ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

伏見の戦争遺跡巡り(3)聖母学院本館

2010-05-29 23:56:56 | 建物(京大以外の京都府の)
藤森神社を出て、伏見街道をさらに北上、名神高速道路の下をくぐってすぐの所に聖母女学院短期大学があります。



その本館の建物は元は陸軍第16師団司令部の庁舎で、1908(明治41)年8月の築です。


守衛さんに建物を見せてほしいと言うと、奥の方に入らないで前だけならどうぞということで、前だけ見させていただきました。


正面真ん中に玄関があり、両側に突き出した堂々とした建物です。




今は美しく修復されて回りも明るい庭で取り囲まれ、平和そのものの光景ですが、戦争中まではここが軍隊の中枢であったことを思うと重苦しい歴史を感じずにはいられません。
でも、戦争の歴史を語る遺跡がこうして学園に払い下げられて、壊されずに残されたことは本当によかったと思われます。


伏見街道のこのあたりは深草直違橋(すじかいばし)何丁目と呼ばれていて、直違橋という小さな橋もありました。「すじかいばし」ってなんていい地名でしょう。

ここからは京阪藤森駅がすぐ近く、そこから京阪に乗って帰ってきました。

伏見の戦争遺跡巡り(2)伏見街道に沿って

2010-05-29 23:13:00 | ぶらり都めぐり
京都教育大附属高校にある旧陸軍第16師団輜重部隊遺跡を後にして東へ移動、師団街道を越えて、

疏水を越え、京阪電車の踏み切りを越え、伏見街道を北に向かいました。


街道の東側にあるのは、藤森神社。
勝ち馬の神様ということで、戦争に向かう兵士達もここにお参りして行きました。

この神社の東側一帯の丘陵にも16師団の施設が広がっていたということです。ということは、今の京都教育大学の敷地のあたりでしょうか。

藤森神社の境内にもいくつか戦争遺跡がありました。

白松。白皮松。白骨松とも呼ばれる変わった葉の色をした松の木です。
昭和10年頃第16師団長が就任の記念に植えたものだそうです。



北門のあたりにある「京都歩兵聯隊跡」碑。

第16師団は中国の南京、徐州、武漢、フィリピンのバターン戦、レイテ戦などに参加し、現地の人々にも大きな被害を与えたあと、最後には全滅しました。この碑は戦後、生き残った人達によって建立されたものです。



伏見街道を更に北に進むと、こんなお風呂屋さんの看板も。
その名も「軍人湯」。

伏見の戦争遺跡巡り(1)旧陸軍第16師団輜重部隊遺構

2010-05-29 22:50:48 | ぶらり都めぐり
伏見区の京都市消防学校跡地にあった旧陸軍第16師団輜重(しちょう)部隊の遺構が保存されることになり、式典と現地見学会が5月29日(土)に行われたので、参加してきました。


京阪墨染駅から西へ少し歩いたところに京都教育大学附属高校へ入る道があり、そのあたりが最近まで消防学校があったところで、元はこの一帯が陸軍第16師団輜重部隊の跡地です。
この道の途中左側に門柱と歩哨舎があります。


たくさんの人が集まって移設保存された経過や説明を聞いていました。


この門は部隊の裏門にあたるそうです。


門の番をする歩哨兵が詰めていた歩哨舎。

これらは木の陰に埋もれていたのが最近発見されましたが、消防学校が南区鳥羽に移転することになり、取り壊されそうになっていました。市民団体の「元陸軍第16師団輜重部隊の遺跡を保存する会」が京都市に保存を訴えましたが、消防学校跡地は民間に売却され、現地での保存はできなくなったので、会が遺跡を譲り受けて隣の教育大附属高校の敷地内に移設して保存されることになったものです。移設費や記念碑の設置等は市民の寄付金でまかなわれました。

戦争のあったことを伝える貴重な遺跡が市民の力で保存できることになったことは画期的なことです。

しかし、京都市は保存のためとして、門柱と歩哨舎を土中に埋めたため、門柱のレンガはバラバラになってしまい、裏側のレンガの多くは新しいもので復元するしかありませんでした。





伏見区深草一帯に残る戦争遺跡は陸軍第16師団関連のものが多く、師団は明治末期に創設され、太平洋戦争末期にフィリピンレイテ島で壊滅しました。輜重部隊は戦地で兵士に弾薬や食糧を補給するところで、1944年には作家の水上勉も入隊して、馬より以下の扱いを受けた軍隊の生活を作品に書いています。

