淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「雪掻きのphilosophy」

2021年01月09日 | Weblog
 フランスの作家で思想家のアルベール・カミュの書いた随筆のなかに「シーシュポスの神話」という作品がある。二十歳ぐらいのときに初めて読んだ。
 そのときはそれほどの感銘を受けたわけではなかったのだけれど、たまに引っ張り出して読むうちに、少しずつではあるがカミュの言いたいことが分かってきた。

 シーシュポスは神を欺いたことで神々の怒りを買ってしまう。そして彼は神々から罰を受けることになるのだ。その罰とは大きくて重い岩を山の山頂にまで押しながら運ぶという過酷極まりないものだった。
 シーシュポスは、必死に岩を全身で押し上げながら、やっとの思いで山頂へと運び上げる。しかし、その大きくて重い岩は山頂まで運び終えたその瞬間、無情にもまた下へと転げ落ちてしまうのだ。
 それは何度やっても同じになる。必死の形相で岩を頂上まで運び上げてもそれは終わらない。必ず岩は転がり落ちる。何十回、何百回、何千回、肉体がぼろぼろになり、息が出来ないほどの疲労感と徒労感が襲おうと、その不条理な行為は果てしなく続いてゆく。

 なんという無意味な行為だろう。生産性もなく達成感すら得られない。これほど残酷で希望のない苦役はあるのだろうか。神とはなんと無慈悲で冷酷なんだろう。

 「シーシュポスの神話」とまではいかないけれど、雪国の冬に行われる「雪片付け」もまたこの苦行に似てなくもない。
 いずれ融けてしまう雪を、あえて毎朝毎晩、必死の形相で片付けるという、ある意味、なんの生産性もない過酷な作業を、雪国に暮らす人間は永い冬の間にやり続けなければならないのである。体調がすぐれなかろうが風邪気味だろうが眠かろうが疲れていようが、雪は一切降るのをやめてはくれない。
 そして、何度片付けても何度棄てても、雪はお構いなしに今日も降り続けて積もってゆく・・・。

 1月9日、とうとう青森市内の積雪量が1メートルを超えて104センチまでになった。
 もう雪を片付ける場所がない。雪を棄てるところがもうないのである。何処にも。でも、なんとかするしかない。

 今日も朝起きて、葛藤が始まった。
 「雪片付け、面倒くさいなあ。ほっといて、スポーツジムでも行こうかな。でもなあ、近所の手前もあるしなあ。ああ、やだやだ」
 天使と悪魔が喧嘩する。身体も疲れてきた。

 それでも気合を入れて、防寒具に着替えて外に出た。
 雪を片付ける個所は大きく分けて三か所ある。
 自宅前。それから駐車場が二か所。これがキツイ。
 
 外に出てみると、今朝も数十センチの雪が積もっていた。昨日も一昨日も必死で片付けたのに・・・。もうこんなに降ったのかよ!

 とにかく、やるしかない。
 重い水分の含んだ忌々しい雪の塊をまとめて、それを雪捨て場まで何度も何度も何度も何度も運ぶことを繰り返す。
 マスクをしていると酸欠気味になってくるので、鼻のところまでずらして大きく息を吸い込み、休まずに「雪掻き」をし続ける。
 約2時間。下着がビッショビショだ。
 吐く息が白い。ハアハアハア・・・。
 汗が滴り落ちてくる。

 ふいに、空を見上げた。
 すると、いきなり曇天の空が割れて、見たこともないような真っ青な青空が広がったのである。
 ああ、青空だ! 太陽が眩しい!

 とても澄み切った、濁りも汚れもない、正真正銘の青空!
 もちろん、周辺には雲の群れも所々流れてはいた。でも、青空の一定部分を占めていたのは、まさに、成層圏まで届きそうな、真冬の透明な大気の彼方に刻まれた純粋無垢な青だった!

