淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「こころの冬」⑨

2021年01月17日 | Weblog
 今日も仕事が終わったのが午後の6時過ぎ。一日中、立ちっ放しだったので腰が痛い。
 車に乗り込んで「外環状線」へと向かったら、アクセス道路は昨日と同じく大渋滞。昨日はあえて逆回りをしてスイスイと走れたのに、今日は少し選択を間違えた。
 人生の、ここぞという場面でも選択をよく間違えるけど・・・。

 市内の郊外にある3大学から一斉に車が吐き出されたために起こった大渋滞だろう。日曜日の夜だというのに何処までもノロノロ運転が続く。
 でも、「外環状線」から市街地に抜けたら、そこからは楽に走ることが出来た。夜7時には帰宅。明日は「健康診断」があるので夕食はあえて食べずに横になる。

 「大寒」を前に、少し寒気が緩んできたようだ。三寒四温とはよく言ったものだ。確かに、夕方の5時前まで外が明るくなって来た。春までもうちょっとだ。
 そしてまた、心も季節とおんなじように「三寒四温」が続いている。

 ひとり天井を見上げながら、またいつもの空想に耽る・・・。
 今の仕事を辞める時が来たら、小さな店を開くことを昔から心に決めている。何十年間にも渡って買い集めたCDアルバムをBGMで流しながら、ひとりで店を切り盛りしたい。たぶん、店は暇だろうから、訪れるお客さんと映画や音楽や文学なんかの話をしたり、あとは静かにミステリー小説でも読んで好きな音楽を聴きながら一日を過ごしていこう。
 赤字はしょうがない。っていうか、赤字だろう。でもいいや。その日を食べて行けさえしたら、それはそれで。あとは何も求めない。
 店が休みの日は、海辺をランニングしたり、映画を観に行ったり、街を散歩しよう。穏やかにやってくる日々を生きていこう・・・。

 こうして、いつかは死んでゆくのだ。無になるのだ。人生を閉じるのだ。終わりを告げるのだ。
 その人生は楽しいものだったんだろうか。満足できるものだったんだろうか。幸せな人生だったんだろうか。後悔はないだろうか。

 それにしても、なぜ、突然のようにあんな圧倒的な勢いで耐え難い寂しさや虚しさが襲ってきては、まるで猛烈な台風みたいに色んなものをなぎ倒してゆくのだろう。いつも。
 それがよく分からない。

 ちゃんとしなければ。丁寧に毎日を過ごさなければ。覚悟を決めて困難に立ち向かってゆかなければ。計画を立て、生半可な日々を生きることをやめなければ。
 でないと、また襲って来るに違いない、あの「黒い塊」に太刀打ちできなくなる。生きてゆくのに耐えられなくなってしまう。
 ちゃんとしなきゃな。
 嵐に備えよう。

 ・・・って。
 またなんて馬鹿な妄想を今日もまたしてんだろ・・・。







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