淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「本当に、不幸な時代がもうすぐそこまで来てるんだろうか?」

2006年02月13日 | Weblog
 僕は悲観論者である。
 ここにワインがちょうど半分入ったボトルがあったとして、「まだこんなに入っている」派と、「もうこれしかない」派がいたとすれば、僕は迷わず「もうこれしかない」派だと断言できる。
 それに何でも、悪い方、悪い方に考える癖が抜けないし、この人類だって未来永劫繁栄し続けるなんて絶対思わない。
 性悪説を信じている。

 最近の「希望格差社会」や「下流社会」の例を待つまでもなく、日本の未来に対する悲観的な論調がマスコミや文壇を賑わしている。
 少子化、超高齢社会、ニート問題、年金破綻、ホームレス、モラルの著しい低下、団塊世代の大量退職問題などなど。

 日曜日の各紙は、これまた賑やかだった。
 最近の特集では群を抜いて面白いのが、朝日新聞の「分裂にっぽん」。
 東京・高島平団地からというサブタイトルが付いた今回のシリーズは、高度成長期のシンボルでもあった高島平団地を機軸に、その周辺に住まう人々の現在の姿を追っている。

 「その日暮らし 若者漂流」というタイトルが痛々しい。
 20代、30代の、その日暮らしを続ける若者たちをレポートしているのだが、もうこの国は労働者の3割強が非正規雇用なのだとか。
 ニートは64万人である。64万人!
 このまま、老人だけが街を跋扈する社会になって、誰も年金や税金を納められずに、歪(いびつ)な社会が出現するとしたら、ちょっと怖くなってくる。

 そして、生活保護世帯の急増も日本の財政を圧迫する。
 勿論、我々は健康で文化的な最低限度の生活が営む権利がある。当然である。ただ、現実を直視すると中々難しい問題も孕んでいる。
 現在、日本で生活保護を受給している世帯は、約100万世帯!
 もう、国も都道府県も市町村も、金はない。

 このまま納税意識が低下し、実際に年金や税金や保険料が滞ってゆくとしたら、この国は本当に大変なことなる。

 「ジニ係数」という言葉がある。
 イタリアのジニという統計学者が考案した指数である。
 つまり、仮に、全国民が同じ所得だとしたら、このジニ指数は0ということになるのだ。1に近いほど、国民の間の格差は大きいということになるわけだ。
 読売新聞によると、民主党は、その数値が0.5まで上昇したと政府を批判しているらしい。
 
 「勝ち組」だけが、富の大半を独占する社会。低所得者層がますます増加してゆく社会。
 これは別にお金の多寡だけではないというところに問題の深さが潜んでいる。
 「やる気がない」「どうせ大人なんて」「頑張っても頑張らなくてもどうせ同じ」・・・。

 どうなってゆくんだろう?
 

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「これは一体何なんだ? 凡作?奇作? ある意味凄い。映画『燃ゆるとき』は全く燃えない」

2006年02月12日 | Weblog
 よく、「話題になっているから早速買って食べてみたんだけど、ちょっとこれって微妙・・・不味いって言うか不思議な味って言うか・・・」とか、「超期待の新人アーティストのアルバムを速攻で買ってきて聴いてみたんだけど、何なのこれ?いいとか悪いとかを超えてるよーっ! もう二度と聴きたくない」とか、ちょっと摩訶不思議で、その評価判定が不可能なものって世の中にたくさんあったりする。

 怖いもの見たさ。
 こんな不味いもの、今まで食べた事ないと言われると、それを承知で食べてみたくなったりする。或いは覗いてみたくなる。
 そういう習性もまた、我々人間は持っているのである。

 映画「燃ゆるとき」。
 あの「金融腐敗列島 呪縛」の原作者、高杉良の小説の映画化である。
 「金融腐敗列島 呪縛」は、監督の原田眞人の頑張りで、その年の邦画でもかなり高い評価を受けた。
 
 今回の「燃ゆるとき」は、即席めんを輸出販売している日本の中堅食品メーカーの、アメリカ現地支社を舞台に進行する企業ドラマである。
 主役が中井貴一。
 津川雅彦や、鹿賀丈史が脇を固める。
 よくある、慣れない国で、数々の困難や妨害を乗り越えて、企業としての栄光とそこで働く個人としての輝きを取り戻すまでを熱く描く・・・っていうパターン。
 これである。

