「世界中の子供たちの窮状を救うために」とイタリア女優マリア・グラツィア・クチノッタ(よく知らない人ですが)という人の呼びかけに対して、ユニセフと国連世界食糧計画が賛同、世界7ヵ国から7組8人の映画監督が参加したオムニバス形式の映画が「それでも生きる子供たちへ」。
最初、この映画を観ようかどうしようか暫く迷った。
どうも子どもたちをテーマにした映画を観ると、涙腺が弱くなってしまうからだ。映画館で観るよりも、もう少し待ってDVDで観ようかなどとも考えたのである。
結局、観ようと意を決し(って、それほど大袈裟な決意でもないけれど)、映画館へと直行した。
しかしこの映画も、観客は全然いなかった。
やはりみんな、「オーシャンズ13」とか「西遊記」とか「ポケモン」を観に行くんだろうなあ。
世界の子どもたちがそれぞれ直面している困難や疎外、差別、貧困・・・。そんな事を深く考え、あえて直視しなくても、日々の生活はそれなりに厳しく、誰もが息苦しさを感じているわけで・・・。
ならば、せめて休日ぐらい、そんな現実に戻されて深刻に考え込むような映画を観るよりは、豪快に、ストレスを解消するアクション映画とかお笑い映画を観るほうが当然いいに決まっている。よく解ります。
ただ、だからといって、今ここにある問題をちゃんと把握する事さえも拒否してはいけない。世界を知らないことは、自分自身を知らないことへも繋がってゆく。
この映画は、子どもの目線を借りながら、それぞれの国が抱える社会的な問題や現実そのものもまた描写する。
大体一本の上映時間が約20分程度。それを各監督たちが自らのテーマに則って造り上げてゆく。
まず第1話は、メディ・カレフ監督の「タンザ」という作品。
ゲリラ部隊の一員として戦闘にかり出されているルワンダの少年の物語である。
何人かが徒党を組み、銃を背負ってジャングルを彷徨っている。全て子どもたちだ。多くは語られないが、反対勢力との熾烈なゲリラ戦が行われていて、彼らはある日、敵側の村に出くわしてしまう。
ところが、村の中の忍び込んだ場所は、子どもたちが通う粗末な学校の教室だった。そこで少年は、ふと机に座り、自分が通っていた頃の学校を懐かしく思い出す・・・。
第2話は、エミール・クストリッツァ監督の「ブルー・ジプシー」。
窃盗団の家族として生まれ、両親から盗みを強要されている少年が、窃盗で入った少年院での暮らしを忘れられず、過酷な社会での生活を拒否して、またその場所に舞い戻ってゆく話・・・。
このように、映画は子どもを取り巻く苛酷な状況をも付加し、ある限られた時間を切り取りながら、わたしたちの前にその断片を提示する。
第3話は、HIV感染者を両親に持ち、生まれた時からHIVに感染して、「エイズの子」と同級生たちから虐められている少女を真正面から堂々と描くスパイク・リー監督作「アメリカのイエスの子ら」。
それから、カティア・ルンド監督の「ビルーとジョアン」は、廃品を集めて小銭に換え自活するブラジルの兄妹の物語。
続く、ジョーダン・スコットが父リドリー・スコットと共同で監督した「ジョナサン」、この短編映画は、戦場体験ショックから精神的な変調を来たしてしまったフォトジャーナリストが体験する、子ども時代へのタイムスリップを幻想的に綴る。
さらには、イタリアのステファノ・ヴィネルッソ監督作「チロ」。これは、大窃盗団の一員として生きる少年の物語。
そして最後を飾ったのが、「フェイス・オフ」や「ミッション・インポッシブルⅡ」を撮ったジョン・ウー監督。
この小品が、一番完成度が高かったように思う。
それに続くのが、スパイク・リー監督による直球ど真ん中、「アメリカのイエスの子ら」だろうか。
ジョン・ウー監督の「桑桑(ソンソン)と小猫(シャオマオ)」は、裕福な上流階級に暮らしながら、父親と母親の不仲によって愛のない家庭を強いられる少女と、その一方で、母親に生み棄てられ、ふとしたことから貧しい老人に拾われた足の不自由な少女との一瞬の出会いと別れを描いていて、感動を呼ぶ。
