そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

8月19日(金)~21日(日)気力は減退しつつも

2016年08月21日 | 公開

  家の中もごたごたしているし、気鬱が昂じて、自分自身をコントロールし難い状態になっているのだが、それでも予定はこなさざるを得ない。まとめて記す。

  19日は松阪へ行く。講演とワ―ショップのお仕事。名古屋で乗り換えて、講演開始の小1時間前に着き、歩いて駅近くの会場へ。三重県の高校教員の方々の研修会に招聘されたのだが、学生時代の研究会活動の後輩、同居人とは同期生のTさんが参加しておいでだった。久闊を叙す。退職までもう1年半だそうで、お互い、年をとりましたなあと、感慨深い。

  13:30から17:00まで喋りづめだった。この日は松阪泊で、駅前のホテルにチェックインしてさっとシャワーを浴び、ご接待をいただく。皆さんお車の運転があり、アルコールをいただいたのはTさんと私だった。Tさんとはもう1件、吉田類好みっぽいお店に入った。

  20日は、駅で老伴を買って、近鉄特急で大阪へ。鶴橋で乗り換え、梅田の古書店へ移動し、3点ばかり古筆を購入、松阪のギャラ?は、きれいに無くなった。それから地下鉄で日本橋へ移動、国立文楽劇場で同居人と落ち合って、素浄瑠璃を聴く。「蘭奢待新田系図」の復曲公演である。東京からも、見知った方々がかなりお見えであった。最後は鼎談で、K教授が軽妙洒脱な司会を務められた。ほんと、素晴らしい。

  新大阪へ着いたが、まだ時間が早いので、新幹線の切符をもとめてから、酒を飲んだ。隣席で独酌されていた女性と、少しお話した。日本酒党の女性は、奥が深いや。裂き烏賊の天麩羅が、美味かったであります。

  21日は、朝、小学校、中学校、高校と同期で、大学時代も近くに下宿していたので、いつもつるんでいたI君の、訃報を聞く。葬儀当日だが、慌てて弔電を打つ。患っているとは仄聞していたのだが、いささか、ショックである。

  さて、姑殿のガラケーが壊れたよしにて、同居人と3人で修理の相談のため街に行き、結局、姑殿と私と、スマホに乗り換えるはめとあいなった。商売、上手いね。遅い昼食は、伊勢丹の食堂で、チャーハンと餡かけ焼きそばと、青菜炒めをシェアして、美味しくいただく。

  I君の葬儀の様子を、知らせてくれた方があった。私の弔電、披露されたよし。弔意、ご遺族に伝わったと思いますとあり、お知らせありがたく思った次第だ。合掌。