ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

御寺泉涌寺でアートに触れる

2011-10-17 00:53:31 | ぶらり都めぐり
即成院で二十五菩薩にお会いできたのは、御寺(みてら)泉涌寺にお参りする途中。


こちらで開かれていた「観○光(かんひかり)展 (KANHIKARI ART EXPO2011)」を見に来たのでした。10月15日~24日 二条城、清水寺、泉涌寺を会場に若手アーティスト30人の作品が展示されていました。



泉涌寺が「みてら」と言われるのは、1242年に四条天皇が葬られてから歴代天皇の山陵が営まれるようになり、皇室の菩提所となっているからです。


このお寺に来たことはあったけれど、御座所の中に入ったのは今回が初めて。
1882(明治15)年に京都御所内の里御殿(1818年造営)を移したもので、侍従の間、勅使の間、玉座の間、女官の間、門跡の間、皇族の間と御所の建築がそのままに残されています。建物内は撮影禁止でしたが、前に広がる御座所庭園がきれいでした。泉涌寺型雪見灯籠がありました。
紅葉にはまだ早く青紅葉でしたが、もう少ししたらきっと見事な眺めになることでしょう。


本坊の裏手には昭和の作庭家、重森三玲さんの作ったお庭もありました。こんなところに重森さんのお庭があったとは知りませんでした。
白い丸いボールが点々と置かれているのは、今回のアート展の作品です。


本坊の裏側にある小さな滝の前にあるお供えの設えもアート作品。

お寺のお庭や廊下、あるいは室内に、絵画、彫刻、生け花、陶芸、木工芸などの作品が置かれていて、その場になじんでいるものやら、浮き出ているものやら、ちょっと変わった作品展でした。


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泉涌寺即成院の二十五菩薩お練り供養

2011-10-16 18:25:55 | ぶらり都めぐり
今日は昨日の雨とはうってかわったよいお天気の一日でした。

泉涌寺に行こうとしていたら、ちょうど塔頭の一つ即成院で1時から「二十五菩薩お練供養」が始まるところだったので、見ていくことにしました。



即成院では毎年10月第3日曜日に「二十五菩薩お練供養法会」を行っています。本尊の阿弥陀如来像と二十五菩薩像は重要文化財です。この阿弥陀如来をはじめ二十五菩薩が極楽浄土の世界から現世に来迎して、衆生を救済し現世から極楽浄土の世界へ導かれる教えを具体化した行事がお練供養法会です。



導師に導かれて山伏やお稚児さんが清めの散華を撒きながら進みます。本堂から地蔵堂へと往復して、かなりの時間がかかります。
その次に信者さん達の行進も本堂から地蔵堂にあり、



お稚児さんの担ぐ花車も通って、



やっと二十五菩薩のお出ましです。
先導はお地蔵様、実は阿弥陀如来の化身なのだそうです。




続いて二十五人の菩薩様達が進みます。
踊りながら進まれる菩薩様もいます。

橋の横につけられている五色のひもを握って願い事を唱えると阿弥陀如来に願いがかなえられるそうです。



本堂を極楽浄土、地蔵堂を現世に見立てて、その間に架けられた橋の上を練り歩かれます。
それぞれに楽器を持って音楽を奏でておられるようです。




後ろの方の菩薩さん達は背の低い方が多くて、結構子供の菩薩さん達だったのかもしれません。




地蔵堂に入っていくところ。極楽浄土から現世に来迎されたところです。
この後、衆生を救済して地蔵堂から再び本堂に帰られます。

本堂に帰られた後は、本堂で観世音菩薩・大勢至菩薩・普賢菩薩による極楽の舞が行われるそうです。

たまたま通りかかって二十五菩薩様にお目にかかることができたとは、ありがたいことでした。



山内には那須与一の墓があることでも知られています。



お寺のHPで調べていたら、この菩薩様にも応募してなれるようです。
菩薩出仕者(小学生以上)を若干名一般公募。出仕料五千円。菩薩出仕者には、和装(着物)の同伴者の方が一名必要だそうです。



