ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

大阪フェスティバルホール

2008-06-30 00:00:58 | 西本智実
今日はこちらに行ってきました。



西本智実指揮、モンテカルロフィルハーモニー管弦楽団、ピアノ関本昌平で、
ビゼー「カルメン」第1組曲、ショパンピアノ協奏曲第1番とドヴォルザーク「新世界より」。
6月6日にモナコで演奏してから6月19日-7月1日の間、この楽団を引き連れて日本各地で公演している。ものすごいハードなスケジュールをこなしておられます。

「新世界より」の最後のほうでは胸がどきどきしてくるくらい、感動ものでした。



楽屋出口で「出待ち」もしてきました。
 


ところで、


フェスティバルホールはこの秋から建て直されて、


こんなタワー2つになるそうです。
なんだかねえ。

綾綺殿かふぇ

2008-06-29 06:02:01 | ぶらり都めぐり
山中油店の近く、浄福寺下立売上ルに山中油店のショップ&カフェ「綾綺殿」があります。ここも貸家だった町家を改装してお店にしたものです。

町家スタンプラリーで疲れ果てたので、しばし休憩しました。





おくどさんがそのまま残されています。


山中油店

2008-06-29 05:43:27 | 建物(京大以外の京都府の)
町家スタンプラリーの途中で前から見たかった山中油店に出会いました。






お家の前に小さな池や流れが作ってあって、水車もまわっています。


昭和20年6月26日に西陣に空襲があった時に落とされた爆弾の破片がお店の前に展示されていました。死者50名、負傷者300名以上、被災家屋292戸の被害だったそうです。



「下立賣通り智恵光院西入ル」です。



道をはさんで向かい側にある「上京歴史探訪館」は山中油店の貸家だったところを改装して、ボランティアの方が昔の暮らしなどを説明してくれています。

楽町楽家’08

2008-06-29 04:47:46 | 建物(京大以外の京都府の)
町家を会場にしたイベント「楽町楽家」は、住まいとしての町家の本当の良さを体感してもらおうと、町家のオープンハウスや町家を使ったコンサートなど様々な催しが公開されるもの、今年は4回目で、5月17日(土)~6月16日(月)に開催されました。

この期間、いろいろな催しがありましたが、予約の必要のないところに気が向いた日に何日か参加して町家を見て回りました。

長江家。新町通り仏光寺上ル西側。

船鉾町家。新町通り仏光寺上ル東側。


ここからは「住みたい町家を探しに行こう スタンプラリー」のお家です。
熊野神社近くの貸家。家賃15万円。部屋数が多く、広いお庭もあって大家族向けです。

丸太町七本松近くの売家。改装済み2階建てで1500万円。

千本通り丸太町近くの貸家。家賃10万円。
住むには大分改装しなければなりません。

今出川大宮近くの貸家。家賃15.75万円。
この門を入って長い露地の両側に植物がたくさん植えられています。ここも改装が必要。その費用を貸主が出すか、借り手が出すかは相談次第ですって。


2日間で7ヶ所のうち4ヶ所まわったらストラップ、6ヶ所まわったら町家ミニチュアセットがもらえるはずでしたが、それぞれの家が離れていて、バスと歩きでは移動に時間がかかるし、簡単な地図だけで家を探すのが結構大変で、1軒はとうとう見つけられず、4軒まわってくたびれ果て、プレゼントもらいに行けませんでした。 それに、町家はおいそれと手に入りそうにないことがわかって。見てまわるだけで楽しむことにしよう

因幡堂平等寺

2008-06-18 20:06:15 | ぶらり都めぐり
松原不動から松原通りを西に歩いていると、烏丸通りのすぐ手前で今度はもっと大きなお堂に出くわしました。


おおっ、ここがあの有名な因幡堂ではありませんか!