 額に流れる汗を拭いながら、思わず笑みがもれた。
 人生なんて一瞬で変わるんだ。景色なんて心が決めるんだ。
 ここ数週間の荒れた気分も、ほんのちょっとした一瞬の変化で様変わりしてしまうんだ。
 こころなんて、気分なんて、気持ちなんて、なんていい加減で、浮気者で、勝手気ままで、不埒で、適当で、気紛れなんだろう。

 それでも、そんな純粋無垢な青空も、雪片付けが終わって、汗を流そうと沸かした家の風呂からあがったころにはすっかり消えていて、いつものような激しい吹雪が外で息巻いていた。

 でも、いいじゃないか。
 こうやって、生きていくしかない。
 ちっちゃな幸せのひと欠片を見つけたら、それを暫くの間、糧にして、なんとか毎日をやり繰りしながら、無様でもこうして生きてゆくしかないじゃないか。









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「こころの冬」⑦

2021年01月08日 | Weblog
 雪塗れ。

 昨日の木曜日も2回、雪片付けをした。夕方1度片付けて汗まみれ。そのあとテレビ朝日、武井咲主演ドラマスペシャル「黒革の手帖~拐帯行(かいたいこう)~」を観てから(確かに武井咲は美しかったけれど相手役がイマイチで、ドラマとしてはまあまあの出来栄えだった)、また外に出て雪を片付けた。

 夜10時の外は猛吹雪。気温もかなり低い。
 そのなかを、片付け終えてまだ数時間しかたっていないというのに、もう数十センチも積もった新雪を、またせっせと片付ける。
 いつまで続くんだろう、この雪は・・・。

 そんな大寒波が日本列島を包み込み、各地で大雪の被害が続出しているというのに、なんと、北海道の帯広市では、7日、今冬初の積雪が観測されたのだとか。これまで最も遅かった1983年より大幅に遅い初積雪となったらしい。
 なんなんだ? これもまた。
 とにかく異常気象である。暑さと寒さが極端にブレすぎる。

 1時間ほどで雪掻きを終え、汗が染みた下着を脱いで蒲団に入って深夜のTVニュースを観る。
 アメリカでは米連邦議会議事堂にトランプ大統領の支持者たちが乱入して死者も出るという異常事態だし、日本でも、いよいよ8日から新型コロナウイルス蔓延で1都3県に「非常事態宣言」が発令されるし、世界はいったいどうなっていくんだ? まるでカオスである。

 深夜のニュースを観終え、テレビを消して目を瞑った。
 今度は除雪車が家の近くで除排雪作業をし出したらしい。家が少しブルブルと振動している。ドドドドという音がいつまでも鳴り響く。
 これでまた、眠れない・・・。

 うとうとしながら朝を迎えた。
 1月8日金曜日、1都3県に「非常事態宣言」が発令された1日目となる寒い朝。
 窓から外を恐る恐る覗いてみた。またかなりの雪が積もっている。まったく、もう・・・。

 テレビを点けて朝の報道番組を観ながら起き上がる。
 お天気コーナー担当の綺麗なお姉さんが、東京の街の映像をバックに、全国の今日のお天気情報を告げている。
 東京の朝は雲一つない快晴だ。東京タワーとその先の高層ビル群がキラキラと眩しい朝日に輝いている。
 でもテレビの綺麗なお天気お姉さんは、「都内の朝はかなりの冷え込みで北風も冷たいです」と、こっちに向かって優しく笑いかけてくる。

 いいじゃん。雪が積もっていないだけ。ホワイトアウトにならないだけ。過酷な雪片付けをしなくてもいいだけ。東京は幸せだよ・・・。

 結局、金曜日の日中も雪は激しく降り積もる。
 午後3現在における積雪量は91センチ。気温はマイナス7度。
 あと9センチで1メートル越えだ。







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これは面白かった! いま話題のNetflix配信ドラマ「クイーンズ・ギャンビット」。全7話、とにかく一気見です!

2021年01月07日 | Weblog
 1月4日と5日に「東京ドーム」で開催された、お正月恒例となる「新日本プロレス」の「WRESTLE KINGDOM 15 in 東京ドーム」大会。
 今回もテレビ朝日系で深夜に放送されたので、これを観る。まあ、どうせ眠れないのだ。起きているなら、それなりに時間を有効に使うべきだ。寝不足が続いたら、いつか我慢できずに爆睡するだろう。

 「WRESTLE KINGDOM 15 in 東京ドーム」、IWGPヘビー級とIWGPインターコンチネンタルのダブル選手権試合である。
 前日、内藤哲也を下して二冠王者となった飯伏幸太がジェイ・ホワイトと戦った。テレビでは、2夜連続で、内藤哲也戦とジェイ・ホワイト戦を放送した。

