鳥羽から近鉄に乗って、伊勢を越え、松阪まで戻ってきました。
天正16年、蒲生氏郷が秀吉から12万石を与えられ、開いた松阪城。(氏郷は滋賀県日野の出身、後に会津若松藩主となった)その城下町には江戸時代のたたずまいそのままに残っているところがあちこちに見られます。
特に、魚町、本町、紺屋町のあたりは松阪商人達が暮らした豪商の町です。
魚町の通り。黒壁の土蔵は木綿問屋長谷川邸です。
魚町の中程にある本居宣長旧宅「鈴屋」跡。宣長が12歳から72歳まで暮らした住居跡で、旧宅はそのまま松阪城内にある本居宣長記念館横に移築されています。
宣長邸跡の向かいにある「見庵」は元医師のお家。今は「まどゐのやかた
」として「ご自由にお入りください、お休みください。」と町の案内や、くつろぎ・交流の場となっています。
この町で生まれた本居宣長、宇田荻邨などの関係資料が展示されています。
この辺りの家の特徴はうだつ(隣の家との境に突き出て火事の延焼を防ぐ)、霧返し(庇の下に設けられた雨除け)、虫籠窓、格子、犬矢来等にあります。
魚町にある松阪牛の専門店「牛銀」。
創業明治35年のレトロな木造二階建てのお店で、入ってみたかったけれど、行列ができていたので諦めました。
魚町の一筋北側は伊勢街道に面した通り本町。
三井家発祥の地の立派な門構え。三井グループの創始者三井高利はのちの三越である越後屋を江戸に開店、今では当たり前となった店頭販売や「現金掛け値なし」の商法を打ち出し財をなしました。
同じく本町通りにある豪商小津家跡は「松阪商人の館」として公開されています。
江戸で紙商や伊勢木綿の店を開業、現在でも小津グループとして発展しています。
日の丸が出してあるのは成人式の祝日だったから。
この辺りには他にも
こんなお店(のぼりのお店)や、
こんなお店や、
こんなお店(三味線屋さん)があって、なつかしい面影のただよう町でした。
もう一筋北側にある紺屋町(こやまち)は江戸時代初期、染物業が軒を連ねていて、その名残である「武者隠し」のまちなみが残っているそうでしたが、今回はそちらまでは周れませんでした。
「武者隠し」のまちなみとは、家がでこぼこに建っていて、道がこぎりのようにギザギザになっているので、敵が城下に侵入して来たときに味方の武士が隠れて防ぎやすいようになっているのだそうです。