「word」を「wOrD」と表示してあれば、とたんに読みにくくなり、読みの速度は低下します。
「wOrD」というのは無原則な混ぜ書きなのですが、「dictionARY」「BEAUTIful」のように構成部分ごとの混ぜ書きにしてもやはり読みにくくなっています。
これはアメリカ人が文字を読むとき、単語を一文字づつ見ていって読むのではなく、全体をひとまとまりのものとして見て読むからだといいます。
文字をひとつづつ見ていくのなら、小文字と大文字が交じっても大差はないと考えられますが、単語を一つのまとまりとして見るのならば、一部分が大文字であればまとまりが壊されてしまうので読みにくくなるのです。
それでは、日本人のように英語に慣れていない読者が読むときはどうなるかといえば、さらに読むスピードは落ちるそうです。
単語を見てパッと全体をつかむことが出来ない読者であれば、混ぜ書きの影響を受けないと予測されるのですが、かえって大きく影響を受けるそうです。
アルファベットによく慣れていなければ、混ぜ書きという妨害要因がより高いハードルとなってしまうということらしいです。
英語の場合は混ぜ書きは心理学のテストに使われるだけで、実用ではないのですが、日本語の場合は漢字制限によって、新聞や役所で使われているので厄介です。
日本語は英語と違って単語の分かち書きをしないのですが、漢字かな交じり文の場合は、漢字が区切りの役割を果たしています。
常用漢字にないからといって熟語の一部分をカナにするという「混ぜ書き」をすると、単語のまとまりが壊されるので読みにくくなります。
どうしても難しい字を使わないというのであれば、その部分をひらがなにせず、カタカナにするほうがまだましです。
「波らん万丈」よりは「波ラン万丈」「ハラン万丈」のほうがましですし、「だ捕」や「だほ」よりは「ダ捕」「ダホ」のほうがましです。
日本人は漢字を右脳で処理し、かなを左脳で処理するというような説を前提にすれば、一つの単語を右脳と左脳で半分づつ処理するということになり、分かりにくくなるわけです。
混ぜ書きするぐらいならカタカナでというのは、字が分からないときカタカナで書く習慣があるからですが、形態的にカタカナは直線的で漢字に近く、曲線的なひらがなと区別しやすいからです。
カタカナ語が多用されている文章が思ったほどには読みにくくないのは、カタカナが漢字のように直線的なため形態的に準漢字的な役割を果たすからでしょう。