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2011年10月富士山への旅 もくじ

2011-10-11 03:07:05 | 遠出(国内)
2011年10月9日~10日、富士山を見に行きました。









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甲府城跡

2011-10-11 02:45:00 | 遠出(国内)
山梨の旅の最後は甲府城(またの名は舞鶴城)跡です。


甲府駅北口のすぐ近くに最近復元された山手渡櫓門。
後ろのビルがお目苦しいですね。
かつてのお城の縄張りはこの辺りも含んでいて、広い城域を切断する形でJR中央本線が通されています。



JR線を跨ぐ大きな道路の跨線橋を越えて現在の城跡に行きました。
稲荷櫓も2003年に復元されたものです。




天主閣はありませんが、高い石垣が残っています。
築城は1582(天正10)年、徳川家康。続いて豊臣方、また徳川家、後に柳沢吉保も城主となり、その後は長く天領となっていました。




甲府の町のはるか上方に富士山の姿が浮かんでいました。

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甲府市藤村記念館(旧睦沢学校校舎)

2011-10-11 02:44:08 | 建物(山梨県)
今回の「まちかどの近代建築写真展」が開催された場所は、JR甲府駅北口広場に建っている藤村(ふじむら)記念館、これも素敵な近代建築でした。


元は1875(明治8)年に現在の甲府市亀沢(旧睦沢村)に睦沢学校として建てられた校舎です。
昭和32年までは学校の校舎、昭和36年まで睦沢公民館として利用され、老朽化により取り壊し寸前のところ、保存委員会の手で昭和41年武田神社境内に移築復元され、「藤村記念館」という命名され、甲府市に寄贈されました。
その翌年には国の重要文化財の指定を受け、昭和44年から郷土の民俗・歴史・教育・考古資料を展示する資料館として開館してきました。
平成20年甲府駅周辺区画整理事業に伴って、建物を解体、ここに移築復元されてきたものです。


建物の構造は明治初期の擬洋風建築の特徴をよく現しています。
第5代山梨県令藤村紫朗が公的な建物を擬洋風で建てることを奨励したため、甲府市中心部のこの近くには県庁、銀行、裁判所、公会堂、糸繰り工場など、藤村式建築と呼ばれる同様の建物がたくさん並んでいたのです。


正面玄関部分と、


その上のバルコニー。






他の藤村式建物の写真もありました。

建物はNPO法人甲府駅北口まちづくり委員会が管理していて、月曜日休館、午前9時から午後5時まで開館していて見学することができます。
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まちかどの近代建築写真展 in 甲府

2011-10-11 02:43:01 | 建物(山梨県)
大月からJR中央線に乗って甲府へ。

甲府駅の目の前にある藤村(トウソンではなくフジムラと読みます)記念館で開催されていたこれを見るのが今回の旅のもう一つの目的。



「まちかどの近代建築写真展」は近代建築を訪ねて全国を渡り歩いておられる小道さんや近代建築好きのお仲間さん達が各地で開いておられる写真展で、大阪で開催された時には何度か見せていただいたことがあります。


今回は「懐かしい駅舎を訪ねて」というテーマで、全国の明治から昭和に建てられた駅の建物の写真が県別に並べられていました。

会期:2011年9月17日(土)~10月16日(日)




比叡山頂と坂本のケーブル駅もありました。↑


全国の駅も次々と建て替えられてきていて、こんな懐かしい姿に会えるのも少なくなってきています。なかなか全部見て歩くことができないので、こうして写真で見せていただいて、古い駅舎のよさにまた気づかされました。
自分でも行けるところは、ちょっとづつでも見てまわりたいものです。

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あっ、富士山!

2011-10-11 02:41:54 | 遠出(国内)
ついに富士山にご対面することができました。


泊まった宿の窓から、朝カーテンを開けると目の前に大きな富士山の姿が!

朝日を受けて立つ富士。

今回の旅ではっきりと富士山の全体像が見られたのはこの朝だけでした。
富士山を見るのが旅のおおきな目的だったので、これで願いは叶いました。


富士には秋明菊が似合います。
このあたりあちこちに秋明菊が咲いていて、その花の色に白さが京都と違って本当に真っ白、純白の花でした。


コルチカムもこの辺りの庭にたくさん植えられていました。
これもピンクの色が鮮やかで、花も一段と大きいような。
やはり高原の空気が花の色を際立たせているのでしょうか。

