「浮島丸殉難の碑」を訪れた後、舞鶴中心部に戻り、昼食を摂った後、「赤れんが博物館」に行きました。
赤れんが博物館の建物は、明治36年(1903)に旧舞鶴海軍の魚雷の倉庫として建設されました。鉄骨とれんがを組み合わせた建築物としては、日本に今もある建物として最も古いものの中に入るといわれています。
舞鶴港のジオラマで赤れんが倉庫群が表わされています。左端にあるのが当館。他にもレンガ倉庫がたくさんあります。
展示室。
世界のれんがの歴史、日本のれんがのあゆみ、ホフマン窯コーナー、舞鶴市とれんが等の展示があります。
魚雷庫だった頃の様子がミニチュアで表わされていました。
赤れんが博物館
開館:9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日:年末年始(12月29日〜1月1日)
入館料:300円(2020年4月から400円)
舞鶴引揚記念館を見た後、舞鶴湾の東側を回って、舞鶴市下佐波賀集落の近くにある「浮島丸殉難者追悼の碑」を訪れました。
太平洋戦争終戦後の1945年8月24日17時20分頃に、舞鶴湾の下佐波賀沖300mの地点で、日本海軍特設運送艦浮島丸(4,730総トン、乗組員255名)が、3,725名(4000人とする場合もある)の朝鮮人と乗組員を乗せて航海中に、アメリカ軍が敷設していた水雷に触れて沈没、住民たちの救助活動にもかかわらず、乗組員25名(戦死扱い)と便乗者524名の死者をだしました。乗っていた朝鮮人達は青森県大湊旧海軍施設などで働かされていた朝鮮人労働者とその家族で、強制労働と非人間的な生活か らの解放と、故郷へ帰れる喜びを胸に、青森県の大湊港から釜山へ向かう途中でした。
この浮島丸事件を風化させるのではなく、平和と国際友好のかけ橋として長く語り継ぐために、1978年8月24日にこの碑が建てられました。毎年命日には碑の前で追悼の集会が開かれています。
沈没し、海面の上にレーダーと機関銃をのぞかせる浮島丸(手前)。
後方は旧ソ連からの引き揚げ船「興安丸」。1954年9月撮影。
前からこの碑を訪れたいと思っていたのですが、舞鶴の駅からはだいぶ離れていて、なかなか個人では行けなかったので、団体旅行でお参りすることができてよかったです。
丹後半島夕日が浦温泉に泊まって次の日、先ず舞鶴引揚記念館に行きました。
第二次世界大戦が終わった後、海外にいた660万人の日本人の引き揚げが始まりました。舞鶴港は、1945(昭和20)年10月7日、引き揚げ第一船「雲仙丸」が入港してから、13年間にわたり66万人の旧満洲や朝鮮半島、シベリアからの引揚者・復員兵を迎えいれました。
舞鶴引揚記念館は、引き揚げやシベリア抑留を後世に継承し、平和の尊さを広く発信する施設として、全国の体験者や関係者、舞鶴市民の皆様のご支援ご協力により昭和63年4月に開館しました。
2015(平成27)年9月には、若い世代にも分かりやすく共感できる展示への改修や環境整備などを進め、リニューアルオープンしました。また、平成27年10月10日には収蔵資料のうち570点がユネスコ世界記憶遺産に登録されました。
シベリアの収容所内部の様子が再現されています。
極寒の戸外の様子が窓の雪嵐の映像と音でわかります。
氷点下の寒さと過酷な労働、劣悪な食料事情や衛生状況の中で、5万5000人を超える多くの犠牲者が出ました。
抑留中の白樺の皮に書いた日記や、はがき、絵画や迎え入れた舞鶴市のこと、岸壁の母など、たくさんの展示があり、語り部の方が話をされていました。
記念館の近くには引揚記念碑や桟橋の遺構もあります。
戦争の事実を語り継ぎ、平和への思いを無くさないためにも、何度でも行きたい施設です。
「浮島丸殉難の碑」へ続く。
2018年9月に1泊の団体旅行で丹後半島方面に行ってきました。
天橋立が見えるレストランで昼食を食べてから、
丹後半島の北端へと大型バスで移動。
断崖と波が作り出した絶景が続いています。
丹後半島の先端、経ケ岬に米軍基地ができたと聞いて、先端の灯台の側かと思ったのですが、灯台からは少し離れて岬の西側にまわった集落のすぐ近くにできていました。バスが着くと、現地のガイドの方が待っていて、案内してくれました。
ここには元から自衛隊の基地があり、通信アンテナ、建物が見えました。
このアンテナから山の上にあるアンテナに電波を飛ばして、そこから通信するのだそうです。
その自衛隊基地のすぐ側に清涼山九品寺(せいりょうざんくほんじ)があります。この寺の裏側は断崖になっていて、そこに波の浸食でできた約10mの洞窟があり、その奥に祀られていた文殊菩薩が本尊となっているので、穴文殊とも呼ばれています。
お堂の裏側に回ってみると、
そこには鉄条網が張られたフェンスが張りめぐらされ、米軍基地が広がっていました。穴文殊の穴の上が基地になっているのです。罰当たりなっ!😡
「ここはアメリカ合衆国の区域。立ち入った者は身体、持ち物の検査を受け、罰せられることがある」という「警告」が出されています。日本国内なのに、アメリカの土地になっているのです。
柵の向こう側にはアメリカの軍人、傭兵、技師などがいて、傭兵らしき人が銃を持って歩き回っています。怖っ!!
お堂の右側に回り込んだ土地も米軍基地の領域で、さらに海を埋め立てて広げていこうとしています。米軍に土地を渡さず、耕作を続けている農家の土地にも、通路がなく行けなくなりそうだということです。穴文殊のお寺の周り、三方が自衛隊と米軍基地で取り巻かれていることになります。
現地見学のあと、近くでいろいろお話を聞かせてもらいました。基地ができてから、周辺でアメリカ軍関係の車による交通事故が増えているそうです。それも日本の法律で裁くことができず、正確な報告もされていないとか。病人輸送のヘリコプターが上空を飛ぶ時はレーダーを停波するという約束だったのに、守られていないとのこと、アメリカの言うがまま、日本は独立国か?と言いたくなります。
夕日が浦温泉の宿に着いて、豪華な夕食をいただき、
夜は日本海の上に満月が輝いているのを見ました。