淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「そんな、夏の終わりかけの土曜日にー」

2007年08月18日 | Weblog
 朝の5時に目覚ましが鳴った。
 今日は、仕事場のランニング仲間たちの恒例イヴェント、「八戸・青森間 100キロリレー(そういう正式名があるのかどうか、よく分かりませんが)」に飛び入り参加して途中の一区間を走る日。

 同じ部局のDちゃんが車で家まで迎えに来てくれることになっているので、待たせちゃ悪いと早めの起床。
 歯を磨いて顔を洗い、現地で着替えるのも面倒なので、家から走る態勢で待つことに。

 I君とDちゃんと、スタート地点の八戸駅から走る一区のNさんという女性と一緒にワゴン車に乗り込み、いざ出発!
 コンビニエンス・ストアでおにぎりとペット・ボトルのお茶を買い込み、走る前に軽めの食事を済ませる。

 「みちのく有料道路」を通り、東北町を抜け、三沢市に入って八戸市まで。
 空はどんよりと曇っていて、少し肌寒いほどだ。それにしても、あの数日前の異常な暑さは何だったんだ? そして昨日と今日の、この涼しい気温は。
 落差が余りにも激し過ぎる。

 仙台からの始発の新幹線が到着する、ちょうど8時37分に八戸駅の改札口をスタート。
 ランナー全員で記念写真を撮り、一区のNさんの疾走を見送った。
 車にそれぞれが別れて乗り込み、中間地点で走って来るランナーを激励しながら、伴走する形でタスキの受け渡し地点を目指す。

 僕は、「おいらせ町」にある大型ショッピング・モール「下田ジャスコ」前から、三沢市付近までの約5キロを走る事に。
 みんな走る前は、「ゆっくり走るから」とか「試合じゃないんだし気楽に走ろう」なんて言っていたのに、本番になるとそれなりにハイ・ペースな走りをする。
 これだもんなあ。みんなズルいよなあ。

 前者からタスキを貰い、いよいよ次の人が待つポイントに向かってスタート!
 いきなり、なだらかな上り坂が続く。
 東北本線と並行するように走り続ける。キツイ。自然とハイ・ペースになっていて、息がもう上がっている。ちょっとヤバいかも・・・。

 コースの途中に、たくさんのモテルが立ち並んでいて、ちょうど10時過ぎということも手伝ってか、何組ものカップルが次々と出口から出て来る。
 何なんだよ! みんなラブラブじゃん! こっちは独り七転八倒しながら激走してるっちゅうのに! 
 全然、こちら側には眼中にないようで、平気でキスするカップルもいるし!

 後半はガクンとペースが落ち、やっとの思いでゴール・イン。
 でも走る仲間たちが途中で何度も車から声援を送ってくれて、それが凄い励みになった。
 ご苦労様でしたと、I君から貰った冷たいスポーツ・ドリンクがとても美味い。

 こちらは無事に役目を終え、午後の所用が控えているため、一足お先に三沢駅から列車で青森へと向かった。

 午後、所用を終え、最終ゴールとなる青森駅へと急ぐ。
 多分、予想では夕方の4時半頃に最終ランナーが青森駅に到着するということなので、とりあえずの状況をDちゃんに携帯で聞いてみる。あと20分ぐらいでゴールということなので、まだ少し時間がある・・・。

 海に出た。
 青函連絡船「八甲田丸」が停泊しているその先の、海と市内と八甲田連邦が一同に俯瞰出来る、列車の引込み線が終わる場所に備え付けられた木製ベンチ。その上に腰を掛け、ぼんやりと周りの景色を眺めた。

 心地よい海風がランニングで火照った体を優しく撫でる。
 軽い筋肉の痛み。適度な疲労。そして、ちょっとした達成感。休日の午後の街。
 穏やかな海に、雲間から太陽が照りつける。

 こんな、のんびりとした土曜日の午後も中々いいものだ。何も考えず、ただぼけーっと空や海や風の音を聞いているだけ・・・。そう、ただ聞いているだけ。

 この場所には、独りでたまに訪れる。
 海から市内を望むような感じにさせてくれるからいい。ベンチも少し小高い丘の上に設置されているし。

 夏風に乗って、青森駅のプラット・ホームに流れるアナウンスがここまで聞こえて来た。函館行きの列車が到着するらしい。
 お盆の帰省客のUターンも、今日と明日がピークの終わりだろう。もうすぐこの街に初秋の風が吹いてくる。


 いつまでもここにこうして独り佇んでいたい。
 あと9日で誕生日。何かを本気で変えなければ・・・。

 そんな、夏の終わりかけの土曜日・・・。




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「HEAT WAVE!」

2007年08月17日 | Weblog
 今日は猛暑も少し和らいだ。
 昨日までのギラついた太陽は影を潜め、今日の金曜日は、どんよりとした灰色の雲が空一面を覆っている。

 日本列島は猛暑が続いていて、岐阜県の多治見市では昨日の午後2時20分、埼玉県の熊谷市では同じく42分に、40.9度の最高気温を観測し、1933年に山形市で記録した国内最高気温である40・8度を、なんと74年ぶりに更新したらしい。
 今年の猛暑は凄まじい。
 北極海沖の氷の面積も過去最小になったというニュースも入ってきたし。地球温暖化はもう抜き差しならない所まで来ているのでは?

 ただ、この猛暑の中、熱中症で亡くなられた方々には大変失礼だけれど、個人的に暑さには全く慣れっこで、夏大好き人間なので、昨日まで毎日、お昼休みにはオフィスから約2キロ程度離れた海まで自転車を漕ぎ、隣接している公園で甲羅干しをしながら太陽の光を体いっぱいに浴びていた。

 それに昨夜は、土曜日の「東北新幹線 八戸~新青森間開通記念マラソン」(って別に正式なイヴェントでも大会でもなく、単なる仲間内のマラソンですが)のために、少しジョギング。軽く4キロ程度の走り込みなのに、Tシャツはびっしょりと汗で濡れていた。
 そのあと、また夜の街に繰り出して大量のビールを飲んじゃったけど・・・。

 そういえば、三重県伊勢市で、生活習慣病予防のためにメタボリックシンドロームと疑われる市長ら幹部職員7人による減量作戦に参加していた、その中の一人の男性課長が運動中に死亡したのだとか。
 確かに肉体を酷使して体を鍛えることもいいけれど、一歩間違うと大変な悲劇が訪れる。

 活性酸素は、ストレスや過激な運動で発生するもので、それが老化や生活習慣病や癌の原因にもなると言われている。
 活性酸素って若い時だと何とか回避出来るらしいんだけど、歳を取ると酸化、いわゆるサビる速度が速くなり、いかに活性酸素を出さないかが重要な健康ポイントとなるわけで。

 凌ぎ易い金曜日は、仲間たちとビア・ガーデン。
 8人の仲間が集まって、他愛のない話で盛り上がる。二次会も誘われたけれど、明日は朝5時起きで走らなければならないので丁重にお断り。
 そのまま家路を急ぐ。

 祭りも終わり、お盆も過ぎ、首都圏から夏休みで帰郷していた人たちも去り、街はひっそりと静まり返っている。
 ほろ酔い加減で夜の空を見上げてみた。涼しい風が吹いている。流れる薄墨色の雲の隙間から星空がちらっと覗いている。

 今、我々が暮らしているこの現代は、温暖化や環境破壊で自然との調和が崩れている。そういう意味では、昔の時代に生きていたら少しは今より寛ぎやすかったかも。なんてふと考えてみる。

 オリコンが調査した、「いつの時代に住みたいか」アンケート調査結果によると、住みたい総合第1位に選ばれたのが「平安時代」なんだとか。
 まあ確かに、平安時代って優雅さと平穏と煌びやかな文化が同居しているイメージだ。
 とは言っても、平安時代は平安時代なりに過酷で厳しいな時代だったのではと思うけどね。医学だって食料だって、決して充実していたわけじゃないだろうし。

