ふるさとは 深いしじまに輝きだす
静かにゆったりとした時間が流れる夏の午後、冷蔵庫から取り出した冷えた缶ビールの美味いことといったら、もう・・・。
ステイーブン・ハンターのミステリー小説をベッドに横になりながら読み、少し眠くなるとそのまま眠り、また浅い眠りからゆっくり解かれ、本の続きを読んでゆく。そんな事を繰り返している。
昨日、デパ地下で買い求めた鰊(にしん)の甘露煮を頬張りながら、とても冷たい缶ビールをあおる。今日はアサヒの「PRIME TIME」。
鰊(にしん)の甘露煮が美味しい。
今日は風も涼しく、どこかに秋の香りが含まれているよう。
映画も観に行く気が起きず、ジョギングもしたくない。
少しだけお昼近く、歩いて中心市街地まで歩いてお散歩。ちょうど今日は歩行者天国で、出店や自衛隊の展示車両や祭囃子のライブが執り行われていた。
何人かの知人にばったりと会い、近況を語り合い、また別れてゆく。
マックに入って、いつもの「マックフルーリー」を注文。2階のカウンターから日曜日の賑やかな街を頬杖ついて眺める。
家に帰って、屋上にビーチ・チェアを持ち出し、しばしの日光浴。勿論、海水パンツ一丁で。
で、そのあとはミステリーを読みながら缶ビールをちびちびと飲み、それから若干のお昼寝と相成った次第。
冷蔵庫には、缶ビールが残り2本、そしてワインが1本と黒糖梅酒のボトルが1本。それで底をつく。これらを全て飲み終えたら断酒することに決めた。
誕生日の来週日曜日から、酒は一切断つつもり。
ブログも暫くの間、中断する。そのまま止めるかもしれないけれど・・・。でも一応12月26日までの4か月間は閉じるつもりでいる。
夕方。
またいつもの、何とも表現し難い感情が胸の奥辺りから湧き上がってくる。
幾分、酔いも回っているからかもしれないけれど、切ないような淋しいような苦しいような、あらゆる負の感情が詰まった塊が、ぬーっと現われて来るのだ。
でも、去年の秋から冬に襲って来た、あの圧倒的な耐え難い感情とは少し違うけど・・・。
ちょっとほろ酔い加減のまま外に出て、いつもの指定席、青函連絡船「八甲田丸」の先の海を一望出来るベンチに腰を下ろす。
釣り人がいる。孫を連れた老人がいる。観光客らしい女性2人組が、八甲田丸の前にある歌碑から流れる、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」を聴いている。
夏が終わる。
青森駅の線路脇からプラットホームを眺めると、東京方面行きの列車は超満員。人でごった返ししている。東京かあ。東京・・・。
街中はいつもより人が多い。行き交う人々は何故かみな楽しそうに見える。
テレビでは日本テレビ「24時間テレビ」。
しかし、なぜ萩本欣一を炎天下70キロも走らせなければならないんだ? これだとまるで拷問だろう?
第一、愛が地球を救ったことなんてあったのか? 地球は愛で救われた事など一度もない。勿論、救えるものなら救って欲しいが。
虚構である。偽善である。
莫大な放送費を投入して、愛などと平気に語って欲しくない。視聴率が欲しいだけなんじゃないの? などと、ひねくれ者のニヒリストとしては一瞬穿った見方をしてしまう。
確かに、善意の募金はきちんと使われていくのだろうが、その純粋なボランティア側に対する非難ではなく、放送局の「反論出来ない善意」の姿勢が妙に腹立たしいのである。
明日からは、5連続で飲み会が続く。
アフガニスタンではまだ不安定な治安が続き、ペルーでは大地震で多くの人が亡くなった。子どもたちの犠牲者もたくさんいる。
それなのに、この俺は、仕事が厭だ、飲み会が続く、人生なんて、などと瑣末な小さいことで喘いでいる。
日本テレビを、俺は笑えない!