再び駒札によると、

平等寺(因幡薬師)。長徳三年(997)、因幡(現在の鳥取県)国司・橘行平が任を終えて帰郷の途中、夢のお告げに従って因幡賀留津の海中から引き揚げ、安置しておいた薬師如来像が、行平のあとを追って京都に飛来したといわれ、長保五年(1003)、行平は自宅を改造してこれを祀ったと伝えられている。この霊験談は広く親しまれ、歴代天皇を始め一般庶民の深い信仰を受け、承安元年(1171)には高倉天皇より「平等寺」と命名された。なお、この寺の起こりは、「因幡堂縁起」(東京国立博物館蔵)に詳しく書かれている。
 堂舎は度々火災に遭い、寺域も次第に小さくなったが、明治初年(1868)に再建された現本堂には、度重なる火災にもかかわらず伝えられてきた本尊薬師如来立像が安置されている。嵯峨釈迦堂の釈迦如来、信濃善光寺の阿弥陀如来とともに日本三如来の一つに数えられ、ことのほか信仰されている。

ということですが、このお堂が有名なのは他に、「因幡堂」「鬼瓦」「仏師」「六地蔵」「金津(金津地蔵)」などたくさんの狂言のモデルになっていることです。

その中で私が見た「鬼瓦」では、長期在京して訴訟がかなった遠国の者が帰郷するにあたり、因幡堂へお礼参りに行くと、御堂の鬼瓦が国元の妻によく似ているので、なつかしがって泣き出すという内容。

お堂を見上げてみましたが、どうも今の鬼瓦は妻の顔を思い出すようなものではありませんでした。



因幡堂で狂言を見る会が年1回開催されているようですが、今年はもう4月29日に終わってしまったようです。 

毎月8日には「因幡堂手づくり市」も開かれているようです。
いっぺん行ってみたいです。

明王院(松原不動)

2008-06-18 19:29:53 | ぶらり都めぐり
街中を歩いていて、松原通り麩屋町の西南角に、とあるお堂を発見しました。



駒札によると、

青蓮山と号し、真言宗東寺派の寺で、俗に松原不動という。朱雀年間道観大徳が開基した法相宗の寺であったが、のちに弘法大師が自作の石仏不動明王を安置してから真言宗に改まった。王城鎮護のために経巻を納められた平安京四岩倉の一つで、南岩倉といわれた。天暦年間、加茂川氾濫に遭い、堂舎悉く流没し、一時、比叡山の苔莚法師によって再興されたこともあった。豊臣秀吉は此処から苔蒸した本尊不動明王を感得し、聚楽第に収めたところ、夜々霊光を放ったので、霊験に感じ、旧地に堂舎を営み、これを再び奉安したという。

とあります。「北向き不動」とも言われるようです。



にぎやかなビル街を歩いていて、こんなお堂に出会うと、ちょっとした驚きです。

楽しい乗り物「すろっぴー」ちゃん

2008-06-02 02:40:14 | 遠出(国内)
鳴門市文化会館に行くには、京都から高速バスで行くのが手っ取り早いです。
鳴門大橋、淡路島、大鳴門橋と通って、小鳴門橋を越えたところに「高速鳴門」のバス停があります。



高速道路のバス停と下の待合室(兼、観光案内所)を結んでいるのがスロープカー「すろっぴー」。


無料、自動運転で、自分でボタンを押して乗るモノレール型、斜めに動くエレベーターです。20人くらい乗れそう。

向こうに見える青い看板のあたりまで乗っていきます。
あっという間に着いてしまい、横に見える道を歩いて行ってもたいしたことはなさそうだけれど、旅には重い荷物があるし、私らみたいな年寄りにはありがたいことですw。(実際には上に着いてからまた階段があります)

かわいい乗り物「すろっぴー」ちゃんでした。

鳴門で「第九」を聞く

2008-06-02 02:37:52 | 西本智実
今から90年前の1918(大正7)年6月1日に徳島県鳴門市にあった坂東俘虜収容所で、ドイツ兵捕虜達がベート-ヴェンの第九交響曲を演奏して日本の人達にも披露したのが、アジアで始めての「第九」の演奏だったそうです。
鳴門市では昭和57年から毎年6月初旬に「第九」演奏会が開催されてきていて、今年は第27回目にあたります。
その演奏会を聞きに行ったついでに、徳島で1泊して、ちょこっとお散歩をしてきました。