 因みに、第2位は「江戸時代」。第3位が「明治時代」。
 これも分かる。イメージ自体は、映画やテレビや小説などで自然と頭にすり込まれているだろうし、風格とかノスタルジックな香りとか、両時代に特有の雰囲気が住みたいという気分を多分高めているのだろう。

 でも僕たちは、この時代とともに生き、ここで一生を終えるしかその術はない。だからこそ、一人一人が自覚と矜持を抱き、この世界の未来を語ってゆくことが必要なのである。本当ならは。

 しかし僕の性格はとてもひねくれていて、しかもシニカルに物事を捉えるという、どうしようもなく駄目な人間なので、その点は非常に悲観的である。
 人間って、そんなに利口なのだろうか。人間って素晴らしい、人間同士が理解し合って世界を平和に・・・なんていう言葉を聞く度に、うんざりして、その奥に隠されている打算や本音につい目がいってしまう。

 そういう綺麗な、それから誰も反論が出来ない正論を真正面から唱える人間を、どこか信用出来ないところがある。
 それより「ふん!」とか「けっ!」とか暴言を吐きながら、陰では、ちゃんとゴミを片付け、弱い人間に優しく手を差し伸べるひと。そんな人間のほうがよほど信頼できる。



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「町でいちばんの美女」

2007年08月16日 | Weblog
 最近、余り本を読まなくなった。
 特に小説はほとんど読まなくなった。読むとしても、ご贔屓作家のエッセーとか仏教に関する本、あるいは「新潮社新書」とか「文春新書」とか「講談社新書」、いわゆるワンテーマものを扱った軽めの本がほとんどである。

 何か、現実の生活のほうが凄まじくて(勿論、色んな意味で)、小説の中で主人公が独白する苦悩や戸惑いや人生への決意のような言葉の群れを今更聞かされても、どこか白けて興醒めしてしまう。
 ただ、そんなふうに途中で投げ出してしまうケースの大半を占めるのは、新人作家の書いた小説であることもまた確かな事実ではあるんだけど・・・。

 ここ数日、熱帯夜が続いていて、暑さから中々思うように寝付けない。
 昨日の夜は、突然、永井龍男の短編小説が読みたくなって、本棚を探し、また「蜜柑」を読み直した。
 もうこの短編小説、これまで何百回読んだことだろう。
 10分もあれば読み切れる、かなり短い小説なのだが、その中身はとても芳醇で研ぎ澄まされている。

 以前にもこのブログで「蜜柑」の素晴らしさを書いたことがあったけれど、何度書いてもこの小説の美しさを語り尽くすことは出来ない。
 言葉を削りに削り、それでも残ってしまった最後の言葉だけを繋ぎ合わせ、文章として組み立て、わたしたちの前に提示する。
 洗練されていて、しかもシンプルで、文章の合間から、孤独や悲しみや刹那や愛が迸(ほとばし)る。こんな凄い短編小説を読まされたら、もう黙って立ち尽くすしか術はないだろう。

 中年の妻子ある男性がいる。
 彼は、30歳代前半の独身女性と伊豆への一泊旅行に出掛ける。
 彼女には良談が持ち上がっていた。彼女の心は少しだけ揺れ動いていて、愛する中年男性との密かな恋愛生活にピリオドを打たなければという気持ちと、新しい無垢な生活への憧れとの狭間で戸惑っている。
 男は、今回限りでその女性と別れることを決心する。だから、これが最後の旅行となるだろうと密かに思っている。

 二人の濃密な夜は終わり、やがて朝がやってきた。
 3月の、何処となく不安定な空模様。早春の朝の激しい風。
 二人はタクシーに乗って、お互いの家へと向かう。別れをどちらかが切り出すわけでもなく、曖昧で気だるい時間だけがゆっくりと過ぎてゆく。
 そして、そこに・・・。

 この小説に筋だけ問い質しても意味がない。
 勿論、今書いたような背景に則って物語は進んでゆくのだけれど、例えば映画「タイタニック」に対して、「ある若い男女がタイタニック号で知り合って恋に落ちるんだけど、そのタイタニック号が航海中に沈んじゃって、二人とも永遠の別れを余儀なくされちゃう物語です」と簡潔に言語ったとしても、映画自体の面白さを完璧に伝えたことにはならない。

 同じように、この日本文学史上、燦然と輝く傑作短編小説「蜜柑」もまた、小説を読んでこそ初めて知る衝撃と感動というものが存在する。
 研ぎ澄まされた言葉の群れ、男女の微妙な心の軌跡、二人の会話の中に篭(こも)る愛惜や嫉妬や情や連帯や拒否の感情・・・。
 何度読んでも、この愛に関する小説には新たな驚きや発見がある。

 などと、好きな小説のことをぼんやり考えていたら、今週末から首都圏においてマット・ディモン主演の「酔いどれ詩人になる前に」という、作家チャールズ・ブコウスキーの自伝的映画が公開されるということを思い出した。

 当然、この街での上映は首都圏封切り後、少し経ってからの公開ということになるのだろうけど、このチャールズ・ブコウスキー、とても風変わりで日本でいうところの無頼派とも呼ぶべき作家である。

 卑猥なフォー・レター・ワーズを連発し、飲んだくれのその日暮らし。小説を書きながら、女にだらしなく(しかし女にだらしないって、よく考えたらどういう意味なんだろう。自分で使っておいて何ですが・・・)、破滅的な日常を送っている。

 ところが、彼の書く短編小説もまた途轍もなく美しい。叙情的ですらある。
 その彼の小説の中に「町でいちばんの美女」という素晴らしい短編集がある。確かに上辺は、いい加減でだらしのない人間をモチーフに扱っているものの、何故か行間から漂ってくるのは、それらとは対極にある、静謐で、豊かで、切なさを伴った清楚な匂い・・・。

 やはり、美は乱調にあるらしい。諧調こそが偽りなのだ。 



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「ありふれた愛に関する2、3の断章」

2007年08月15日 | Weblog
 何気なくインターネットで芸能関係のニュースを読んでいたら、突然の熱愛報道から破局報道までそんなに時間が掛からなかった、タレントでグラビア・アイドル、佐藤江梨子のインタビュー記事が載っていた。
 当然、元彼の歌舞伎俳優、市川海老蔵についてのコメントである。

 佐藤江梨子って、未だに市川海老蔵との恋愛を引き摺っているんだなあ・・・。そんな感じのするインタビュー記事だった。
 彼のことを「宇宙人のような人」と評し、今になって恋愛手帳を紐解いても「彼との思い出でお腹がいっぱいになってしまう」んだとか。泣かせるコメントだ。

 恋愛なんて共同幻想に過ぎない。過激な妄想で頭の中を混乱させる幻覚剤と断言してもいい。
 でも人間は、「愛」を失くしてまで生きていけるほど、強靭で強固な精神を持ち合わせてはいない。恋人や愛する人が現在いるいないに関わらず、誰もが何某かの「愛」を密かに育み、心の片隅にそっと描いている。
 だから「恋愛」はいつも、残酷で、儚く、脆く、切なく、苦しいのである。

 釈迦は、人間が「執着」「妄想」へと向かうその最たるものの一つが「愛欲」であると説き、そこからの離脱こそが人間を執着から解き放つ方法だと語った。
 仏教では「渇愛」という言葉を使い、自己中心的な「愛欲」から「煩悩」が生まれてくるのだと、それらの感情を否定している。
 勿論、本来の「愛」と、「愛欲」とは全く違う種類のものだと思うけど・・・。

 しかし、今日も世界に「愛」は溢れている。
 「渇愛」も「情愛」も「恋愛」も「愛欲」も「自己愛」も「友情愛」も、ありとあらゆる愛の形態は世界中の至る所を飛び交い、それは絶対に尽きることがない。
 音楽も、文学も、哲学も、宗教も、アートも、突き詰めれば、ただ「愛」だけを表現しているに過ぎない。
 
