木春菊の雑記帳

2005年6月開設の徒然日記。その時みたマーガレット(木春菊)が名前の由来です。

桶狭間古戦場を歩く

2023-02-26 21:49:39 | 東海
愛知県徳川紀行の最後は桶狭間
8時30分に名鉄鳴海駅を出発し
織田軍が戦地を展望した善照寺砦
鳴海城跡

鷲津砦

元康が兵糧を運んだ大高城

丸根砦へ経て
戦没者を弔った長福寺

今川義元着陣の地おけはざま山

今川義元の墓が立つ桶狭間古戦場伝説地
と回り
名鉄中京競馬場前に到着したのが13時30分。
5時間半歩き通しでした。

丸根砦から長福寺までは住宅地であり
飲食店もコンビニも自動販売機も見つからず
また道がわかりにくく方向感覚を失うこともしばしば。
ようやく見つけた中京競馬場前駅前の
コンビニで買った緑茶で命拾い。

おけはざま山の名の通り
傾斜こそ緩やかだけれど
山であることを実感しました


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史が動いた場所

2023-02-26 21:47:02 | 東海
教科書に必ず掲載され
合戦図屏風には三英傑揃い踏みの古戦場
設楽ヶ原に来ました

前回来た時は建設中だった第二東名高速が
完成していました。
そして飯田線も変わらず長篠城址の
傍らを走っています。
あり得ないことながら飯田線に乗る武田軍や
高速道路で援軍に来る織田軍を想像してしまいました。


前回の訪問時は気にしていなかった空堀

竹藪の下の天然の堀
時代が経て廃城となりましたが
当時を知る物言わぬ証人に会うことができました。

今回はレンタカーを用いましたが
長篠城から馬防柵を経て
設楽ヶ原歴史資料館に向かう 
散策路が設けられています。

しかし石段を往復した後では
その気力はありませんでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1400段の石段

2023-02-26 21:11:36 | 東海
新城の山間部に立つ古刹鳳来寺
於大の方がここに安産祈願を行い
後の徳川家康となる竹千代を生みました。
いわば後の天下人を世に送り出した寺です。

その境内に立つ鳳来山東照宮は
三大東照宮に相応しい存在でした。
本殿近くの眺望は素晴らしく
紅葉の時期はさらに美しくなることが
想像に難くありません


井伊直政がそだった場所ということで
「おんな城主直虎」の際にも訪問しましたが
その時は山頂駐車場に停めましたが
今回は山麓に停めて約1300段の石段を上りました


急な上に足場が狭い石段に四苦八苦。
鞍馬山で育った牛若丸然り
鳳来山で育った井伊虎松然り
後の名将が育った土壌を見ました
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家康様の原点

2023-02-26 21:05:44 | 東海
家康ゆかりの地はいくつかあれど
岡崎は原点

復元天守の内部は城特有の急な階段も
板張りの間もありせんが
外観は当時を偲ばせるには十分。

公園の北側にはみかわ武士の館があり
今年は岡崎大河ドラマ館として営業。
平日というのに1時間半も費しました。
最後には順番抜かしという無作法を
せざるをえませんでした。
家康特需はここにも


岡崎公園を出てからは
父広忠の弔いで建立した松應寺
松平の守護神伊賀八幡宮を経て
大樹寺へ

ここまで2時間かけて歩きました。
行程は違いますが城に入れず
大樹寺に逃げ込んだ松平家臣団の苦労が実感できました。


家臣団を守るために切腹しようとした
歴代墓所の前に立ち
ここで絶命しなかったことに感謝しました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田園地帯の城郭寺院

2023-02-26 21:02:06 | 東海
今年も大河ドラマ紀行へ。
三河一向一揆ゆかりの
本證寺へ
当初は桶狭間に行くつもりでしたが
放送回が一揆をとりあげていたので
安城へ行きました。

戦費不足に悩む元康が
目をつけたほど豊かであった寺の周囲は
のどかな田園風景。
戦の雰囲気は全くなし
寺の前の堀と櫓のような鐘楼だけが
当時を語っていました。


ここでは御朱印を受け取れます。
浄土真宗の多くは御朱印がないとのこと
また城郭寺院ということで
登城印も販売しています。
寺社、城郭両方のファンを引き付けてくれます
普段がわかりませんが多くの参拝者が見られ
大河ドラマ効果を見ました。

