淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

キルケゴールの「絶望と生の実存主義」を想いながら、僕はひとまず溜息をつく。

2006年02月08日 | Weblog
 大体、朝のフジ「めざましTV」が悪かった。
 乙女座の今日の占い、トラブルが発生しててんてこ舞い。大当たりーっ!

 まず、朝、出勤すると、某お友達からの衝撃メール。
 えっ? 誤解だってば、それっ。違うってば。
 でもひとまず、回避の手立てを取る。関係者に電話。何かおかしい。だって昨日の段階ではそうじゃなかったのに・・・などと独りブツブツ。
 で、とりあえず収斂。
 ほーっ。

 もうエアロビクス1時間したぐらいの疲れ。やれやれ。
 そうしているうちに、仕事関係で僕の電話が鳴りっ放し。
 集中砲火! 非難轟々! 抗議の雨アラレ!
 ある時は戦い、持論を吐き、反論し、それから説得をする。
 こうやって嫌われていくんだろうなあ。
 でもなあ。俺だって解っていても、守らなきゃならない人たちもまたいるわけで・・・。
 それから。矛盾と解っていても、あえて盾にならなきゃいけないわけで。
 
 とどめは、夕方。
 バズーカ砲が僕を直撃! 
 世間とか。シガラミとか。義理とか。恩義とか。組織とか。上司とか。友情とか。仲間とか・・・。
 こうしてまた、僕は少しずつ狡猾になってゆく・・・。
 
 クタクタに疲れて家に帰り、用事を済ませてまたオフィスに戻る。
 誰も悪くはないのだろう、多分。
 様々な思惑が交じり合い、そして言葉だけが上滑りしてゆくのだろう。多分。

 仕事の薄汚れた部分だけが、僕の体に刷り込まれる。

 キルケゴールによると、人は絶望する存在なのだそうな。
 人間はあらゆる可能性を神から与えられているけれど、そこから先は何の手助けもない。実現するのは、あくまでも自分自身であるという残酷さだけ。
 でも。キルケゴールは言う。
 絶望は、人間が人間であるがゆえんの、根源的なエネルギーなのだとも。

 たださあ。
 何かもう「なるようになれや。焼くなり食うなり好きにしてっ!」って感じなんだよね。
 いやマジで。居直りとか開き直りとはまた別の感覚なんだけど。
 俺って、真正のMかも。
 だって、正直、清々しささえあったりするわけで。

 まあいいんだけど。
 因みに、僕の想う一番美しい行為。
 それは。自己犠牲。
 それしかないでしょう?

 さあ、仕事行こうっと。
 

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