2019年1月に青春18切符を使って兵庫県西脇市と岐阜県多治見市から静岡県浜松・掛川方面に行ってきました。
天竜浜名湖鉄道天浜線に乗って20分程走ると、電車がたくさん停まっている所を通過しました。
新浜松から西鹿島(にしかじま)まで走っている遠州鉄道の駅のようで、その電車が赤い色なので、遠州鉄道は「赤電」と呼ばれているそうです。西鹿島駅は遠州鉄道と天竜浜名湖鉄道の接続駅です。
天竜川の鉄橋を渡って、二俣本町駅を過ぎ、
10時45分に天竜二俣駅に着きました。天竜浜名湖鉄道の本社がある駅です。ここで下車して、次の列車が出るまで1時間ほど駅付近を見て回りました。
この駅の本屋も国の登録有形文化財です。
待合室。
駅を出た側から見たところ。
上りと下りの上屋とプラットホームも登録有形文化財です。
昭和15年築。
木造のプラットホーム上屋です。柱や桁は古いレールを転用したもので、1911年アメリカ・カーネギー社製や1929年八幡製鉄所製のものがあります。
わかりにくいですが、右手に高架貯水槽、左に運転区事務室と休憩所があります。
奥のほうに扇形車庫とその前に転車台があるはずですが、近寄って見ることができませんでした。高架貯水槽と揚水機室、運転区事務室、休憩所、浴場、扇形車庫、転車台も国登録有形文化財です。
車庫の中には鉄道歴史館もあり、稼働する転車台と鉄道歴史館の見学ツアーが毎日開催されています。月~金曜は13時50分から、土日祝日は10時50分からと13時50分から、各40分間、天浜線で来た人は大人200円、小人100円で見学することができます。残念!時間が合わなくて今回は見学することができませんでした。
駅の外には自動車道を隔てて、かつて走っていたSLが展示されていました。
駅舎の中にあるホームラン軒で中華そばを食べました。あっさり系しょうゆ味でした。
11時45分に天竜二俣駅を出発して、
登録有形文化財の駅がいくつかあり、遠州森などという駅もありました。
12時30分、終着の掛川駅に着きました。
天竜浜名湖鉄道天浜線の掛川駅。
JR掛川駅側から見たところ。
JR掛川駅と新幹線駅。駅でお土産を買ったり、お茶を飲んだりしてゆっくりし、
14時17分掛川発で浜名湖を渡り、15時22分豊橋着、15時32分豊橋発の快速で17時2分大垣着、17時9分大垣発17時44分米原着、17時47分米原発18時42分京都着で帰ってきました。
1月9日朝、JR豊橋駅を出発。
8時7分豊橋発、JR東海道線2つ目の駅、新所原(しんじょはら)に8時16分に着き、
ここから天竜浜名湖鉄道に乗り換えます。
天竜浜名湖鉄道 新所原駅。
ここは静岡県湖西市、愛知県と静岡県の境目くらいの所です。
ここから浜名湖の北側をぐるりと回り、浜松市天竜区の天竜二俣駅を経て、静岡県掛川市までの間を走るのが天竜浜名湖鉄道天浜線です。
天浜線全線乗り降り自由の1日フリーきっぷ、1700円を買いました。
新所原発8時34分。
車窓右手に浜名湖が見えてきました。冬なのに湖面に差す日差しが暖かく感じられます。
左手の山にはみかんの木がたくさん生えています。この辺りは三ケ日みかんの産地です。
三ケ日駅に5分間停車しました。
三ケ日駅本屋は国の登録有形文化財に指定されています。
三ケ日駅の中にはハンバーガー屋さんがありました。天浜線の駅には駅中グルメがある所がたくさんあります。
都筑(つづき)駅。
奥浜名湖、三ケ日、都筑、東都筑、浜名湖佐久米(はまなこさくめ)と続きます。
右手には浜名湖が続きます。この辺りが浜名湖の北端のようです。
気賀駅を通り過ぎ、9時23分に金指(かなさし)駅に着きました。
金指駅上屋とプラットホームは国の登録有形文化財に指定されています。
昭和13年建設。
待合室内部。
金指駅高架貯水槽も有形文化財に登録されています。鉄筋コンクリート造、昭和13年頃建設。
次の列車の発車時間、10時20分まで約1時間、近辺を歩いてまわることにしました。
