情報の非対称を限りなくゼロに。つきつめていけば、これがミッションだ。まず大切なのは、生活者側の利益代表としての立ち位置だ。言うまでもなく、生活者が情報のデバイドにより消費生活での不利益を被らないためにとか、過不足のない情報を得ることで個人にとっての「正しい商品と便益の選択」を可能にし、これにより消費生活にささやかな豊かさと発見をもたらすためにといった使命感が重要になる。
そして、これを全うするためには、企業側からの正しく深い情報発信を支援するという志が、大きな前提となる。商品情報の背後にある、大量で複合的な企業内の「知識」をあまねく収集して、いったん解体して、見込客・顧客の個別の「知識」とのマッチングをはかる、ということに執着・熱狂するということだ。
この2つの立場に徹底してこだわることで、仮想的であるが情報の「フェアトレード」を実現する。情報の非対称を限りなくゼロに近づける、というのはこういうことだろう。
もうほとんど、言い方を変えただけの同じことの繰り返しになるが、つまりは、雑然で混沌とした商品・企業知識に、流れを与え、フラグを立てることで情報化し、生活者の発見と理解と共感をえることでアクションにつなげるということであって、このことについてつねに思考と実践を重ね、迷ったときのルールとしなければならない。
このことは、当然ながら、「コンテンツ」を創りだす、ということを意味する。そんなの当たり前だろ、という声も聞こえてきそうだが、留意しなければならないのは、文書化され与えられた商品情報をトレースしツールに落とし込むことをコンテンツを創るとはいわない。また、ここで言うコンテンツは、世間的に言う「リッチ・コンテンツ」とは違っていて、あくまでも「マーケティング・コンテンツ」だ。「マーケティング・アクション・コンテンツ」という言い方は正しくないとは思うが、意味合い的にはこれのほうが近い。コンテンツにおけるマーケティング成果は計量しがたいし、むしろコンテンツ的なるものの存在を忘れてもらうほうが正しい成果だ、ともいえるため、コンテンツの本質的な評価は難しいが、それでもコンテンツには商品が売れるという蓋然性を確実に埋め込んでおかなければならない。そこまでのことを考えたコンテンツ・メイクが、私たちの仕事の核となる。
こういったことを考えると、「語るべきことが多い商品」「にもかかわらず語りきれていない商品」というのが、私たちが中心的に扱うテーマということになるのも当然だ。必然的にパッケージンググッズではなく、耐久消費財や人の魅力を伝えることがメインになる。現実的に扱い商品のほとんどが耐久消費財なので、すでにある程度は「耐久消費財のマーケティング・コミュニケーション」が技術化されているが、今後は体系化を深めて、「Aというカテゴリーの耐久消費財の方法論を、Bカテゴリーの耐久消費財に援用してみる」とか「耐久消費財の方法論を、語るべきことが多い一般消費財にトレースしてみる」といった技術開発が必要になる。
そして、もうひとつ。これらのことは、クライアントと生活者の声に、丹念に耳を傾けなければ実現できない。後者については自明ではあるが、前者についても、「ただ話しを聞く」という以上の構えが必要になる。「クライアント担当者と対話をさせていただき、企業にある知識というファクトをあまねく引き出し、担当者の思考をすっきり、くっきりさせるお手伝い」というのが私たちに課せられた重要な役どころであると思いたい。ここまで、コンテンツが大事だとか知識が大事だとか書いてきたが、じつは私たちの本質的な仕事は、「クライアントと発展的な対話を行うこと」ではないか、と思っている。このことは何度も言ってきた。
そして、これらのことをアウトプットしていくためのバリューが以下のようなものということになる。これは現段階ではあくまで、例えば、ということだし、精緻化が必要だ。
[01]訴求ポイントの構造化~ストーリー・プロモーション
[02]マーケティング・コミュニケーションの編集技術
[03]大量の文字情報を投下できるクロスメディア設計
[04]アクション・コピーライティング
[05]ユニバーサル“グラフィック”デザイン
ただ、こういったややこしいこと、小難しい企図は、あくまでもバックヤードの世界。いっさいがっさいを背後に押し込んで、外からは見えない/感じさせないようなストレスレスなアウトプットを作り出す、といったところまでいって、初めて私たちの仕事は完了する。