 しかし。
 本当にこの映画は、2006年のまさに今、撮られた日本映画の中の一本なのだろうか?
 監督の細野辰興という人の、ただ表面をなぞるだけの描き方と全く無縁ではないのかもしれないが、兎に角、何のメリハリも、何の盛り上がりも、何の抑揚もなく、2時間が淡々とだらだら過ぎてゆくのである。

 僕は、冗談ではなく、真面目にこの映画、これまでの過去の日本映画の通り一辺倒な人物描写に対する怒りと総括を込めて、監督の細野辰興がパロディという形式で作った映画なのでは? という考えも浮かんだほどだ。

 棒読みなのか、感情の入らない台詞の群れ、予定調和でベタな物語展開。
 マジに、批判ではなくて、この映画本当は凄いのかも・・・。
 でも、よくこの企画が通ったものだ。映画産業が不況で喘いでいる昨今、上層部の判断は特筆すべき快挙なのかもしれない。
 いや、皮肉でもなんでもなくて。

 暇がある人は、劇場に足を運んで観てみるべきだと思う。どういうものなのか。
 でも不安になる。
 この映画を批判する人間て、意外と俺だけだったりして・・・。

 

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「降りしきる牡丹雪、エアロビクス、岩盤浴と露天風呂、久しぶりの週末」

2006年02月11日 | Weblog
 いつもなら、午前の2時過ぎぐらいに眠りにつくのに、昨夜は夜中の1時頃ストーンと眠りに落ちてしまった。
 仕事が一段落したからなのか、真夜中や明け方、浅い眠りから目覚めて悶々とするようなこともなかった。
 珍しい2連休。
 
 久しぶりのスポーツ・ジム。
 「歩く脂肪燃焼」のエクササイズ。最初、こんな重い体で最後までこなせるのだろうかと少し不安になる。でも、始まったらそれなりに体が動いていくから不思議だ。
 インストラクターの動きがよく見える、いつもの一番前の定位置に陣取る。
 何せ女性が9割を占めているので、一番前の端っこがベストなポジションなのである。
 ソウル・ミュージックと、飛び散る汗と、激しい鼓動。
 これがいいんだよなあ。

 車に乗り込んで、今度は郊外にある「ゆーぽっぽ」という健康ランドに初めて足を伸ばす。
 運転しながら、何故か笑いがこぼれてきた。
 苦しかった約1ヵ月間と、それがとりあえず終了した事の安堵感と。
 岩盤浴でリラックス。BGMに小鳥のさえずりが。汗がまた吹き出る。

 露天風呂でのんびり。
 気持ちがいい。仕事が終わった深夜の帰り道、露天風呂に入っている自分の寛いだ姿をよく想像したっけ・・・。

 すべては過ぎてゆく。
 苦しい事も、それから楽しい事でさえ。

 露天風呂に浸かっていると、空から牡丹雪がひらひらと舞い落ちてきた。
 温まっている体に、冷たい雪が染み込んでゆく。
 足を伸ばして、目を瞑る。
 もうすぐ、この厳しい冬も終わりを告げる。3月はすぐ目の前にいる。

 家に帰って、珈琲を淹れ、ミュージック・オン・TVの「カウントダウン100」を流す。
 疲れて火照った体が気持ちいい。

 今日はただ、ぼーっとしていたい。
 何も考えずに。

 外は激しい雪が降っている。
 明日も大雪らしい。
 でも、春はすぐそこまで・・・。
 

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「冷たい風が吹き荒れる夜の街を、独り歩く」

2006年02月10日 | Weblog
 夜の10時。
 仕事を終え、オフィスを出る。
 寒い。途轍もなく寒い。凍えるようだ。
 一旦、仕事を終えて帰ったのだが、携帯で呼び戻され、また職場まで戻ったのだった。

 今日は仕事で何回やり合っただろう。今日は仕事で何人とやり合ったのだろう。
 電話で。携帯で。それから対面で・・・。
 怒鳴りあった。それから、ちょっと笑わせたり媚びたりしたことも。
 でも結局、相手は納得する筈もなく、捨て台詞を吐いたり、皮肉を浴びせたり。
 中には、笑って別れた人もいた。静かに納得したような人もいた。
 それはそれで、とても嬉しいことではある。

 こうして、また組織の暗黒面に入ってゆく。
 今週だけでも、何人の仲のいい仕事仲間を失ったんだろう。
 いや、多分、道端や廊下で会ったりすれば、いつものように平凡な挨拶を交わしたり、それから笑い合ったりするのだろう。
 でもそこに、昔のような優しい交流はない・・・。

