淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「冬の、おわり」

2021年01月24日 | Weblog
 たぶん、このまま終わってゆくんだろう。

 結局、作家にはなれなかった。この先も無理だろう。
 満足できる小説を書くことが出来なかったし、そもそも遅筆でだらだらと書きあぐねながらここまで来てしまった。
 幾つかの小さな賞は貰ったけれど、そこから先はもうほとんど何も書けず、無理して原稿用紙のマス目を埋めることだけに専念して来た気がする。
 心底、楽しんで書いたという記憶がない。
 書くことがある意味苦痛だった。
 だったら止めればいいのに、小説で身を立てたい、作家として世に出たい、この街から出来るだけ早く脱出したい、そんな邪(よこし)まなことばかり考え、純粋に物語を紡ぎたい、心の底から湧き上がって来るものだけを真っ直ぐ書いてみたい、そういう純粋な気持ちがいつの頃からか無くなってしまったのだと思う。

 毎日、毎晩、ひたすら彷徨っている自分がいる。
 小さなことにくよくよ悩み、気を張り詰めている自分がいる。
 あまりにも敏感に他人や物事を眺めて暮らしているから、気が休まるということがない。絶えず頭の中を思考が沸き上がり、妄想を繰り返し、ああでもないこうでもないと考える。それには心底疲れ果てる。
 見た目は堂々としているように見えるのだろう。颯爽と、そしてまるで敵なしと世の中を歩いているように見えるのだろう。
 よくそう言われることがある。「いいですねぇ、好きなことをたくさんやって。仕事も順調だし、本まで出して」。
 でも、何をやっても心底喜べない。もっともっと上がある気がして、自分自身に納得できないのだ。だから人生に対しても満足できない。

 たぶん、このままこうして終わってゆくんだろう。
 たぶん、人生を十分楽しめないまま、生きたという実感がないまま、こうして無様に終わってゆくんだろう。そう思う。

 だったら、今まで生きてきた人生って、いったいなんだったんだ? 
 優雅に生きることこそが、あいつとあいつとあいつに対する心からの復讐ではなかったのか?
 そうかあ。優雅になんて生きれなかった、つまりそういうことか。

 今日の日曜日、朝から北国の空は青空が広がっていた。
 どんなに大雪が降ってもどんなに地吹雪が舞ってもどんなに氷点下の日々が続いても、いつか必ず雪は止み、冬は終わって春がやって来る。

 それでも今日は、心がざわめく。生きていることに疲れ果てる。
 なぜ、勝つべき人間が負けて、負けるべき人間が勝つのだろう? 
 うまく立ち回った人間だけが微笑み、真っ当な生き方で世の中を歩こうとする人間が悲しむのだろう?
 世界は不寛容で残酷だ。無慈悲で冷酷だ。

 それにしても、この晴れ渡った今日の青空はなんなんだ?
 悲しいほどのお天気だ。
 
 そうかあ。優雅になんて生きれなかったってことは、俺は結局負けたんだ、この自分自身って奴に。








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