joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

『30年後』 船井幸雄 神田昌典(聞き手)

2006年10月17日 | Audiobook


自分の読んだ本や、聴いたオーディオブックや、観た映画や、聴いた音楽の感想を書いていると、それらを読書・鑑賞したときには強い印象をもたなくても、自分にとって心に残るような感想を書いてしまうことがあります。そういうときは、自分の意識の表面では多くのことを受け取ったとは思っていなくても、“書く”(キーボードを“打つ”)という作業をしているうちに、自分の内面が掘り下げられて、意識の表面では知らなかったようなことを意識の奥は対象から感じ取っていたのかもしれません。

だから、自分の接した情報については、印象に残っていなくても、なるべく感想を書くようにしています。

船井幸雄さんと神田昌典さんの対談『30年後』ダントツ企業実践オーディオセミナー)を聴いたのは今年の4月ごろ。でも、なぜか今まで感想を書く気になれませんでした。すばらしい内容なのですが、何かテープを聴いていて違和感もあったのです。

船井幸雄さんの本は何冊か読んだことがありました。『経営のコツ』『船井幸雄の「人財塾」』『5年後』『本物時代の到来』『素晴らしい未来が見えてきた』などです。

これらの本は、船井さんの著書の中でも、比較的実践的な事柄をテーマにしていると思います。もちろん自己啓発ではあるのですが、現実の事柄に材料を取って話を展開しています。

それに比べると『30年後』は、かなり船井さんの“オカルト”的な知識を前提に議論が進められています。

船井さんの議論の趣旨は単純で、「これまでの経済活動はみんな自分の利益だけを考えて動いてきました。しかしこれからは自分以外のすべての人にとって利益になるように行動しなければ、物事は上手くいきませんよ」というものです。

船井さんが提唱する“本物”の技術というのも、「人間の体や環境にやさしい技術・食品でなければこれからは広まりません」という、とてもシンプルなものです。

そのように、「商品にしても、売り方にしても、誰にとっても利益になるものでなければだめです」というのが船井さんの主張です。

このような「誰にとっても利益になること」という命題を追求すると、「自分のことだけを考える」という“エゴ”の発想を生み出す「物質」「人間の肉体」という既存の考えを否定し、“見えないもの”を追求する方向へと進むことがあります。

このオーディオセミナーでは、船井さん自身がそのような一見“見えないもの”、常識では考えられないことをこれまで追求してきた軌跡が振り返られています。

それは例えば、既存の物理学を否定するような空中浮遊であったり、超能力であったり、前世をめぐり議論であったり、人類の歴史が転換した契機の話だったりします。

そのような船井さんの軌跡は、「誰にとっても利益になること」「博愛」というものに船井さんが目覚めたことと、もともと理系出身で探究心旺盛だったことが結びついて彼を導いてきたのだと思います。

ただ僕自身はこのテープを聴いていて、ここまで超自然的な話をする必要があるのかな?とも思いました。

前世があるかどうかは普通の人は分からないし、人類の歴史の起源も専門家以外の人には馴染みの無いことです。勉強熱心の人や専門家がそういうことを調査するのは分かるのですが、どう生きるべきかということは、そこまで専門的で超自然的な事柄に精通しなければならないことと結びついているのだろうか?という疑問も出ました。

もっともそれは僕自身の性格なのかもしれません。

船井さん自身は、かつては「ケンカの船井」と言われ、コンサルタントとして流通業界では競争相手からも恐れられていたそうです。しかし、ある事件をきっかけに、それまでの自分のやり方を反省させられ、自分のことだけを考えるのではなく、誰にとっても利益になることを考えなければならないと思い始めたということです。

そこから“エゴ”の発想を生み出す「物質」「肉体」の観念を超える超自然的なものへの探求が始まったのだと思います。

でも、なまけものの僕としては、そういう超自然的なことを知らなくても、「自分だけのことではなく、他人の気持ちも考えよう」と思うだけで、ただそれだけでいいんじゃない?と思ってしまいます。超自然的なことって、探求しなくても、信じていればそれで十分なことのようにも思ってしまうのです。

でも、船井さんの本が読まれた数を見ても、船井さんが現代の日本に及ぼした影響力は相当に大きく、船井さんの本がきっかけで博愛に目覚めた人も相当多いのかも知れません。ものすごくすばらしいことを成し遂げてきた人なのだと思います。



「オルセー美術館展」10・15

2006年10月16日 | 絵画を観て・写真を撮って


昨日はとても天気がよく、神戸市立博物館「オルセー美術館展」を観に行きました。

博物館に着いたのは3時過ぎか半頃。開館は5時までですが、神戸の美術展ですから、ぼくはすぐに見終わる程の量だろうと思っていました。

僕は美術についての知識は何も無く、ただヨーロッパを旅行したときに、なかば義務のように感じながら当地の美術館をちらほら回ったことがある程度です。そのときも、たしかに絵に感動することはあるのですが、同時に旅疲れで足が痛くなり、「早くコーヒーが飲みたいなぁ」とかよく思っていました。


今回の美術展は19世紀末のフランスを中心とする絵画展です。

館に入ると人がとても多いのにびっくりしました。

最初の1階のコーナー、「親密な時間」では、人物画が飾られていました。人の多さに戸惑いながらも、なんとなく絵に惹きこまれて行きました。

お母さんがゆりかごのあかちゃんを見つめている絵では、絵全体からその場のやさしさが伝わってくるようです。赤ちゃんのまわりを囲む布の繊細さや、母親がゆりかごに書ける手の優しさが伝わってきます。とてもおだやかで(ベルト・モリゾ「ゆりかご」1872年)す。

女の子が猫を抱え座っている絵では、女の子のかわいらしさと衣装の綺麗さもさることながら、猫を抱きかかえる手と体が、猫に配慮して優しく包み込むようでした。猫のやわらかさとそれに対応した人間の体の柔らかさが伝わってくるようでした(ピエール=オーギュスト・ルノワール「ジュリー・マネ」1887年)。

凛とした成人女性を真正面から描く絵もありました。体の肉付きのよさが衣服のふくらみを通して伝わり、表情は悩んでいるのか怒っているのか真剣なのかよくわかりませんが、何か真面目です。

部屋の隅っこに女性を座らせている絵もありました。隅っこなので見ていてなんだか窮屈です。しかしそれでもじっと見ていると、その隅の背景にある板や壁の色のコントラストが一つの調和を生み出し、そこに女性が座っていることも、何か当たり前の構成のようでした。