          

徳島に行く前に、DVDで「眉山」と「バルトの楽園」を見て予習しておきました。

今年の「第九」は徳島交響楽団と東京交響楽団の合同演奏、指揮は西本智実さま。

前売券を確保、でも自由席なので、13時開演でも12時開場頃に会場の鳴門市文化会館に行くと、すでに長い行列ができていました。でも意外にすぐに入れて、席は前から4列目くらいに座ることができました。こんなに前の席で身近に見れたのは初めて。自由席サマ、サマ!です。
ずっと左側向いて指揮者を見ていたので、首がねじれました。

「第九」は素晴らしい! ベート-ヴェンは素晴らしい! 西本さんはもち、素敵!素晴らしい!かっこいい! 

演奏が終わると鳴り止まない拍手とスタンディングオーベーション(聴衆総立ちってこと!)。

今まで知らなかったけれど、第九を歌う人にとっては鳴門は「聖地」みたいになっているらしくて、500人を超える合唱参加者のほとんどが日本各地から「第九」を歌うために集まってきた人達だそうで、ヘーッていう感じ(汗)。

それだけたくさんの寄せ集めの(失礼!)合唱参加者と二つの交響楽団とをとりまとめて、引っ張って、一つにして、天に昇っていくあの高まりの演奏を作り出していった西本さんって、すごい!!とまたまた惚れ直してしまいました。

脇町の近代建築?

2008-06-02 02:35:13 | 建物(徳島県)
うだつの町並みのはずれにある脇町郷土資料館(脇町観光協会)の建物は、明治32年築の擬洋風の建物、昭和27年まで税務署として、その後昭和63年まで徳島地方法務局支局として使用されていたものを再生したものです。館内には、第12世将棋名人・小野五平に関する資料や、脇町の歴史に関する資料を展示しています。


JR穴吹駅。1914(大正3)年開業だというけれど、建物もその時のものかどうかは不明。でもかわいい建物でした。

脇町はとってもいい町だったけれど、車なしの個人旅行で行くには不便な所でした。
行きは神戸三ノ宮から阿波池田行きの高速バスで脇町バスストップで降りたけれど、そこからうだつの町並みまでは歩いて30分程かかりそうで、タクシーを呼んで移動、うだつの町並みから穴吹駅まで出るのにも路線バスの本数が少なく、30分程吉野川の堤防の道をてくてくしてやっとたどり着けました。

最後に長い長い吉野川の歩道橋を渡って、景色は最高。
苦労して行った場所は思い出に残るものです。

オデオン座からの招待状

2008-06-02 02:33:14 | 建物(徳島県)
うだつのあがった通りから出て小さな川を渡ったところにあるのは「脇町劇場、オデオン座」。



1934(昭和9)年に芝居小屋として建てられ、歌舞伎や浪曲などが上演され、戦後は映画館として地域の憩いの場となり親しまれてきました。
映画の斜陽化と建物の老朽化により平成7年に閉館し、取り壊される予定でしたが、映画「虹をつかむ男」(山田洋次監督、西田敏行主演)の舞台になり、脚光を浴びたことにより、文化的価値が見直され、町指定文化財として、昭和初期の創建時の姿に復元され、一般公開されることになりました。

中は本格的な芝居小屋になっていて、びっくり。

花道、桟敷、まわり舞台、奈落の底も見学できました。
四国では愛媛県の内子座、香川県の金丸座、徳島県の貞光劇場にも同じようなまわり舞台の設備があります。

二階の大向こうから声がかかりそう。

オデオン座専用座布団。

収容人員250人、映画の上映も時々やっているらしくて、まもなく「母べえ」が来ると出ていました。
これからうだつの町を見に行くと言うと、親切な受付の方が森医院のことや竹細工のお店とかいろいろ教えてくださいました。