支えるのは、あくなき知識欲。もちろんコミュニケーション・デザインなども含めた知識欲だ。これさえあれば、私たちの仕事はきっと愉しいものになる。このことをぜひ知っておいてほしい。
そして、これを全うするためには、企業側からの正しく深い情報発信を支援するという志が、大きな前提となる。商品情報の背後にある、大量で複合的な企業内の「知識」をあまねく収集して、いったん解体して、見込客・顧客の個別の「知識」とのマッチングをはかる、ということに執着・熱狂するということだ。
この2つの立場に徹底してこだわることで、仮想的であるが情報の「フェアトレード」を実現する。情報の非対称を限りなくゼロに近づける、というのはこういうことだろう。
もうほとんど、言い方を変えただけの同じことの繰り返しになるが、つまりは、雑然で混沌とした商品・企業知識に、流れを与え、フラグを立てることで情報化し、生活者の発見と理解と共感をえることでアクションにつなげるということであって、このことについてつねに思考と実践を重ね、迷ったときのルールとしなければならない。
このことは、当然ながら、「コンテンツ」を創りだす、ということを意味する。そんなの当たり前だろ、という声も聞こえてきそうだが、留意しなければならないのは、文書化され与えられた商品情報をトレースしツールに落とし込むことをコンテンツを創るとはいわない。また、ここで言うコンテンツは、世間的に言う「リッチ・コンテンツ」とは違っていて、あくまでも「マーケティング・コンテンツ」だ。「マーケティング・アクション・コンテンツ」という言い方は正しくないとは思うが、意味合い的にはこれのほうが近い。コンテンツにおけるマーケティング成果は計量しがたいし、むしろコンテンツ的なるものの存在を忘れてもらうほうが正しい成果だ、ともいえるため、コンテンツの本質的な評価は難しいが、それでもコンテンツには商品が売れるという蓋然性を確実に埋め込んでおかなければならない。そこまでのことを考えたコンテンツ・メイクが、私たちの仕事の核となる。
こういったことを考えると、「語るべきことが多い商品」「にもかかわらず語りきれていない商品」というのが、私たちが中心的に扱うテーマということになるのも当然だ。必然的にパッケージンググッズではなく、耐久消費財や人の魅力を伝えることがメインになる。現実的に扱い商品のほとんどが耐久消費財なので、すでにある程度は「耐久消費財のマーケティング・コミュニケーション」が技術化されているが、今後は体系化を深めて、「Aというカテゴリーの耐久消費財の方法論を、Bカテゴリーの耐久消費財に援用してみる」とか「耐久消費財の方法論を、語るべきことが多い一般消費財にトレースしてみる」といった技術開発が必要になる。
そして、もうひとつ。これらのことは、クライアントと生活者の声に、丹念に耳を傾けなければ実現できない。後者については自明ではあるが、前者についても、「ただ話しを聞く」という以上の構えが必要になる。「クライアント担当者と対話をさせていただき、企業にある知識というファクトをあまねく引き出し、担当者の思考をすっきり、くっきりさせるお手伝い」というのが私たちに課せられた重要な役どころであると思いたい。ここまで、コンテンツが大事だとか知識が大事だとか書いてきたが、じつは私たちの本質的な仕事は、「クライアントと発展的な対話を行うこと」ではないか、と思っている。このことは何度も言ってきた。
そして、これらのことをアウトプットしていくためのバリューが以下のようなものということになる。これは現段階ではあくまで、例えば、ということだし、精緻化が必要だ。
[01]訴求ポイントの構造化~ストーリー・プロモーション
[02]マーケティング・コミュニケーションの編集技術
[03]大量の文字情報を投下できるクロスメディア設計
[04]アクション・コピーライティング
[05]ユニバーサル“グラフィック”デザイン
ただ、こういったややこしいこと、小難しい企図は、あくまでもバックヤードの世界。いっさいがっさいを背後に押し込んで、外からは見えない/感じさせないようなストレスレスなアウトプットを作り出す、といったところまでいって、初めて私たちの仕事は完了する。
支えるのは、あくなき知識欲。もちろんコミュニケーション・デザインなども含めた知識欲だ。これさえあれば、私たちの仕事はきっと愉しいものになる。このことをぜひ知っておいてほしい。
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