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擬音語、擬態語は直感的に分かるか

2006-08-02 22:54:08 | 言葉とイメージ

 「コケコッコー」というのは、鶏の鳴き声を表現した擬音語ですが、日本語を話す人なら必ずそう聞こえるのかというとそうでもないようです。
 得猪外明「コケコッ考」によれば、「コケコッコー」というのは明治後半に教科書にのり、大正期にラジオで使われるようになってから普及したもので、日本人なら自然にそう聞こえるというものではなかったようです。
 万葉時代には「カケ」、室町、江戸時代には「トウテンコウ」いうふうに聞こえたということですが、これも全国的にそうだったわけではないようです。
 明治になって教科書に載せようとしたときは、地方によってばらばらだったそうですから、「コケコッコー」も方言がいろいろあったようです。
 擬音語は口語的なものなので、文章に表されている定型的な表現からもれているものはいくらでもあったのです。
 現代はテレビ、ラジオの普及で口語表現も共有されやすいので、擬音語も全国的に共通のような錯覚を持ちますが、本来は地方によって違いがあったのです。

 「コケコッ考」には日本以外の外国の例が多くのっているのですが、日本人の「コケコッコー」と違うといえば違い、似たようなものといえば似たようなものです。
 「チッタラオー」(フィリピン)、「オッキ アーアー」(ラオス)、「オッイイーウー」(ミャンマー)など東南アジアがなぜか特異で、その他はカ行が主力で似ています。
 鶏の鳴き声というとアメリカの「コッカドルードルドゥー」というのが日本と違うという例で挙げられますが、少し英語に慣れれば、アメリカ的な発音なら自然にそんなふうになるような感じがします。
 アメリカの鶏が別の鳴き方をするのではなく、アメリカ人の発音体系ではそんな表現になるのだろうということです。
 日本人でも鶏の鳴き声にあわせて「コッカドルードルドゥー」とマネをしてみれば、「似てるじゃないか」と思うでしょう。

 アメリカやヨーロッパなどとの違いは発音体系に大差があるので、違いがあっても当然ですが、明治以前は同じ日本のなかで時代や地方によって差があったのですから、擬音語とか擬態語の自明性というのも案外疑わしいところがあります。
 方言の場合でも、方言を覚えてその中に入り込んでいけば、外部にいたときにはわからなかった感じが自然に分かるのかもしれませんが、外にいる限り分からないと思います。
 擬音語や擬態語は日本人なら、辞書を引かなくても分かるといわれたりしますが、それはテレビ、ラジオ、雑誌などが普及し、学校教育が普及してから長いのでいえることであって、むかしはそんなことは言えなかったのではないでしょうか。
 現在わずかに残っている方言の擬態語などを見ると、初めてのものはやはり分かりません。
 擬音語や擬態語は辞書を引かなくても分かるということは、今後は新しい擬音語、擬態語はマスコミに登場して流行することが条件になるのかもしれません。