 真の友情とは「困ったときに、お金を貸してあげられる関係」だと言った人がいる。
 一般的には、金の貸し借りが友達の間に発生すると、その友情はいびつなものに変わり、結局壊れてしまう。だから友情にお金を絡ませるものではないと言う。
 でも皮肉な見方をすれば、案外本当の友情って「困ったときに、何も言わずにお金を貸してあげられる、或いは出してあげられる関係」こそが、本当の深さなのかも。勿論、いつも貸し借りがあるような友人関係ってのは、いけないけれど。
 ・・・などと馬鹿な事を考えたりする。別にどうでもいいのだが。

 組織という怪物に嫌悪感と軽蔑を抱いていた人間が、組織の中で息づき、組織の中で動き回ってゆく。
 自分の人生に対する絶対に譲れない価値観のようなものが、仕事のベールを被ろうとするから、言いようの無い違和感と、奇妙な居心地の悪さを絶えず抱くのだ。
 そして少しずつ、少しずつ、ダース・ベーター化してゆく。
 
 寺山修司は言う。
 「言葉で 一羽のかもめを 撃ち落すことはできるか?」

 出来るってもんじゃない。そんなの、いとも簡単だ。
 俺はたった今日一日で、何羽ものかもめを撃ち落してしまった。

 もう頼むから、赦(ゆる)してほしい。

 

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「アメリカン・ビューティ」のサム・メンデス監督の、湾岸戦争を描いた「ジャーヘッド」を観る。

2006年02月09日 | Weblog
 「アメリカン・ビューティ」でアカデミー賞を取ったサム・メンデス監督。
 「ロード・トゥ・パーディション」も素晴らしい映画だった。
 そして新作がついに封切られた。
 「ジャーヘッド」。
 今回は湾岸戦争を描く。

 湾岸戦争は、短期間で終結した。
 イラクの侵略によって勃発した戦争の一部始終は、テレビを通じて我々のいる場所に届けられ続けた。
 茶の間で観る戦争。
 そこに臨場感や緊迫感はあるかもしれないが、現実味は失せている。
 チャンネルを回せば、また別のバラエティ番組が映し出され、僕たちはまるでシューティング・ゲームを横目で眺めるように、その戦争を見ていたのである。
 バーチャル・リアリティ。
 本当に戦争なんて行われていたのだろうか?
 何が現実で、そして何が虚構なのか。
 鳥瞰図的に見下ろした画面には、爆弾投下された夜の街が映っていた。人が殺されているという現実、そのとても重要で大切な感覚が麻痺してゆく・・・。

 映画は前半、滑らかに進む。
 アメリカ軍に入隊した、ジェイク・ギレンホールの目線で物語は語られる。
 非人間的な組織。上司は、部下を鼓舞し、そして煽る。
 「フルメタル・ジャケット」のような展開だ。

 軍は、外交戦略の長引きから、滞留を余儀なくされ、若者たちは激しい訓練に明け暮れる。
 その過酷な男たちだけの日常が丹念に描かれる。
 誰も殺さない。戦争はここでは起こらない。
 猛烈な熱波の中で、軍隊生活を送る若者たちのフラストレーションが徐々に溜まってゆく・・・。
 途中でコッポラの「地獄の黙示録」が映されたり、ドアーズの曲を掛けて飛ぶ軍用機に向かって「ベトナム戦争の時の曲なんか流すんじゃねえ!」と叫ぶシーンは、コッポラ自身への敬意からだろう。

 ただ、この映画を「地獄の黙示録」や「プラトーン」や「シン・レッド・ライン」の系譜を期待すると、ちょっと肩透かしを食うかもしれない。
 「ジャーヘッド」は、砂漠での鬱積した日常を淡々と描いてゆくだけだからだ。
 勿論、後半、戦争が始まってからは、それなりの緊迫した動きがあるけれど。しかし、全体を通して描かれているのは、一人の米兵の目から見た湾岸戦争の姿である。
 
 音楽が有効に使われている。
 パブリック・エナミーの「ファイト・ザ・パワー」とか、カニエ・ウェストの「ジーザス・ウォークス」などなど。それからT-REXも。
 特に、ラストに流れる、カニエ・ウェストの「ジーザス・ウォークス」は最高にいい。

 映画の中での湾岸戦争は、突発に収束する。しかもあっけなく。
 それを、この映画でサム・メンデス監督は言いたかったのかも。
 ドラマなんてないのだと。その大きな流れは、突然収斂し、また別の日常が繰り返されてゆくだけなのだと。
 
 しかし。戦争で、確実に人間は死んでいるのだ。絵空事ではなく。
 それも、痛みと恐怖を伴って・・・。

 
 
 

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キルケゴールの「絶望と生の実存主義」を想いながら、僕はひとまず溜息をつく。

2006年02月08日 | Weblog
 大体、朝のフジ「めざましTV」が悪かった。
 乙女座の今日の占い、トラブルが発生しててんてこ舞い。大当たりーっ!