 お盆の夜、NHKBSで放映した、1987年制作、市川崑監督、吉永小百合主演の映画「映画女優」を観た。この映画を観るのは2度目だ。1度目は封切られてすぐ、市内の映画館で観た。

 この映画は、女優、田中絹代の人生、それも溝口健二監督のヴェネチア国際映画祭で国際賞を受賞した「西鶴一代女」に主演するまでの半生を描いていて、日本映画の黎明期から戦後の混乱期までの日本映画史という側面をもまた語っている。

 当時、日本映画界の巨匠と呼ばれていた小津安二郎も溝口健二も黒澤明も、その全作を観終えていたわけではなく、それほど深い日本映画への思い入れもなかったので、わりとすんなりこの映画自体を遣り過ごしてしまっていた。
 
 その後、溝口健二の映画を意識的に観るよう努め、彼の映画にかなり没頭した。溝口健二という、日本映画界にその名を残す巨匠の断片を知ることとなり、益々深く彼の人生を探りたい衝動に駆られていった。
 なので今回の放映を聞きつけ、改めて市川崑監督の「映画女優」を観てみたくなったのである。
 
 溝口健二監督の「西鶴一代女」は、日本映画における傑作のひとつである。
 ここまで女の不幸や悲しみを描いていいのだろうかと思えるほど、凄まじく、そして悲惨な映画だ。その反面、深い「愛」に満ち溢れた映画でもある。
 この映画の田中絹代は、本当に鬼気迫っている!

 彼女は一生独身を通した。
 様々な日本映画に関する書物の中に、田中絹代は必ず現れる。恋多き女として。それから日本映画界にその名を刻むべき大女優として。
 彼女の晩年は孤独であったという。独り、豪邸の一室で酒を煽り、愛した男性が家に立ち寄ってくれることを願いながら、酔っぱらったまま眠りについたともいう。その孤独感、どれほどのものだったのだろうか。

 彼女は、監督である溝口健二と恋に落ちた。
 当時、溝口には妻がいた。しかし、その妻は深く精神を病み、入院生活を余儀なくされていた。溝口は、背中に、女に刃物で切られた痕があったともいわれている。
 溝口没後、田中絹代は、新藤兼人監督のドキュメンタリー映画「ある映画監督の生涯」の中でこう語っている。
 「もし先生が本当に心から私を妻にしてやろうというおぼしめしがあったとしたら、田中絹代ってのは、また、女優と違って、女としてですよ、そういうふうに先生がわたしをみこんでくださったと思うことは、女として、わたしは一生結婚しなくてもね、結婚した価値のある女だと思うんです・・・」

 溝口健二は白血病で死んだ。小津安二郎もまた生涯独身を通し、彼の墓石には「無」という一文字が刻まれている。小津は誰を愛し、そして誰のことを一生涯想い続けたのだろう。

 すべては愛である。無常に儚い愛である。無垢で移ろいやすい、霧のような愛である。



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マイケル・ベイが監督した映画「トランスフォーマー」。確かにラスト30分のバトルシーンは圧巻!

2007年08月14日 | Weblog
 映画「トランスフォーマー」が凄いことになっている。

 今週末の全米ボックス・オフィスでは、ジャッキー・チェンとクリス・タッカーが競演したアクション映画「ラッシュ・アワー3」などが公開され、「トランスフォーマー」は第11位に後退したものの(初登場は当然第1位でした)、もう既に3億ドルを突破し、これまでの全映画興行成績ランキングにおいても「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」や「ホーム・アローン」や「ジョーズ」をも軽く抜き去って、このままの勢いで推移すれば歴代ベスト15入りは確実という情勢なのだ。

 「トランスフォーマー」は、これまでも大ヒット作を生み出してきたスティーヴン・スピルバーグとマイケル・ベイのブロックバスター・コンビがコラボレーションした、1980年代に人気を博した日米合作アニメの実写化映画だ。

 あらゆるテクノロジー機器に姿を変え、何にでも「トランスフォーム(変身)」してしまう金属生命体によって、人類が滅ぼされてゆく姿とそこからの反撃を、最新コンピュータ・グラフィックスを駆使して描く。
 主演は若手俳優で、今回映画に大抜擢されたシャイア・ラブーフ(この青年が中々いい演技を見せる)。

 ある日、中東カタールの米軍基地に未確認ヘリコプターが着陸して突然ロボット型へと変形すると、無差別に基地周辺を攻撃し始める。
 その一方で、アメリカ大統領専用機であるエアフォースワンに、小型ラジカセにトランスフォームしたメカ型スパイ・ロボのような不可思議な物体が侵入し、重要な国家機密情報が次々とハッキングされてしまう。

 そんな状況をよそに、アメリカに住む平凡な高校生のサムは、父親から古いボロ車を買ってもらい大喜び。
 彼は、同じクラスのキュートな女の子に憧れているのだが、勇気がなくて切り出す切っ掛けが掴めずに悶々とした日々を過ごしていた。ところがふとした偶然から、その素敵な女子高生を隣に乗せるチャンスが到来する・・・。

 物語の導入部はこのように始まる。
 そこから物語は一気に加速する。自動車、ヘリコプター、戦闘機、果てはCDラジカセ、地球上のあらゆるマシンの姿をトレースし、人型ロボットへと変形する未知の金属生命体が地球を襲来し、人類に対して容赦のない侵略を開始する。
 そして、それに対抗すべき、正義のトランスフォーマーたちが立ち上がる。

 その戦いに知らず知らずのうちに巻き込まれてゆくのが、この物語の主人公サムだ。彼は、彼の先祖の探検家が南極で発見した金属生命体の「秘密」を、そうとは知らずに保管していたことから、敵の標的目標にされてしまう。

 「トランスフォーマー」は、昔、テレビのアニメ版をそれとなく眺めていた記憶があり、最初、実写版で映画化されるというニュースを聞いた時は、ちょっとイメージが出来なかった。
 酷い代物になるのではと危惧したし、よっぽど真剣に作らないと、巷に蔓延るようなB級ハリボテ実写版(それはそれでまた面白い映画になるとは思うけど)になりかねないと多少不安になっていた。

 それに、マイケル・ベイって色々ヒット作を連発しているとはいうものの、「アイランド」なんて大コケした映画もあるし、「バッド・ボーイズ」のように巧く纏めきった映画もあるというように、どうも両極端な監督で、何となく不安定要素が頭をかすめてしまうのである。

 今回は、スティーヴン・スピルバーグが総指揮で参加するということなので、チャチな映画にだけはならないと思っていたけれど、予告編を観る限りにおいて、それらの不安は払拭され、俄然、映画封切りが楽しみになっていた。
 
 そして実際観てみたその感想は・・・。
 トランスフォーマーに対して最初から特別な色眼鏡で見てしまうと、映画の興味自体も半減するのでは。よくよく考えるとロボットちっくだし、玩具のイメージが拭い切れない部分があることも確かだ。
 でも、それらを頭の中から吐き出し、純粋にこの映画と真正面から向き合ったなら・・・。それがまた、面白い映画に見えてくる

 特に、ラストのトランスフォーマー同士の市街地大攻防戦は、凄い!の一言。
 CGと実写が巧く融合していて、アクション・シーンも半端じゃない面白さ。ビルや街の爆破や破壊は、実際にセットをぶっ壊したらしいし、敵・味方入り乱れての白昼バトル戦は思わず手に汗を握る。

