淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

新作「SOUL電波」を聴いた。ああーっ。「クレイジーケンバンド」って何でこんなにいいんだろう?

2007年08月22日 | Weblog
 「クレイジーケンバンド」がデビューしたての頃、僕はボーカルの横山剣の歌う癖のある独特の声や、彼らの少し中年っぽい醒めたスタンス、それから崩れたようなコミックバンド的パフォーマンスに、どこか際物臭さを感じ取ってしまい、それからしばらく敬遠状態が続き、音楽自体もほとんど聴くことがなかった。
 僕が改めて彼らの音楽に触れたのは、2004年に発売されたアルバム「BROWN METALLIC」からだ。

 当時(2004年当時のブログ日記を見てもらえば一目瞭然だけど)の僕は、酷い落ち込みようが続いていて、連日連夜、夜の街に繰り出すか、すがるように心理学や哲学関連の本を読み漁っていた。
 毎日が耐えられなかったのである。
 今改めて考えてみると、よく持ったものだと自分ながら感心してしまう。仕事も忙しく、プライベートも最悪で、いいことなど何一つ無かった。

 特に、仕事が終わる夕方から夜に掛けてが酷かった。
 もうなんて言ったらいいのだろう。圧倒的な重圧感を伴って、胸の辺りから様々な負の感情が入り混じった「どろどろとした塊」が這い上がってくるとでも表現したら理解してもらえるだろうか。
 淋しさとか虚しさとか敗北感とか挫折感とか劣等感とかが、怒涛の如く襲って来る。そのままその場に立ち竦み、歩けなくなる。

 仕事場では極力明るく何事もなかったように平然と振舞っているから、仕事が終わるとそれまで溜まりに溜まっていた感情が、どっと体の中から噴出してくる。
 勿論、本当は仕事中でも、その耐え切れないほどの「塊」は次々と涌き出ていて、忙しさがそれらを隠しているに過ぎない。
 
 秋の夜は長い。
 やがて来る憂鬱で寒い冬。
 街はひっそりと静まり返り、自分だけが世界の片隅に取り残されているような感覚。このまま時間だけが無情に進んでゆき、やがて俺も死んでしまう。そこには一切何も残らない。空しい。ただ空しい。俺には何もない・・・。

 最終的にそれらの負の感情を伴う暴風雨から救ってくれたのは仲のよい何人かの友人たちである。僕は多くの友達から助けられた。それは今でも心から感謝している。
 そしてもう一つ。
 それは音楽だった。

 2004年の秋。とても苦しかった秋。今でも時々思い出す、あの壮絶な日々。
 僕はいったい何度、クレイジーケンバンドの「BROWN METALLIC」を聴いたことか。
 何遍も何遍も繰り返し彼らの曲を聴くことで、僕のボロボロに砕けた心は少しずつ穏やかに変わり、そしてまた大きくひとつへと静かに固まっていった。

 決して上手いとは言えない横山剣の声。でも、そこには、とても懐かしい雰囲気と前向きな力が漲っている。
 黒人音楽や、R&Bや、日本の歌謡曲だけではなく、世界各国で息づく素晴らしい音楽のいいところを素早く取り入れたチャンプルーな音の群れ。
 男の強がりや男の弱さ、女々しさ、それから大いなる遊び心が、聴いている人間にもきちんと伝わってくる。
 彼らはとても正直で真面目なのだろう。

 そしてここに、クレイジーケンバンド9枚目となるアルバムが発売された。
 「SOUL電波」。
 今回も全21曲というてんこ盛り。よくもまあ、毎回20曲前後の曲を取り入れられるものだと感心する。

 シングル発売された「タオル」や、「RESPECT!OTOSAN」、それから「てんやわんやですよ」など、ヴァラエテイに富んだ楽曲がたくさん詰まっていて、決して一本調子にならないところがまた、クレイジーケンバンドの凄さである。

 「タオル」という曲を聴くと、真夏の海に飛び込んだような爽快感に襲われる。
 歌詞の中に繰り返し出てくる、「考えるな! 感じろ!」。中々いい言葉だ。そしてこれこそが、クレイジーケンバンド自体を巧く表している言葉だと思う。

 クレイジーケンバンドは、今年で結成10周年だそうな。
 僕は、前段でも述べたように「BROWN METALLIC」からマジで聴き始めた後発ファンなので、それ以前の作品は余り知らない。

 今度は、ファースト・アルバムから順番に聴いてみようと思っている。
 クレイジーケンバンド。
 ほんと、和む。




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