苦しい時、辛かった時、いつも心の支えだった一人の先輩が突然この世を旅立ち、なにか凄く大きな支えを失ったような気分に塗れ、呆然と立ち尽くしている自分がいる。
数年前、人生で一番辛かった時期に、体を張って陰から後押ししてくれた、男気に溢れる大先輩だった。与えてくれるアドバイスも的確で、絶えず壁になって降り注ぐ相手の凶器を防いでくれた。
逝ったことを知った時は一瞬絶句してしまったけれど、それでも、なりふり構わずやってくる「雪片付け」みたいな雑務をこなしていると、ふと、無念にも逝ってしまったその大先輩のことを忘れている自分がいることに気づいて、「はっ」とする。
死者を引き摺ったままで、人生を生き続けることなんて出来ない。人間はそれほど残酷で不義理な生き物なのだ。
それでもまた、心の中に深く刻まれた他者との記憶や触れ合いや助けられたことは、一生忘れることなくこの躯体にしっかりと残っていて、過酷な人生を生きる上での助けになり、掛け替えのない地図になる。
いずれ、誰もが死んでゆく。永遠の生などあり得ない。
オギャーと生まれた時からすべての人間は平等なのだというのは嘘っぱちで、みんなそれなりのハンディキャップを背負ってこの世界に降りて来る。
生まれた時点で環境は皆それぞれ違っていて、人種や国や地域やよっても大きな違いが生まれてくる。
生まれた時点で、既にフルマラソン42.195キロの10キロ地点を走っているものもいるし、逆に、スタート地点にすら立てないものだってたくさんいる。いや、そういう人間のほうが圧倒的に多いと思う。
世界で最も裕福な26人が、世界人口のうち所得の低い半数に当たる38億人の総資産と同額の富を握っていて(国際NGO「オックスファム(Oxfam)」の発表)、どんなに頭脳明晰で身体能力に優れ、機転が利き、心優しい優れた人間であったとしても、親の援助が叶わずに大学さえ通えず、無念にも夢を諦め、悔いと失望のなかで生きている人間を何人も知っている。
世の中は、地位とか肩書とか家柄とか財産とかがその人自体を推し量る大きな目安になっている。
地位や肩書が凄いと(何をもって凄いのかはよく分からないけど、偉いという言葉を使う人もいたりする。何をもって偉いのかもまた、よく分かりませんが)常に持て囃され、周りは平伏し、媚びへつらい、機嫌を取る。
ところが、そんな「偉く」て「凄い」人間が、その地位や名誉や肩書や財産を失うものなら、世の中という奴は一瞬で掌返しをして背を向け、場合によっては背後から鉄砲を撃ってきたりする輩までいたりするのだ。
それでも、背後から鉄砲を撃たず、排斥もせず、いつもと変わらぬスタンスを保って見守ってくれる人間もまた、必ずこの世界には存在する。
もちろん、純粋無垢だとまでは思わない。打算や計算だって少しはあるのかもしれない。だとしても、救いの言葉を投げかけ、場合によっては行動をし、敵の弾丸から身を守ってくれる人間が、少なからずこの世界には存在しているのだ。それこそが、ぼろぼろに傷つき、絶望の真っ只中にいる人間の支えとなる。
そしてそんな時にこそはっきり見えてくるのだ、世の中という、理不尽で無慈悲で救い難き世界の全貌が。
優雅に生きること。それこそが最大の復讐だ。
昨日の夜も、いつものように眠れず、テレビ朝日の人気番組「アメトーーク!」を観ていた。「40歳過ぎてバイトやめられない芸人」というテーマで、「鬼ヶ島」や「5GAP」なんかの、どちらかといえばそれほどメジャーじゃない芸人たちが集合して、本業だけでは食べて行けず、アルバイト生活をしながらブレイクすることを夢見て頑張る姿が、面白エピソードとして語られていた。
「40歳過ぎてバイトやめられない芸人」を観ていたら、MCゲストの「よゐこ濱口」や「ケンドーコバヤシ」が、その売れない芸人たちのあまりの健気さと夢を追い掛けるピュアな姿に涙していた。こっちも思わず泣いてしまった。
ああ・・・オレは自分の夢を叶えることが出来なかった。
そして今も、そんな自分にもがき苦しんで喘いでいる。
それに比べて、この芸人たちの、なんと素晴らしく真っ直ぐな生き方よ(そりゃあ、生活苦や挫折感も想像を絶するくらいあるだろうけど)。
観終わっても気持ちがなんだか高ぶって眠れず、「ipad」でネットを見ていたら、先般このブログでも書いた、武正晴監督の映画「アンダードッグ」が、「毎日映画コンクール」で日本映画優秀賞、男優主演賞、撮影賞、録音賞の最多4冠を獲得したというニュースが載っていた。
やっぱり、素晴らしい映画は、ちゃんとみんなが評価してくれるんだ。
勝者がいる。
普段から地道に努力し、絶対に夢を諦めず、きちんとした戦略を立ててそれを実行し、日々精進する。何度挫折しても起き上がり、決して悲観主義に陥らずに前を見据え、毎日の勉強を怠らない。
それが勝者だ。
一方に、敗者がいる。
努力をすることなく慢心し、夢は諦めたとうそぶき、きちんとした戦略を立てているにも拘らずそれを実行せずに怠け、日々安易な道へと逃げ込む。一度挫折するとそこで挫け、なんでも悲観的に見てビビりまくり、夢を叶えるための勉強なんてほとんどやらない。
