考えるための道具箱

Thinking tool box

◎知識デザイン企業。

2008-04-13 09:49:22 | ◎業
わたしたちの会社では「売る広告」とか「成果主義(扱い商品が売れたかどうかの成果を問う)」ということをフィロソフィのひとつとして標榜してきたが、じつはわたし自身はこのことに少し違和感をもっていった。

広告や販促ツールで商品が売れたなんて、あまりにもおこがましすぎるのではないだろうか、というのが大きな理由だ。広告的なコミュニケーション支援が最終的な販売成果に寄与するのは、あくまで一部分にすぎない。言うまでもなく、販売はバリューチェーンの総合的な成果だ。とりわけ、スペックが複雑で大量な高額商品、人的販売促進が介在しない限り製品の商品化をはかれない商品をあつかうことが多いようなわたしたちの仕事ならなおさらだ。

もちろん、フィロソフィではそういったことも踏まえたうえで、独善的に広告の優位をうったえているものではない。たとえば、コミュニケーションにおけるコンセプトや訴求ポイントを策定する際に、開発の背景や販売員のセールストーク、ユーザーのエビデンスなどをもとに既出のベネフィットをいったん解体することをひとつの指針としているのはそのあらわれだ。

しかし、そういうことを基本的な構えとしていても、「売る広告」という言葉だけが取り出されてしまうと、思い違いをまねく可能性が高い。いったんエクスキューズをしなければならないのは、ミッションステイトメントとしてはコミュニケーションの効率が悪い。

また、合理的・実証的に、その広告的なるものの成果を測定・数値化することも難しい。マーケティングROIにおいても、「デザインやコピーのコミュニケーション効率」みたいなものは斟酌されず、どうしてもリーチやフリクエンシーといった数値化しやすいものだけが変数として代入される。

それこそ、わたしたちが、通信販売のカタログであったり、ECサイトの制作を生業の中心とするなら「売る広告」という思考と行動は極めて重要であり、その計量化を含めて責任をもたなければならない。もしそうであるなら、そもそも難しい計量化をするまでもなくページあたりの売上げが計算できるし、ユーザビリティーや動線などの解析しやすい変数によるトライ&エラーにより最適解を導くことも可能だ。毎週のように印刷される折り込みチラシや毎月のように改訂発行される通販カタログ、変更によるコストが最小限におさえられるWEBならコピーテストもさほど手間をかけずにおこなえる。

しかし、私たちが中心的に扱うのは、コミュニケーションツールだけで契約の印鑑をおすにはあまりにも高額でリスクが高く、それがゆえに大量の商品情報をもつ耐久消費財だ。コミュニケーション・コンテンツは重要なファクターでありトリガーになりえるが、それだけは、けっして売れることはない。正確に言うとすれば「売る"ことの一部を支援する"広告」なのだが、こんな言い方をしてしまうと、もはや当たりまえ、何も言っていないのと同じだ。ここに「売る広告」をミッションとして標榜する難しさがある。

もちろん「売る」というミッションに強く引かれる必要はある。その販売成果はべつとして、すくなくとも「豊かで(リッチ)複雑な(コンプレックス)商品情報」を、できる限り効果的に効率的に、その情報が欲しいと思っている生活者や販売の現場に届けることは重大な責務である。

そう、重要なのは「豊かで複雑な商品情報」だ。企業の内部には、ありとあらゆるところに、この「豊かで複雑な商品情報」が顕在/潜在している。それこそ開発部門はもとより営業部門、カスタマーセンター、生産の現場、物流の現場、そしてカスタマー(ユーザー)。大きくは最終顧客に向けて、小さくは次工程に向けて伝えなければならない「豊かで複雑な商品情報」が、計量化できないほどある。
この「豊かで複雑な商品情報」を次工程・最終顧客に向けて伝えるための、悟性と感性を駆使したコミュニケーション&表現技術こそが、私たちのバリューといえる。

そしてその「豊かで複雑な商品情報」は企業に内在する「知識」であり、伝える技術は「デザイン」である。これが、最近、私が訓話した「知識デザイン」の所以である。

もちろんこの言葉は紺野登の『知識デザイン企業』を原典とし、インスパイアされ、再解釈したものである。実際に、彼が定義する「知識デザイン(企業)」とは、その考え方は一致しない。

<技術ベースの工業社会モデルから脱するには美的な力としてのデザインが不可欠だというのが本書の主張だ。そして知識経営の考え方をベースにして、いまわれわれが直面している「創造経済」の中での新しい企業・経営のモデル「アート・カンパニー」を提言している。
アート・カンパニーとは「知識デザイン」する企業だ。知識デザインとは、知識創造×デザイン、つまり<仮説推論思考>と<人工物のデザイン>の融合--現場やモノに接しながらの、モノ=コト同時の創造プロセスである。モノの質だけにとどまらない、人間的な、経験やプロセスの質(無名の質)をも同時にデザインすることである。人々や社会の場に入り込んで、未来を創造・実現しようという志でさまざまな要素を綜合する営みである。>


ここだけを読むと、私たちのように企業支援が中心でオリジナルの成果物をなんらかのプロダクトとして発信しない企業にそぐわないようにみえなくもない。例えば「知識デザイン」をするわけではなく、あくまで「知識デザイン」をサポートする企業だ、ということだ。しかし、サポートする企業であってもいいわけだし、サポートするための方法論こそ「知識デザイン」といってもいい。いまはまだ形が明確に与えられてはいないその方法論が近い将来に歴とした「知識デザイン」と呼べる時期がくるかもしれない。そして、そのことをひとつのビジョンとしたい。

しかし、いまはまだ私のなかでも、「知識デザイン」という概念が明確に構造化されていない。しばらくの間、紺野登の『知識デザイン』をテキストにしながら、思考をめぐらせて見たいと思う。話を次につなげるために、もうひとつ同書から、勇気のでる思考を引用しておく。

<……デザインは単なるのモノのカタチを作ることではない。デザインを介在させ、企業や組織が内包する知力を解放することが本質的な課題である。デザインには、その企業なり組織なりの根源的知力を増幅する力があると考える。すなわち、これから問題とするデザインとは、分析的な思考や能力ではなく、
①社会的な見通しを経営や技術に与え、カタチにする「媒介」の役割(meditation)
②ハードとソフト、サービスなどの異質な要素を統合する「結合」の役割(connection)
③長期的な戦略や経営、市場の姿を直観的に視覚化、形態化するの「形成」の役割(formation)
を同時に成立させる能力である。
デザインの目的は、「多様で含蓄のあるコンセプトや複雑な機能・要件を、最もシンプルな構造や体系で提供・表現すること」である。デザインはただアイデアや言葉を言うだけではない。その課程を通してデザインは、モノやサービス、情報などの人工物を媒介にして、
●複雑な問題解決に確かさを与え、
●人間のための本質的な社会的便益を具現化し、
●創造的な感性を満足させる。>


「デザイン」は、本質的に重要である。

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