 結局、飯伏幸太が勝利。
 個人的に飯伏が好きなので、結果は良かったけれど、東京ドームでの試合、いつものように歓声がまったくなく(もちろんコロナ対策のためですが)、拍手だけなので、やっぱり盛り上がりには欠けてしまう。
 仕方ないのだが・・・。

 そして、遂に観ました。
 いま、巷で話題沸騰のテレビドラマ、「クイーンズ・ギャンビッド」だ。
 このNetflix配信ドラマ「クイーンズ・ギャンビッド」、なんと、公開されて約1カ月で、配信された全63か国でランキングの第1位を獲得してしまったのだという。
 ドラマではチェスを扱っているのだけれど、このチェス自体の売り上げも、ドラマが配信されてから各国で倍増しているらしく、ドラマそのものの評価もすこぶる高い。

 簡単に物語を言い切っちゃえば、チェスの世界で伸し上がってゆく天才少女の物語ということになるのだろうけど、面白さがとにかく半端じゃない。
 これって、よくある「スポ根ドラマ」のイイトコ取りなのである。まるで、面白い「スポ根」漫画を読んでいるような爽快感。
 映画に例えると、「ロッキー」シリーズを観ている感じだろうか。

 「クイーンズ・ギャンビット」の物語の舞台は60年代アメリカ。
 両親を亡くし、一人だけ生き残った主人公のベス・ハーモン(アニャ・テイラー=ジョイ)は「孤児院」での生活を強いられ、孤児院が強制的に飲ませる精神安定剤の依存症に苦しんでいた。
 ところがある日、ふとした切っ掛けで、孤児院の地下室で独りチェスに興じている用務員の男性からチェスの手ほどきを受けることになったベス・ハーモンは、瞬く間に頭角を現し、全米各地のチェス大会で破竹の進撃をしてゆく・・・。

 まず、主人公のベスに起用された女優アニャ・テイラー=ジョイの演技が素晴らしい。目力が凄い。
 依存症に苦しみ、数多のプレッシャーに心を引き裂かれ、母親の死に対するトラウマに苦悩する。そして、次から次へと困難が襲い掛かる。

 1話が約1時間で全7話。
 途中、少しダレる箇所もあるにはあるが、ラストの、緊張感溢れるチェスの大試合を山場に、物語は一気呵成に走り抜ける。
 当然、途中で観るのを止められなくなる。

 とにかく面白いです、ドラマ「クイーンズ・ギャンビット」。
 









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ユーミンのニューアルバム「深海の街」を聴く。今日は久しぶりに太陽と青空を見た。でも明日からは最強寒波が襲うらしい・・・。

2021年01月06日 | Weblog
 青い空だ。それから太陽が雪の街を照らしている。
 こんな光景、久しぶりに見た気がする。ずっと真冬日が続き、凍えるような寒さがこの街を何日も包んでいたからだ。

 それでも凍てつくような寒さは相変わらずで、束の間の晴れ間も、明日からの最強寒波の襲来前のちょっとした静けさのような気がしないでもない。
 でも、まあいっか。
 お日様を浴びて、青空を望むことが出来たんだから。

 今日から仕事始め。
 7時前に目が覚め、朝食も摂らずに車を出して大学に向かう。
 昨日の夜、家の前を除雪車が入ったので、慌てて飛び出し、雪を押し出した。いつまで続くんだろ、この苦行・・・。

 挨拶を済ませ、パソコンのメールをチェックして、新年の挨拶回りに出掛けた。
 弱々しい太陽が輝いてはいるけれど、マイナスの気温は変わらないので、車道の雪も融けるまでには至っていない。

 車の中で移動中、ユーミンを聴く。
 去年の暮れ、12月1日にリリースされた「深海の街」である。
 今年の9月からは、全国60公演に及ぶコンサートツアーも組まれていて、アルバムの中に購入者限定ツアーチケット先行応募抽選シリアルコードが封入されていた。まだ申し込み期間とはなっていないけれど、「リンクステーション青森」でもコンサートが開催されるらしい。

 当然、行きます。2022年の3月ですが。
 青森市で開催されたユーミンのコンサートは、荒井由実時代からすべて観てきたし、盛岡にも仙台にも、そして東京でも「シャングリラ」を含めマメに通って来た。