 冷房の効いた映画館で観るには、中々のアクション映画だと思うよ。 



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贋日記「新・若大将的憂鬱」その3

2007年08月13日 | Weblog
 俺は、もしもしと何度も同じ言葉を繰り返した。妻は無言のまま何の返答もなく、結局数秒間後、その奇妙な電話は突然切れてしまった。
「澄子のヤツ、何なんだ一体!」
 俺は軽い怒りとともに心の中で叫ぶと、目の前に現れた田沼雄一という同い年の男性を目で追った。彼は俺のこれまでの行動を、奇妙な生物でも観察するかのようにじっと眺めている。
 そのまま彼女に掛け直そうとも考えた。
 妻、澄子がA子のマンションにわざわざ俺との離婚届を送ってよこしたぐらいだ。彼女は自堕落で放蕩し尽してきた俺の生活を嫌悪し、心の底から憎んでいる。それじゃなくても今の俺の体と心は、高層ビルから地面目掛けて叩き落した林檎みたいに砕け散っている。心底疲れていた。このままぐっすりと眠りたい、何も考えず・・・。
 妻との無用な言い争いは、今は出来れば避けたかった。どうせ離婚届にサインするしか突破口はないのだから。
 しかし、別の妄想が頭を不意に横切った。今の電話、もしかしたら妻以外の誰かなのかも・・・。あるいは妻が何者かに監禁され、必死で助けを求め声すら出せずにいる妻の沈黙の叫び・・・。まさか。ありえない。俺は疲労と薬で頭がどうにかなっちまったに違いない。
 スーツの内ポケットにまた携帯電話を仕舞い込むと、今度は目の前に突然現れて訳の解らない言葉を繰り返す田沼という男と改めて対峙した。
「妻のことについて話したいって急に言われても・・・。あなた、妻とはどういう関係なんです? よく意味が解らないんだが・・・」
 その途端、また携帯が鳴った。
 咄嗟に内ポケットから携帯を取り出し、すぐに耳元に電話をあてた。残念ながら、離婚届を送りつけてよこした妻からではなかった。A子だった。
「ジュン? 何なのよ! いきなり怒って帰っちゃうし、メールにも全然レスくれないし!」
「連絡しなかったのは悪かった。でもお前だって知ってるだろう、今の俺の状況。八方ふさがりなんだよ、このままじゃあ!」
 A子と話しながら、目の前で哀れむように俺を見つめる田沼雄一を醒めた視線で眺めていた。垢抜けない身なりをした憂鬱そうな男だった。
 俺の麻布十番のマンションを何故この男は知っているんだろう? 俺は、昨夜初めて店にやって来た客に、いくら酔っ払っていたとしても自宅を教えるほど馬鹿じゃない。
 まさか、妻の愛人? 確かに俺は3回も結婚を繰り返し、今はA子のもとに入り浸るようなどうしようもない男だが、妻の浮気に気づかないほど間抜けではない。
 一体誰なんだ? この男。離婚直前の俺の妻に対して馴れ馴れしい言い方をするこの男。同郷だとも言っていた。高校時代の友人だろうか? そんなはずはない。何故ならこの田沼雄一、俺と同い年だと言っていたではないか。
 A子は、相変わらず大声を張り上げ、俺に対する非難の言葉を電話に向かって吼え続けている。まるで激しく降り注ぐ豪雨のような速さで。
 俺は、猛烈な勢いで落ち続ける豪雨の音に耳を塞ぎながら、田沼雄一としばらくの間、向き合った。
 業を煮やしたように、田沼雄一が重そうな口を開いた。それは彼の独り言のようにも、彼とは全く別人格の人間が彼の体を借りて話しかけているようにも思えた。
 田沼雄一は確かにこう言った。
「非常に残念な事を申し上げるようで、誠に心苦しいのですが。澄子さん・・・あと生きるとして・・・多分一年間だと思います・・・」


                              ―以下次回―
    (第一回2006年11月3日掲載、第二回2007年1月23日掲載)




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「旅の重さ」

2007年08月12日 | Weblog



 「ね、なぜ旅に出るの?」
 「苦しいからさ」
 「あなたの(苦しい)は、おきまりで、ちっとも信用できません」


                            太宰治「津軽」より






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「真夏、炎天下、海沿いを走るー」

2007年08月12日 | Weblog
 余りにも体中が火照って、昨日はほとんど眠れなかった。
 朝起きて鏡を見たら、真っ黒になっている。しかし、今日も暑くなりそう。

 ゆっくりと起き出し、高校野球をTV観戦。地元「青森山田高校」の試合なので見逃すわけにはいかない。結果は5対0の快勝。よかった、よかった。

 お昼を食べに、歩いて中心市街地。
 真夏の太陽が降り注いで、暑いというよりも痛い感じ。
 青森駅近くのパサージュ広場にオープンした「エクセルシオール・カフェ」に入って、サンドイッチとソーダ入りのミネラル・ウオーターを注文。オープン・カフェで気持ちいいランチと洒落込む。

 新聞と雑誌を買って、ブラブラと帰り道。
 太陽はギラギラと輝いて、真っ青な空には雲一つ浮かんでいない。完璧な真夏の日曜日。
 よしっ! 走ろうかっ!

 家に戻って短い夏用のジョギングパンツとタンクトップに着替え、タオルを持って自転車を車庫から出す。
 いつもの青森ベイブリッジ付近に自転車を留め、そこから海沿いを一気に走る。
 時間はちょうど午後1時10分前。

 炎天下、少し走っただけで汗が滴り落ちて来る。
 すぐ海沿いに出た。
 真夏の海風が湾岸道路を駆けてゆく。人っ子一人見当たらない、昼下がりの青森港。
 合浦公園という名の、海水浴も出来る広い面積を持つ公園でUターン。
 物凄い数の人たちが海水浴を楽しんでいる。黄色い歓声が風に乗って流れてきた。もう上半身は汗まみれ。
 暑い! 途轍もなく暑い! でも気持ちいいっ! 途轍もなく気持ちいいっ!

 10キロほど走り、岸壁の上で裸になる。
 滴り落ちる汗が、真夏の太陽にキラキラと輝いている。また焼けた。
 ジョギングの帰り道、喉が渇いてきたので、青森発祥の地と呼ばれている「善知鳥神社」の境内を通り、神社のお水をゴクゴク。美味い! 
 水ほど美味いものなんて、世界中にはないと断言できる。

 午後は墓参り。
 霊園は大渋滞。こういうのが一番嫌い。お互いにスレスレの処で車を交わし、路上の隙を見つけては素早く駐車を繰り返している。

 所用で市内をあちらこちら。
 何処も彼処も大混雑。こういうときは家でのんびりしているに限る。でも仕方がない。厭な雑用をこなしてこそ、次の貴重な時間が生まれるのだと考えるしかないじゃん。

 夏の夕焼けが美しい。
 淡い橙色に染まっている。車の中ではジョージ・ハリスンの「ALL THINGS MUST PASS」が静かに流れている。


 朝日の輝きはずっと続くわけではなく 午後の夕立は夜までずっと続きはしない
 こよなく愛したひととの恋も今は終わり あのひとは別れも告げずに去ってゆく
 だけど この灰色の日々もいつかは終わる
 すべては移り変わってゆく
 すべては過ぎ去ってゆく

 すべては移り変わってゆく
 すべては過ぎ去ってゆく


 今日もまた終わってゆく。そして、やがて8月も去り、この街に秋がやって来る。もうそろそろ限界点にまで来ているようだ。
 急がないと・・・。

 淡い夏の夕陽が西の空に沈んでゆく。明日も暑いらしい。月曜日、仕事が始まる。
 夕陽が橙色から、柑子蜜柑のような色へと変化する。もうすぐ夜の帳が降り始める。渋滞の長い列を這うように、夕陽が流れてゆく。

 すべては移り変わってゆく・・・
 すべては過ぎ去ってゆく・・・

 ジョージ・ハリスンも逝ってしまった。ジョン・レノンも。
 あらゆるものは、ただ無常にも目の前を流れてゆく・・・。



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「また独り、海へ往くー」

2007年08月11日 | Weblog
 金曜日は、撮り貯めしていたビデオを片っ端から観て、少しジョギングをした。
 空は相変わらず鬱陶しい曇り空で、ここ数日間はまるで梅雨の季節に戻ったような天気が続いている。

 そして土曜日。
 朝起きて、仕事場に向かう。ちよっとした残務整理。それから宿題の確認。
 暑い。それにしても暑い。
 天気予報では今日から晴れマークが連続して書き込まれている。

 早朝のオフィスにいる自分が何だか馬鹿馬鹿しくなってきて、守衛さんに鍵を返し、駐車場に停めていた車に乗り込み、独り海を目指す。

 近場の海じゃ納得しない。遠くまで。出来る限り遠くまで。
 まだ時計は朝の9時を過ぎたばかり。午前中には浜辺に寝転び、蒼い海の中に独り静かに沈んでいよう!

