースになっています。



ロビーの隅には、小学校で使われていたピアノが置かれていました。




ロビースペースから左に折れると元の運動場に人口芝が張られ、オープンスペースになっていました。周りが屋根付きの回廊になっていて、若者達が思い思いに座って憩っていました。
しかし、旧校舎の元の写真と見比べてみると、左側が窓一列分くらい削られていることがわかります。



そこに面した部屋が図書館になっていましたが、閉っていて中に入ることはできませんでした。



その隣の部屋は「立誠ホール」として、図書館と隣のコーヒースタンドの飲み物だけ持ち込みができますが、狭くてお粗末な会議室という感じでした。



台湾ラーメンとタピオカのお店が運動場を見渡せる位置にあったので、食事しました。



食前に皇潤紅茶のサービス、麵は五香湯麵。


旧校舎の二階以上には入れませんでしたが、裁縫用の和室などはどうなったのでしょうか?
外観は美しく整えられたけれど、建物の中身はすっかり入れ替わって、立誠小学校の名残りはなくなっていました。
災害時には避難所としての役割を十分に果たすことができるのでしょうか?

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旧邸御室

2020-09-16 02:17:20 | 建物(京大以外の京都府の)
右京区御室双ヶ岡の麓にある「旧邸御室」が9月5日~10月4日に特別公開されていたので、9月12日(土)に行ってきました。

616-8096 京都市右京区御室岡ノ裾町5
☎075-366-0376
入館時間:10:00~16:30
入館料:1000円


嵐電「御室仁和寺」駅から南西に少し歩くと、静かな住宅街の中、500坪の敷地にお屋敷があります。



「旧邸御室」は1937(昭和12)年に建てられた数寄屋造りの郊外住宅です。
設計者は不明。登録有形文化財。現在は株式会社山三製材所の所有になり、文化の発信施設として活用されています。




主庭にも中庭にもたくさんの灯籠があります。




中庭に面した部屋の天井には花の絵が描かれています。



その部屋に続く蔵の中にはお宝がたくさんありました。



庭園に面した22畳の座敷に大きな座卓があり、磨き上げられた表面に庭の緑が映し出されています。



次の間との間には富士山の欄間が。
先ほどの座卓を反対側から見ると、この富士山欄間も映し出されています。



双ヶ岡の北側の斜面を利用して、手入れの行き届いた庭園が広がっています。



大きな沓脱石など、随所に鞍馬石が使われています。



二階座敷からも庭が見渡せます。



庭に降りて登って行くと、向かいの山の中腹にお茶室「双庵」 があります。



お茶室内部。



待合の奥には1畳の部屋があり、お茶室に入る前に身支度ができるようになっています。



お茶室から本宅を見下ろしたところ。
その奥遠くに仁和寺の五重塔を見ることができます。


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深泥池

2020-09-10 23:18:35 | 松ヶ崎村風土記
6月15日と7月12日に、京都市北区上賀茂狭間町にある深泥池(「みどろがいけ」、昔は「みぞろがいけ」と呼ばれたこともあります)観察会に行きました。


京都盆地の北端、松ヶ崎と上賀茂の中間あたり、山の麓から湧き出る地下水が、鴨川扇状地の堆積物によってせき止められ、およそ1万年前までに、湿地と池となりました。中程には水生植物が浮き島を作っています。氷河期から続いている池で、その時代の植物が今も生存している貴重な池です。

池には多様な植物が生育しています。ミツガシワやホロムイソウのような寒冷地に分布する植物や、ジュンサイのような各地に自生する植物、タヌキモやモウセンゴケのような食虫植物、オオミズゴケ、ハリミズゴケ、ヌマガヤ、イヌノハナゴケといった高層湿原(ミズゴケ湿原)の構成種が共存しています。約60種ものトンボが生息しており、これは、日本に分布するトンボが約200種いるなかでその4分の1以上が分布していることになります。また、フナ、ヨシノボリ、スジエビ、クサガメ、ニホンイシガメなどの池に生息する動物や、ヒドリガモやルリビタキを始めとして、晩冬期を中心に170種の野鳥の飛来が確認されています。1930(昭和5)年には、日本で初めてミズグモが発見されるなど、希少動物にとっての数少ない生息地でもあります。
1927(昭和2)年6月14日に、植物群落が「深泥池水生植物群」として国の天然記念物に指定され、その後、1988(昭和63)年に「深泥池生物群集」として生物群集全体に対象が広げられました。また、2002(平成14)年に発刊された京都府レッドデータブックには「要継続保護」として掲載されています。



6月の観察会では、ジュンサイの実物と花の写真を見せてもらいました。花は紫色、水面に浮かんでいる楕円形の葉の下の水中に新芽があり、これがヌルヌルの粘液で覆われていて、食用にされるところです。深泥池のジュンサイは、北大路魯山人が「京の洛北深泥池の産が飛び切りである」と評したものでした。北大路魯山人はこの池の西側、上賀茂神社の社家の家に産まれました。


池の南西端から水が流れ出る場所があります。雨がたくさん降って池の水量が増えると堤防を越えて水が流れ出るようになっています。
池に流れ込む川はなく、池の水は湧き水と雨による水だけで、弱酸性が保たれていますが、東側の「妙」の山の頂上にある松ヶ崎浄水場の貯水池の水道管が老朽化して、水道水が池に流れ込み、アルカリ性が強くなってきました。ジュンサイはアルカリ性の水には弱く、ほとんど見られなくなった時期もありましたが、水道水の流入を止めたことによって、再び初夏から秋にかけて水面に見られるようになってきました。


