淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

アルゼンチン映画「ボンボン」を、観客が僕以外誰もいない映画館で観た。

2007年08月20日 | Weblog
 映画の宣伝文句が「世界一ツイていないオジサンがある日、幸せを呼ぶ犬ボンボンと出会った・・・」というようなもの。
 これには、ちょっとカチンときた。

 何なんだ? 世界一ツイないって。
 そういう、安直な言葉で遊ばれると腹が立つ。まあ、たかが誇張されたPR用だろうとは思う。思うけれど、ツイてないとか不幸とかの文字に、オジサンを付けさえすれば何とか謳い文句になるだろうという、その映画会社側の見え透いた姿勢がいやなのである。

 自分は高みから見物し、少しだけ人生に戸惑っている人間を単に「世界一ツイてないオジサン」と見た目のインパクトで花火をあげる。
 やだなあ、そういうスタンスって。
 でも映画自体に責任はない。監督だって、そんなことを望んでいるわけじゃないだろう。

 それに、このアルゼンチン映画「ボンボン」に出て来る冴えない中年オジサンは、決して世界一ツイていないオジサンではない。
 どこかハニカミ屋で、世間とちゃんと対峙出来ずに戸惑う姿は、愛しいくらいだ。
 とても愛すべき男性なのである。

 映画を観てから知ったことだけれど、この映画の主人公を含め、出演者のほとんどが演技をしたこともない全くの素人なのだとか。
 やっぱり。
 だって、この「ボンボン」の主役を演じている中年男性の顔の表情、半端じゃなく素晴らしいのである。名演技である。
 少し照れくさそうに話す時の何ともいえない表情。自分に降りかかって来る様々な不幸を受け止める際の、達観したような淋しい笑み。とにかく凄い。
 悲しみを底に据えながら、あえて笑いを繕うような、そんな複雑な表情と言ったらいいのか。
 最初、アルゼンチンを代表する演技派俳優なのだと本気で思ったくらいだ。
 
 「ボンボン」は、主役の一人と一匹、つまり淋しい中年のオジサンと名犬ボンボンによって成り立っている映画である。
 主人公の中年男性は、寂れた郊外のガソリンスタンドで20年間働いてきたが、ある日突然スタンドが売却されて、あっけなくクビになってしまう。

 途方に暮れた彼は、娘夫婦の住む貧しい家に転がり込む。
 しかし娘の夫は、腑抜けにも引き篭もっていて家計は苦しく、幼い子どもたちの世話で、娘も疲労困憊し切っている。肩身が狭い。

 仕方なく、彼はオンボロ車に乗り込み、手彫りのナイフを売って生計を立てようとするが、それも中々うまくいかない。
 ある日、仕事の途中で車が故障して困っている女性を見つけ、修理を手伝ったお礼に、彼は白い犬を貰い受ける。

 その犬はドゴ・アルヘンティーノという血統書付の名犬で、ふと知り合った銀行員の紹介で犬の訓練師を紹介してもらい、ボンボンという名前を付けてドッグ・ショーに出場させることに。そこで賞金を稼ごうと考えたのだ。
 ところが、そのドッグ・ショーに、初出場ながらいきなり第3位という好成績を得て、彼は有頂天になってしまう・・・。

 映画「ボンボン」は、ヨーロッパで大ヒットしたらしい。
 幸福そうな犬のボンボンと、冴えないおじさんとの、新しい人生を探してゆく旅の物語である。アルゼンチン版「わらしべ長者」という文句も予告編では踊っていた。

 監督は、カルロス・ソリンという人らしいが、全く知りません。日本で上映された映画もあるらしいけれど、観ていない。
 この監督、「演技よりも、その人自身の言葉や表情を映画にしたい」と語っているが、確かに無名の人たちによる自然の演技がこの映画を支えている。
 俳優ではなく実際にパタゴニアで出会った一般の人を監督が気に入り、説得して映画に出演してもらったことが、「ボンボン」を成功に導いたのだろう。

 何度も繰り返すけれど、「世界一ツイていないオジサンがある日、幸せを呼ぶ犬ボンボンと出会った」ことから突然ツキ始める物語では決してない。
 そうではなくて、何処にでもいる、人生の後半期を迎え、明日への希望や幸福を見失いそうになった一人の人間の、再生への旅を描く、とても温かい映画が「ボンボン」なのだ。

 それにしても、映画館に入ったら、観客は僕ひとり。
 まあ、誰にも邪魔されずに貸し切り状態で観る映画というのも悪くはない。
 この映画を観ている間、独りでこんな旅が出来たらなあって、ずっと考えていた。

 あーあ。遠くへ行きたい・・・。



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