古武邸でのお話と食事の後、午後には古武さんに案内していただいて、近所の西陣界隈を巡りました。
古武さんのお宅を出ると、辺りには情緒あふれる町家がたくさん残っています。
五辻通りを少し東に行ったところ、堀川通りから少し西に入ったところにある山名宗全邸宅跡の碑。ここは山名町という町名です。
応仁文明の乱(1467~1477)で西の陣の総大将、山名宗全の屋敷があったので、ここから西陣という地名がつきました。
少し西に戻って一筋あがった通りは紋屋町。
応仁の乱の後、織物職人達が住み着いて絹織物の生産に従事、西陣織が広く発展しました。
西陣織の中心を担った大きな構えの町家が残っています。
その向かいには三上家の長屋が。
ここも昔は織物職人の住込み長屋でしたが、今は若い職人さんや蜂蜜屋さんが間借りして営業しています。
智恵光院通りを超えて西に、雨宝院(西陣聖天)を過ぎて一筋西の通りは石畳が敷かれ、風情あふれる街並みに整備されています。
その通りにある近代建築の目医者さんは今でも現役で診察されています。
この他にも、近くに能楽の観世家があった西陣中央小学校、本隆寺の中の墓地、近くに金売り吉次の家があり、源義経が奥州に旅立つ時にお参りしたという首途(かどで)八幡宮、千両ケ辻の水野克比古さんの写真館、聚楽第北ノ丸北堀跡の段差、葵の上と六条御息所が賀茂祭で車争いをしたという一条大宮の辻と見てまわって、実に詳しくこの辺りの歴史にまつわるお話を聞かせていただきました。
歩いた時間、3時間でした。