昨日はとても天気がよく、神戸市立博物館の「オルセー美術館展」を観に行きました。
博物館に着いたのは3時過ぎか半頃。開館は5時までですが、神戸の美術展ですから、ぼくはすぐに見終わる程の量だろうと思っていました。
僕は美術についての知識は何も無く、ただヨーロッパを旅行したときに、なかば義務のように感じながら当地の美術館をちらほら回ったことがある程度です。そのときも、たしかに絵に感動することはあるのですが、同時に旅疲れで足が痛くなり、「早くコーヒーが飲みたいなぁ」とかよく思っていました。
今回の美術展は19世紀末のフランスを中心とする絵画展です。
館に入ると人がとても多いのにびっくりしました。
最初の1階のコーナー、「親密な時間」では、人物画が飾られていました。人の多さに戸惑いながらも、なんとなく絵に惹きこまれて行きました。
お母さんがゆりかごのあかちゃんを見つめている絵では、絵全体からその場のやさしさが伝わってくるようです。赤ちゃんのまわりを囲む布の繊細さや、母親がゆりかごに書ける手の優しさが伝わってきます。とてもおだやかで(ベルト・モリゾ「ゆりかご」1872年)す。
女の子が猫を抱え座っている絵では、女の子のかわいらしさと衣装の綺麗さもさることながら、猫を抱きかかえる手と体が、猫に配慮して優しく包み込むようでした。猫のやわらかさとそれに対応した人間の体の柔らかさが伝わってくるようでした(ピエール=オーギュスト・ルノワール「ジュリー・マネ」1887年)。
凛とした成人女性を真正面から描く絵もありました。体の肉付きのよさが衣服のふくらみを通して伝わり、表情は悩んでいるのか怒っているのか真剣なのかよくわかりませんが、何か真面目です。
部屋の隅っこに女性を座らせている絵もありました。隅っこなので見ていてなんだか窮屈です。しかしそれでもじっと見ていると、その隅の背景にある板や壁の色のコントラストが一つの調和を生み出し、そこに女性が座っていることも、何か当たり前の構成のようでした。
こういうように見た絵の印象を全部書いてみたいですが、さすがにそれは大変そうなのでやめておきます。
次は「Ⅱ 特別な場所」です。
人物画も面白かったのですが、私はこのコーナーのほうにより惹かれました。場所が描かれている絵を見ていると、最初はその色や構図にはっとします。そしてじっとみていると、自分が画家たちのいたまさにその場にいるような錯覚を感じることができます。
だって本当に画家は目の前にあるその風景を見てその絵を描いたのです。その絵を見る私たちが、今いる場所を離れ、その絵を描いた場にいるように感じるのも、自然のことのように思います。
暗闇の港では、月明かりの綺麗さを感じながら、暗闇の中でも活動する船や人を感じ、建物の明かりに人の存在を感じます。
のどかな川のほとりでは、昨日のようなぽかぽかしたお日様があり、多少の退屈さと気持ちよさを感じながら人は歩いています。船が動く音も聞こえてきそうです。
フランスの田舎では、きれいな空と自然に囲まれ、ゆったりとした時間と、乏しい物資と、しかしそれを当然と感じる空気があります。自然と、田舎の古ぼけ建物と、広がる空と、いい天気。
絵を見ていると、絵を見るというより、その絵を描く人たちがいる場に身を置いて、その世界を感じるようです。
そういうようにじっと見ていると、全然全部の作品を観ないうちに閉館時間が来ました。まだまだこの美術展はやっているので、また来たいと思います。
涼風