「うっかり」とか「ぬるぬる」とか「つるつる」といった擬態語は漢字ではとても書けそうにないと思うのが普通なのですが、江戸時代には大田蜀山人などがひねくった狂詩、狂文のなかにはその例があるそうです。
図は伊藤雅光「江戸時代の狂詩、狂文と擬態語、擬音語」にのっている例です。
こうした例を見るとうまく漢字を当てているような、何か違うような感じがするのではないでしょうか。
ソットを私竊、潜とするのは私(ひそか)に竊(=窃ひそかに)、潜(ひそかにこっそり)と他人にわからない状態として当て字しています。
音を立てないようにという意味なら「静」とか「粛」とかを当てるのでしょうが、「コソコソ」を「静々」としているので、「静」は「コソット」となるのかもしれません。
「ウッカリ」とか「ウカウカ」、「グンニャリ」、「ニョキニョキ」などなんとなくわかるのですが、漢字のほうを見てこのような振り仮名を思いつくかといえば、まず無理でしょう。
「虚気」とか「虚々」は「ぼんやり」、「ぼやぼや」でも近いような気がしますすし、「軟々」は「くにゃくにゃ」でも「しなしな」でもよいような気がします。
「晃々」は「きらきら」なので「眩々」のほうが「ギラギラ」の感じで、「滴々」は「ポトポト」のほうがよさそうです。
「瞥見」は国語辞書にも「ちらりと見る」という訳が載っているので、、まさに適役になりますが、「滑々」は普通に訳せば「すべすべ」で「ヌルヌル」なら「粘滑」といったところでしょうか。
いずれにせよ、そのまま分かる言葉をわざわざ漢字にしているのですから、かえって分かりにくくしているのですが、漢字に振り仮名をつけた形で表示すると、日本語での意味と漢字の意味が同時に示されるので別の感覚が出来ます。
当て字に振り仮名をして表示すると言うのは日本語だけのやり方で、言葉の意味を私的に拡張して、その場限りの理解を求める方法ですが、和語と漢語という別種の言葉を同時に使っているための変則ワザです。
日本の擬態語は漢語に翻訳しようとしてもなかなかうまくいかないのですが、英語への翻訳も当然うまくいきません。
荒木博之「日本語が見えると英語も見える」では、直接翻訳せずに、日本語の段階で擬態語を分析して中間日本語というものにしてから翻訳すれば意味がかなり忠実に伝わるとしています。
たとえば「つるつるした氷」という場合の「つるつる」は「なめらかで、すべる」というふうに意味的に分解できるので、smooth and slipery としています。
「よぼよぼの老人」の場合の「よぼよぼ」は「弱々しくふらふらしている」と意味的に解釈して、feeble and shaky としています。
「つるつる」とか「よぼよぼ」といった語感は翻訳不能として、意味を伝えることに集中するというやり方です。
そういわれてみれば、日本語で擬態語を使う場合、直観的に分かると思い込んでいて、言葉の意味をよく把握しないまま使っていたということにあらためて気づかされます。
擬態語を感じにするというのも遊びのようなものですが、荒木式に翻訳を試みれば適切な表現が生まれるかもしれません。