こういうように見た絵の印象を全部書いてみたいですが、さすがにそれは大変そうなのでやめておきます。

次は「Ⅱ 特別な場所」です。

人物画も面白かったのですが、私はこのコーナーのほうにより惹かれました。場所が描かれている絵を見ていると、最初はその色や構図にはっとします。そしてじっとみていると、自分が画家たちのいたまさにその場にいるような錯覚を感じることができます。

だって本当に画家は目の前にあるその風景を見てその絵を描いたのです。その絵を見る私たちが、今いる場所を離れ、その絵を描いた場にいるように感じるのも、自然のことのように思います。

暗闇の港では、月明かりの綺麗さを感じながら、暗闇の中でも活動する船や人を感じ、建物の明かりに人の存在を感じます。

のどかな川のほとりでは、昨日のようなぽかぽかしたお日様があり、多少の退屈さと気持ちよさを感じながら人は歩いています。船が動く音も聞こえてきそうです。

フランスの田舎では、きれいな空と自然に囲まれ、ゆったりとした時間と、乏しい物資と、しかしそれを当然と感じる空気があります。自然と、田舎の古ぼけ建物と、広がる空と、いい天気。

絵を見ていると、絵を見るというより、その絵を描く人たちがいる場に身を置いて、その世界を感じるようです。

そういうようにじっと見ていると、全然全部の作品を観ないうちに閉館時間が来ました。まだまだこの美術展はやっているので、また来たいと思います。


涼風


相手の呼吸

2006年10月15日 | 絵画を観て・写真を撮って


昨日、本を返しに兵庫県立図書館・明石市立図書館に行き、ついでに明石公園の中で写真を撮っていました。

写真を撮りながら思ったのは、せっかく自然と触れ合うことができる時間なのに、ぜんぜん自然を感じていないこと。

気に入った被写体があるかどうかだけを考えて、木々の呼吸とかを全然感じていなくて、何枚か写真を撮った後に、すごくもったないないことをしているように感じました。

僕は写真家という職業のことを全然知りませんが、風景写真家などは、カメラをもたずに、風景の中を歩き、その風景の空気を存分に楽しむことができる感性をもっているんじゃないでしょうか。

カメラを持たなくても時間と世界を楽しむことができるほうが、自然と一体になれて感じがして、いいですね。

カメラをもっていても、世界を被写体としてだけでなく、対等な立場で相手の呼吸を感じながら歩くことができればいいですね。


涼風

私が使っているRSSリーダー

2006年10月14日 | 日記



今日は朝からかなり寒いですね。私は長袖のシャツに厚手のスウェット、そして厚手のガーディガンを着ています。

寒いけれど天気はよくて空気のきれいそうな朝だと思います。環境はいいのですが、RSSリーダーに登録してあるブログの記事で、いつもは面白い話が載ってあるのに、今日はすこし不景気な話が書かれてあって、少し気分が落ち込んでしまいました。

まぁ、書いた人が悪いわけではないのですが、嫌な情報に触れないためには、あらゆる媒体から身を遠ざけるしかないのかな。

他のブログの記事も、今日の朝は気持ちよくなるような記事がなかったなぁ。

私はブログを読むときは、すでに多くの人が使っていると思いますが、RSSリーダーを使っています。私の使っているものは、glucoseです。

いまさら説明は必要だし、私は上手く説明もできないですが、RSSリーダーを使うと、自分の見たいブログをそれぞれチェックしなくても、そのブログの記事が更新されるとRSSリーダーに反映されて知ることができますね。

たまぁにしか更新されないけど面白いブログがあるときに、そのブログをRSSリーダーに登録しておくと、いつもチェックしなくても更新されたことがRSSリーダーを介して分かります。

もしまだ使っていない人がいれば、おすすめです。


涼風

参考:「RSSリーダー」 『池田信夫 blog』

地味か洗練か

2006年10月13日 | 日記



先日2ちゃんねるで神戸のおいしいラーメン屋の情報を見ていたら、「神戸市民最低!」という書き込みに多く出くわしました。どうやら、「神戸の人間は自分たちのことを特別だと思っている」ということらしいです。

神戸という名前がブランド化していることへの反発なんでしょうね。

僕は生れたのは神戸の兵庫区というところで、育ったのは垂水区で、今も垂水区に住んでいます。しかし垂水区といっても隣の明石市まで歩いて10分程の所です。よく使うJR線の朝霧駅は明石市にある。

でも、自分自身のことは「神戸」という地名にアイデンティファイしやすい。それは、子供の頃から、家族で、あるいは一人で、買い物などに出かけるときは、三ノ宮(神戸市の中心街)などに行くことが多かったから、住んでいる場所は神戸の端っこで明石に近いとしても、自分の頭の中にある世界は「神戸」という名前で占められていました。実際、はじめて一人で大阪に行った16歳まで、どこかに行くとしてもいつも三ノ宮だった。

しかしずっと「神戸」で育った者からすれば、べつに神戸というのはおしゃれな町じゃない。垂水や長田や新開地などの商店街はとても汚い。町も、震災前までは汚れたコンクリートというイメージの方が強かった。

「おしゃれな神戸」ってどこにあるんだろう?それは主に、東京や大阪を中心としたメディアが作り上げた虚像で、神戸自身が後からそのイメージを追いかけたんじゃないだろうか。

北野町の異人館なんておしゃれでもなんでもなくて、おもちゃみたいな感じですよ。無理やりプラスチックで洋風の街を部分的に作った感じで、本物の異国情緒なんてない。三ノ宮の中華街も、あっという間に通り過ぎてしまうほど小さいし、横浜とは比較になりません。

神戸はたしかにいいところだけど、それは住む分にはということであって、何か観光地としてみるべきものがあるわけじゃないです。

また住む分にはいいというのは、ほどほどに開発されながら、大阪のようにビルがあちこちに並んでいるわけではないという意味です。つまり、完全に大阪の通勤圏となっていて、神戸独自の産業発展がなされていないんですね。

だから、住む分にはいいけれど、活気というものは乏しい。これは僕の子供の頃から同じですが、神戸は活気のある町ではありません。産業の誘致に成功していない都市と言えます。

神戸市役所としてはこのままでは税収増が望めないし、雇用を増やす必要があります。神戸空港を強行してしまったのは、そういった背景があるんじゃないでしょうか。その選択が正しかったかどうかは別として。

神戸には人がほどほどはいるので、ある程度までは開けた場所です。また「おしゃれな神戸」という東京のメディアが作ってくれたイメージを追いかけたために、雑貨屋やケーキ屋がそこそこあります。

しかし、自分自身の力で立ち上がって発展していこうという気力には乏しい都市です。没落貴族のようなたたずまいでしょうか。

神戸に旅行に来た人には、例えばJR神戸駅から山のほうへ向かって歩いてみて欲しい。どこか寂しげな感じがあります。


涼風

“Managing in the Next Society ”

2006年10月12日 | Audiobook


オーディオブック“Managing in the Next Society ”を聴きました。ドラッカーの『ネクスト・ソサエティ ― 歴史が見たことのない未来がはじまる』の原書をプロのナレーターが朗読したもので、CD3枚の要約版です。

内容的には“Management Challenges for the 21st Century”をコンパクトにした感じで、このCD自体に特別オリジナルな内容は無かったような印象をもちました。

一つ気づいたことは、ドラッカーはこれからNPOボランティアが社会の主要な組織形態になると考えていて、それ自体は特別珍しい考えではないと思いますが、彼がNPOが社会の主流となると考えた理由は、“knowledgeable worker”が労働世界で主流となると予測したことと密接に結びついていると言うこと。

“knowledgeable worker”(「知識労働者」と感触は同じかな?)の特徴の一つは、自発的に活動できる範囲を与えられることを求められること。おそらく単なる「従業員」とは異なり、与えられたことをこなすのではなく、自分のする仕事を自分で決める自由を求める人々のことです。その意味で、“knowledgeable worker”は“デスクワーク”と同じではありません。

そのような“knowledgeable worker”にとっては、仕事の魅力はお給料だけにあるのではなく、むしろ自分の仕事にどれだけ満足感を見出すか?どれだけ自分からやる気の出る仕事をできるか?という要因が彼の仕事の決定において大きな意味を持ちます。

このような“knowledgeable worker”が主流になることは、組織の形態が、partnershipに基づくallianceになるということです。allianceを英英辞典で引くと、an agreement between countries, political parties, etc. to work together in order to achieve sth that they all wantとなるそうです。

要するに、対等な立場の“knowledgeable worker”による合意が社会の核になるということですね。そのような合意は“knowledgeable worker”たちがどれだけ自発的にその契約にコミットできるかがキーになります。

このような自発性が核になる社会では、まさに文字通りNPOなどのボランティアが社会の主要な構成要因となってきます。もはやお金だけが労働者を動かす原因にならないからです。

ドラッカーはこのCDで、これまで教育とは若者が受けるものを意味したが、これからは生涯にわたって人々は教育を受け続けると述べています。少なくとも経済先進国ではその通りになり、あらゆる労働者がつねに知識をヴァージョンアップするために“勉強”していますね。大学院社会の到来です。

このように生涯にわたって“勉強”をすることは、もはや“勉強”とは「いい学校に行くためのもの」ではないことを意味しているのかもしれません。

もちろん多くのビジネスマンが“勉強”しているのは(べつにドラッカーは“study”という言葉を使っているわけではありませんが)、多くの場合はより収入を増やすためという側面をもっているでしょう。

しかし同時に、生涯にわたって“勉強”するとき、その“勉強”は必然的に、「これは何のためにしているのか?」という問いを人々に意識させる筈です。

若いときであれば思考をストップさせて、とにかく目標の点を取るために勉強することができるかもしれないし、また人生の一時期にそのように一つの目標にコミットすることはポジティブな意味を持ちうるかもしれません。

しかし生涯にわたって勉強する際には、「いい点をとるため」「スキルをあげるため」「収入を増やすため」という目標と同時に、「これをすることは自分にとって何の意味があるのか?」「どんな勉強が自分には本当に必要なのか?」ということを意識させるのではないかと思います。

つまり生涯にわたって勉強する際には、その人の自発性は何に向かうことを求めているのか、その人自身が反省することを強いられるように思います。ドラッカーは“knowledgeable worker”にとって大事なことは、「自分の強みとは何か?」という問いを自分に投げかけることだと述べています。

そのように人々が自分の強みを問い、自分の自発性の源泉を掘り起こすとき、その人は従来の企業だけではなく、より自由に、たとえばNPOなどの組織で活動することを求めるのかもしれません。


このCDは3枚組ですが、一枚一枚の最初と終わりにピアノによる音楽が少し流れるのですが、それがちょっと冷たい感じがするのが印象的でした。たしかにドラッカーは必ずしもばら色の世界を予測しているわけではないし、そもそも未来を正確に予測することはできないと述べているのですから(それは出生率をコントロールできないことと結びついています)、その冷たい感じの伴奏と内容とはマッチしているのかもしれません。しかし、やはり私としては未来は明るくあって欲しいので、もう少し違う音楽でもよかったのでは、などと(どうでもいいことを)思ってしまいました。


参考:「ネスクト・ソサエティ ~ Managing in the Next Society by ドラッカー」 『CD、テープを聴いて勉強しよう!! by ムギ』

“Management Challenges for the 21st Century”by Peter F. Drucker 2 “joy”

“Management Challenges for the 21st Century”by Peter F. Drucker 1 “joy”

回復

2006年10月12日 | 日記



土曜日に体調を崩して、そのときにお医者さんの診察で「お腹の風邪」と分かったのですが、なんとか回復したようです。

この病気は正確には感冒性腸炎と言うそうで、子供のよくかかる病気だそうです。

今朝起きてみると、かなりすっきりした感じがします。ただ、喉がすこしはれている感じもします。土曜日に病院でもお医者さんに「やっぱり喉が赤くなっている」と言われたのですが、ずっとのどに違和感はありませんでした。「お腹の風邪」が治っているときに、やっと普通の風邪らしく喉が少し痛くなってきました。「お腹の風邪」からホントの風邪に移行しているのでしょうか。このように症状の部位が変わり、単純な症状になるほど、治癒しているのではないかな、と希望的観測をしつつも、喉飴でもなめるつもりです。

僕は一年に一回は風邪で寝込みます。今回の風邪がその一回であってくれたらいいのだけど。

風邪をひくというのは、体にとっては必要なことだそうですね。季節が変わっていくのに対して、風邪を引くことで体が夏用の体制から冬用の体制へと変化するそうです。詳しいメカニズムは知りませんが、今回の風邪で夏服をもうしまったということにしたいと思います。


涼風

「男もつらいのよ」

2006年10月10日 | 日記



今朝起きると、「お腹の風邪」はだいぶ治まったかな、という印象。起きたばかりなので様子を見ないとだめだけど、病院で診てもらった時も「心配はないですよ」と言われたので、そろそろ治ってもいい頃かな。もらったお薬も明日の分までなので。

吐き気とかもだいぶなくなったみたい。こうなると、ホントは思いっきりご飯が食べたい。脂っこいラーメンとかヒレカツとかを無性に食べたいのです。そういうのは一番避けるべきものなんですが。

普段ラーメンを特に食べたいと思わないし、家でインスタントを食べる以外は、わざわざラーメン屋に行くなんていうことはしません。なのにこういうときに無性に食べたくなるというのも、なんだろ。


涼風

写真に罪悪感をもっている

2006年10月09日 | 絵画を観て・写真を撮って

「写真だけ撮って帰る群れ」 仏紙に邦人旅行批判 観光関係者に怒りととまどい(西日本新聞) - goo ニュース


これは典型的な西欧の日本の人への偏見だと思う。僕がドイツに留学していたときにも、こういう偏見は聞いたことがあります。

でもねぇ。観光地ではドイツの人もホントにパシャパシャ写真を撮っているのよ。


日本の人は大阪の人間はみんな商売とお金にがめついと思っているかもしれない。でもそんな日本の人も、世界中から見ればエコノミック・アニマルと言われ続けてきました。でも冷静に見れば、現代はほとんど世界中の人間が資本主義の病でお金にとりつかれています。

自分の嫌いな部分を誰かに投影したくなるんですよね。その場合なぜ大阪人・日本人が狙われたかと言うと、ヘラヘラへつらって笑うというイメージがあるからでしょうか。


先生

2006年10月08日 | 日記



きのうは体調を崩して一日中布団で寝ていました。近所のクリニックでお医者さんに診てもらったところ、「お腹の風邪」だったということです。

昨日の体調からして今日もずっと寝ていなければならないだろうなと思いましたが、朝起きるとかなりすっきりして、食欲も戻ってきた感があります。

今日は外出の予定があるのですが、もうすこし様子を見て、行けそうなら行きたいと思います。

昨日行った病院の先生は、かなり高齢っぽい人で、70歳以上だったかもしれません。客観的に淡々と診察してくれるのですが、その淡々さの中にも患者に対する親切さが滲み出ているような、いい感じの人でした。大袈裟にやさしさを見せなくても、根本的に人に親切な人柄で、それが滲み出てしまう、といった感じの人でした。わずか5分ほどの診察でしたが、印象的な人でした。

こういう方は、本当にお医者さんが天職なのかな、と思いました。科学的な客観性と人への慈愛心を両方兼ね備えているような印象でした。


涼風


今のほうがラク

2006年10月06日 | reflexion



最近は、明方4時、5時ごろによく目が覚めます。お腹が減っていることが多く、水と一緒にテーブルにある菓子パンなどをむしゃむしゃ食べたりしています。

私はよく夢を見ることが多いのですが、今日は父親と母親についての夢を、立て続けに見ました。子供の頃に感じていたような両親への不満が夢の中でものすごい感情として私の中から吹き出たような夢で、日中起きているときよりも体力と神経を使ったように疲れました。

自分は両親のことが好きで、あまり両親との葛藤を最近は感じていなかったのですが、自分の心の深層にはいろいろな感情があるんだなと思わされました。


涼風

にぎやか

2006年10月05日 | 見たこと感じたこと



私の家の近くには団地がたくさんあります。子供の頃に遊んでいた友達の多くは団地に住んでいました。今思えば、若い夫婦の家族が住むのにちょうどいい公団住宅が密集していたということなのでしょう。

おそらくその友達たちはすでに自立してどこかに行き、団地には老いた夫婦だけが残っているのかもしれません。団地の近くのショッピングセンターは、私が子供の頃は小学生や中学生の溜まり場でしたが、今では寂れ、多くの店が閉まり、活気はなくなり、かろうじて食品スーパーだけが残っています。

団地にもたくさんのヒビが入っています。

その近くを午後に歩いていると、人気も少なく、今日は曇り空で小雨も降っていたので、しーんとしている感じでした。

しかし、よく感覚を研ぎ澄ますと、団地の近くに植えられてある、あるいはんよきにょきと生えてきている植物はたくさんあり、緑が茂っています。静かな午後にその側を歩くと、その緑の多さに気づき、とてもにぎやかな感じがしました。


涼風

『最終講義 分裂病私見』 中井久夫(著) 2

2006年10月05日 | Book

「『最終講義 分裂病私見』 中井久夫(著) 1」からの続き


精神障害における“自己”

ここで、統合失調症と強迫神経症との違いを筆者は指摘します。

統合失調症と強迫神経症が類似しているのは、強迫性には「不安に対して意識性を高めて対抗しようとする」側面がある点です(徹底的な確認など)。

しかし強迫性ではこの「意識性の高まり」は決して限界を突破せず、つまり高まりすぎて意識がもはや機能しなくなるという事態には至らず、高まりの上限でストップして、痙攣的に“確認”を反復させます(45頁)。

それに対し、統合失調症とは、強迫性と同様に認識の“統合”を追求するのですが、その追及が度を越し、ついに認識システムが“失調”する状態です。「意識の高まり」が限界を突破してしまうわけです。

この限界を突破してしまったときに、たとえば睡眠障害などが起き、睡眠や夢のように自己が「ゆとり」をもって思考の働きを眺めるということが不可能になります。

強迫性においては、「自分をモニターしている自分」(46頁)という再帰性のシステムが、自動反復的に同じ経路をグルグル回っている状態(あたかもタイヤがぬかるみでスリップするように)だとすれば、統合失調症は、もはやこの「自分をモニターしている自分」というものが消え(タイヤが外れるように)、“自己”を正常に認識できなくなった状態を指します。

アメリカの精神科医サリヴァンは、統合失調症以外の精神障害は「セルフの偏った作動」であるが、統合失調症は「セルフ自体の崩壊」だと言ったそうです(54頁)。

このような「セルフ・システム」の機能の麻痺により、患者さんは自他・内外の区別が不明確になります。それは、「意識の天井が開いて青天井となり無限の高みに引き上げられる」または「奈落の底に墜落」(53頁)などと表現されます。二つは正反対ですが、共通しているのは、もはや地に足をつけて“自己”“他者”“世界”というものを認識することが不可能になり、訳の分からないカオスに投げ込まれたようなものでしょうか。

著者によれば、“自己”とは「意識の統一性と共時的・通時的な単一性との妨げになる“解離されるべきもの”を意識の外へ外へ汲み出す」ことによって“自己”を統一したものとして認識できるのですが、統合失調症では“自己”とそれ以外のものを識別する機能が麻痺しているので、この“解離されるべきもの”が一挙に意識の中に奔入してきます(54頁)。著者はこのときの状態を次のように描写します。

「解離された“馴染みのない”観念が出没し、意識はそれらに脈絡をつけ、まとめようとします。そのために意識性を高めようとします。つまり超覚醒状態に入ります。するとノイズを意味あるものとして拾ったり、些細な知覚を重大な事態の予兆として受け取ったりします。」(56頁)。

このときに患者は、強烈な《恐怖》を体験します。


慢性がもたらす困難

著者によれば、統合失調症における幻覚・妄想は、この恐怖を緩和させるために「生命」が逃げ込んでいる場だということです(58頁)。

恐怖とは、対象を明確に知りえていないからこそ起こる体験です(例えば幽霊や死など)。それに対し幻覚・妄想は、意識に対象を与えます。それにより恐怖の体験は和らぎます。思考システムが失調している中で、恐怖に身体が侵されている状況で、その恐怖をやわらげるために、幻覚・妄想を作り出しているということです。思考の失調の中でも、なんとか生命が生き延びるために、最後の手段=自然治癒力を繰り出しているのかもしれません。幻覚・妄想の方が、極度に恐怖に支配された身体からすれば、「ラク」だということです。

また、だからこそ、これらの幻覚・妄想を手放すことは、患者にとってはひじょうに怖ろしいことです。それは、また思考の混乱とカオスの中に投げ込まれることを意味するからです。ここに幻覚・妄想から抜けることの難しさがあると著者は言います(59頁)。

もっとも、この幻覚・妄想も、本来は“解離されるべきもの”が意識に現れているわけで、それゆえ“自己”という意識あるいは精神の統一性を妨げている意味で、患者にとって脅威であり、そこにもまた恐怖は生じています(60頁)。

こうみると、幻覚・妄想とは、少しは恐怖に慣れた状態だと言えるでしょうか。この状態は、しかし症状が重い時期に変わりはないので、いずれにせよ山なりの図で言えば頂上一体の位置にあります。頂上で、足場が揺らいでいる状況で、風に吹かれながらも、一応狭いながらも頂上という足場を得ているので、そこにうずくまって動かない状態です。動こうにも遭難しているので動けないし、たとえ不安定でも頂上にいればなんとか生きていけます。少なくとも本人はそう思い込んでいます。実際は食料が尽きかけ、天候は悪化しているかもしれませんが。

それに対し、頂上から降りることは危険を伴います。その過程では、幻覚・妄想を手放して、自分は世界をちゃんとは認識していないことを自覚する必要があります。“解離されるべきもの”が侵入しているカオティックな世界像が現れていても、その世界像を直視し、自分の思考システムが失調している事実を受け入れる必要があります。そのときはまさに、幻覚・妄想によってなんとか不安定ながらも維持していた偽の“自己”像を直視し、それが偽であることを自覚しなければなりません。自分が真実であると思い込んでいた世界が偽の世界なのですから、その際には言いようのない混乱と恐怖が訪れます。しかしその混乱を受け入れ、自分の認識システムが失調していることを受け入れなければ、それを正常に戻す作業に入ることもできません。

しかし、頂上から降りることができなければ、頂上にいて今は“何とかやっている”「統合失調症」君は、しかし頂上にずっといるため体力は疲労し、食料も少なくなり、動けなくなり、弱ってきます。また同時に、症状を治そうとする「回復」さんも、なかなか降りてこない「統合失調症」君を説得する気力を失っていきます。

「統合失調症」君も「回復」さんも疲れてしまったとき、そこには病気と回復とのせめぎ合いはもはや見られず、まるで「素人同士がだらだらと相撲を続けている」ような弱い力の釣り合いとなります(71頁)。

中井さんは、病気君と回復さんがお互い強い力でせめぎあっている時は、強い緊張状態であり、その時にはなんらかのきっかけでどちらかに針が振れやすくなり、場合によっては事態が好転する場合があるということです。逆に、弱い緊張状態で釣り合ってしまっているときは、症状が慢性的になり、回復し難くなります。

治療者の一つの役割は、この慢性的な状態を再度賦活させるところにあるのかもしれません。カウンセリングなどの特別な空間に意義があるとすれば、一見慢性的な状態にはまり込んだように見える患者を微細に見つめ、一見同じところをグルグル回っているように見える患者の心理の中で、それでもその堂々巡りから抜け出して回復へ向かおうとする動きを見つけるところにあると言えるしょうか。中井さんは慢性の統合失調症を看る治療者に次のようにアドバイスしています。

「慢性患者を慢性患者とみなすのを止めたらいろいろなものが見えてきて離脱への萌芽はその中に混っている。・・・無理をしてでも『慢性患者』というラベルを心の中で強引に剥がすのです。するといろいろな緩急が見えてきます。風の呼吸のような。
 実際、慢性分裂病状態は、睡眠障害と夢活動と身体化と、そして対人関係や日常生活の試みや思わぬ事件がからみあって展開する、きわめて複雑な過程です。慢性分裂病状態は絶えず揺らいでいます。その中に離脱のチャンスが、明滅する灯のように見え隠れしています」(76頁)。

この回復の動きは、慢性という仮の安定状態から抜け出して、混乱に満ちた自分の現実に再度向き合おうとする患者の動きです。それゆえ、そこには勇気と不安が入り混じった気持ちがあります。治療者の役割は、その不安を和らげ、勇気を出せるように導くことかもしれません。

このような慢性状態に関する考察を見ると、これは統合失調症に限らず、多くの心理的問題に共通する傾向のように思えます。慢性化は、たしかに本人にとって具合が悪いように感じられるのですが、同時に“それでもなんとなくやっていけるのでは”という希望を抱かせます。しかし、少なくない場合において、その楽観は打ち砕かれ、先延ばしにしていた問題に直面します。たとえば、銀行のバブル期の貸し出し超過のように。国家財政にも同じことが言えるでしょうか。

不確実の時代と統合失調症


さて、上でも記したように、中井さんは『分裂病と人類』において、この統合失調症を説明する際に、以前にこれと執着気質を対置させていました。私は精神医学には詳しくないのですが、印象では、この「執着気質」は強迫神経症と等値されるものだと思います。

統合失調症が中井さんの言うように“セルフ”の統一を追求しすぎて、世界のあらゆる兆候に意味づけ・因果連関による説明をつけようとする努力であるとするなら、それはどういう点で、執着気質と異なるでしょうか。

執着気質は「復興の論理」であり、“取り返しをつけようとする”態度であり、新しいものを見出すのではなく、元となる状態を想定して、それに近づけようとする努力とされています。

その“取り返しをつける”という想念に固執するとき、観念で描いた状態を人は何としてでも達成しようとします。そこには、“こうあるべき”という「世間」から受けた観念を追及する努力があります。言わば、与えられた課題を果たそうとする努力です。アイデンティティが与えられた課題と同一化してしまっているため、本来の“自己”が置き去りにされ、「世間」「社会」の課題が本人の思考を支配している状態と言えます(この「本来の」という言い方に拒否反応を持つ人もいるかもしれませんが)。しかし本人は、自分が“自己”を見失っているとは思っていません。「世間」「社会」と“自己”との区別ができず、「世間」「社会」のものである観念を“自己”と思い込んでしまっているのです。

この執着気質の場合、だからこそ、「世間」「社会」の側が現在のように混乱の状態に入ると、拠るべき観念が不確かであることが暴露されてしまい、執着気質者は拠りかかるものがなくなり、アイデンティティの危機に陥ります。

それに対し統合失調症は、執着気質者と異なり、世界の微細な変化を察知し、複雑な動きを認知します。世界からの情報を非常に細かく差異化して受け取るので、情報が多く複雑になります。この多く複雑な情報を分類して、“自己”と“他”とを選り分けることでアイデンティティを確立できるのですが、この“自己”の確立の際に、そのアイデンティティの特徴を社会から厳しく規定されてしまうような時代であると、情報の細かな選り分けができなくなります。

もともとあらゆる兆候をつかんでしまうので、インプットされる情報量は増えるのですが、その選り分けも本来は自分ですることで多量の情報を扱えるのに、アイデンティティのあり方を決められると、自分が行なおうとする柔軟な情報の選り分け=“自己”と“他”との区別ができなくなり、多量の情報の扱い方が分からなくなり、すべての情報が思考に入り込んでしまう。

しかし、現在のように時代が混乱し、どういう生き方が正しいのかが分からなくなると、社会からの強制がゆるやかになり、統合失調症親和者は、自分が吸収した情報を自由に自分で選り分け、自分に合った仕方でアイデンティティを確立することができます。それゆえに、新しい時代に適合した新しい人間のあり方を提示できる可能性を持つと言えるでしょうか。

僕自身は執着気質に近いように思いますし、僕の年代はそういう人が多いでしょう。学生時代にはまだ「いい学校に入り、いい組織に入ることが人生の成功だ」という観念が社会を支配していたからです。

しかし、おそらく優良企業への若者の執着という傾向はこれからも残ると思いますが、その執着を手放すことは、より若い世代にとってはずっと簡単になるのかもしれません。

「ニート」「フリーター」「ひきこもり」という行為類型を示す若者の出身階層は低所得世帯だと指摘する人もいます。それは本当かもしれません。これらの行為類型が貧困意識と過労という社会意識への抵抗だとすれば、それらの意識をよりダイレクトに態度で表現し生きることに疲れる人は低所得層に多いと考えられるし、そういう人に囲まれて育った人が「ひきこもる」確率が高くなるとも想像できます。

ただ、それとはべつに、「いい学校に入り、いい組織に入る」という規範を軽やかに手放すことができる人が増えているとすれば、単なる経済状態の函数とは言えない、これまでとは異なる倫理が生れているのだと思います。その倫理の担い手は、統合失調症親和者だと言うのは、図式的な議論でしょうか。


参考:「統合失調症はどんな病気?」 『高知県立精神保健福祉センター ~精神保健福祉について~』

   『看護のための精神医学』 中井久夫・山口直彦(著)

   加害の忘却と心的外傷 『関与と観察』中井久夫(著) 2

   加害の忘却と心的外傷 『関与と観察』中井久夫(著) 1

   『西欧精神医学背景史』 中井久夫(著)

   「分裂病と人類」「執着気質の歴史的背景」中井久夫(著) 2

   「分裂病と人類」「執着気質の歴史的背景」中井久夫(著) 1

『最終講義 分裂病私見』 中井久夫(著) 1

2006年10月05日 | Book


精神科医の中井久夫さんが著した『最終講義 分裂病私見』(1998)を読みました。著者が大学を退官するときに行なった講義だということです。

「あとがき」で1934年生まれの著者は、自分の世代の課題は「分裂病」であり、それを飛び越して何かをするということは時代と社会の要請する優先順位を無視することだったと述べています。著者が医師として活躍した時代はそのまま戦後日本の経済成長期に当てはまることは、「分裂病」すなわち統合失調症と製造業中心の経済成長期との相関を表しているでしょうか。

統合失調症親和者の微分的認知

『分裂病と人類』の中で著者は、「分裂病」=統合失調症の気質を「微分的認知」と表現しました。

微分的認知とは狩猟社会で発達した能力であり、それは「変化の傾向を予測的に把握し、将来発生する動作に対して予防的対策を講じるのに用いられる」能力です。そのため微分的認知の能力は、確実性の少ない荒野の中で獲物を認知し・また肉食動物の攻撃から身を守るために、視界の中の僅かな動き・音・臭いから動物の存在を察知します。

このような、世界のかすかな兆候から将来を予測する能力は、しかし戦後の経済成長期の社会に適応することは困難でした。

製造業中心の大量生産・大量消費社会において求められる能力は、「三種の神器」に代表されるような画一的な製品を生産・販売することであり、そこで求められるのは数の“積み重ね”です。求められるのは決められた課題を達成する地道さであり、正確さの追求です。

そのように確実性を強迫的に追求する時代では、かすかな兆候から動きを予測する微分的認知の機能は、所与となる規則的なデータから完璧な正解・結果を出力しようとするため、あらゆる動き=データが物事の原因となるという妄想を生み出します。

社会がカオティックであるとき、求められるのは厳密さの手前にある解答であり、“現実”そのものへの対応です。そのため微分的認知は、わずかな動きからある程度の答えを予測することで、現実的な解決策を提示できました。

しかし社会の動きを完璧に予測できるはずだという圧力が加えられていた戦後の経済成長期では、求められるのは“完璧”な答えです。そのような状況下では、微分的認知は、現実的・対応的な答えではなく厳密な“答え”を出そうとするあまり、あらゆるデータを因果的に結びつける妄想を抱きます。

こうして、因果的な厳密さと確実性を求める時代では、あらゆる兆候から答えを導くという能力が仇となり、「分裂病」親和者は統合失調症を発症させます。

(このあたりの中井さんの議論は、「「分裂病と人類」「執着気質の歴史的背景」中井久夫(著)」“joy”で紹介しました)


ただ“一般”の世界にいる私から見れば、統合失調症というのは必ずしも馴染みのある病気ではありません。それは、統合失調症というものの極端な症状しか私たちは知らないからかもしれません(例えば映画
『ビューティフル・マインド』で見られるような)。いずれにせよ、患者さんと実際に関わっているわけでもなく、身近にその病気を発症させた知り合いがいるわけでもない者からすれば、統合失調症が発症させる“妄想”というものは想像し難いものがあります。