 ジョージ・ハリスンの「オール・シングス・マスト・パス」を大音響で。
 このアルバムは大好きだ。とても暖かくて、深くて、ポップで、そして愛しいる
 発表当時、今は亡きジョン・レノンが「ジョージは頭が変になったんじゃないか? 何で3枚組ものレコードを出すんだ?」と訝ったらしい。

 しかし、その意に反し、3枚組としては史上初の全米、全英第一位を獲得。アルバムは、ロック史上にその名を残す大傑作アルバムと相成った。

 ジョージ・ハリスンの愛妻、パティ・ボイトへの激しい想いから生まれたのが、エリック・クラプトン不朽の名作、「いとしのレイラ」という曲であるのは周知の事実だけれど、ジョージも、この「オール・シングス・マスト・パス」の中で、素晴らしいラブ・ソングをたくさん書いている。

 ジョージ・ハリスン、大好きっ!

 車の外部温度計が34度を示している。
 少し雲も流れていて快晴とまでは至らないけど、暑さは半端じゃない。
 わざとクーラーを止め、窓を開け放し、暑さを全身で感じながら車を飛ばす。
 波がある、太平洋岸で泳ぎたい。それから砂浜のある場所。

 やっと満足出来るような浜辺に到着。
 何人もの人が、甲羅干しやサーフィンを楽しんでいる。波は少し高い。でも泳げないという感じじゃない。カップルが浮き輪を使って波打ち際ではしゃいでいる。

 バスタオルを敷いた流木の上に大の字に寝転がり、真夏の太陽の痛いほどの光を全身に浴びる。
 風は少し冷たい。太陽が時々、厚い雲間に隠れてしまうと、風はより一層冷たくなって海辺を襲う。
 もう少し晴れてたらなあ。

 午後になると雲がなくなり、暑さは最高潮。
 腕時計に付いている温度計を見てみたら、35度! 体感温度はそれほどでもないんだけど・・・。
 海に入った。冷たいけど、慣れてくると気持ちがいい。
 波間に独り浮かんで、青い空を眺める。大きな波が、定期的に浜辺に押し寄せてきて、そのつど、海にどっぷり呑まれてしまう。それがまた気持ちいい。

 波のパワーは強いから、抗いながら泳ぐうちに体力が少しずつ消耗してゆく。でもそれもまた心地よい。
 浜に上がり、温くなったミネラル・ウォーターを飲み、また横になる。今夜は焼けた肌が火照って眠れなくなるかもしれない。

 午後3時には海を出た。
 適当に銭湯を探す。見つけて入ったお風呂屋さんには露天風呂が付いていた。
 のんびりと焼けた肌をお湯に漬け、太陽の行方を追った。いいなあ、こういうの。夏を全身に感じる。
 独りぼっちは少し淋しいけれど・・・。

 帰りは夕焼けを見ながら静かなドライブ。音が欲しくない時だってあるのだ。
 市内に入り、帰宅せずに映画館。一本映画を観る。

 帰宅したのは夜の10時過ぎ。
 お風呂に入って鏡を見たら、全身が真っ赤に焼けている。顔も凄い。海水パンツの跡がクッキリとわかる。
 よしっ! 明日も海だな! 今年の夏は真っ黒に日焼けするぞ!

 今月の26日は誕生日。
 今回は、また何らかの目標を定め、髪を丸めて坊主にしようかなあ。それとも目標達成まで禁酒もいいなあ。あるいは「ブログ日記」を閉じるとか・・・。
 何かを自らに処さないと、またズルズルと日々を費やしてしまうから。

 とにかく、明日も海に行こうっと!



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女性誌「kiss」に連載中の漫画「ホタルノヒカリ」、コミック全9巻を読み切った。

2007年08月10日 | Weblog
 女性の描く漫画って、一種独特の雰囲気を醸し出している。
 読んでいて、絶対に男性漫画家では描けない、微妙で繊細な心の動きや心理的な揺れが、読む側にもひしひしと伝わってくる。

 薀蓄のある科白、喜怒哀楽を表現する際の巧さ、幾重にも重なり合う感情に対する表現力などなど、とても男の視点で太刀打ち出来るものではない。
 勿論、駄作や失敗作もあるだろうけど、巷で話題となっているコミックスの何千分の一ほども読んでいない人間が偉そうに言い切れば、世の中に溢れている数多の文学や映画と比較しても、比べ物にならないほどの傑作漫画は星の数ほど存在する。

 最近は、TVドラマの原作として漫画が使われることが非常に多い。肩の凝らないラブ・コメ仕立てのドラマに、女性漫画のテイストは一番ぴったりくるからだろう。
 しかしながら、漫画誌のほうに目を移すと、いわゆる「男」漫画と「女」漫画の垣根は、現在そのほとんどが取り払われてしまったといっていい。

 今では「モーニング」や「ビッグコミック」などの青年コミック誌の連載陣に、女性漫画家が名を連ねるのは全然珍しいことではなく、堂々とした大河歴史漫画やラブストーリーやコメディ漫画を発表していて、むしろ大絶賛を浴びている。

 日本テレビで現在水曜日の夜10時から放映している、綾瀬はるか主演の「ホタルノヒカリ」は、女性漫画誌「kiss」に連載している「ひうらさとる」の漫画「ホタルノヒカリ」を原作にしている。

 この漫画のことはまったく知らなかった。
 「干物女」の生態を描く新ドラマとのキャッチフレーズに食指が動かされ、テレビドラマを観たことが切っ掛けで原作漫画を全巻揃え、それをこの際一気に読んでみた。

 主人公の女性は雨宮蛍、27歳。
 テレビでは、綾瀬はるか演じる蛍は24歳という設定だけれど、漫画では若干高めの年齢で、ほかの登場人物もテレビと漫画では微妙に違っている。
 漫画のほうが、幾分年齢が高い設定なのだ。
 それと物語自体もテレビの方が恋愛色を少し薄めていて、雨宮蛍自身へスポットライトを集中的に当てまくっているのとは対照的に、漫画では彼女の恋愛模様を重点的に描いている。つまりは、微妙に進行する三角関係的恋愛と言ったらいいのか。

 彼女は、最近ほとんど恋愛をしていないOLで、「恋愛するより家で寝てたい」というグータラな生活を満喫していて、仲間たちから干物女と揶揄されている。
 その彼女に、突然カッコいい40代上司との同居生活が始まり、それと同時並行して年下でオフィス内でも超人気な若手家具デザイナーとの恋愛も絡んでゆく・・・。

 漫画は現在、第9巻目。
 毎月2回刊行されているコミック誌「kiss」を読めば、もっと先に進んでいるんだろうけど、そこまでは「ちょっと・・・」なので、恥ずかしさを押し殺して本屋でコミックスを買い求めている。

 大体、本屋のコミック・コーナーの少女漫画が並んでいる棚を眺めているだけで、遠くから変態っぽい目で見つめられるのである。
 まあ、いい歳をした男性が少女漫画のコーナーを覗く自体が疑われても仕方ない状況なのかもしれないが、かように文化に対する逆差別は未だに続いているのだ。 やれやれ。

 「ホタルノヒカリ」。
 第9巻まで一気に読んだけれど、確かにワンパターンの展開という感じがしないでもない。
 高野部長という蛍の上司の父親と交わした契約のために、2人は同居生活を余儀なくされるわけだが、その同居生活がこの漫画の白眉である。
 潔癖症の高野部長と、自堕落な「干物女」である蛍との、噛み合わない会話と生活様式。それと、蛍が高野部長と奇妙な同居生活をしているなんて全く知らない、彼氏の手嶋マコトとのやり取りの妙。

 でもなあ。
 悪くはないけど、いつもこのパターンを繰り返されても飽きが来る。
 そしてそれを上手くかわしているのは、さすがと言うか、「ひうらさとる」の才能の成せる業。

 部屋には、まだ買ったままで(ほとんど古本屋さんですが)ほったらかしたままの女性漫画コミックスがたくさん平積みされている。
 美内すずえの伝説的大河漫画、「ガラスの仮面」もまだ読んでないし・・・。

 女の子の描く漫画ってほんと癖になる。読み始めたら止められないのだ。
 それって、女の人をもっと知りたいっていう秘めたる感情なんだろうか?