少し歩いたところに「金指関所跡」の碑がありました。1601(慶長6)年に設けられました。
他に気賀関所跡もあり、江戸時代に脇往還である姫街道の入り鉄砲と出女を監視する役割を果たしていました。
付近には古風な家がいくつかありました。
気賀、金指と大河ドラマで聞いた地名が出てきたように、この辺りが伊井直虎の活躍した土地で、直虎のお墓がある龍潭寺も近くにあるはずですが、今回は時間がなく、行くことはできませんでした。
この地が南を受けて温暖な気候と、浜名湖の船運を利用できる地形が、伊井家が生き残ったことの一つの要因になったのかもしれません。
このマンホールの地名、引佐町(いなさちょう)は、2005年に浜松市に編入合併されています。
これも「緑と花のまち、いなさ」となっています。
線路は浜名湖からはずれ、森の中を走っていきます。
天竜浜名湖鉄道天浜線(2)に続く。
この時、3階ギャラリーでは特別展として、「まちかどの近代建築写真展~タイルに出会う旅~」が開催されていました。(2018年10月6日~2019年1月20日)
2004年から各地で巡回開催されている「まちかどの近代建築写真展」ですが、75回目となる今回は特に「商店建築」がテーマとなっており、建物の外観や内装にタイルが使われた建物の写真がたくさん展示されていました。
ミュージアムを後にして、付近を散策していると、さすがにタイルの産地だけあって、タイルでできたものがそこかしこにありました。
タイルの流し台や、
ゴミステーションもモザイクタイルの絵で飾られていました。
市内にはこのようなタイルのゴミステーションが、様々な意匠で11ケ所もあるそうです。
再びバスに乗ってJR多治見駅に帰り、15時37分多治見発、名古屋方面に向かい、16時8分金山着、16時21分金山発の快速電車に乗り換えて東海道線を東に向かい、17時7分に豊橋に着きました。
豊橋駅の食堂街で駿河地方の食材でできている駿河丼の夕食を食べ、駅近くのホテルで泊まりました。
ミュージアムの入口を入ると、1階は受付と体験工房、ショップがあり、ホールにモザイクタイルで飾られた自動車が置かれていました。
体験工房。モザイクタイルを並べて作品を作ることができます。
順路は大階段を上って4階に進みます。階段室は巨大な登り窯のような土のトンネルになっていました。4階から3階、2階とエレベーターで降りながら観てまわります。
4階に常設展示されているのは、1995年頃から笠原町の有志が全国各地から収集・保存してきたタイル貼りの製品や建物の一部分などです。
裸婦像は下呂温泉旅館の昭和35~36年のもの。
下段横長のは東京都文京区おとめ湯の絵タイル。昭和29年創業。
安芸の宮島の絵タイル。東京都荒川区の桜湯男湯にあったもの。昭和5年頃。
鯉の絵タイル。東京都荒川区の桜湯女湯にあったもの。昭和5年頃。
小野道風の絵タイル。東京都中野区の花の湯。昭和40年前後。
瑞浪市常盤湯のモザイクアート。昭和35年頃。
流し台。
流し台。
キュンとくるかわいさ。
流し台。昭和38年頃。
流し台。
浴槽(D型。笠原町。昭和35年頃)と洗い場(可児市。昭和38年頃)。
浴槽。団地用。
浴槽。団地用。
かまど。昭和10年頃。
便器。
便器。二つとも笠原町個人宅。明治時代のものか。
竹を模したモザイクタイルで作られたタワー。
3階に降りてくると、いくつかのテーマでの展示がされていました。
先ず、タイルの製造工程について。
成型→色付け→焼成をする過程で昭和30年頃に使っていた道具類。
現在のタイル製造の様子。裏面の紙の上にタイルが並べられていて、貼り付けた後、紙を剥がしていきます。
モザイクタイルの見本。
次に、笠原モザイクタイルの前史。
旧岐阜県庁総合庁舎床面。
大正13年。常滑焼か。
マジョリカタイル。昭和初期か。
緑の花の部分がマジョリカタイル。昭和2年頃。
静坐社の洗い場の吐水口。
静坐社は京都吉田山西麓にあったが、2016年に解体される時に昭和4年の棟札や泰山製陶所の銘のあるタイルが発見され、日本の伝統的な住宅様式に西洋の住宅様式を取り入れていたことがわかりました。