 まず、朝、出勤すると、某お友達からの衝撃メール。
 えっ? 誤解だってば、それっ。違うってば。
 でもひとまず、回避の手立てを取る。関係者に電話。何かおかしい。だって昨日の段階ではそうじゃなかったのに・・・などと独りブツブツ。
 で、とりあえず収斂。
 ほーっ。

 もうエアロビクス1時間したぐらいの疲れ。やれやれ。
 そうしているうちに、仕事関係で僕の電話が鳴りっ放し。
 集中砲火! 非難轟々! 抗議の雨アラレ!
 ある時は戦い、持論を吐き、反論し、それから説得をする。
 こうやって嫌われていくんだろうなあ。
 でもなあ。俺だって解っていても、守らなきゃならない人たちもまたいるわけで・・・。
 それから。矛盾と解っていても、あえて盾にならなきゃいけないわけで。
 
 とどめは、夕方。
 バズーカ砲が僕を直撃! 
 世間とか。シガラミとか。義理とか。恩義とか。組織とか。上司とか。友情とか。仲間とか・・・。
 こうしてまた、僕は少しずつ狡猾になってゆく・・・。
 
 クタクタに疲れて家に帰り、用事を済ませてまたオフィスに戻る。
 誰も悪くはないのだろう、多分。
 様々な思惑が交じり合い、そして言葉だけが上滑りしてゆくのだろう。多分。

 仕事の薄汚れた部分だけが、僕の体に刷り込まれる。

 キルケゴールによると、人は絶望する存在なのだそうな。
 人間はあらゆる可能性を神から与えられているけれど、そこから先は何の手助けもない。実現するのは、あくまでも自分自身であるという残酷さだけ。
 でも。キルケゴールは言う。
 絶望は、人間が人間であるがゆえんの、根源的なエネルギーなのだとも。

 たださあ。
 何かもう「なるようになれや。焼くなり食うなり好きにしてっ!」って感じなんだよね。
 いやマジで。居直りとか開き直りとはまた別の感覚なんだけど。
 俺って、真正のMかも。
 だって、正直、清々しささえあったりするわけで。

 まあいいんだけど。
 因みに、僕の想う一番美しい行為。
 それは。自己犠牲。
 それしかないでしょう?

 さあ、仕事行こうっと。
 

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「キネマ旬報」恒例、2005年年度日本映画・外国映画ベストテンが決定した。

2006年02月07日 | Weblog
 「キネマ旬報」恒例の2005年度ベストテン映画(日本映画・外国映画)が決まった。
 これが一年で一番楽しみだ。
 当然、雑誌そのものが発売される前に各マスコミで流れるから、新聞等では既に報道済みではあるけれど。
 
 まず日本映画部門。
 第1位が「パッチギ」。
 うーん。1位かあ。井筒和幸監督は、監督賞もこの作品で取った。
 個人的に言えば、そこまでとは思わないけど・・・。
 そして第2位が「三丁目の夕日」。
 確かに泣けたけどね。僕はそれよりも、監督の山崎貴に対しての才能に敬意を表したい。まだそんなに撮っていないのに。凄い。
 山崎監督は、読者選出日本映画監督賞にも選ばれた。

 そのほか「リンダ・リンダ・リンダ」が第6位。
 山下敦弘監督はいいよね。
 で、第9位が「空中庭園」。
 個人的には、もっと上位だと思ったんだけど。
 豊田利晃監督は、あんな事件がなかったら、すぐに次の作品が撮れたと思うのに。本当に残念。

 次が外国映画部門の年間ベストテン。
 第1位は「ミリオンダラー・ベイビー」である。
 クリント・イーストウッド監督。当然でしょう。傑作でした。
 原作を含めた短編集は、もっと凄いらしいけど。

 そして第9位には「キング・コング」がエントリーしている。
 ピーター・ジャクソン監督。これもよかった。ちょっとウェットなところがあるけれど、3時間以上の上映ハンディをものともせず、怒涛の如く突っ走る。
 「スターウォーズ エピソード3」(第8位)と同様、こういう娯楽映画は外しちゃいけないと思うよね。
 