劇場の前を流れる大谷川の岸には柳の木が並んでいて、その風情に山田監督が惹かれてここをロケ地に決めたとか。
「虹をつかむ男」まだ見てないので、どこかで見なくては。


脇町劇場 オデオン座
    開場時間:9:00~17:00
    休場日:毎週火曜日、12月27日~1月1日
    入場料:200円
    団体20名以上には芝居弁当の予約も受け付けているので、食事・休憩に利用できます。(0883-52-3807)

うだつの町のお医者さん 森医院

2008-06-02 02:31:40 | 遠出(国内)
吉田家住宅の向かい側にあるうだつのあがったお家は1886(明治19)年建築の旧森医院の建物です。


立派な正面玄関。


森家は元醸造業を営んでいましたが、三代、四代と郵便局長、県会議員,村長、町会議員、郡書記などを勤めました。五代誠三氏がこの実家を一部改造して大正8年から昭和30年まで、内科・小児科の診療所「森医院」として開業していました。

入ったところの土間の突き当たりは郵便局の名残があります。
左は看護婦詰め所。

一段上がった所に薬局が。

診察室の様子もそのままに残されています。

診療所だった頃の様子をそのままに残したこの家は時々公開されているようです(無料)。訪ねた日には運よく開いている日で、説明をして下さる方もおられました。裏の方まで広い敷地で、裏の通りに面した門構えもお城の門のようで、そこは今改修されているところでした。

そして、誠三氏のご子息も徳島大学名誉教授のお医者さんになられて、生家の様子をホームページに書かれています。
古いお家を改修しながら大切に残し、その暮らしとご家族の思い出に誇りを思っておられるのがよくわかります。

吉田家住宅 藍商佐直

2008-06-02 02:29:54 | 遠出(国内)
藍の町脇町でも一、二の豪商、吉田家は屋号を「佐直(さなお)」と言い、その住宅は脇町指定有形文化財に指定されています。
藍商は、藍染めの原料を販売する商人で、幕末から明治にかけて大いに繁盛しました。
建物は最初1792(寛政4)年に移築され、その後三度にわたって大規模な普請を行って建増しされています。


うだつの町並みに面した間口十一間、奥行き三十間の敷地に二階建ての主屋と二つの蔵、藍の寝床、離れを有し、離れの裏はかつての吉野川の船着場に続いています。

いくつもの座敷をまわっていると迷子になりそうなほど。主座敷からは整えられた庭と吉野川の向こうの山々を眺めることができます。

坪庭もいくつもあります。

二階の天井の梁はでっかい。


佐直では吉野川流域で栽培された藍の葉を集めて寝床と呼ばれる作業所で水をかけながら発酵と攪拌を繰り返し、約八十日かけて藍玉に仕上げ、それを各地の染め業者に販売していました。二階板の間に多くの労働者を住み込ませ、また身分の高い武士等の接客のために「御成玄関」と呼ばれる特別な玄関も作られています。


吉田家住宅:徳島県美馬市脇町大字脇町53番地
      開館時間9:00~17:00
      12月27日~1月1日休館
      入場料500円

うだつのあがった町並み、徳島県脇町

2008-06-02 02:28:02 | 遠出(国内)
徳島県美馬市脇町は「うだつ」のあがった町です。


「卯建(うだつ)」とは、商家の横壁を突き出して作った袖壁で、隣家の火災の延焼を防ぐためのものです。

脇町は徳島県を東西に流れる吉野川の中流にあり、江戸時代から藍の集散地として栄え、藍の仲買で財をなした大商人達の家が軒を並べていました。これらの豪商達の家は立派な二階建てで、白壁に装飾を付けた瓦を張ったうだつを張り出して作られていて、うだつがある家に住むということは、資産があり、成功した家であるということを表していました。そうでないことを「うだつがあがらない」と言うようになりました。

今でも脇町の南町筋は、430m程にうだつのあがった白壁の家が続いていて、昭和63年に重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。







共同井戸もあり。

電線が地中に埋められていますが、

今もそれぞれのお家で生活が続けられています。


町立図書館(手前の2軒)も景観に溶け込むように作られています。



「ふれあい館」には

藍染め用の甕がありました。

これが藍の草です。

このお店で「あげまん(揚げ饅)」を食べました。