それが敗者だ。負けた人間だ。
数年前、人生で一番辛かった時期に、体を張って陰から後押ししてくれた、男気に溢れる大先輩だった。与えてくれるアドバイスも的確で、絶えず壁になって降り注ぐ相手の凶器を防いでくれた。
逝ったことを知った時は一瞬絶句してしまったけれど、それでも、なりふり構わずやってくる「雪片付け」みたいな雑務をこなしていると、ふと、無念にも逝ってしまったその大先輩のことを忘れている自分がいることに気づいて、「はっ」とする。
死者を引き摺ったままで、人生を生き続けることなんて出来ない。人間はそれほど残酷で不義理な生き物なのだ。
それでもまた、心の中に深く刻まれた他者との記憶や触れ合いや助けられたことは、一生忘れることなくこの躯体にしっかりと残っていて、過酷な人生を生きる上での助けになり、掛け替えのない地図になる。
いずれ、誰もが死んでゆく。永遠の生などあり得ない。
オギャーと生まれた時からすべての人間は平等なのだというのは嘘っぱちで、みんなそれなりのハンディキャップを背負ってこの世界に降りて来る。
生まれた時点で環境は皆それぞれ違っていて、人種や国や地域やよっても大きな違いが生まれてくる。
生まれた時点で、既にフルマラソン42.195キロの10キロ地点を走っているものもいるし、逆に、スタート地点にすら立てないものだってたくさんいる。いや、そういう人間のほうが圧倒的に多いと思う。
世界で最も裕福な26人が、世界人口のうち所得の低い半数に当たる38億人の総資産と同額の富を握っていて(国際NGO「オックスファム(Oxfam)」の発表)、どんなに頭脳明晰で身体能力に優れ、機転が利き、心優しい優れた人間であったとしても、親の援助が叶わずに大学さえ通えず、無念にも夢を諦め、悔いと失望のなかで生きている人間を何人も知っている。
世の中は、地位とか肩書とか家柄とか財産とかがその人自体を推し量る大きな目安になっている。
地位や肩書が凄いと(何をもって凄いのかはよく分からないけど、偉いという言葉を使う人もいたりする。何をもって偉いのかもまた、よく分かりませんが)常に持て囃され、周りは平伏し、媚びへつらい、機嫌を取る。
ところが、そんな「偉く」て「凄い」人間が、その地位や名誉や肩書や財産を失うものなら、世の中という奴は一瞬で掌返しをして背を向け、場合によっては背後から鉄砲を撃ってきたりする輩までいたりするのだ。
それでも、背後から鉄砲を撃たず、排斥もせず、いつもと変わらぬスタンスを保って見守ってくれる人間もまた、必ずこの世界には存在する。
もちろん、純粋無垢だとまでは思わない。打算や計算だって少しはあるのかもしれない。だとしても、救いの言葉を投げかけ、場合によっては行動をし、敵の弾丸から身を守ってくれる人間が、少なからずこの世界には存在しているのだ。それこそが、ぼろぼろに傷つき、絶望の真っ只中にいる人間の支えとなる。
そしてそんな時にこそはっきり見えてくるのだ、世の中という、理不尽で無慈悲で救い難き世界の全貌が。
優雅に生きること。それこそが最大の復讐だ。
昨日の夜も、いつものように眠れず、テレビ朝日の人気番組「アメトーーク!」を観ていた。「40歳過ぎてバイトやめられない芸人」というテーマで、「鬼ヶ島」や「5GAP」なんかの、どちらかといえばそれほどメジャーじゃない芸人たちが集合して、本業だけでは食べて行けず、アルバイト生活をしながらブレイクすることを夢見て頑張る姿が、面白エピソードとして語られていた。
「40歳過ぎてバイトやめられない芸人」を観ていたら、MCゲストの「よゐこ濱口」や「ケンドーコバヤシ」が、その売れない芸人たちのあまりの健気さと夢を追い掛けるピュアな姿に涙していた。こっちも思わず泣いてしまった。
ああ・・・オレは自分の夢を叶えることが出来なかった。
そして今も、そんな自分にもがき苦しんで喘いでいる。
それに比べて、この芸人たちの、なんと素晴らしく真っ直ぐな生き方よ(そりゃあ、生活苦や挫折感も想像を絶するくらいあるだろうけど)。
観終わっても気持ちがなんだか高ぶって眠れず、「ipad」でネットを見ていたら、先般このブログでも書いた、武正晴監督の映画「アンダードッグ」が、「毎日映画コンクール」で日本映画優秀賞、男優主演賞、撮影賞、録音賞の最多4冠を獲得したというニュースが載っていた。
やっぱり、素晴らしい映画は、ちゃんとみんなが評価してくれるんだ。
勝者がいる。
普段から地道に努力し、絶対に夢を諦めず、きちんとした戦略を立ててそれを実行し、日々精進する。何度挫折しても起き上がり、決して悲観主義に陥らずに前を見据え、毎日の勉強を怠らない。
それが勝者だ。
一方に、敗者がいる。
努力をすることなく慢心し、夢は諦めたとうそぶき、きちんとした戦略を立てているにも拘らずそれを実行せずに怠け、日々安易な道へと逃げ込む。一度挫折するとそこで挫け、なんでも悲観的に見てビビりまくり、夢を叶えるための勉強なんてほとんどやらない。
それが敗者だ。負けた人間だ。