 そのほか「キネマ旬報」をペラペラ捲ると、年間100位ぐらいまでの作品がずらーっと載っている。
 全部合わせて240本近い映画が、おおよそ70人余りもの映画評論家(日本と外国部門で人数は当然違ってますが)によって選ばれているけど、240本という数も、ある意味凄い。
 観た映画を数えてみたら、何とたった60本台。そんなもんかよ。
 ちょっとがっかり・・・。
 映画館にひたすら通っている割には、イマイチなのね・・・。

 誤解しないで欲しいんだけど、僕は別に点数至上主義でも、他人の評価鵜呑み主義でもない。
 自分の目で確かめてこその映画だと思っている。
 でも、単にこういうイベントを楽しむ余裕は持っていたい。
 今後の映画チョイスの参考にもなるし。

 さあ。週末も映画館に直行だあ。
 
 

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「太陽を手に 月は心の両手に」

2006年02月06日 | Weblog
 月曜日も水曜日も日曜日も、何かもう金太郎飴のようにおんなじで、濃淡とか抑揚とか曜日に対するそれぞれの思いが、ゆっくりと薄らいでゆく気がする。

 今日現在で、今冬の最深記録が137㎝に達した。
 明日も雪になるそうだ。いつまで続くんだろう。うんざりしてくる。
 
 昼休みに、映画撮影のロケハンで中原俊監督と撮影スタッフがお目見え。
 盟友Hと6年前に立ち上げ準備に奔走した、映画のロケ地誘致とロケハンをサポートする「フィルム・コミッション」が、いよいよ本格的に立ち上がったのである。
 明日は、地元での記者会見。
 最近は、雨後のタケノコのように全国各地で映画やテレビ撮影のロケ地誘致活動が盛んだけれど、僕たち2人が始めた時は、まだ全国組織そのものも試行錯誤の状況だった。
 他の地域と同時に結成して、自らアピールすることも可能だったけど、僕たちはあえてそれには乗らなかった。
 もっと十分に検証する必要があったし、その機が熟しているとは思わなかったから。

 結局、盟友のHが全面的に泥を被ることにもなってしまって、内心申し訳ないんだけど。
 まだ仮置きだけど、映画は、「櫻の園」や「12人の優しい日本人」という名作を撮った中原俊のことだ。きっと、いい映画になると思う。
 3月いっぱい、都内と、ここ本州最北端の県庁所在地で撮影が行われ、来春の2007年、日本各地で上映が予定されている。
 雪氷のチェスといわれる「カーリング競技」を通じての、日本人女性と韓国人男性とのラブ・ストーリーを主軸に、4人の女性たちの織りなすコメディタッチのスポーツドラマである。

 そういうことからしても、スポーツ界だけじゃなくて、今、女性たちがすこぶる元気だ。
 男性たちは元気がない。本当にない。
 たまに女性雑誌「NIKITA」を立ち読みするんだけど(買う勇気なんてありません)、『艶女(アデージョ)』はもう市民権を得たような勢いだ。
 アデージョ。つまり、艶っぽさと女らしさがシンクロした30代独身女性たち。
 そして、セクシーで大胆。勿論、しっかりとした知性も兼ね備えている。そんな女性たち。
 
 昨日、テレビで「ミリオネーゼ」もやっていた。
 こちらは、年収1000万円以上軽く稼ぐ、若くて美人な女性たちのこと。
 ミリオネーゼ関連の出版物も非常に多い。
 この言葉は、アデージョよりも市民権を得ているかも。
 そこらに巣食う、アホな男性たちよりも真っ当かつ真剣に生きているような気がする。

 だからだろうか。
 最近、女性アーティストの曲をよく聴いてしまう。
 今日の朝はUAを聴いて、自分に気合を入れた。
 「太陽を手に 月は心の両手に」。
 前向きである。
 女たちの唄う歌は、どれもこれも前向きだ。

 元気になる。
 
 

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「MID WINTER」

2006年02月05日 | Weblog
 日曜日の朝。
 寝過ごしてしまい、起きたら8時過ぎ。外は物凄く雪が積もっている。
 仕事に出掛けるために、車庫の前を雪かき。やっとの思いで、オフィスに到着。
 昼休みの空いた時間、所用のために車を飛ばす。
 まったく前が見えない! 雪。ゆき。ユキ。地吹雪で走行不能。
 一面、白一色の世界なので、今何処に居るのか、何をしているのか一瞬わからなくなり、運転している感覚がない。
 本当に怖い。

 やっとオフィスに戻り、午後からの会議に臨んだ。
 今日は日曜日という事もあってか、夕方でひとまず終了。
 少しずつ、先が見えてきた。でも行き着く先に、パラダイスは見えないけれど・・・。
 帰り道、「あれっ? 今日は何曜日だっけ?」
 ずーっと毎日出勤していると、曜日の感覚が時々鈍くなる。
 ビルのニュース掲示板に、「新潟で25年振りになる4メートルの大雪」の文字が浮かび上がる。
 舗道の脇の雪山は、もう2メートルを越えている。やれやれ。

 帰宅すると、「アメリカン・ビューティー」のサム・メンデス監督の最新作、「ジャーヘッド」の試写会のはがきと、クォン・サンウ主演の韓国映画「美しき野獣」の試写会のはがき。
 同じ日かよ。
 それなら「ジャーヘッド」を観るしかない。

 日曜日が仕事だと、いい事が一つだけある。
 それは、「笑点」を観ても、「さんまのからくりテレビ」を観ても、「輪舞曲~ロンド」を観ても、あの言いようの無い、日曜日の憂鬱がないことだ。
 「ああーっ! 明日からまた仕事かよ・・・」という感じ、それがない。
 裏を返せば、麻痺した鬱陶しさと切なさが、ずっと奥底に蠢(うごめ)いて、決して離れる事が無いって言う事?

 本当は、組織を離れると、みんないい人なんだろうなあ・・・。
 ところが、組織の中にいると、ゆっくりとその人の性格を変えてゆく。
 確固たる意思。何事にも動じない強い力。組織が放つ、暗黒面に負けない心。
 組織なんて幻想なのに。砂上の楼閣なのに。

 でも、こういう言い方は自分だけを正当化している。
 ずるい。自分だけが正義だと思ってる。
 ということは、俺が本当はダース・ベイダーだということか?

 格好つけやがって! けっ!
 って・・・こういう逃げ方が一番卑怯だということもまた知っていながら、俺って奴は。

 俺が一番汚れてる。
 
 
 

 

 

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スティーブン・スピルバーグ監督、話題の最新作「ミュンヘン」を観る。

2006年02月04日 | Weblog
 スピルバーグを、大人になりきれない永遠の子どもと言っていた人がいた。
 「ジョーズ」を撮り、「インディ・ジョーンズ」を撮り、「ジュラシック・パーク」を撮っていた辺りの事だったと思う。
 それから、スティーブン・スピルバーグは転機を迎える。
 「シンドラーのリスト」である。
 ヤヌス・カミンスキーが撮影監督を務めた映画で、全編モノクロで撮られた。一箇所だけカラーを添えて。黒澤明の「天国と地獄」にもあった、一箇所だけのカラー映像。
 その後、彼は「プライベート・ライアン」を作り、また大きな脚光を浴び、そうかと思うと「ターミナル」や「宇宙戦争」を撮ったりもした。

 彼の嗜好の幅の大きさは、そのまま彼の才能の大きさのようでもある。
 何事にも興味を持ち、撮りたい作品をひたすら撮り続ける。
 彼は、やっぱり永遠の子どもなのかもしれない。

 「ミュンヘン」は、1972年のミュンヘン・オリンピックにおける、パレスチナ・ゲリラによるイスラエル選手11人人質事件を扱っている。
 イスラエル選手団11人は、結局殺害され、その報復のためにイスラエル秘密情報機関「モサド」の5人が選出される。
 つまり、殺りくには報復を。

 エリック・バナが、主役のイスラエル側報復者を演じている。確かに力演。
 脇役陣も芸達者を揃え、アラブ対イスラエルの対立の構図を浮き上がらせる。ジョン・ウイリアムズの音楽も重厚。

 しかし。この映画、これまでのスピルバーグの映画の匂いが全くしない。
 あえて、これまでの色彩を払拭するかのように。
 例えば、イスラエルの秘密部隊がパレスチナの幹部を暗殺すべくアジトに侵入し、そこから銃撃戦が勃発するのだが、これまでのスピルバーグであれば、緊張感と濃密な時間の流れを作り出し、手に汗を握るアクションを魅せるとても重要な場面だ。
 ところが今回、それはあっけなく終了する。まるで、そんなシーンなど、全然興味はないとでも言うかのように。

 イスラエル対アラブ諸国、あるいはパレスチナという図式を大上段には描かない。勿論、その構図があってこそ生まれる物語なのだけれど・・・。
 視点はエリック・バナから見る現実世界。
 報復することで新たに浮き上がる、後悔と苦悩。果たして、復讐が最上の方策なのだろうかと。