 最新作「深海の街」は、ユーミンにとって、前作の「宇宙図書館」から約4年振り、通算39枚目となるオリジナル・アルバムということになる。
 そうかぁ。
 ファースト・アルバム「ひこうき雲」を除いて、2枚目のアルバム「ミスリム」から、すべて発売日に買って来た熱狂的ファンの一人としてはとても感慨深いものがある。

 リリース情報の受け売りだけれど、今回のアルバム・タイトルとなった「深海の街」は、2018年ベルリンを訪れた際に、「脳内リゾート」というアイデアを元に発想し仕上げた作品ということで、PVも素晴らしい出来栄えだった。
 「これはユーミン、復活か!」と、かなり期待をして今回のアルバムを何度もリピートして聴いたのだけれど、やはり昔の、煌びやかでポップでソフィスティケートされた、あのキラキラしたユーミンではもうなくなっている。

 しかし、それは仕方がないことなのかもしれない。
 年齢とともに深みが増し、今のコロナ禍の時代を反映していると言ったら、その通りだろう。環境というテーマが底にあることも十分わかる。アーティストだって変わり続けるのだ。素直にその変化を変化として楽しむしかない。

 でもなあ。
 やっぱり、あの頃の、時代と一緒に全速力で走っていたユーミンの世界が懐かしくてたまらない。
 結局、「ミスリム」を聴き、「コバルト・アワー」を聴き、「昨晩お会いしましょう」を聴き、「パール・ピアス」を聴き、「DA・DI・DA」を聴いてしまうのだ。

 ただ、今回の「深海の海」、いい楽曲もたくさんあることはある。
 個人的に好きなのは、「1920」、「ノートルダム」、「Good! Morning」、そして「深海の街」あたりだろうか。

 「どんな天気でもかならず朝は来る」、「忘れていたってかならず今日は過去になる」、「君は夢見ているの苦しみのない世界」・・・。

 確かに、グッとくる。










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キムタクが主演したフジTVドラマ「教場Ⅱ」前後編は、去年の前作より数倍面白かった。キムタク、君塚良一、中江功、このトライアングルが鉄壁だ。

2021年01月05日 | Weblog
 1月3日、1月4日の2日間、2夜連続で放送された、新春ドラマスペシャル木村拓哉主演ドラマ「教場Ⅱ」がすこぶる面白かった。
 前作の「教場」も当然観ていて、確かに前作もかなり面白かった。長岡弘樹のミステリー小説「教場」シリーズを原作にしていて、警察学校という特殊な場所に焦点を当て、若い生徒たちが抱えている秘密や屈折した心理を暴き出し、警察学校を卒業するまでを描いていた。
 今作もまた、前作と同じようなストーリーだ。
 前回から2年後の警察学校が舞台となる。

 キムタクは、神奈川県警警察学校の教官、風間を演じていて、非情で自分の感情を表に出さず、徹底的に生徒たちを追い詰め、何らかの問題が露呈すると生徒たちを崖っぷちへと追い込み、「君にはここを辞めてもらう」と最後通告を突きつける。

 とにかく、脚本が素晴らしい。そして演出もいい。
 脚本は君塚良一。あの「踊る大捜査線」シリーズを書いた君塚良一だ。
 監督が中江功。これまたキムタクと月9「プライド」(このドラマは本当に傑作だった!)でタッグを組み、「Dr.コトー診療所」なんかのドラマも演出している。

 ドラマの至る所に小さな伏線がいっぱい散りばめられていて、それらはすべて最後までに回収される。
 最初、観ていて、「うん?」と思うようなシーンが何度も出て来るのだ。「えっ? このセリフ、なんか意味あんの? それともただの意味ないやり取り?」
 でも、すべてのセリフに意味があって(当たり前か)、疑問は全部ちゃんと拾われてゆく。

 ここからはネタバレになるので、まだ観ていない人は読まないで欲しい。
 ラスト、警察学校の卒業式の場面が描かれる。風間教官が生徒のひとり(濱田岳)と別れの握手をした際、突然こんなことを濱田岳に囁く。「私の右目のことで覚えがあるな」と。
 そしてエンドロール。
 「えっ? さっきのキムタクの囁き、なんだったの? これでドラマ、終わりなんだけど・・・」

 ところが、エンドロールが終わっても、まだドラマは続いてゆく(見逃していたらどうなってたんだよ!)。
 衝撃のラストだ。そこで、キムタクが囁いた「私の右目のことで覚えがあるな」の意味もようやく分かる。

 これって「Ⅲ」があるってことじゃん!
 それにしても凄いラストだった。吃驚してしまった。
 「教場Ⅱ」前後編、去年の一作目より数倍面白い。久しぶりに観ました、骨のあるTVドラマ!

 そして今日は1月5日火曜日だ。
 相変わらずの真冬日。憂鬱な灰色の雲が街を覆っている。

 今日で長かった休みも終わって明日からはまた仕事が始まる。じゃあ、「スポーツジム」でも行きますか。ということで、雪片付けを終え、午前11時45分から始まる「ヨガ」に出た。

 「ヨガ」を終えて帰ろうと思ったけれど、これまで一度もやったことのない「EJ light」というエクササイズをやってみようと思い立ち、そのまま再度スタジオ入り。
 「EJ light」、始まるまでどんなものなのかもまったく知らなかった。

 やって吃驚。
 なんと、「NiziU」の「Make you happy」の曲に合わせて踊るのである!
 まさか・・・。
 でも、リズムに乗って来ると、それなりに恥ずかしさが消え、どうにでもなれやという居直りもあって、中々癖になる。っていうか、愉しい。
 もちろん「NiziU」の「Make you happy」だけじゃなくて、色んな「J-POP」系のダンス・ミュージックが次々とスタジオに流れ、それに合わせてインストラクターの振り付け通りに身体を動かすのだ。
 エアロビクスに似てなくもない。

 「EJ light」で薄っすらと汗を掻き、「さあ、今度こそもう帰ろう」と思ってスタジオを出たのだが、次が「シェイプ・ザ・ボクシング」とのアナウンス。
 じゃあ、これもやっちゃうか。
 結局、3エクササイズを連続して行った。クタクタである。

 外に出たらもう夕暮れだ。
 疲労困憊が一番いい。余計なことを考えなくなる。生きることの意味なんて思わなくなる。

 徹底的に馬鹿になりたい。徹底的に阿呆になりたい。
 なれないけど・・・。










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「こころの冬」⑥

2021年01月04日 | Weblog
 真冬日が続いている。
 雪がひたすら降っている。
 太陽が見たい。青空を仰ぎたい。光の中をランニングしたい。

 今日は1月4日、ほとんどの組織では「仕事始め」。でもこっちの「仕事始め」は6日からなので、朝起きてゆっくり軽めの食事を摂り、歩いて青森駅前の「青色申告会」まで出向き、パソコンの申告用ソフトに打ち込んだ「2020年確定申告」をUSBで提出した。

 その前に、「郵便局」に立ち寄って、昨日、「第97回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)」の復路を観ながら書き上げた「寒中お見舞い」のはがきをポストに入れる。
 それにしても、「復路」10区でのラストのデッドヒート、トップを走る「創価大」との3分19秒差を逆転して13年ぶり7度目の優勝を果たした「駒沢」は凄かった。

 でも、目線は自然と創価大のアンカー小野寺勇樹(3年)のほうへと向いてしまう。
 駒大のアンカー石川拓慎(3年)が残り2・1キロ付近で奇跡の逆転したその凄さに感服するというよりも、目の前の優勝を最後の2キロで覆されてしまった創価大のアンカー小野寺勇樹の辛い心情に思いを馳せてしまうのである。

 もちろん、創価大の陸上部の仲間たちは、2位に甘んじてしまったことに対して一切非難をすることなく、彼の必死の努力を心の底から讃えるに違いない。それでも、ひねくれて物事を斜めからしかみることが出来ないこういう哀しい男は、逆にこんなふうに考えてしまうのだ。
 辛いだろうな、抜かれた本人は。
 それまで1位を保ってきた仲間たちに対して、申し訳ない気持ちで心が張り裂けそうになっているだろうな。そして、ラスト2キロ手前であっさり抜かれてしまったことを、一生彼は悔い、そのことを思い続けるんだろうなと・・・。

 まあ、いいか。
 そういう挫折を乗り越える、最後の一発逆転が残されているからこそ、人生は面白いわけで。
 負けるな、創価大のアンカー小野寺勇樹。
 そんなことを考えながら凍てつく街を抜けて家に帰り、また雪掻きに興じた。
 もう飽きてきた。うんざりしてくる。でもやるしかない。

 雪片付けを終えて、午後になった。
 今日からまた「スポーツジム」が開いている。車を出して午後2時15分から始まる「ヨガ」に参加する。
 更衣室の体重計で体重をはかったら、なんと数キロも増えているではないか。ジムがやってなかった年末年始の間だって、毎日雪掻きして汗掻いてるんだけどなあ・・・。

 「ヨガ」の前にバイクを漕ぎながら、インターネット・ラジオで「ソウル・R&B」をチョイスしてヘッドホンを点けながら汗を流す。
 ジムの2階の一面硝子窓から外が見える。雪がこれでもかというくらい降っていた。

 「ヨガ」を終え、お風呂に入り、15分の「揉み機」でリラックスしてからジムを出た。もう夕方近い。
 ほんの少しだけれど暮れゆく時間が遅くなってきた気がする。
 大雪で狭隘になった車道は渋滞が起こっていた。ずっとノロノロ運転が続いている。

 「X JAPAN」のYOSHIKIが軽い鬱に罹って治療を受けていたとのニュースが流れた。そうかあ。あのYOSHIKIでも鬱になったりするんだぁ。
 好きな音楽で大成功を収め、アメリカのLAの豪邸に暮らし、なんにも不自由なことなんてない暮らしをしている、あのYOSHIKIでさえも・・・。

 そしてまた、あっという間に夜になった。
 今日は、ホテル青森で5時半から「新年交歓会」。密になるのも怖いので、終了後早々と会場を出た。

 また少しずつ、言いようのない空虚感や寂寥感や淋しさが襲って来た。
 考えるな。そっちのほうに焦点を合わせちゃだめだ。前向きに物事を考えろ。いいじゃないか、こういう人生で。何にも不足なんてないだろう。

 夏目漱石が書いていた。「余は一人で行く。行き尽いた所で斃(たお)れる。それでなくては真に生活の意味が分からない。手応えがない。何だか生きているのか死んでいるのか要領を得ない」と。
 漱石は四十七歳で亡くなった。

 ちょっとずつ。ちょっとずつでいい。元気を出そう。否定的な言葉や思考は頭の中から葬ろう。
 俺はやれる。俺はまだやれるんだ。俺は一人で行く。腹を括れ。行き尽いた所で斃(たお)れよう。それまで徹底的に楽しもう。謳歌しよう。笑って生きよう。好きなことをして生きていこう。
 そんなことはわかってる。言葉ではちゃんとわかってる。でも、これらもまた、ただの言葉でしかない。ただ言葉の世界に酔ってるだけだ。それだったら駄目なんだ。ちゃんと自分の身体に刻み込まないと。

 「ホテル青森」から、厳寒の夜の街へと出た。
 痛いくらい冷たい地吹雪が、誰も通っていない夜の歓楽街を激しく舞っている、1月4日の身を切る寒さに震える夜の街。

 ポケットに入れた拳を強く握り、その凄まじいまでの寒さに歯を食い縛って耐えながら、独りぼっち、ほとんどのネオンが消えているコロナ禍に萎む夜の繁華街をゆく。








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デビッド・フィンチャー監督による映画「Mank マンク」。モノクロ映画でゲイリー・オールドマンも熱演してはいるけれど・・・。

2021年01月03日 | Weblog
 それにしても今年の雪は異常である。
 まだ1月に突入したばかりだというのに、もう70センチ以上も雪が積もっている。心底うんざりする。これだとマンションに住みたいという人たちの気持ちも十分わかる。っていうか、本気で雪のない街への移住を考えたくなる。雪さえ降らなきゃ、いい街なのに・・・。

 年末年始に放送された民放全番組の中で、元日放送されたテレビ朝日系「芸能人格付けチェック!2021お正月スペシャル」第2部(後6・00~9・00)が平均世帯視聴率22・8%で全番組のなかでトップを獲ったらしい。
 確かに面白かった。

 GACKTがとにかく凄かった。神がかっていた。そして、GACKTのパートナーがなんと倖田來未。彼女もまた凄かった。
 二人とも全問正解である。
 倖田來未の「もうほんまに、倒れそうになるくらいの緊張感の中での収録でした」とのコメントが載っていたけれど、GACKTの、あまりのプレッシャーで円形脱毛症になるという意味もこれでよく分かる。

