木春菊の雑記帳

2005年6月開設の徒然日記。その時みたマーガレット(木春菊)が名前の由来です。

坊ちゃんの湯でほっこり

2016-10-28 20:33:51 | 中国・四国
旅の最後は
道後温泉
松山はもちろん四国をも代表する名湯

いよ鉄道後温泉駅に
到着したのが19:58
直後に20:00を知らせる
時計のからくりに多くの方々が興奮


そして本館へ
日本語以外の言語も飛び交っており
知名度は日本有数なのだと感じました
撮影はできませんが
浴室内には
「坊ちゃん泳ぐべからず」の文字
架空ながら坊ちゃんが入った
お風呂を見ることができました
聖地巡礼を遂げた思いです

お風呂上りにはみかんビールと
鯛めしでお腹も満足

アルコールの苦味とみかんの酸味の
相性がよく、みかん王国愛媛とはいえ
開発して方はすごいと思いました

商店街の入り口には看板猫

インターネットやテレビで
話題になっているそうです
多くの通行人を前にしても
決して逃げない貫禄
可愛いと思うと同時に
頭が下がります
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東洋のマチュピチュ

2016-10-28 16:30:45 | 中国・四国
当初は訪問予定ではありませんでしたが
高知のホテル従業員に勧められて
訪問することにしました

新居浜市の別子銅山跡
昭和40年代までは現役の鉱山だったとは
思えないほど静かな山間の遺跡

車のすれ違いが困難な
狭い道路の奥にありました
雨上がりの霧深い山中
現場に立つと同時に霧が晴れた
奇跡に感謝

目の前にあるのは
なるほど小さなマチュピチュ
国外の世界遺産で見たいものの一つですが
治安の悪さで二の足を踏んでいました
ミニチュアながら見られて感激

かつては鉱山内に鉄道が走っていました
そこには現在長い階段があります

下から見上げると圧巻の眺め

この造り、そして山上の大建造物
スタジオジブリの名作映画を
思い出しました
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米寿の龍馬様

2016-10-28 11:28:43 | 中国・四国
正しくは設立88年目となる
桂浜の坂本龍馬像と対面
「龍馬伝」の年には
長崎・京都・神戸に行きましたが
高知には行きませんでした
5年越しの望み達成です

とはいえこの日は強風を伴う雨
龍馬像の横顔を見せてくれる櫓は
立ち入り禁止でした  残念

波は高くなかったので
浜辺に下りてみました
昨日の足摺岬では好天のもと
青く輝いていた太平洋は
今日はどんより

観音崎の高台から見る絶景も
雨のため楽しむ余裕はなし

「日本を今一度洗濯致し候」
そういった龍馬様の前ですが
自分は雨で濡れた衣服を
早く洗濯したいと思いました

最後は龍馬記念館を見学
龍馬像と握手をしてから入館
「雨のなかようきたき
楽しんできいや」と言われた気がしました

来年4月から改装工事に入ります
新たな装いを見に来よう
そう思ってこの場を去りました
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清流の上流へ

2016-10-27 15:27:22 | 中国・四国
道の駅あぐり窪川付近から
四万十は上流へ
このあたりになると川の幅が狭くなります

高樋橋付近の駐車場で一旦停止
四万十最上流の沈下橋です
清清しいほどの透明度
よく磨かれた鏡のようです
足湯ならぬ足水を楽しもうかと思いましたが
岸辺にはめだかの学校が授業中でした
そっと覗いてその場を去りました



そして河口から8時間のドライブの末
ようやく源流に到着
源流の碑駐車場には
当時の首相宮沢喜一氏と
高知県知事橋本大二郎氏による石碑がありました
(トップ画像)
そこからは山道
遊歩道はありますが
上るのが困難な道

石碑から20分かけて
ようやく到着しました

そこにあるのは小さな湧き水
196KMかけて大河に成長する
第一歩を見た思いです
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清流遡り

2016-10-27 11:25:17 | 中国・四国
歴史探訪は一休み
愛媛・高知旅行三日目は
高知が誇る清流
四万十川
ほぼ平行する道路を上流に向ってドライブ

スタートは土佐西南大規模公園
高台にある公園で
河口が一望できます(トップ画像)
奥にあるのが河口でここは汽水域
フグやハリセンボンが生息しているそうです

そして下流域最大の見所は
佐田の沈下橋
最下流にあり最大の沈下橋
近くで撮影したかったけれど
周辺には駐車場がないので
最も近い場所から撮影しました
ちょうど帆掛け舟が走っていました
今は観光用ですが
かつては生活に欠かせなかったのでしょうね