安城市にはもう一つ。
元康祖父の清康ゆかりの城
安祥城址があります。
3月1日まで一向一揆展が開催中。

こちらもタイムリー
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家康炎上

2023-02-19 21:12:20 | ドラマ
今川と縁を切り「家康」に改名した松平元康。
三河は一つの家」と
願いをこめての改名という設定でしたが、
謀反人を捕えた信長に
「一つの家と言っておれるのか」と言われます。
家康を奮起させる一言とも取れますが
家康にとっては冷たい一言。
まだ下っ端の木下藤吉郎にも
色々言われたら家康もたまったものではないでしょう

三河の統一命令を果たすには
戦費が必要。
そこで城下町以上に栄えている
一向宗寺院の財力に目をつけますが、
「金は戦ではなく民の物」という
一向宗は反発。
そこで略奪という手段にでるのですが
これでは一向宗が怒るのも無理はありません。

もし当時SNSがあったら家康様は炎上したでしょう
家康最初の危機ですが
自業自得と言わざるを得ない。
この一言も後世の人間だから
言える一言ですけどね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太守の息子の苦悩

2023-02-13 18:04:36 | ドラマ
一日遅れで見ました。
「どうする家康」
続瀬名救出作戦
前回失敗した服部半蔵の瀬名救出作戦。
上ノ郷城の鵜殿長照の子ども二人を
人質にとり、交換する策をとりました。
史実では瀬名も竹千代もまだ死なないことは
知っているから成功することはわかっていても
元康同様やきもきしてしまいました。

任務を成功させ服部党を前に
「わしは忍びがきらいだったが、……あさましい、やはり嫌いじゃ」
の辛口の裏に愛情を感じました。
戦国に忍者はつきものですが
ここまでクローズアップされたのも珍しくて新鮮でした。

元康以上に氏真が主役に見えた回でもありました。
偉大なる父義元に負けぬ威厳を保とうと
裏切り者の親族を罰したい気持ちと
忠義者の息子を見捨てるつもりですか
という言葉に返せない気持ち。
松平には松平の
今川には今川の立場がある。
白黒つけられぬ戦国の定めを見ました
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忍びといかさま師

2023-02-06 16:12:07 | ドラマ
援軍を差し向けない駿府の今川より
勢いのある尾張の織田を選んだ松平。

しかし妻が心配でなんとかならぬと
家臣団と協議したところ
白羽の矢が立ったのは
曲者本多正信
落ちぶれた忍び服部半蔵
徳川に欠かさぬ人物も
この当時は信用ならぬ人物で、
三河武士団は猛反対。

しかし元康はそれに賭けることに。
二人をよく知らないことや
一縷の望みを賭けたい気持ちもあったでしょうが
そんな二人を信じる元康。
立派な君主の片鱗です。

その一方で、氏真の冷たい仕打ち。
でも、それは責められません。
松平の立場で見れば憎い敵ですが
今川からすれば松平こそ
期待を裏切った憎むべき存在。
関口家にも容赦なし。

白黒つけられぬのが戦国の定め。
それを感じさせた回でした。

今回は作戦失敗。
次回の巻き返しに期待です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無血テロ明るみに

2023-02-05 14:36:07 | ニュース
数日前に回転寿司店での
迷惑行為が話題に。
一時、実名と顔写真が公開されました。
行為は許されないが
本人のみならず家族が
肩身の狭さを感じるとなると
第三者としてはあまり首を突っ込むべきでは
ないでしょう。

ただこれだけは言いたい。
人のふり見て我がふり直せ
かなり前に業務用冷蔵庫に入り込んだ動画を
アップした若者がいました。
すぐにニュースになりましたが
一週間もしないうちに騒がれなくなりました。
しかし、その間は周囲の非難の声が。

ばれなくても罪悪感が沸く行為。
それを堂々と公開することで
罪悪感はなかったのだろうか。

今回の事象は日本人のごく一部であり
多くの人間はしないはず。

でも知らずにそれに近いことを
している方は多い。
スマホみながら歩くとか
黄色や点滅になってから渡るとか
歩道で歩行者の間を縫って走る自転車など。

迷惑かけていないと思うのは大間違い。
迷惑と感じている方はいます。
トラブルを避けて言わないだけ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする