淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「アメリカン・ビューティ」のサム・メンデス監督の、湾岸戦争を描いた「ジャーヘッド」を観る。

2006年02月09日 | Weblog
 「アメリカン・ビューティ」でアカデミー賞を取ったサム・メンデス監督。
 「ロード・トゥ・パーディション」も素晴らしい映画だった。
 そして新作がついに封切られた。
 「ジャーヘッド」。
 今回は湾岸戦争を描く。

 湾岸戦争は、短期間で終結した。
 イラクの侵略によって勃発した戦争の一部始終は、テレビを通じて我々のいる場所に届けられ続けた。
 茶の間で観る戦争。
 そこに臨場感や緊迫感はあるかもしれないが、現実味は失せている。
 チャンネルを回せば、また別のバラエティ番組が映し出され、僕たちはまるでシューティング・ゲームを横目で眺めるように、その戦争を見ていたのである。
 バーチャル・リアリティ。
 本当に戦争なんて行われていたのだろうか?
 何が現実で、そして何が虚構なのか。
 鳥瞰図的に見下ろした画面には、爆弾投下された夜の街が映っていた。人が殺されているという現実、そのとても重要で大切な感覚が麻痺してゆく・・・。

 映画は前半、滑らかに進む。
 アメリカ軍に入隊した、ジェイク・ギレンホールの目線で物語は語られる。
 非人間的な組織。上司は、部下を鼓舞し、そして煽る。
 「フルメタル・ジャケット」のような展開だ。

 軍は、外交戦略の長引きから、滞留を余儀なくされ、若者たちは激しい訓練に明け暮れる。
 その過酷な男たちだけの日常が丹念に描かれる。
 誰も殺さない。戦争はここでは起こらない。
 猛烈な熱波の中で、軍隊生活を送る若者たちのフラストレーションが徐々に溜まってゆく・・・。
 途中でコッポラの「地獄の黙示録」が映されたり、ドアーズの曲を掛けて飛ぶ軍用機に向かって「ベトナム戦争の時の曲なんか流すんじゃねえ!」と叫ぶシーンは、コッポラ自身への敬意からだろう。

 ただ、この映画を「地獄の黙示録」や「プラトーン」や「シン・レッド・ライン」の系譜を期待すると、ちょっと肩透かしを食うかもしれない。
 「ジャーヘッド」は、砂漠での鬱積した日常を淡々と描いてゆくだけだからだ。
 勿論、後半、戦争が始まってからは、それなりの緊迫した動きがあるけれど。しかし、全体を通して描かれているのは、一人の米兵の目から見た湾岸戦争の姿である。
 
 音楽が有効に使われている。
 パブリック・エナミーの「ファイト・ザ・パワー」とか、カニエ・ウェストの「ジーザス・ウォークス」などなど。それからT-REXも。
 特に、ラストに流れる、カニエ・ウェストの「ジーザス・ウォークス」は最高にいい。

 映画の中での湾岸戦争は、突発に収束する。しかもあっけなく。
 それを、この映画でサム・メンデス監督は言いたかったのかも。
 ドラマなんてないのだと。その大きな流れは、突然収斂し、また別の日常が繰り返されてゆくだけなのだと。
 
 しかし。戦争で、確実に人間は死んでいるのだ。絵空事ではなく。
 それも、痛みと恐怖を伴って・・・。

 
 
 

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