7月の観察会では、ヒメコウホネについて聞きましたが、花の咲いている場所は岸からは遠かったので、写真でしか見ることができませんでした。代わりに、近くに咲いていたのはタヌキモの花でした。金魚藻のような水中の葉から水面上に伸ばした茎に小さな黄色い花を咲かせていました。水中の茎には丸い粒状の塊(捕虫嚢)がたくさんあり、水圧を変化させることによって水中の動物プランクトンなどを水と共に吸いこみ、栄養にする食虫植物です。


ジュンサイの葉と、所々に突き出しているタヌキモの花。

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京都府立植物園「水草展」

2020-09-06 23:43:07 | その他の植物
京都府立植物園で、8月28日(金)~9月27日(日)「水草展」が開かれています。
植物園会館の北側で様々な湿性・水生植物が約100鉢、展示されています。





ジュンサイ。



ミツガシワ。




ヒメコウホネ。




オモダカ。



マルバオモダカ。



オニバス。


植物園職員による現地説明会が行われます。
9月27日(日)午後1時30分~午後3時(受付:午後1時から、植物園会館玄関前で先着30名)
※雨天中止:中止の場合は、当日午前9時頃、植物園ホームページでお知らせ。

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これでいいのか奈良(奈良市高畑町)

2020-04-03 23:02:07 | これでいいのか奈良
奈良公園の中にホテルが次々と建てられようとしているというので、2017年6月18日にウォッチングに行きました。その時の様子はこちらですが、その後どうなっているのか気になって、今回、もう一度その辺りを歩いてみました。

奈良ホテルから東に向かって少し歩くと、

浮見堂がある鷺池の南側、奈良市高畑町の約1.3ヘクタールの地は、元は興福寺の子院・松林院があった土地で、かつて志賀直哉ら文人が集まった実業家の邸宅がありましたが、1951年に国有地になり、裁判官官舎が建っていましたが、2005年に県有地になり、やがて建物がなくなり、大正期の庭園だけが自然のままに残っていました。鹿が入っていないので、ムササビや野鳥など多くの動植物が生息していると思われ、学者による環境影響評価が行われる必要があると言われていました。

これは2017年6月に見た時の庭の様子です。

しかし、今回行ってみると、すでに木々は切り倒され、ホテルの建物がほぼ完成、3月30日には竣工式、内覧会が行われたようでした。

入口側。



茶の湯コンセプトの高級ホテルだということです。









周りの住宅には「ホテル建設反対」の横断幕が掲げられていました。

着工前の住民説明会では「木は残す」と言っていたのに、鬱蒼と生えていた木々はすっかり無くなっていました。
奈良公園内での高級ホテル建設の中止を求める要望書提出や署名を集めたり、裁判が起こされていましたが、奈良公園内の自然と文化遺産を破壊する動きは止められていないようでした。

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これでいいのか奈良(奈良市登大路町)

2020-04-03 01:14:09 | これでいいのか奈良
2020年4月1日、奈良ホテルに泊まった翌日、奈良の名庭、吉城園(よしきえん)に行ってみました。

奈良ホテルから歩いて行く道すがら、あちこちに馬酔木の花が咲いていました。



東大寺の南大門を抜けて、大仏殿に向かう道。この途中で左に折れて進んで行くと、依水園と吉城園があります。



実はこの日の主な目的は、依水園に行くことだったのですが、依水園は新型コロナウィルスのためにこの日から休園になっていたのでした。


そこで、すぐ隣にあり、休園ではなかった吉城園に行くことにしました。
吉城園には前に2017年6月18日にも行ったことがあり、その時の様子はこちらです。

吉城園は、「興福寺古絵図」によると同寺の子院の摩尼珠院(まにしゅいん)があったところとされています。明治に民間の所有となり、1919(大正8)年に現在の建物と庭園が作られました。企業の迎賓施設の時代を経て、昭和の終わりから奈良県が所有し庭園を公開しています。

○開園時間
 9:00~17:00(ただし、入園は16:30まで)
○入園料
 前回行った時には250円だったのに、なんと! 2020年4月1日から無料になったところでした。


何故、急に無料に???




主屋「旧正法院家住宅」(奈良県指定文化財)と「池の庭」。



池の庭の小高い丘の上には東屋があり、東側の依水園と東大寺などが見渡せます。



茶室と「苔の庭」。



「茶花の庭」の塀越しに見ると、南側に何棟かの建物が改修工事を行っているところでした。
知事公舎、副知事公舎、警察部長官舎、旧青少年会館など、1920年頃から建てられた和洋折衷のモダンな建物が残っている、この辺り一帯の建物を外観を残して、または解体して最高級の国際ホテルやレストランを建設することが、前回来た時に懸念されていましたが、ついに現実のものになったのでしょうか? 吉城園もそのホテルの一部にされることになり、主屋は建築家隈研吾がデザインして、宿泊施設に変えられると言われていましたが、外観は変わっていませんでした。
吉城園の入場料が無料になったのは、ホテルの敷地内になるから、庭園入場は無料ということなのでしょうか?
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