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RIP-SLYME「熱帯夜」VS「チャンスの前髪」竹内まりや!

2007年08月09日 | Weblog
 RIP-SLYMEのシングル曲「熱帯夜」がいい。特に彼らのPVが素晴らしい。
 今年の夏期発売されたシングル曲としては、断トツの出来映えに仕上がっているのではないか。

 真っ暗なスタジオ?にRIP-SLYMEの面々が夏っぽい粋なスーツに身を固め、そこだけ安っぽいライトに照らされながら現れる。
 どこか乱暴で安直に作られた闇の中に彼らが浮かび上がり、少しルーズなリズムに乗って全員テンポよく歌い出す。

 そのメンバーたちに絡まるようにして、数人の女性ダンサーが踊り始めるのだが、これがまた非常に艶めかしい。
 そして特筆すべきは、真っ暗な闇で歌うRIP-SLYMEと、超セクシーな水着でクネクネと踊る女性たちを舐めるように照らし続ける、そのライトの微妙な明るさ加減だ。
 これが、ほんとHっぽい。っていうか、息苦しさを伴って迫って来る、言いようのない圧迫感。

 「熱帯夜」自体の曲も歌詞も、かなりイってる。
 リズムの刻み方がセクシーでダルい。それに乗せる歌詞も放送コードぎりぎりで色っぽい。
 この曲、全然クールになれない。かえって逆に、体の奥が疼いてくるよう。暑苦しくて喉が渇いてくる。ますます汗が出てくる。そんな感じ。まさしく熱帯夜!

 かなりカメラは計算し尽くした上でPV撮影に臨んだのではないか。
 RIP-SLYMEがハンディ・カメラを追うようにして歌うその導線にセクシーな女性たちが纏わり付くという一連の流れが、とにかく抜群に決まっているからだ。
 これが一発撮りとか、ほんの偶然から生まれた結果なのだとしたら、それはまたそれで凄いけれど、最初から最後まで、ひとつの美しい様式美まで高まっている。

 もしも「熱帯夜」だけ聴いたのなら、ここまで感激しなかったかもしれない。
 PVを監督した人は全く知らないが、下手なポルノ映画の何倍も妖艶でソソられる。それに加えて、踊りがまた何とも風変わりでコミカルだ。
 しかしまたこれが、熱くてネッとりとしたメロディとリズムと合うから不思議。

 恐るべし! RIP-SLYME!

 そして今年の夏の一押しもう一曲。
 当然、竹内まりやの「チャンスの前髪」でしょう!
 言わずと知れた、TBSドラマ「肩ごしの恋人」の主題歌である。この曲、初めて聴いた瞬間からビビビと来た。ドラマ自体はイマイチですが・・・。

 竹内まりや、こういうアップテンポでしかもメロディアス、それから前向きで明るい曲調、つまり彼女が80年代、90年代に量産したポップな曲を書いたなら、誰も敵わない。
 完璧である。

 しかし、こんな素晴らしい楽曲を作るなら、先般発売した彼女のアルバム「Denim」の中に加えてくれたってよかったのに。出し惜しみしないで。
 勿論、今回の「チャンスの前髪」が無くても、「Denim」は傑作アルバムであることは間違いありませんが。

 「チャンスの前髪」のカップリング曲が、アルバム「Denim」のラストを飾った「人生の扉」だ。
 この曲は、彼女のこれまでの楽曲の流れと少し一線を課していて、ちょっと話題になった曲である。ただ個人的に言うと、竹内まりやには、こういう人生を語る的な歌は歌ってほしくない。彼女は、あくまでも永遠のポップン・ガールを演じていただきたいのである。
 「人生の扉」そのものは決して否定しない。とても素晴らしい曲であるとは思うけど。

 竹内まりやのシングル「チャンスの前髪」は、8月8日発売された。
 ドキドキして、ランキング「オリコン」チャートを見てみると、なんと初登場19位。うーん。これはあんまりだよなあ。
 かなり、有名アーティストたちの新曲が立て続けに発表されたとはいえ、もう少し上位に食い込むのかと思っていたのに・・・。

 それはそれとして、とにかく「チャンスの前髪」、朝晩、何十回も繰り返し聴いている。
 それほどこの新曲はイケてる。
 デュエットしているサザン・オールスターズの原由子との掛け合いもいい。アレンジとプロデュースは当然、山下達郎。彼はバックコーラスも担当していて、彼女を強力にサポート。歌詞も、「肩ごしの恋人」を下敷きにした中々素敵で前向きなもの。
 ただ難を言うと、CDジャケット。もう少し一工夫あってもいいのでは。

 これもまた恐るべし! 竹内まりや!



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「ボラット/栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習」。こんな破茶滅茶な映画作っていいの?

2007年08月08日 | Weblog
 いやはや、なんとも・・・。
 こんな過激な映画を観たのも久しぶりの事である。衝撃的だ。

 全米公開され、いきなり初登場第1位! 
 全くのダーク・ホース的存在だったのに、口コミとセンセーショナルな騒動を引き起こしたことで話題が話題を呼び、それが今度は日本本土を襲うことに。

 一言で言えば、映画「ボラット/栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習」は、サシャ・バロン・コーエンという人が主演した社会風刺コメディである。
 英米両国で放映されたTV番組「Da Ali G Show」の人気キャラクター、ボラット(カザフスタンのTVリポーター)が、米大陸横断を敢行し、先々で衝突や摩擦を繰り返すという内容の映画で。監督が「ボブ・ディランの頭のなか」を撮ったラリー・チャールズ。

 しかしこの映画、半端じゃない。
 ドキュメンタリー形式で映画は進んでゆくのだが、余りに内容がラディカルで濃すぎていて、心底辟易してしまう。

 ストーリー自体は、カザフスタンの情報局からの特命を受けたジャーナリスト(TVリポーター)のボラットが、友人でもある製作者スタッフと2人でアメリカへ渡り、巨大国家アメリカ合衆国の文化や風習などをカメラに収め、そのリポートを自国に報告するといういたってシンプルな内容。
 しかし、これがまた凄いというか、ふざけているというか、小馬鹿にしているというか、皮肉っているというか・・・。

 冒頭、自分の住む村を紹介してゆくシーンがあるのだが、自分の妹とディープ・キスを交わし「彼女は現在売春婦で生計を立てていて、一番の売れっ子売春婦なのです」と真面目に自慢したり、友人を、村で何人もの女性を暴行した凶悪レイプ魔ですと暴露したり、とにかくボラットは言いたい放題!

 アメリカのニューヨークに上陸(何かNYに出没して街を破壊するゴジラのようですが)するやいなや、地下鉄では見知らぬ乗客たちに自己紹介を行い、挨拶の抱擁とキスを強要して怒鳴りつけられるわ、ホテルのトイレの水で顔を洗うわ、マンハッタンの街を歩いている女性に「あなたは幾らデスカ?」と口説きまわるわ・・・。
 尋常の精神状態ではない。

 そして彼は、テレビで見た女優のパメラ・アンダーソンに一目惚れし、今度は突然、彼女が住むLAを目指して大陸横断の旅へと出発する。彼女と勝手に結婚することを断言するのである!
 日本でいうところの「電波少年」の18歳未満お断りバージョンとでも表現したら分かりやすいだろうか?