 そんなわけで、年末年始は「雪掻き」以外は、テレビのお笑いやヴァラエティーばっかり観ていたけれど、「芸能人格付けチェック!2021お正月スペシャル」以外で面白かったのは、TBS系「ドリーム東西ネタ合戦2021」での「千鳥」の漫才だろうか。
 これには笑った。なんか、前にも聞いたことのある「ネタ」だったような気もするけれど、それでも何度も笑ってしまった。
 さすが「千鳥」。この漫才もまた神がかっている。

 年末年始の映画は「ネットフリックス」三昧。
 「ネットフリックス」オリジナルの新作映画が充実し切っていて、それが映画館でも次々と上映されるからたまらない。
 話題作が多すぎて、さすがに観切れないほどである。

 まずは映画「Mank マンク」。
 この映画にはかなり期待した。
 なんといっても、監督が「セブン」、「ファイトクラブ」、「ソーシャル・ネットワーク」、「ゴーン・ガール」のデビッド・フィンチャーだったからだ。しかも、6年ぶりのメガホンときている。期待するなというほうが無理である。

 主演はゲイリー・オールドマン。不朽の名作「市民ケーン」の脚本家であるハーマン・J・マンキウィッツを演じている。
 映画史に残る傑作といわれている、オーソン・ウェルズ監督の「市民ケーン」(1941)の誕生過程を、ハーマン・J・マンキウィッツの視点で描いてゆく。

 1930年代のハリウッド黄金期。映画脚本家のマンクは、アルコール依存症に苦しみながら、締め切りが近づく中、「市民ケーン」の執筆に追われていた。
 映画はオーソン・ウェルズが監督と主演などを務める新作映画だった。しかし彼の脚本は思うように進まず、マンクは焦り、苦悩してゆく・・・。

 映画「Mank マンク」は「ネットフリックス」で2020年12月4日から配信されていて、一部の映画館でも11月20日から劇場公開された。青森県内の一部映画館でも上映されていた。
 もちろん、こっちは「ネットフリックス」で観ました。

 で、その評価だけれど・・・。
 うーん。イマイチだった。期待外れに終わった。
 モノクロの画面はシックで、当時のハリウッド黄金時代の雰囲気を十分に醸し出してはいたけれど、映画自体それなりに淡々と抑揚なく進み、後半戦の盛り上がりもほとんどない。

 これ、デビッド・フィンチャー作品なの?
 別に「セブン」のような緊張感や「ベンジャミン・バトン」のような波乱万丈なんて期待していなかったけれど(というか、まったくジャンルが違っているわけでして)、もっとハーマン・J・マンキウィッツの苦悩とか、オーソン・ウェルズとの火花散るカラミのシーンがあるのかと期待していたのに・・・。

 残念。







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外は猛吹雪。二重窓の外硝子がガチガチに凍っているそんな寒い日。部屋で独り聴くのはマット・バーニンガーの「Serpentine Prison」。

2021年01月02日 | Weblog
 ブログを4か月ぶりに再開したら、いつものように色んな方からの「足跡」が付くようになった。
 つまり「6時間以内にアクセスした人」というのが「goo blog」の「アクセス解析」の中にあって、そこに「訪問中」の人が表示されるのだ。もちろん、顔も見たことがない、見ず知らずの人がほとんどだ。

 昨日も、県外に住んでいるらしい何人かの「足跡」が「goo blog」の「アクセス解析」にあった。その人たちの「ブログ」を逆に検索してみた。
 自撮りの写真が載っていて、雪のまったくない晴れ渡った空のもと、バイクでツーリングしている写真なんかで埋め尽くされている「ブログ」や、散歩しながら撮っているらしい、様々な野鳥の姿を捕らえた綺麗な写真を何枚も掲載している「ブログ」なんかがあったりして、読んでいて心がすーっと軽くなる。

 「6時間以内にアクセスした人」を逆に辿って行って、その人の「ブログ」を読んでゆくのって、楽しい。
 その人の人生のほんの少しの「かけら」を見つけながら読んでゆく。だぶん、会うこともない、見知らぬ他人でしかないのだけれど、それでもどこかでちゃんと繋がっている、そんな感覚が嬉しいのである。

 そして、この街は、1月2日もまた氷点下でぶるぶる凍えている。
 来週はこれ以上の大寒波がやって来るというのだから、溜息しか出てこない。いやいや、止めよう、マイナス思考は。
 前向きに物事を捉え直そう。
 人生を立て直すんだ。