中流にはこんな駅が。
一日に上下6本づつしか停まらない無人駅
眼下の水田の向こうには
四万十が流れています
ちなみに駅の近くの畑にいた農家の男性は
髪がふさふさでした



道の駅あぐり窪川で昼食
四万十のりの天ぷらなど
川沿いの名物を集めたお膳

これを見ると
土佐は四万十の賜物と感じます
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世界初のトンボ王国

2016-10-26 16:43:28 | 中国・四国
清流四万十はトンボたちの楽園
その河口にある土佐中村には
トンボ自然公園があります
通称 トンボ王国

多くの方々や団体の支援を受けて
作られた無数の池は
里山の光景を思わせます

多くのトンボに会えるかな
と思ったら会えたトンボはこれだけ↓

トンボは晴れの日が続くと
羽を休ませるそうです
訪れた日は4日目の晴天
人間にとっては行楽日和ですが
トンボにとっては地獄の日々なんですね

園内には学遊館という
トンボの博物館があります
展示物は撮影禁止のため紹介できませんが
一口にトンボといっても様々な種類があり
また多くが絶滅危惧種ということがわかりました

トンボだけでなく四万十川の水生動物や
世界の淡水魚が展示されています
こちらはフラッシュを用いなければ
撮影可能なので撮影しました
ピラルクがえさを飲み込む瞬間です

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四国最南端に立つ

2016-10-26 14:41:18 | 中国・四国
10年ぶりの高知訪問
その時訪れた足摺岬が
最初の訪問地です

眼前には太平洋と水平線
潮の流れは見えませんが
風が運ぶ香りが黒潮を感じさせます

灯台へ続く道の途中には爪書石
弘法大師が爪で「南妙法蓮華経」と
書いたと言う伝承がある石
画像ではもちろんですが
現場にて肉眼で見てもわからないほど
風化してしまった文字
看板がなければただの岩と勘違いしそうです

遊歩道を歩き終えたら
近くの店で一休み
注文しても返事をせずに
アイスクリンを製作し
何も言わずに代金と商品を交換する老主人
無愛想と見るか 味わいと見るか

駐車場には中浜万次郎像
地元では大河ドラマ化を目指していましたが
一年放送できるかが疑問
でも、大河に関わらずドラマ化してほしい
人物ではあります

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伊達の城下町

2016-10-26 09:00:57 | 中国・四国
伊達政宗公長男
伊達秀宗公を祖とする
宇和島藩の居城
宇和島城
秀吉の人質と過ごし
しかも側室が生んだ男子
徳川にとっては奥州伊達家を
継いでほしくない人物

しかし大坂の陣の武功により
宇和島10万石の領主となります
そして奥州伊達家支藩として
幕末まで存続します

松山と比べると規模は小さいですが
現存天守としての価値を感じます

そこに至る急な階段は城郭ならではです

天守台からは宇和海が一望
関門海峡に近い場所ゆえに
幕末には台場となった場所
教科書には載っていない歴史を見た思いです

この日宿泊したホテルからも
城郭を見ることができました

松山同様、城がシンボルです

ちなみに宇和島市は千曲市の姉妹都市
伊達のお姫様が松代真田家輿入れの際に
持ち込んだ杏によって
千曲市が杏の里になった縁で提携
今は宇和島で杏は植えられていない模様
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金の亀に上る

2016-10-25 11:48:21 | 中国・四国
加藤嘉明公が築き
その後松平家12代の居城となった
松山城
別名金亀城

現存する12の天守の一つ
そり建つ高い石垣は
要塞としての機能ですが
芸術的な美しさ
戦争で消失していなかったら
国宝天守になっていたことでしょう


そして天守からの眺めも格別
二の丸庭園跡の美しさ
そしてその向こうにある街並みと
伊予灘の輝き
四国最大の都市であることが
よくわかります

そして二の丸庭園側から
見る天守も素晴らしい
最近では高島屋の観覧車もありますが
この城ころ松山のシンボルです


こちらは本丸に続く門
ここには戦略上の仕掛けがあります

画像を見ただけでわかった方
相当の城郭通です
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富士山が見える城

2016-10-18 19:46:38 | 信州
砥石城から山道をさらに上ると枡形城
名前の通り歩きにくい枡形の通路は
最後の砦に相応しいものでした

ここからは真田本城跡が見えます
砥石城を攻略しようとした
真田幸綱公の思いが伝わりそうです


再び分岐に戻り今度は米山城へ

今度の道はさらに急勾配
道のりこそ砥石城方面より短いものの
ロープがなければ危険な登山道に
悪戦苦闘


そうして上った先の物見台からは
富士山が見られるそうです

この日は見られませんでしたが

信州で富士山が見られる
場所があるとは思いませんでした
3000m級の山々か
甲州に近い場所を除いては
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