商店の陳列台。下部はタイル張り。中に代用陶器のナイフ・フォーク・キセル・手りゅう弾・笠原茶碗などが展示されています。
京都四条河原町近くの喫茶「築地」の壁面写真もありました。
創業は昭和9年。いろいろな形の窯変タイル、布目タイル、レリーフタイルをパッチワークのように組み合わせる池田泰山の集成モザイクタイルです。
そして、戦後笠原モザイクタイルのあゆみ。
タイル貼り浴槽。
調理台付き流し。昭和35年頃。
こんな風にタイルを貼った流しやお風呂がよくありましたね。なつかし~いです。
2019年1月8日、青春18切符で岐阜県多治見市笠原町にある「モザイクタイルミュージアム多治見」に行ってきました。
8時53分京都発の新快速で9時47分米原着、9時56分米原発で10時32分大垣着、10時41分大垣発の新快速で11時13分名古屋着、11時24分名古屋発11時59分多治見着と乗り継いで、
JR多治見駅。
駅前の広場にはタイルの町らしく、子供たちが作ったタイルがはめ込まれていました。多治見駅からバスに乗って、15分でモザイクタイルミュージアム前に12時47分に着きました。
藤森照信さん設計の変わった建物です。タイルを生み出す土をイメージした山型の外観の頂部には本物の松の木が植えられています。
裏側から見たところ。
全体の模型。
建物の前面は掘り下げられて盆地のようになった芝生の広場です。
入口のドアは小さなもので、ここが正式の入口とはちょっと思えませんでした。
壁の表面には陶器のかけらが埋め込まれて模様が表わされています。
モザイクタイルとは、表面積が50㎠以下の小ぶりなタイルのことを指します。多様な形を組み合わせて、パターンを作り出すことができる建築物の装飾として活用されています。
多治見では、大正時代からタイル産業が興り、戦後笠原町を拠点に盛んになりました。1955年頃から笠原町でモザイクタイルの収集が始まり、町の産業にとって貴重なコレクションとなり、これを展示するモザイクタイルミュージアムが2016年6月に出来上がったのです。
岐阜県多治見市笠原町神戸2082−5
入館料:310円
9時~17時(入館は閉館の30分前まで)
休館日:月曜日、年末年始:12/29~1/3の間
2019年1月7日、青春18切符で兵庫県西脇市へ行ってきました。
9時30分京都駅発の新快速で尼崎10時5分着、10時28分尼崎発の丹波路快速で篠山口11時28分着、11時31分篠山口発福知山線で11時47分谷川駅に着きました。
谷川駅は福知山線から加古川線への乗り換え駅です。
12時10分谷川駅を出て、加古川線に進みました。
次の駅、「久下村(くげむら)」あたりに、車窓に大きな恐竜の姿が見えました。2006年にこの辺りの篠山川河床から恐竜の化石がたくさん出土し、「丹波竜」と呼ばれたのです。正式名は「タンバティタニス・アミキティアエ」。
ほんくろだ駅、黒田庄駅を通過。この辺りが黒田官兵衛のゆかりの土地らしい。
その次に日本へそ公園駅というのもありました。日本標準時の東経135度と北緯35度が交差する地点で、日本列島の中心「日本のへそ」に位置する地に公園が作られているのです。
日本へそ公園駅の前にある「岡之山美術館」は、駅に停車する列車風の建物で、現代美術の企画展示を開催しており、設計は建築家・磯崎新です。
日本のへその田園地帯が続きます。
12時38分に西脇市駅に到着しました。
ようこそ「へそのまち」へ、「日本のへそ」西脇市、と書かれています。
西脇市駅前の通り。市の中心部は少し離れているようで、この辺りは鄙びた感じのたたずまいです。
西脇市は木綿の播州織、旧来住家住宅(きゅうきしけじゅうたく)等の見所があるのですが、(そして、西脇工業高校でも有名)時間がないので、西脇大橋近くのお店でラーメンを食べてから駅に戻り、帰途につきました。
13時45分西脇市発、14時31分加古川着、15時7分加古川発の新快速で京都に帰ってきました。