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富士急行電車

2011-10-11 02:40:47 | 遠出(国内)
JR中央本線大月駅から接続して、河口湖駅まで走っているのが富士急行線です。


フジサン特急。


車内はゆったり、広々としています。



河口湖駅。1950年開業。


河口湖駅のロータリーに展示されていた「モ1号」。富士急行の前身である富士山麓電気鉄道が1929(昭和4)年の開業に際して新造した車両です。
モ1号からモ5号までの5両が製作され、富士山に向かって走る日本有数の急勾配路線用として、電気ブレーキや砂まき装置を装備するなど、急勾配対策を万全に施した、当時の最新鋭車両でした。



駅のホームの柱はモ1号が走っていた頃のレールで、「CARNEGIE1897」と書かれていて、アメリカの鉄鋼王だったカーネギーが1897年に作ったレールだということをあらわしています。



普通電車。



フジサン特急に河口湖駅からふじきゅうハイランド駅まで1駅乗りました。


駅のすぐ前に大遊園地「富士急ハイランド」があります。
高くそびえるジェットコースターから絶叫が聞こえてきましたが、ああいうのには絶対乗れません。



翌日ふじきゅうハイランド駅から大月駅まで乗った普通電車。

平成21年8月から運行している富士登山電車やトーマスランド号には会えませんでした。

これまで富士吉田駅と言っていた駅が今年7月から「富士山駅」となったとか、これは何ともなじめません。


車内から後方に富士山を見ることができました。
中央に見える山ではなく、左側の電柱の上方に隠れている山です。



富士急大月駅はJR大月駅とつながっています。
後ろに見えるのは、秀麗富嶽十二景に入っている岩殿山。


これはJR中央線の電車。


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水の里、忍野八海

2011-10-11 02:39:24 | 遠出(国内)
山中湖を過ぎて少し行った所に富士山の地下水があちこちに湧き出て八つの池となっている一帯があります。忍野八海です。


辺りには豊富な湧水が流れとなって、あちこちにきれいな水の小川となっています。






梅花藻かな。



水が噴出しているところ。




「底抜池」。
池の底に泥が深くたまっているので底なしと言われています。手前のほうに見える魚は鯉かな。



銚子の形をしているので、「銚子池」。



「お釜池」。
四角い黒い部分がとても深そうです。

忍野八海はこの他に「出口の池」「湧池」「濁池」「菖蒲池」「鏡池」がありますが、バスの時間が迫っていたので、全部は見ることができませんでした。




池の向こうにあるのが、茅葺きの豪農の家を保存し、農具や古文書、昔の生活用具を展示している榛の木(はんのき)林民俗資料館。18世紀の建物で富士山北麓一帯では最古の民家の一つです。
晴れていたら、その上に美しい富士山の姿を見ることができたのですが、残念





二階、三階はもとは養蚕に使われていた屋根裏で、白川村の合掌造りの家と似たような造りでした。


昔使われていた駕籠もつるされていました。駕籠に乗れるのは裕福な豪農の家だけでした。





広い池の周りにお土産屋さんや飲食店が集まっているあたりには観光客も大勢いて、ちょっと銀座並みの人出です。




広い池も深くて澄んだ水にとりどりの色の魚が泳いで、とてもきれいです。


水を飲めるようになっている所。冷たくてとてもおいしい水でした。



この辺りにごろごろ転がっている岩もやはり富士の噴火でできたもののようです。


野菊が愛らしい。

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リゾートの山中湖

2011-10-11 02:38:08 | 遠出(国内)
御殿場から路線バスに乗って、山中湖方面に向かいました。

これが連休のためか、大変な渋滞。普通1時間くらいで行けるところが2時間、3時間かかかもしれませんとのこと、しかし、このバスの他に手段がないので、乗るしかありません。バスの乗客はそれ程多くなくて、ずっと隣は空き席だったので楽でした。

御殿場近くはやはり渋滞でのろのろ運転でしたが、山の中に行くに従ってだいぶ速く走るようになり、結局忍野八海の入口までは2時間くらいで着くことができました。


その途中、バスは山中湖のすぐ側を走ります。

針葉樹の向こうに湖が見えてきました。



風が強いのか、湖面には結構波がたっていました。



ボートがたくさんあって、湖の周りの道路をジョギングする人やサイクリングをする人もいました。
停まっている車のナンバーは関東のものがほとんど。東京近辺からのいいリゾート地になっているのでしょう。


