僕の住む街にはシネコンを含めて何軒かの映画館がある。
勿論その昔、中心市街地には多くの映画館がひしめき合っていて、とても一週間では観切れないほどの様々なジャンルの映画が上映されていたけれど、今はその面影もない。
皮肉なもので、どうしても観たい映画に限ってこの街では上映されないというケースが多々ある。
仮に、この街ではなくても県内上映があれば、土日に車を飛ばして駆けつけるという事も可能だけれど、そうだとしても一週間限定上映などであれば(ミニシアター系のマイナーな映画はこの手の上映が多いから困ってしまう)、土日が仕事だったり何らかのイベントだったりすると、結局諦めるしか手はない。
今回のアニメ映画「秒速5センチメートル」も、県内で八戸地区、つまり「八戸フォーラム」のみの独占上映ということに相成った。
当然、観たいという願望は日増しに高まる。しかし、上映時間そのものだって限られているし、期間も短いということになれば、観る可能性はおのずと狭まってゆく。
最終的に断念。次のDVD発売を心待ちするしか手立てはなくなった。
個人的に言うと、新作映画貸し出し解禁日にDVDレンタル店に駆け込むという行為が、どうも落ち着かなくて嫌いなのである。
行ってみると、全部貸し出し中ということがこれまでにも数多くあったからだ。これは何というか、屈辱感のような、喪失感のような、とても複雑な気分に襲われる(ちょっと大袈裟ですが)。単に観れないということではなくて。
どうして俺がこんなに楽しみにしていた映画を観る事が出来ないんだ? 確かに俺以外にも今日のレンタル解禁日を指折り数えて待ち、朝一番で駆けつけた人もいるんだろうが、偶然レンタル店に立ち寄っただけなのに、たまたまその最新DVDを見つけ「ラッキーじゃん」なんて言葉を吐きながら嬉しそうに借り求める人も絶対いたに違いない。俺はそういう奴に負けたのか、悔しい・・・などと馬鹿な妄想を抱いてしまうのである。
まあ、別にどうでもいいんだけど。
前置きが長くなってしまったけれど、とにかく新海誠監督のアニメ映画「秒速5センチメートル」は、DVDを買って観ることになってしまった。仕方がない。
新海誠監督には、シネマ・ディクトで会ったことがある。
「雲のむこう、約束の場所」の上映初日の舞台挨拶でのことだ。好青年という印象が強い。好感が持てるナイーヴそうな人に見えた。
ただし、映画自体は面白くなかった。期待外れだった。
青森を舞台にしているから、その点は原風景も含めて確かに興味をそそられたけれど、余りにも第1作長編アニメ「ほしのこえ」が素晴らしかったので、期待も大きく膨らみ過ぎたのかもしれない。
そして今回、満を持しての第3作目。「秒速5センチメートル」が発表されるに至った。
新海誠は、これまでも、素材としてSFや近未来の世界を基底に据えながら、それらと反撥させるかのように、対極に位置する日本の原風景としての自然や街並みを叙情的に描いてきた。
ひっそりとした街に静かに降り続ける雨や、しんしんと降り積もる牡丹雪。それから夏の真っ白な入道雲や、蝉の哀しい鳴き声や、淋しげな夕暮れ時の虹・・・。
それらは新海誠が紡ぐ物語の中に句読点のように張り付けられ、映画全体を静謐に包んでゆく。
小学校卒業と同時に離ればなれになってしまった、遠野貴樹と篠原明里。遠く離れた二人を繋いでいるのは、互いの手紙と純粋な愛だけだった。
ある日、貴樹は明里に会うために電車を乗り継いで明里の住む街まで会いに行くことを決心する。ところがその日は大雪になり、電車は大幅な遅れを来たしてしまう・・・。
貴樹が明里に再会するための小さな冬の旅を描く「桜花抄」、その後の高校生になった貴樹を、彼を愛する別の女性の視点で描く「コスモナウト」、そして彼らの今を鮮明に描き切った「秒速5センチメートル」の3編からこのアニメは成り立っている。
ラストを飾る「秒速5センチメートル」が秀抜。
山崎まさよしの曲を背景に、2人の今の心の動きを小さなカットを積み重ねながら描いてゆく。
1話と2話は、ちょっとセンチメンタル過ぎ。まるで甘いストロベリーケーキを食べているみたい。それはそれで新海誠らしい演出だと言えなくもないけれど。
しかし第3話はいい。ビターでソフィスティケートされた恋愛映画の趣き。切なくて美しくて哀しい。
それもたった10分程度の短編なのに、その中に濃縮ジュースのような濃い目の美味さが詰まっている。
いいよ!