式典には元輜重部隊の兵士だった方も何人か参加しておられました。


こちらは高校の敷地内に残る数少ない遺構の一つ、厩舎かなんかの跡らしいです。


夷川通りの真剣な珈琲屋さん

2010-05-24 21:53:34 | ぶらり都めぐり
夷川通りの家具屋さんに混じって1軒の珈琲屋さんが。

王田珈琲専門店」。早速寄らせていただきました。


前の借り主が町家を改装してだいぶ現代風にしていたのを、また元に戻して改装したそうです。


坪庭もちゃんとあります。


コーヒーは1杯ずつネルドリップでゆっくりゆっくり、真剣に淹れてくれます。


そんなに苦味が強くはないけれど、コーヒーらしいコクのあるコーヒー。
本当のコーヒーを飲んだーという満足感にひたって、ゆっくりとひと時を過ごせるお店でした。

カップはマスターのお父さんが作られたもので、お客さんに合わせてマスターが選んで出してくれているそうです。

やわた走井餅

2010-05-23 13:06:12 | ぶらり都めぐり
松花堂庭園・美術館の帰りに京阪八幡市駅前で休憩したのは、「やわた走井餅」さん

江戸時代から大津追分で営んできた老舗が明治43年から八幡の地で石清水八幡宮の門前で引き継がれてきました。






風格のある建物と窓の前に小さな坪庭があって疲れを癒すことができました。



走井餅(左)とよもぎ柏餅、煎茶のセットです。
走井餅は柔らかくて食べやすいおいしさで、お店でできたてをいただくのが最高でした。

大谷大学の赤レンガの学び舎

2010-05-22 21:26:36 | 建物(京大以外の京都府の)
4月1日(木)~5月22日(土)、烏丸北大路の大谷大学博物館で開催されていた春季企画展「大谷大学のあゆみ 赤レンガの学舎(まなびや)」を最後の日になってやっと見に行きました。


大谷大学は元は東京巣鴨の「真宗大学」と京都の高倉寮が合併されて、1911(明治44)年に高倉魚棚の仮校舎で「真宗大谷大学」として開校しました。
その後、この北区小山上総町の地に1913(大正2)年に赤レンガの建物が建てられて移転、1922(大正11)年に「大谷大学」と改称されました。

この展示会では設立当初からの大学の歴史をたどると共に、大正2年に建てられた赤レンガの建物群(本館、図書館、講堂、寄宿舎等)の設計図、棟札、当時の写真等が並べられていました。

そして、見終わった後に、その建物の中で今も残っている旧本館(尋源館)を廻りからぐるっと見ることができました。

1912(明治45)年起工、1913(大正2)年完成したレンガ造り2階建てのルネサンス様式、赤レンガに白御影石のラインが入っています。当初は両側に翼の長い建物でしたが、昭和56年に改築されて端を切り取られ、他の新しい建物群の間に埋もれるように残されています。
国の登録有形文化財に指定されています。


東側の端部分。


西側の端。


そして中央を裏側から見たところ。


中央屋根の上に塔があります。時計台でも鐘楼でもなく、見晴台のようなものだったのでしょうか。


向かいの建物のガラスに写った塔の姿。

中央玄関前の車寄せの天井模様、京大文学部陳列館のによく似ています。


玄関からこっそり中を覗いてみると、なかなか見事な内部です。


ここに大学が移ってきた当時、市電の終点は烏丸今出川で、そこから北は一面の田畑だったため、大学専用の道路が作られ、大学の入口は南側から入るようになっていました。田圃の中に大きな西洋建築が建ち並んだ様はきっと目を引いたことでしょう。
また、紫明通りに沿って疏水が流れていたので、それを跨いで「尋源橋」が架けられました。その橋の遺構が今は大学内に移されて保存されています。




大谷大学の歴史に触れられておもしろい展示会でした。



大谷大学博物館は10;00~17:00(入館は16:30まで)
        休館日は日・月曜日
        入館料200円

今後の予定  6月8日~8月8日 インド仏像の流れと仏教美術の伝播-畠中光享コレクション-(仮)
       9月7日~9月25日 写(うつし)の文化(仮)
       10月13日~11月28日 親鸞聖人展(仮)
       12月14日~2011年2月19日 京都を学ぶ 京の寺内町(仮)
と、企画展が続きます。

葵祭2010

2010-05-16 16:36:03 | ぶらり都めぐり
葵祭、地元の祭だし、今年は土曜日なので、真近で見ることができました。

とりあえず、写真を並べるだけですが。














小さい人達には「○○ちゃ~ん、頑張って」と沿道から声がかかっていました。



















最後に我が家のフタバアオイを。






岡重コレクション・池田重子コレクション展

2010-05-09 13:27:09 | ぶらり都めぐり
京都文化博物館で4月29日~5月9日(本日)開催されている「岡重コレクション・池田重子コレクション展」に行ってきました。

          

(株)岡重は羽織専門の染色屋さん。明治・大正・昭和の羽裏(羽織の裏)の染色見本帳の展示でした。大正から昭和初期のものが多かったです。全部型染め技術で、1枚染めるのに50~100枚の型を使って作られたものです。

私が着たいなと思ったのは和傘がたくさん散りばめられた柄でした



池田重子さんのコレクションは今回は帯留、髪飾り、半襟、バッグ等の和装小物でした。
どれも新品のような保存状態でしたが、これも明治・大正・昭和の垂涎の逸品ばかり。見るだけ、ため息だけ、目の保養の展示品でした。はあ~
せめて、珊瑚の帯留欲しい~


京都文化博物館別館(旧日本銀行京都支店の建物)にて、
午前10時~午後6時
入場料1,000円


お久しぶりの「光泉洞寿み」さん

2010-05-01 22:11:38 | ぶらり都めぐり
5月1日は、

この日なんで、
(メーデー「兄」さんじゃなくて、「祝」メーデーです)


いつものここを通って、市役所まで歩いた後、


久しぶりに姉小路通り堺町東入ルの京町屋お昼処「光泉洞寿み」さんでお昼をいただきました。

生麩田楽つきの日替わり定食をいただいた後、ちょうど店主の諏訪さんがおられたので、中国茶のお手前をしていただきました。

熱いお湯を注ぐと、

花が開いていくのや、

龍がのたうつようなので、どれも香りがとてもいいお茶でした

諏訪さん、ご馳走さまでした