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JR御殿場線御殿場駅

2011-10-11 02:37:00 | 遠出(国内)
御殿場線御殿場駅で下車。

ここから山中湖方面に向かうバスに乗るまで30分程あったので、駅前を歩いてみました。


駅前広場にはかつて御殿場線を走っていたSL、D52が展示されていました。

側に書かれた鉄道唱歌が富士登山の玄関で賑わっていた事を表わしています。

♪♪♪~ここぞ御殿場夏ならば われも登山をこころみん 高さは一万数千尺 十三州もただ一目 ~♪♪♪


駅前広場にあった火山弾。富士山の噴火でこんな大きな岩が飛び出してきたのですね。



しかし、この駅の近辺では迷彩服や軍隊の制服を着た人達が駅前を歩いていたり、車に乗っていたり、あるいは電車にも普通に乗っていたりして、なんかきな臭い感じがしていやーな感じ。やはりこの近くに東富士演習場があるからでしょうか。聖なる富士山の麓でドンパチ戦争の練習なんかしてほしくないですわあ。
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JR御殿場線裾野駅

2011-10-11 02:35:48 | 建物(静岡県)
10月初旬に「そうだ、富士山を見に行こう!」と思い立って、1泊の旅にでかけました。

実は、そう思い立ったのはだいぶ前で、3月に身延線に乗って甲府、富士五胡に行こうと計画していたのですが、東日本大震災の影響で身延線が間引き運転になったりして、延期にしていたのでした。

それをまた思い立って、切符を買いに行ったら、今度は台風の影響で身延線は不通(代行バスで運転)になっているというので、今度は御殿場線からまわって富士五胡に行くことにしたのでした。つくづく身延線とはご縁がないようです。早く復旧してほしいものです。


新幹線三島駅から東海道線を一つ西に戻った沼津から御殿場を通って、小田原の東の国府津までが御殿場線です。

JR御殿場線は今は単線のローカル線になっているけれど、元は東海道本線で複線だったそうなのです。この区間は急勾配で山越えのための補助機関車やスイッチバックもあったのですが、昭和9年に丹那トンネルが完成して、熱海線が東海道本線となり、この区間は支線となったのです。今も線路の横に複線だった頃の名残が残っている箇所がたくさんあるようです。

富士山を見るのが目的だったのに、車窓からは全然お山は見えませんでした。雲に隠れているのか、元々見えない角度なのか・・・?



沼津から4つ目の裾野駅で途中下車しました。


この駅舎は明治22年開業当時のままですが、きれいに修復されて使われていました。










線路側から見たところ。



跨線橋の窓がかわいい感じです。


その鉄骨には廃レールが使われています。


駅前の通りは富士山に向かって続いているようです。

裾野から御殿場にかけて、車窓の左側は広く遠く続く大丘陵地帯、姿は見えないけれど巨大な富士山の存在が感じられます。



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ベニスに死す、再び

2011-10-02 20:26:30 | その他



今日ははるばる大阪梅田まで、これを見にでかけました。
1971年映画のニュープリント版。10月1日からテアトル梅田で上映中。



監督:ルキーノ・ヴィスコンティ
原作:トーマス・マン「ベニスに死す」
音楽:グスタフ・マーラー「交響曲第3番」 「交響曲第5番」
出演:ダーク・ボガード、ビョルン・アンドレセン他


副題に「美は滅びない」とあるけど「美は滅びる」と思うけどなあ。この美少年タジオを演じたビョルン・アンドレセンも今は歳をとってどこでどうしているやら。

でも、昔(テレビで)見た時は老境の音楽家がベニスで出会った少年の若さの美に魅せられて、見つめ続けながら死んでいく心境が理解できなかったけれど、今再び見てみると、なんだか少しはわかるような気がしてきました。
それに、100年前のベニスの町や建物が再現されていて、今回はそんなところまでじっくり見ることができました。


「ベニスに死す」はこれから各地で上映されていくそうですが、京都に来るのは来年夏に京都シネマだそうで、まだまだ先のことです。

この冬には「いちご白書」や「ひまわり」も「語り継ぎたい映画シリーズ」として上映されるそうで、楽しみです。

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