 確かに、思わず苦笑したり、声を出して笑ってしまうような場面も続出。
 ただし、この過激な内容に対して、顔をしかめ、途中で映画館を出てしまう人がいるかもしれない。それから、腹立たしさを感じて不快感に震える人も。

 ユダヤ人蔑視だし、アメリカのフェミニスト団体の幹部たち(勿論、論客で知られる女性の面々)との対談でも、「女性って脳が男性よりも小さいンデスよね?」と問い掛け、怒った女性が席を立ってしまうシーンもあったりして、映画を観ている観客でも同じ行為に及ぶ女性が現れないとは限らない。
 それほど、この映画は、差別語や放送禁止用語が次々と飛び交うのだ。

 種明かしすれば(この映画なら、映画的手法を知ったほうがより面白く観賞出来るのではという意図ですので、ネタバレ一切拒否という人はこの先は見ないでね)、「ボラット/栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習」は、ドキュメンタリー映画ではない。

 モキュメンタリー映画という範疇になるだろう。
 つまり、ドキュメンタリーっぽい手法を駆使して撮った映画であり、架空の人物や架空の組織を組み立てた上で、実際にアポなし取材を敢行したり、ヤラセぎりぎりの演出効果を狙ったりする映画手法のことである。

 実際、主役のカザフスタン人リポーターは、サシャ・バロン・コーエンというイギリスのコメディアンであり、カザフスタン情報局なるものも何ら存在しない。
 でも、アメリカの国内を取材してゆく過程は、隠し撮り等も含め本当に撮り続けたものもあっただろうし、リアルな映像は映像として観る側にもヘビーに迫ってくる。

 この映画、観たほうがいい。これって実は、アメリカに対する真剣な抗議メッセージなのかもしれない。少し毒薬過ぎますが。

 それと、単純に大笑いしちゃうし・・・。




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「祭りのあとの淋しさは、たとえば酒で紛らわし・・・」

2007年08月07日 | Weblog
 ねぶた祭りが終わってしまった。

 もう昔のように、祭り自体への情熱も、毎日ハネトとして祭りに参加して狂ったように踊りまくり終わってから連日朝まで仲間たちと飲み狂うこともしなくなったけれど、それでも祭りが終わったことで何処と無く淋しくて切ない気持ちになるのは昔と変わっていない。

 今年の祭りは、土曜日の台風上陸(当日の祭り開始時刻までにはすっかりと雨が止んでしまった)があったにも拘らず、それなりに活況だった。でも仕事が立て込み、残業もあったので、個人的にはイマイチ盛り上がりに欠けた気がする。

 今夜の海上運行と、それに伴う花火大会で、祭りも幕を閉じる。
 そしてこの街に吹く風も少しずつ冷たくなって、やがて秋へとその姿を変えてゆくだろう。残暑は確かに厳しいかもしれないが、朝晩の空気は心持ち爽やかだ。

 国道や市内の中心部に備え付けられた祭り桟敷席の撤去が終わると、がらんとした街中が一層悲しそうに見えてくる。
 ねぶた祭りに訪れた数多くの観光客の集団と引き換えに、今度はお盆の帰省客がこの街を満たしてゆく。でもそれは祭りの賑やかさや喧騒とは少しだけ異質のものだ。

 こうしてまた歳をとる。
 ひと夏が往くように、何かを引き摺り、何かを失いながら、また一つだけ歳をとる。夏の爆発力や瞬発力が大きければ大きいほど、その反動もまた大きい。夏から秋、そして秋から冬。目まぐるしく季節は流れる。まるで速く激しい激流のように。
 笑い話のように聞こえるかもしれないが、あと3ヶ月もしたらこの街には粉雪が舞い降りてくるのだ。真っ白な粉雪が、北風と一緒になって・・・。

 日曜日、冷房の効いた映画館で独り映画を観ていたら、予告編で「今年のお正月全国ロードショー決定!」とか「来年の夏、日本公開!」とかの映画が何本かかかっていて少し驚いた。そして何故か嫌な気分に襲われた。

 そんな先の事、今から言われても・・・そこまで頭の中の予定表にインプットしておかなきゃならないわけ? 来年の夏の映画にまで・・・

 空白のスケジュール表は、次から次と舞い込む案件で即座に黒くなって潰れてゆく。それは別に仕事だけに留まらない。
 次から次へと新作映画は作られ、公開日が決定し、それを眺めながら次に観るべき映画をピックアップしてゆく。あるいは小説や新刊書。あるいは音楽CDやTVの新番組。あるいは遊びの日程や、マラソン大会の開催や、様々な個人的イベント・・・。
 それらは有無を言わせず、頭の中に作られる真っ白なスケジュール・ボードに次々と書き込みされ、僕の進むべき道とそこまでの時間を半強制的に決定付けてしまう。

 たとえば仕事。
 来年も再来年も、それからその次の年の日程も、僕はもう既に想像できる。
 勿論、具体的な姿じゃなくて、おおまかな工程程度の事でしかないけれど、それでもそういう未来のイメージを何の拘りもなく言い切ることが出来るし、心の中に思い描くことさえ可能なのだ。
 つまり僕の仕事に関してのみの未来予想図だけで言えば、虚しいけれど、それはもう描かれ、未来を生きる前から既に完結していると言っていい。
 真犯人を予め知らされてから読み始める、無意味な推理小説みたいに・・・。

 週末、晴れてほしい。
 海に行きたい。思い切り海で泳ぎたい。太陽の光をたくさん浴びて、真っ黒に日焼けをしたい。夏の残滓をこの体に刻み込んでおきたいのだ。出来るだけ。

 遠くから花火の鳴る音が聞こえて来た。
 先程、屋上に上がって、ビルの谷間から辛うじて見える美しい花火を少しだけ堪能した。花火が打ち鳴らされ、海上運行をしている(らしい)ねぶたの太鼓や笛の音が聞こえた。反対側の八甲田側に目を移すと、高層マンションや住宅街、それから高架橋を渡る電車の車窓の光が優しく輝き、山々は黒く、墨絵のようにぼんやりと霞んでいる。

 部屋の音を全部消して、冷蔵庫から冷えた缶麦酒を取り出し、ごくりと飲み込む。
 よしだたくろうが歌っていた「祭りのあと」のメロディが自然と口から洩れ、小さな声で何度も繰り返した。

 ・・・祭りのあとの淋しさは、たとえば酒で紛らわし・・・
 彼の「元気です。」というアルバムに入っていた名曲である。このアルバム、当時、連続13週アルバム第1位という途轍もない快挙を記録した。

 ・・・祭りのあとの寂しさは、たとえば女で紛らわし・・・
 そんな。恐れ多くて出来ませんよ。女で祭りの淋しさを紛らわすなんて・・・。




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ピクサーが作るCGアニメに駄作なし。新作「レミーのおいしいレストラン」もいいよ。

2007年08月06日 | Weblog
 結構有名な地元のフランス料理レストランに行くにしろ、東京に立ち寄った際ほんのたまに寄る名の知れたレストランに行くにしろ、その際にはそれなりの緊張を強いられる。

 最近では、最低のマナーさえ守っていれば意外と気楽に食事を楽しめる雰囲気のお店も数多く、それなりに敷居も低くなってきたけれど、大体が形式とかマナーには一切無縁な人間だし、予めコースでオーダーする場合はいいとして、アラカルトでの料理注文となるとやっぱり少し戸惑ってしまう。
 微妙に、チョイスする品目の食材名も不確かだし、時々の料理に合ったワインの銘柄なんて今でもほとんど判らない・・・。
 
 なので、食通と呼ばれる人たちをみると、本当に心からの憧れを抱いてしまう。
 ワイン通も中々カッコいいけど、様々な料理や食材に対して薀蓄(うんちく)や知識を持っている人に出会ったりすると、もうそれだけで尊敬の念を抱いてしまうのだ。

 第一、僕はまったく料理が出来ない。
 その昔、東京で生活していた一時期、ハムエッグとかインスタント・ラーメンとかの簡単な料理(とは言えないな)は作った事があるものの、それもすぐに安い定食屋を近所に見つけた時点ですぐに止めてしまった。