 硬質なトーンに映画は終始する。
 荒い画面。暗く湿った流れ。
 確かに、映画的な緊張もあるにはある。5人のイスラエル報復チームによる殺りくの過程も生々しい。

 でもこの映画は傑作かと問われたら、僕は否と言わざるを得ない。
 しかし。それはとても前向きな否だ。
 映画作家が必ず通る道であると思う。勿論、映画だけではないけれど。
 スポーツで言えば、積極的な失敗。明日に繋がる失敗というやつ。

 失敗作と言ったら失礼か。
 見直す事での再発見は、必ずこの映画にはあるだろう。
 真面目にそう思う。
 
 

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マイナス5度の夜、高倉健主演、チャン・イーモウ監督の「単騎、千里を走る。」を観る。

2006年02月03日 | Weblog
 会議中、ぼんやりと外を眺める。
 吹雪いている。灰色の空。あーあ。何でこんな所に俺は居るんだろう。
 遠くへ行きたいなあ。それとも、独りでバーなんかやってみたい。
 好きな音楽を流し、僕がお酒を出す。余り混まなくてもいいな。食べていける分だけ稼げたら。
 内装はシンプルに。カウンターだけの店。静かで清潔。自分だけで完結する世界がいい・・・。
 なんて、ぼやーっと考える。

 仕事が終わる。
 睡眠不足と濃縮な時間の連続で、今日も体はクタクタ。
 しっかし。一体、何処に行き着くんだ?
 もう、こうなったら意地である。滅茶苦茶に自分を苛め抜く。
 どうせ果てるなら、猛スピードで壁にぶち当たった方が潔くない?
 で、突然消えちゃうみたいな感じ?

 映画に行く。今日も。はいはい。行ってやろうじゃないの。
 そしてまたまた、レイト・ショー!
 別に意地で観ることもないんだけど・・・。

 チャン・イーモウ。
 好きな監督の一人である。
 「初恋のきた道」も「あの子を探して」も、素晴らしい傑作だった。
 至福の時間。終わりを迎えるのさえ惜しくなるような。
 それから「HERO」や「LOVERS」も撮っている。傑作ではないけれど、悪くはなかった。
 そのチャン・イーモウ監督が、何と、日本の高倉健と組んで映画を撮るという。
 期待せずにはいられない。
 
 高倉健は、息子と断絶状態。しかしその理由は明かされない。
 息子は末期がんで、その息子が中国で撮ろうとしていた「単騎、千里を走る」の仮面劇を、息子の代わりに撮影するため単身中国に渡る。
 ここから、映画は始まる。

 異国でコミュニケーションが取れないことへの苛立ち。東京で癌と戦っている息子への想い。
 でも、未だに息子は父に対して心を閉ざし、仮面劇の役者もまた、ある事情から刑務所に投獄されていて、その役者は幼い息子に会いたがっていた。

 日本側の監督が、降旗康男ということも原因なのか。
 余りにも高倉健の演技が濃すぎて、チャン・イーモウの空気と噛み合わないのである。
 高倉健に罪はない。いつもの存在感。ぐっと抑えた、あの独特の演技である。
 それと、チャン・イーモウの静かに流れるような演出と全くマッチしない。
 だから、奇妙な違和感が最後まで付き纏う・・・。
 残念だ。

 映画館を出たら、物凄い寒さ。夜道を、タクシーを捜して彷徨う。
 もう、どうにでもなれや!

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「2月の朝、新生サディスティック・ミカ・バンド、メタル・ギア・ソリッドの映画化、それから」

2006年02月02日 | Weblog
 朝が来た。
 2月2日木曜日の静かな朝。飴色の空に、鈍い太陽の光。新雪が街を包む。
 宮台真司じゃないけれど、「終わりなき日常を生きている」。金太郎飴のような。それでいて、どこか、まったりとしたような。
 時間の河は、意外と速い流れで下流に向かって突き進んでいるのに、傍目にはゆっくりと静かに流れているようにも見える。

 ハードルを高く設定しているから、こういう羽目になる。
 筋力だって、体力だって、本当はそのハードルを飛ぶだけの力を備えてなんかいないのに・・・。
 手立てはないのか。このままでいい筈はない。
 まだ体の真ん中に、満月のような穴が空いたままだ。