ようは肝が据わっていないのである。度胸がないのである。腑抜けなアホなのである。単なる現状回避をしているだけの大馬鹿野郎なのである。
いっつも、ぐだぐだと・・・。
ステイーブン・ハンターのミステリー小説をベッドに横になりながら読み、少し眠くなるとそのまま眠り、また浅い眠りからゆっくり解かれ、本の続きを読んでゆく。そんな事を繰り返している。
昨日、デパ地下で買い求めた鰊(にしん)の甘露煮を頬張りながら、とても冷たい缶ビールをあおる。今日はアサヒの「PRIME TIME」。
鰊(にしん)の甘露煮が美味しい。
今日は風も涼しく、どこかに秋の香りが含まれているよう。
映画も観に行く気が起きず、ジョギングもしたくない。
少しだけお昼近く、歩いて中心市街地まで歩いてお散歩。ちょうど今日は歩行者天国で、出店や自衛隊の展示車両や祭囃子のライブが執り行われていた。
何人かの知人にばったりと会い、近況を語り合い、また別れてゆく。
マックに入って、いつもの「マックフルーリー」を注文。2階のカウンターから日曜日の賑やかな街を頬杖ついて眺める。
家に帰って、屋上にビーチ・チェアを持ち出し、しばしの日光浴。勿論、海水パンツ一丁で。
で、そのあとはミステリーを読みながら缶ビールをちびちびと飲み、それから若干のお昼寝と相成った次第。
冷蔵庫には、缶ビールが残り2本、そしてワインが1本と黒糖梅酒のボトルが1本。それで底をつく。これらを全て飲み終えたら断酒することに決めた。
誕生日の来週日曜日から、酒は一切断つつもり。
ブログも暫くの間、中断する。そのまま止めるかもしれないけれど・・・。でも一応12月26日までの4か月間は閉じるつもりでいる。
夕方。
またいつもの、何とも表現し難い感情が胸の奥辺りから湧き上がってくる。
幾分、酔いも回っているからかもしれないけれど、切ないような淋しいような苦しいような、あらゆる負の感情が詰まった塊が、ぬーっと現われて来るのだ。
でも、去年の秋から冬に襲って来た、あの圧倒的な耐え難い感情とは少し違うけど・・・。
ちょっとほろ酔い加減のまま外に出て、いつもの指定席、青函連絡船「八甲田丸」の先の海を一望出来るベンチに腰を下ろす。
釣り人がいる。孫を連れた老人がいる。観光客らしい女性2人組が、八甲田丸の前にある歌碑から流れる、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」を聴いている。
夏が終わる。
青森駅の線路脇からプラットホームを眺めると、東京方面行きの列車は超満員。人でごった返ししている。東京かあ。東京・・・。
街中はいつもより人が多い。行き交う人々は何故かみな楽しそうに見える。
テレビでは日本テレビ「24時間テレビ」。
しかし、なぜ萩本欣一を炎天下70キロも走らせなければならないんだ? これだとまるで拷問だろう?
第一、愛が地球を救ったことなんてあったのか? 地球は愛で救われた事など一度もない。勿論、救えるものなら救って欲しいが。
虚構である。偽善である。
莫大な放送費を投入して、愛などと平気に語って欲しくない。視聴率が欲しいだけなんじゃないの? などと、ひねくれ者のニヒリストとしては一瞬穿った見方をしてしまう。
確かに、善意の募金はきちんと使われていくのだろうが、その純粋なボランティア側に対する非難ではなく、放送局の「反論出来ない善意」の姿勢が妙に腹立たしいのである。
明日からは、5連続で飲み会が続く。
アフガニスタンではまだ不安定な治安が続き、ペルーでは大地震で多くの人が亡くなった。子どもたちの犠牲者もたくさんいる。
それなのに、この俺は、仕事が厭だ、飲み会が続く、人生なんて、などと瑣末な小さいことで喘いでいる。
日本テレビを、俺は笑えない!
ようは肝が据わっていないのである。度胸がないのである。腑抜けなアホなのである。単なる現状回避をしているだけの大馬鹿野郎なのである。
いっつも、ぐだぐだと・・・。