勿論その昔、中心市街地には多くの映画館がひしめき合っていて、とても一週間では観切れないほどの様々なジャンルの映画が上映されていたけれど、今はその面影もない。
皮肉なもので、どうしても観たい映画に限ってこの街では上映されないというケースが多々ある。
仮に、この街ではなくても県内上映があれば、土日に車を飛ばして駆けつけるという事も可能だけれど、そうだとしても一週間限定上映などであれば(ミニシアター系のマイナーな映画はこの手の上映が多いから困ってしまう)、土日が仕事だったり何らかのイベントだったりすると、結局諦めるしか手はない。
今回のアニメ映画「秒速5センチメートル」も、県内で八戸地区、つまり「八戸フォーラム」のみの独占上映ということに相成った。
当然、観たいという願望は日増しに高まる。しかし、上映時間そのものだって限られているし、期間も短いということになれば、観る可能性はおのずと狭まってゆく。
最終的に断念。次のDVD発売を心待ちするしか手立てはなくなった。
個人的に言うと、新作映画貸し出し解禁日にDVDレンタル店に駆け込むという行為が、どうも落ち着かなくて嫌いなのである。
行ってみると、全部貸し出し中ということがこれまでにも数多くあったからだ。これは何というか、屈辱感のような、喪失感のような、とても複雑な気分に襲われる(ちょっと大袈裟ですが)。単に観れないということではなくて。
どうして俺がこんなに楽しみにしていた映画を観る事が出来ないんだ? 確かに俺以外にも今日のレンタル解禁日を指折り数えて待ち、朝一番で駆けつけた人もいるんだろうが、偶然レンタル店に立ち寄っただけなのに、たまたまその最新DVDを見つけ「ラッキーじゃん」なんて言葉を吐きながら嬉しそうに借り求める人も絶対いたに違いない。俺はそういう奴に負けたのか、悔しい・・・などと馬鹿な妄想を抱いてしまうのである。
まあ、別にどうでもいいんだけど。
前置きが長くなってしまったけれど、とにかく新海誠監督のアニメ映画「秒速5センチメートル」は、DVDを買って観ることになってしまった。仕方がない。
新海誠監督には、シネマ・ディクトで会ったことがある。
「雲のむこう、約束の場所」の上映初日の舞台挨拶でのことだ。好青年という印象が強い。好感が持てるナイーヴそうな人に見えた。
ただし、映画自体は面白くなかった。期待外れだった。
青森を舞台にしているから、その点は原風景も含めて確かに興味をそそられたけれど、余りにも第1作長編アニメ「ほしのこえ」が素晴らしかったので、期待も大きく膨らみ過ぎたのかもしれない。
そして今回、満を持しての第3作目。「秒速5センチメートル」が発表されるに至った。
新海誠は、これまでも、素材としてSFや近未来の世界を基底に据えながら、それらと反撥させるかのように、対極に位置する日本の原風景としての自然や街並みを叙情的に描いてきた。
ひっそりとした街に静かに降り続ける雨や、しんしんと降り積もる牡丹雪。それから夏の真っ白な入道雲や、蝉の哀しい鳴き声や、淋しげな夕暮れ時の虹・・・。
それらは新海誠が紡ぐ物語の中に句読点のように張り付けられ、映画全体を静謐に包んでゆく。
小学校卒業と同時に離ればなれになってしまった、遠野貴樹と篠原明里。遠く離れた二人を繋いでいるのは、互いの手紙と純粋な愛だけだった。
ある日、貴樹は明里に会うために電車を乗り継いで明里の住む街まで会いに行くことを決心する。ところがその日は大雪になり、電車は大幅な遅れを来たしてしまう・・・。
貴樹が明里に再会するための小さな冬の旅を描く「桜花抄」、その後の高校生になった貴樹を、彼を愛する別の女性の視点で描く「コスモナウト」、そして彼らの今を鮮明に描き切った「秒速5センチメートル」の3編からこのアニメは成り立っている。
ラストを飾る「秒速5センチメートル」が秀抜。
山崎まさよしの曲を背景に、2人の今の心の動きを小さなカットを積み重ねながら描いてゆく。
1話と2話は、ちょっとセンチメンタル過ぎ。まるで甘いストロベリーケーキを食べているみたい。それはそれで新海誠らしい演出だと言えなくもないけれど。
しかし第3話はいい。ビターでソフィスティケートされた恋愛映画の趣き。切なくて美しくて哀しい。
それもたった10分程度の短編なのに、その中に濃縮ジュースのような濃い目の美味さが詰まっている。
いいよ!