西本願寺御影堂前の門を出て、堀川通りを東に渡ると、本願寺総門から東に続く正面通りがあり、仏具屋や門信徒用の旅館等が並んでいます。
東に一筋行った所に変わった建物があります。
西本願寺伝道院です。
1912(明治45)年に真宗信徒生命保険株式会社の社屋として建てられ、昭和33年から48年まで大日本仏教慈善会財団のあそか診療所となり、同年から本願寺伝道院となっています。
設計は伊東忠太。京都市の指定有形文化財です。
塔の右側。
東にまわって、北東から見たところ。
いろいろな意匠の塔が作られていて、かなりエキゾチックな感じがします。
北側の正面通りと西側の通り沿いに不思議な動物の石造の像が並べられています。
さすが、妖怪好きの伊東忠太です。何ともおもしろい動物達です。
以下、京都市の説明板より、
伊東忠太は日本建築もこれからは石材・鉄によらねばならず、しかもその建築様式は欧化でも和洋折衷でもなく、木造の伝統を進化させることにより生み出さなければならないという「建築進化論」を提唱し、日本の建築界に大きな影響を与えた。
建物はこの「建築進化論」の考え方を明確に表現した作品で、外観は古典様式に基づくものの、開口部まわりや軒まわり、塔屋の形態などにサラセン様式、日本の伝統敵な様式が用いられており、日本の近代建築の発展を知るうえで貴重なものである。
建物はこの「建築進化論」の考え方を明確に表現した作品で、外観は古典様式に基づくものの、開口部まわりや軒まわり、塔屋の形態などにサラセン様式、日本の伝統敵な様式が用いられており、日本の近代建築の発展を知るうえで貴重なものである。