むしろ多くの人、とりわけおそらく日本の人にとっては、中井さんが「分裂病」=統合失調症に対置させる「執着気質」の方が馴染み深いのではないでしょうか。中井さんは「執着気質の歴史的背景」(『分裂病と人類』所収)という論文で、この「執着気質」を「復興の論理」と位置づけ、規範と正確性を尊重するこの気質が戦後の経済成長を支えた事情を描写しています。

現代は、このような規範と正確性への執着では対応し得ないカオティックな時代に移行していますから、そのため多くの執着気質者は、自分の受けた教育(大企業・官庁などに入り、決められたことを正確にこなせば幸せになれる等)と時代とのずれに悩み、“鬱”になっています。

それに対応して、金融が産業の中心となり、また消費者の趣向がつねに変化する現代では、一瞬の経済の動きから先を読む能力がより求められるため、分裂気質者が以前より生きやすい時代となっており、ある臨床心理士の方の話では、分裂病は以前よりもその発症数が減っているそうです(もっとも、これには薬の発展もあるのでしょうが)。


心の自由度

ともかく、この『最終講義 分裂病私見』は、「分裂病」=統合失調症が最大の課題であった時代にそれに取り組んだ精神科医が、その病気の特性と、発症から回復までのプロセスについてコンパクトに語ったものだと思います。

まず発病の急性期(急に症状を発して病気の進み方が速いこと)に見られる特徴として、「心の自由度」が非常に低いこと(p.18)。それは例えば、絵画療法において「自由に描いてください」と言われても、「自由というのが分からない」と答える患者さんもいたそうです。

著者は、このような「心の自由度」の低さ、例えば診察の場面で絵画を自由に描けないことの意味を、「絵画療法の場を共有できない」=「一般化すれば対人関係の場を他者と統合しにくい」「接点というか折り合いをみつけにくい」ことの表れと捉えます(p.18)。

これは、あらかじめ患者さんに絵画療法を断る自由を与えておいて、患者さん自身が絵を書くことに同意したにもかかわらず、絵を描けないときのことです。

このような自由度の低さは、統合失調症の方が、世界のあらゆる兆候を意地になってでも関連付けて因果的に説明する傾向とつながっているのだと思います。著者は急性期の患者さんのつらさを次のように想像します。すなわち、「自由度」が低いため、世界で起こるすべての出来事や内面での印象や観念や思考の動きを“偶然”とは思えず、すべてが恐ろしい“必然”になってしまうのです。あたかも、世界全体が自分に襲いかかっているような「世界の不条理」です(p.23)。

「心の自由度」の低さがこのようにすべてを関連づける妄想へとつながります。逆に言えば、統合失調症(無理にでもすべてを関連づけて人格の統合を試みる症状)の回復は、“偶然”“ハプニング”といったものが存在すると思うことができる「ゆとり」があるかないかがキーポイントになると言えます。

この統合失調症の回復に関して、著者は面白い比喩を一つ挙げています。

統合失調症に罹る、すなわち「心の自由度」を失うことは、例えば山での遭難に例えられます。

先に統合失調症の患者さんは面接者と場を共有して自由に絵を描くことが困難になる、すなわち他者と同じ場にいて心のゆとりを保つことが困難になると述べました。

同じように、山で遭難した場合、パーティ内部の人間間の対立により「ゆとり」がなくなり、「ハプニング」を受け入れる余裕を失うそうです。つまり「ゆとり」とは、対人関係の状態によってその有無を測ることができるということです(p.25)。

統合失調症との闘いは、道を見失って遭難することに相当します。「ゆとり」を失い、他人と場を共有することが難しくなり、すべての出来事が自分の存在を脅かすような妄想に囚われます。著者は病気になる人のことを、「遭難しかけた時に山頂のほうに向かって避難しようとする人」と比喩します。患者さんは、病が始まったときにはすでに山頂におり、しかも一人で下りることができません。

「登りに力を使い果たし、疲れはてて、道は尽き、目標を見失って、外部の目からは幻の山頂といわばいえ、当人にとっては四方が断崖の絶壁にいるのです」(26頁)。

これに対して回復とは、山を下りる時に似ており、治療とは山岳遭難救助だとのことです。

とても分かりやすい比喩だし、これは統合失調症だけではなく、他の多くの心の病にも当てはまりそうな気がします。

治療が山岳遭難救助であれば、治療者は遭難者と同様に山を登る=病と闘うプロセスを理解する必要があります。自分で追体験できるだけの困難な経験の蓄積、または想像力を有す必要があると言えるかもしれません。遭難者以上に、病に罹ったときの心的状態を知っており、その状態を知りながら、同時に回復に至るプロセス=山を下りる道を知っている必要があります。

遭難者が山から下りれないからといって、「下りる気がないからだ」と言って叱咤して突き飛ばしたり、自分には関係ないとして一人でさっさと下りてしまったりしては、救助できません。救助者は患者の手を握りながら、山の下りですから、一歩一歩確かめながら下りる必要があります。山は、登るときよりも、下りるときのほうが神経と足腰の筋肉を使います。

夢の役割

このような統合失調症の回復は、睡眠障害が緩和されるときにその回復が始まっていることがわかるそうです。ただこの回復期に見る患者さんの夢は、「最初は不定形のヘドロのような悪夢、それから怪物などが登場する悪夢、そして人物が登場する悪夢」へと変わって行き、その後次第に夢が「淡く」なるそうです。またそれにしたがって、眠りが深く、めざめ心地がよくなるといいます(27頁)。

ここで中井さんは、少し話の脇道にそれて、「夢の健康度」について次のように私見を述べています。著者によれば、健康な夢とは、「生々しい夢でも朝目覚めると一、二分以内に、いやたいていは数秒で内容が急に色あせ単純化され、言葉に仕立て直されてストーリーが生れ、それから、おおよそ二時間以内にストーリーがあらすじだけになり、ほぼ正午までにテーマあるいは表題だけになるもの」だということです。(30頁)

また、先に統合失調症の患者さんはすべての世界の兆候に無理にでも関連づける傾向を紹介しましたが、その反対である「自由な」一貫性のない夢は、健康度の高い夢になるそうです。例えば「断崖に追いつめられたかと思うと、場面が一瞬にいちめんの花園になる」など、場面とストーリーがガラっと変わるような夢ですね。筆者によれば、統合失調症の患者さんにはこれがとても少ないということです。

夢とは、

 1 前日に見聞きしたこと
 2 目覚めそうなときに見聞きしていること
 3 こだわっているために消化されず、日常でも無意識を通じて私たちの思考と行動に影響を及ぼしている想念