僕はオムニバス映画が大好きだし、今回の小品集もいい出来映えに仕上がっている。
心が少し洗われる。そんな感じかな。
最初、この映画を観ようかどうしようか暫く迷った。
どうも子どもたちをテーマにした映画を観ると、涙腺が弱くなってしまうからだ。映画館で観るよりも、もう少し待ってDVDで観ようかなどとも考えたのである。
結局、観ようと意を決し(って、それほど大袈裟な決意でもないけれど)、映画館へと直行した。
しかしこの映画も、観客は全然いなかった。
やはりみんな、「オーシャンズ13」とか「西遊記」とか「ポケモン」を観に行くんだろうなあ。
世界の子どもたちがそれぞれ直面している困難や疎外、差別、貧困・・・。そんな事を深く考え、あえて直視しなくても、日々の生活はそれなりに厳しく、誰もが息苦しさを感じているわけで・・・。
ならば、せめて休日ぐらい、そんな現実に戻されて深刻に考え込むような映画を観るよりは、豪快に、ストレスを解消するアクション映画とかお笑い映画を観るほうが当然いいに決まっている。よく解ります。
ただ、だからといって、今ここにある問題をちゃんと把握する事さえも拒否してはいけない。世界を知らないことは、自分自身を知らないことへも繋がってゆく。
この映画は、子どもの目線を借りながら、それぞれの国が抱える社会的な問題や現実そのものもまた描写する。
大体一本の上映時間が約20分程度。それを各監督たちが自らのテーマに則って造り上げてゆく。
まず第1話は、メディ・カレフ監督の「タンザ」という作品。
ゲリラ部隊の一員として戦闘にかり出されているルワンダの少年の物語である。
何人かが徒党を組み、銃を背負ってジャングルを彷徨っている。全て子どもたちだ。多くは語られないが、反対勢力との熾烈なゲリラ戦が行われていて、彼らはある日、敵側の村に出くわしてしまう。
ところが、村の中の忍び込んだ場所は、子どもたちが通う粗末な学校の教室だった。そこで少年は、ふと机に座り、自分が通っていた頃の学校を懐かしく思い出す・・・。
第2話は、エミール・クストリッツァ監督の「ブルー・ジプシー」。
窃盗団の家族として生まれ、両親から盗みを強要されている少年が、窃盗で入った少年院での暮らしを忘れられず、過酷な社会での生活を拒否して、またその場所に舞い戻ってゆく話・・・。
このように、映画は子どもを取り巻く苛酷な状況をも付加し、ある限られた時間を切り取りながら、わたしたちの前にその断片を提示する。
第3話は、HIV感染者を両親に持ち、生まれた時からHIVに感染して、「エイズの子」と同級生たちから虐められている少女を真正面から堂々と描くスパイク・リー監督作「アメリカのイエスの子ら」。
それから、カティア・ルンド監督の「ビルーとジョアン」は、廃品を集めて小銭に換え自活するブラジルの兄妹の物語。
続く、ジョーダン・スコットが父リドリー・スコットと共同で監督した「ジョナサン」、この短編映画は、戦場体験ショックから精神的な変調を来たしてしまったフォトジャーナリストが体験する、子ども時代へのタイムスリップを幻想的に綴る。
さらには、イタリアのステファノ・ヴィネルッソ監督作「チロ」。これは、大窃盗団の一員として生きる少年の物語。
そして最後を飾ったのが、「フェイス・オフ」や「ミッション・インポッシブルⅡ」を撮ったジョン・ウー監督。
この小品が、一番完成度が高かったように思う。
それに続くのが、スパイク・リー監督による直球ど真ん中、「アメリカのイエスの子ら」だろうか。
ジョン・ウー監督の「桑桑(ソンソン)と小猫(シャオマオ)」は、裕福な上流階級に暮らしながら、父親と母親の不仲によって愛のない家庭を強いられる少女と、その一方で、母親に生み棄てられ、ふとしたことから貧しい老人に拾われた足の不自由な少女との一瞬の出会いと別れを描いていて、感動を呼ぶ。
僕はオムニバス映画が大好きだし、今回の小品集もいい出来映えに仕上がっている。
心が少し洗われる。そんな感じかな。