宇佐神宮に初詣した後、別府に帰ってきて、地獄めぐりをしました。
国指定の名勝「海地獄」の入口は長屋門の形をしています。
広い園内のあちこちに地獄と呼ばれる熱湯の噴出池があり、含有物によって池の色が違っています。
海地獄。
赤池地獄。
温泉の熱を利用した温室の中に、蓮やスイレンなど熱帯の植物が育てられていました。
「海地獄」の隣にある「鬼石坊主地獄」にも行きました。
灰色の泥がぶくぶくと沸き上がってきていて、いかにも熱そうな地獄模様を表していました。鬼石というのは地名です。
文献に初めて出てくるのは、733(天平5)年頃書かれた「豊後風土記」です。
別府最後に、鉄輪温泉の中の日帰り温泉「ひょうたん温泉」に行きました。
大きい風呂、ひょうたん風呂、露天風呂、うたせ湯、むし風呂など様々な種類のお風呂があり、長時間楽しむことができます。
ただ、その日は韓国からの観光客がたくさん来ていて、お風呂の中はかなりの混みようで、あまりゆっくり楽しむことはできませんでした。
竹の枝にお湯をかけて、熱いお湯を冷ます装置がありました。
日帰り温泉に入ったあと、大分港に帰り、再び「さんふらわあ」に乗って19時15分出航! 翌朝神戸港に着き、8時頃に京都に帰ってきました。
2019年元旦の朝、フェリーで大分港に着いた後、宇佐神宮に初詣に行きました。
神宮に近づくにつれ、自動車の列が続き、駐車場に入るまでにだいぶ時間がかかりました。
宇佐神宮は大分県宇佐市にあり、全国の八幡宮の総本社と言われています。
小椋山(亀山)山頂に上宮があり、山麓に下宮があるので、上宮はパスして、下宮だけ参拝しました。
境内で神楽が奉納されていました。
参道にある呉橋(くれはし)。
屋根のついた神橋で、鎌倉時代以前からあるとされ、呉の国の人が掛けたという伝説があります。県指定の文化財。
1965年までは、日豊本線宇佐駅から神社までのアクセスを担った大分交通宇佐参宮線があったので、当時の蒸気機関車が境内近くに保存されています。(大分県指定有形文化財)
これは26号機関車で、1891(明治24)年にドイツ・ミュンヘンのクラウス社が製造、明治27年に九州鉄道株式会社(国鉄の前身)が購入し、活躍していましたが、昭和23年機関車の大型化に圧され、大分交通株式会社に譲渡の後、宇佐参宮線の主役になりました。宇佐参宮線は1916年開業し、1965年に廃止されました。
駐車場近くのお土産屋さん街にレトロな写真館がありました。
別府の町近くに帰ってきて、お正月仕様の昼食を食べました。
2018年大晦日から2019年元旦にかけて、神戸から大分港への往復フェリーに2泊するツアー旅に行ってきました。
12月31日の18時に京都駅前から貸切バスで出発、神戸港に向かい、
フェリー「さんふらわあ・ごーるど号」に乗船しました。見上げると、大きなビルのような船体です。
20時20分出航!
乗船してすぐのエントランスは、お正月に向けての飾りつけがされています。
大晦日とあって、年越しそばの販売、音楽の演奏、ビンゴ大会、カウントダウン等、いろいろな行事が用意されていました。
神戸を出港して、しばらくすると、明石大橋の下を通過しました。
レストランで夕食の販売がされていましたが、
買って持って行ったお弁当とお酒をサロンで食べました。
6階の客室へ向かう廊下がいくつもあって、迷子になりそうなくらい広いです。
部屋は10人の相部屋ですが、それぞれのベッドが離れて設定されていて(プライベートベッド)、カーテンで仕切られているので、あまり他の人が気になりませんでした。
お風呂も銭湯のような大浴場に入りました。
5階のレストランでビンゴや年越しカウントダウンを楽しみ、ふるまい酒をいただきました。
翌朝、早く起きて船の看板に出て、初日の出を見ました。
瀬戸内海の海の向こう側、四国・愛媛の山並みから出てくる太陽です。
しかし、看板上はものすごく強い風で寒いので、あまり長く見ていることはできませんでした。
大分港に8時20分に着きました。