の三つから成り立っているという話を別のところで聞いたことがあります。1と2が夢に現れた場合は、たとえそれが象徴の形を採っていても、なぜ夢に現れたかを推測するのが比較的容易です。しかし3の場合は、普段わたしたちが気づいていない無意識の想念が、夢として現れていることになります。

統合失調症の患者さんのように、夢の中で場面展開が激しく《ない》ということは、その人の頭ではつねに一貫した論理が頭の動きを捕らえているということであり、それだけやはり思考の「自由度」「ゆとり」を日常において持っていないということになります。

逆に言えば、私たちの精神は、一つの論理に囚われていず、偶然やハプニングをそれとして流すことができるほど、健康と言えるでしょうか。中井さんは次のように言います。

「ひょっとすると、実際の人生でも時々ハプニングや飛躍があるから成り立っているのかもしれません。そういうものがないと必ず暗いほうに行ってしまうのではないかと思います。一貫した人生がいけないといっているのではありません。花が好きで好きで植物学者として生涯を全うした人などはすばらしいと思います。しかし、無理に一貫させるというのはどうでしょう。特に病気というのは『人生の仕切り直し」の機会ではありませんか』(31頁)。


臨界期の身体症状

ともかく、回復期には睡眠が次第に深く、心地よくなります。著者が言っているわけではありませんが、それはおそらく、思考に柔軟度が生まれるほど、意識は“今ここ”に向かうようになり、身体感覚が思考から解放されるからじゃないでしょうか。身体の感じている疲労を、思考の邪魔を受けずに、自己がそのまま感じることができ、眠りが深くなるのでしょうか。

このように意識が、現実から解離した論理を追い求めずに、その時々に身体や脳が体験していることに微細に注意が向く(「意識の縁辺にあることを意識する」)ようになることが回復期の特徴のようです(「やっぱりいやだなぁ」とか「これはちょっとちがうのではないか」など)。

またそのように意識の方向づけが柔軟になるに従い、著者は、患者さんは「パラタクシス」的な思考の秩序を受け入れることができると言います。つまり、すべてを因果的に関連づけるのではなく、「せんせいも家へ帰ればただの人」などのように、・・・だけど~というように思考することができる、と(35頁)。

また回復期は身体が思考の支配から解放される時期ですから、身体症状が現れる時期だとも言われています。逆に言えば、急性期には身体症状がなさ過ぎるのだ、とも(37頁)。

このことは、見方を変えれば、統合失調症の発症に向かう過程で、何らかの身体の症状が出れば、発症を抑えられる可能性があることを示しています。

統合失調症では、発病する時期と回復する時期の両方で身体病が出るそうです。中井さんはこの時期を「発病時臨界期」と「回復時臨界期」と呼んでいますが(41頁)、統合失調症は本来はなんらかの身体病を伴うものなのでしょう。しかし、「ゆとり」のなくなった思考が身体までも支配してしまうと、身体病は後景に退き、精神の病気だけが突出するのかもしれません。

ちょうど山なりの図の頂上近くが統合失調症の重い時期だとすると、山を上がる前と下りるところに線が引いてあり、その線上付近だと身体病が出ると言えるでしょうか。

「臨界期」において身体病が出ている間は、まだ思考よりも身体の感覚が勝っている状態ですから、精神の病を抑えている状態なのかもしれません。中井さんは、この「臨界期」は寺の出入口を守る仁王様みたいなもので、急性の統合失調症という苦しい状態が起こらないように、身体疾患で食い止めようとしているのではないかと述べています(43頁)。

このことは、人間には、統合失調症に至らないように何らかのエネルギーを入力するシステムが備わっているという推測を導きます。そのエネルギー入力が例えば身体病として現れるわけですが、ともかく身体の感覚が思考よりも勝っている状態を作り出すシステムと言えます。中井さんはそのシステムとして考えられるものの候補とは、「発病の時に最後のあがきのように乱れた活動を示すもの」、また「回復の折にまっさきに現れるもの」であり、それを順に示すと、「睡眠」「夢活動」「心身症」「意識障害」「死」だと述べます。後に行くに従い、有害性が増加します。


「『最終講義 分裂病私見』 中井久夫(著) 2」に続く

丁寧に対応してもらう

2006年10月04日 | 日記



先輩に頼まれたある短い原稿を書いていて、参考文献をチェックするためにネットで探したところ、神戸市内の某大学に探していた二つの文献が同時にあることが分かりました。その大学図書館に学外者の利用について聞いたところ、公立図書館の紹介があれば可能ですということ。

そこで、公立図書館に行き、相談コーナーで、べつの図書館の本を見せてもらうための紹介状を出してくれるよう頼みました。

僕はてっきりその場で判子でも押してすぐに出してくれるものと思い込んでいました。しかし、係の人は、まずその文献が公立図書館にないかを調べ、また僕が希望していた大学とは別の大学にはないかも調べます。

神戸大学にもあり、そこは閲覧は自由なので、そちらに行ってくださいとのこと。そこでなんだか僕は少し腹が立ってしまいました。

こちらがわざわざ前もって別の大学にあることを調べて、なおかつその大学図書館に連絡して利用方法についても聞いていたのに、いきなり「別の大学に行ってください」と言われては、こちらの計画はどうなるのだ?という思いです。

僕は「探したい文献はその大学に同時に置いてあるので調べるのに便利だから、そちらの大学図書館への紹介状をお願いします」と言いました。

それからもなお係の人は奥の部屋に入り、なにか調べものをしていて、こちらに出てきてくれません。

ここで僕は少しイライラして、一体何にそんなに時間がかかるのか不思議になります。その場で事務的にさっと紹介状を貰えると思い込んでいた僕は、意外に時間がかかることにイライラしました。


ただ、紹介状をもらう段になって、件の係の人が、神戸市以外の公立図書館にその本がある場合は、なるべくそちらを利用して欲しいこと(もっとも、公立図書館の図書を一括に検索するシステムは存在しないそうです)、また大学、とりわけ私立大学の図書館は敷居が高いので最後の手段だと思って欲しいことを丁寧に説明してくださいました。

このときの係の人の対応が親切で丁寧な印象だったので、僕の気持ちもおさまって、最後に気持ちいい関係になったなぁ、と少し晴れ晴れしました。

まぁ、ようするに僕がイライラしたのも、「すぐに紹介状を出してもらえるはずだ」という思惑通りに行かなかったので、こっちの勝手でイライラしてしまったのですが。相手に嫌な思いをさせてしまっていたら申し訳ないです。最後の相手の親切な説明を思い出すと、その係の人のほうがぼくよりもずっと大人でした。


涼風