 サディスティック・ミカ・バンドが再結成するというニュースが飛び込んで来た。
 加藤和彦や高中正義らが組んだ、伝説のサディスティック・ミカ・バンド。
 思い出す。
 東京で暮らしていた頃、朝と昼が全く逆になり、誰とも話をせず、僕はずっと部屋に籠もって毎日を過ごしていた時期があった。
 寝たい時に寝て、たまに独りで街に飛び出し、食事を採り、映画を観に行き、本を読んだ。時々、友達と会うこともあったけど。
 ある日、夕方目を覚まして、FM東京をつけると、突然流れてきたのがサディスティック・ミカ・バンドだった。
 土砂降りの雨だった。窓硝子を雨が叩いた。もうすぐ冬がやって来る、とても肌寒い夕方だった。
 ミカの歌う明るいメロディと、暗鬱な部屋。その落差が切ない。
 僕は、そのまま何も持たず、上野駅まで向かい、最終の急行列車に乗り込み、故郷を目指した。
 ただそれだけのことだけど、サディスティック・ミカ・バンドの曲が流れると、僕は今でも、あの冷たい雨が降る晩秋の東京の部屋を思い出す・・・。

 珈琲を沸かして、のんびりと朝の空気を吸っている。 
 今週は遅番出勤なのだ。
 
 プレステの超人気ゲーム「メタル・ギア・ソリッド」が遂に映画化されるらしい。プレステ3での発売も既に決まっているし。
 それにしても、ハリウッド、もう新しいネタがないんだろう。美味しい素材があるとすぐに飛びつく。
 新しい映画が次々と発表される。本も、テレビも、音楽も、あらゆるものが日程に組まれ、真っ白な未来が即座に決まってゆく。
 スケジュールに組み込まれ、それらは次々と消化され、排出される。

 「終わりなき日常を生きろ!」。
 そうは簡単に言うけど、とてもキツイよ、それって。
 

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今日もクタクタ。でもまたレイトショーで「レジェンド・オブ・ゾロ」を観に行く。

2006年02月01日 | Weblog
 朝から、所属している「組織」の最高意思決定会議。
 昨日から始まって、来週の火曜日まで連続して続く。いわゆる一年間の大きな山場っていうやつ?
 携帯電話が鳴って、出てみると、アンジェリーナ・ジョリーT女史とセレブなインタープリターS女史から。
 で、3階にあるサロンでココアタイム。相変わらず、お綺麗なお二人で。

 口には出さなかったけれど、僕を心配して来てくれたのは明白。
 ぐっと来た。
 勿論、僕もそんなことは億尾にも出さず、一気に言葉を吐き出している。
 二人は黙ってそれを聞いてくれた。仲間っていいね・・・。
 ほんとは、キルケゴールS氏も来てくれたのだとか。
 青函連絡船「八甲田丸」での映画イベント、俺、頑張るからね。ありがとね。

 仕事が終わると、急に疲れが湧き出て来る。
 家に帰って、熱いお風呂を浴び、ゆっくりと眠りたい・・・。
 でも、今夜もまた映画に行くんだもんねー。
 しっかし。俺は何でこうも自分を苛めるんだ?

 映画は「レジェンド・オブ・ゾロ」。つまり「怪傑ゾロ」ね。
 監督は、マーティン・キャンベル。「バーティカル・リミット」を撮った人。あれも掘り出し物だった。嫌いな監督じゃない。
 前作の「マスク・オブ・ゾロ」も全世界で大ヒットしたけど、今作は、現在のところ、それを下回っているようだ。
 単純明快なアクション映画。なーんにも考えなくていい。なんて言ったら言い過ぎか。
 カリフォルニアを、アメリカ31番目の州に組み込むか、あるいは組み込まないかで沸き立つ頃を舞台に、合併に反対する悪の組織に立ち向かうゾロの姿を描く。
 ゾロの息子が大活躍するし、妻役のキャサリン・ゼタ=ジョーンズもはまり役。
 当然、主役のアントニオ・バンデラスもゾロがとても似合っている。

 ラストの数十分に及ぶ、ニトログリセリンを積んだ暴走列車の上でのアクションをはじめ、2時間を飽きさせない作り。
 でも、ちょっと淋しかったのは、客が僕を入れてたったの3人だったということ。
 まあね。吹雪の夜で、しかも猛烈な寒さ。夜も遅いし。なんたってレイト・ショーである。

 こうなったら、毎日遅いレイト・ショーを映画館で観続けてやろうか。
 ボロボロになるまでさあ。
 それもまたいいかもね・・・。
 
 

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