 だから今でも、ご飯は炊けないし、味噌汁も作れない(掃除だけは得意ですが)。
 野菜や魚など、食材の時価なんかも全然分からない。買出しや料理を作る時間があったら、どこか家の近くの料理店に駆け込んで美味いものを食べたほうがずっといい。後片付けも凄く面倒だし。
 困ったものである。

 ただし、いつかは「男の厨房」とやらを本格始動してみたいものだと心底思ってみたりする。
 自分で食材を選び、自分で捌いて自分で味付けをする。料理は思想であると言った人がいたけれど、案外料理をする行為って、極めれば深い世界なのではあるまいか・・・。

 「アイアン・ジャイアント」(傑作アニメ映画として今でも伝説の作品として語り継がれている)や、「Mr.インクレディブル」を撮った、ブラッド・バード監督によるディズニーとピクサーによる最新アニメCG映画が「レミーのおいしいレストラン」だ。


 稀にみる嗅覚の持ち主で、いつかは一流レストランのシェフになる夢を抱いているドブネズミのレミーは、ある日、家族と離れ離れになってしまい、パリのとあるレストランに辿り着くのだが、そこは、レミーが尊敬する今は亡き名シェフ、グストーという人のお店だった。

 その有名レストランの厨房内では、見習いシェフのリングイニという男がスープを台無しにしていて、見かねたレミーはこっそりそのスープを作り直し、美味しい味のスープへと変え、客の大絶賛を浴びてしまう。
 それを目撃していたリングイニは、自分に料理の才能がないことを悟り、ねずみのレミーの才能を借りることをレミーに提案する。
 こうして二人はコンビを組み、パリ一番のシェフを目指すことになるのだが・・・。

 とにかく、CGが素晴らしい。
 これまで余り料理の映像をメインに据えるという事がなかったのかもしれないけれど、一つ一つの食材もリアルで、出来上がった料理もとても美味そうに見える。

 最初、ネズミが料理を作るという内容に、少し白けた部分もなかった訳ではないのだが、映画に吸い込まれてゆくうちに全く違和感がなくなって、逆にレミーが作った料理が美味そうに思えてくるから不思議。

 しかし、ピクサーの作るCGアニメは駄作がない。
 だからとても安心して観ていられる。世に送り出す映画はどれも大ヒットを記録していることから鑑みても、パートナーであるディズニーとの契約解消の一件はキツイだろう。

 ピクサー自体は他のハリウッド製作会社から引く手数多なので、これからも様々な傑作を生み出してゆくに違いないだろうが、去られるディズニーの痛手は計り知れないものがある。
 まだまだ何作かの契約はあるということなので、その点は安心していいのかも。

 今回の「レミーのおいしいレストラン」も当然、アメリカを含めた全世界で大ヒット中。
 ただし今回、本編の前に上映されるピクサーの短編は、ちょっと期待はずれ。毎回、中々面白い短編映画を見せてくれていたのに・・・。今回はイマイチの出来だったのが惜しまれる。

 僕が観た映画館も満員状態。結構笑いもそれなりにおきていました。はい。



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スティーヴン・ソダーバーグ監督の「オーシャンズ13」。今回が一番面白かった!

2007年08月05日 | Weblog
 スティーヴン・ソダーバーグという監督、これまでもスタイリッシュながら何処か冷めた視点に立って、次々と話題作や問題作を世に送り出してきた。

 スティーヴン・ソダーバーグは、13歳から映画を撮り始め、地元の高校を卒業した後、故郷でドキュメンタリーなどを制作し、1989年、「セックスと嘘とビデオテープ」で監督デビューし、なんとその処女作が、「サンダンス映画祭観客賞」と「カンヌ映画祭」のパルムドールを受賞する。

 確かに衝撃的なデビューではあった。
 当時、その話題の映画を観ようとすぐに映画館に飛び込み、デビュー作の「セックスと嘘とビデオテープ」を観たわけだけれど、そのときはちょっと肩透かしを食わされた気がした。
 どことなくクールで、冷め切ったような撮り方は別に嫌いじゃなかったのだが、「サンダンス映画祭観客賞」と「カンヌ映画祭」のパルムドールを獲るほど傑作映画だとは到底思えなかったのである。
 勿論、今もう一度観てみたら全く別の感想を抱くのかもしれないけれど・・・。

 スティーヴン・ソダーバーグは、その後しばらく低迷期が続く。期待が大きすぎて、プレッシャーを感じたのかもしれない。
 ジョージ・クルーニーが主演した「アウト・オブ・サイト」でメジャー映画を監督するようになるのである。
 この映画は、映画評論家筋でもかなりの高い評価を受けた。でも僕はどうも駄目だった。つまらなかった。期待外れという言い方のほうが正しいのかも。
 スティーヴン・ソダーバーグの、玄人っぽい演出というか、凝った映像美というか、そういう彼独特の映画的な文体が鼻に付くのである。

 でも映画はヒットし、いつの間にかスティーヴン・ソダーバーグは、巨匠の仲間入りを果たした。
 そしてついに、「エリン・ブロコビッチ」と「トラフィック」という素晴らしい二つの作品によって、アカデミー監督賞にダブル・ノミネートされ、「トラフィック」で受賞を果たすまでとなった。

 この2作品は確かに凄い。
 この「エリン・ブロコビッチ」と「トラフィック」という素晴らしい映画によって、僕個人のスティーヴン・ソダーバーグ評も180度変わってしまった。
 どちらも、芸術的な匂いと、それとは異質な娯楽性の匂いとの両面を持っていて、そのどちらもちょうど上手い具合に混じり合うことで、極上のエンターテイメント性を生み出すことに成功していたからだ。

 そして、スティーヴン・ソダーバーグは、2001年、ハリウッド・オールスターキャスト総出演による話題の映画、「オーシャンズ11」を作った。
 「オーシャンズ11」は大ヒット! そして「12」が続編で作られ、これもまた大ヒット。3作目となるこの「オーシャンズ13」も、アメリカのサマーシーズンに公開され、当然大ヒットを記録することとなった。

 ラスベガスのカジノホテルを舞台にした、華麗でスマートな犯罪チームによるスリリングな駆け引きを描いた人気シリーズの第3弾である。
 仲間の一人を窮地に陥れ、口も効けなくなるほど精神的なダメージを受けさせた冷酷な悪徳ホテル王に復讐すべく、みたび集結したオーシャンズが立ち上がるという内容である。

 今回はジョージ・クルーニー、ブラッド・ピットら、おなじみのレギュラー・キャストに加えて、新たにアル・パチーノとエレン・バーキンが初参戦? している。

 犯罪グループであるオーシャンズの古参メンバーの一人ルーベンは、これまで所有する全てのホテルで最高格付けの「5つダイヤ賞」を獲得してきた業界屈指のホテル王バンク(アル・パチーノ)と組み、ラスベガスの巨大ホテルの共同経営を進めていた。
 しかし、バンクに裏切られたショックで心筋梗塞に倒れ、危篤状態になってしまう。その報せを受け集まったオーシャンたちは、復讐を誓い、因縁の宿敵までも味方に引き入れ、壮大なプロジェクトを仕掛ける・・・。

 今回は、導入部から猛スピード状態!
 これまでだと、いわゆる「オーシャンと仲間たち」の一人一人を描くことに専念しなければならないという、ハンディを背負わされていたけれど、それも3作目ともなると当然いらなくなる。なので、あとは緊張感を保たせ、一気にハラハラ・ドキドキの犯罪劇を観客に提示することにのみ専念すればいいわけで。

 結果、これまでの「11」、「12」よりも数段面白い、集団犯罪劇の傑作となって現れた。
 2時間、全く飽きることなく、悪のホテル王バンクとの攻防戦に目が釘づけとなる。仮に、人間がちゃんと描かれていないという批判があるとすれば、それは前作できちんと描いているじゃんと居直るしかない。

 スピーディかつスタイリッシュ。面白い。



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