 今日もまた午前中に雪掻きをして、あとは静かに部屋で寛いで過ごした。
 かなり外は冷え切っていて、ここ数日、二重窓の外硝子はガチガチに凍ったままだ。それほど寒いのだ。

 マット・バーニンガーの「Serpentine Prison」を聴く。去年の秋に出たアルバムだ。ジャケットがあまりに素晴らしいので、衝動で買ってしまった。
 「Serpentine Prison」は、ロック・バンド「ザ・ナショナル」のヴォーカリスト、マット・ バーニンガーのソロ・デビュー・アルバムである。R&B/ソウル界の帝王、ブッカー・T・ジョーンズがアルバムのプロデュースしているというのも、渋い。

 枯れた感じで、渋さが漂っている、いいアルバム・ジャケットだ。
 御多分に漏れず、音もまた、このアルバム・ジャケットが醸し出している雰囲気をそのまま踏襲している。
 「Amazon」のアルバム・レビューで、「コロナの秋には寂しすぎる」というリスナー・コメントがあったけれど、確かにそう思う。もちろん、今はもう冬だけれど・・・。

 使っている楽器群を極力少なくして、ミニマムなサウンド・スケープを造り出している。
 気怠く呟くようなマット・ バーニンガーのヴォーカルが、暖房の効いた部屋の中を静かに流れてゆく・・・。

 肩の力を抜くんだ。悪いことは起こらない。必ず、どこかに希望はあるはずだ。
 身体を鍛え、知性を磨き、来るべき明日に備えよう。
 堂々と胸を張れ。振り返らずに前だけを見ていこう。

 なんとか、なる。
 小さいことにくよくよするな。
 正直に生きよう。







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「こころの冬」⑤

2021年01月01日 | Weblog
 片付けても片付けても、雪が降る。
 2021年、元旦の朝も好きな雑煮を食べてから家の周りを雪片付け。今日は思っていたほど雪が積もってはいなかったので、約1時間でなんとか終わった。とにかく毎日雪片付けをしていて、腕に付けている「アップルウォッチ」が勝手に「ウォーキング中」になって時間やカロリー量を表示してしまうほどだ。

 昨日の夜も少し家の前だけを片付けて、あとは日テレの「ガキ使【絶対に笑ってはいけない大貧民Gotoラスベガス24時】」を観て過ごした。
 まあ、「ガキ使」、完全にワンパターンといえばワンパターンなのだが、やっぱり笑ってしまう。
 それにしても、女優の菅野美穂が凄かった。さすがである。もちろん、何度も笑ったけれど、それよりなにより、その女優魂というか半端ない弾け方に感動すら覚えてしまった。

 1月1日は午前中に雪片付けを終えて、車を出して西部方面にある「モスバーガー」に行って珈琲を飲む。お正月ということもあるのか、店内はガラガラだ。
 「モスバーガー」の店内の窓から外を眺める。
 猛吹雪である。完全なるホワイトアウトだ。ニュースでは今回の大寒波が去っても、また7日前後から今回と同規模の大寒波が襲って来ると伝えていた。

 じっと冬を耐えるしかない。
 ひたすら雪を片付けるしかない。異常な寒さに耐えるしかない。そして、来るべき春を待って生きるしかない。
 必ず、春はやってくる。
 寒さも雪も、それからこの憂鬱な空も、それがどう自分の中で感じるか、どう解釈するか、すべてはこころの持ちようで決まる。

 午後は部屋で、「確定申告」の書類を書く。
 BGMは「プリンス」。
 年賀状を去年から出さないと宣言したのに、それでも何通もの年賀状が届いていた。明日、「寒中見舞い」のハガキを買ってきて、返事を書かなければならない。

 青森市の積雪量は、1月1日午後1時現在で64センチ。気温はマイナス5.7度。
 地吹雪が舞っている。真っ白な冬の街。1月1日の静かな冬の街。
 珈琲を淹れて一息つく。

 なんとかなる。
 なんとかするしかない。
 いずれ、すべては終わって無に帰る。
 あらゆるものは、うたかたのなかで消えてゆく。ただ、それだけだ。

 苦しくても、今日を頑張って生きてゆくしかない。
 できれば、幸せに・・・。








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