そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

2月6日(水)表記のこと

2013年02月06日 | 公開

  このブログはフィクションである。あやまちすな。

 永田和宏『近代秀歌』(岩波新書)を読んでいたら、子規の歌の一首だけ濁点が付されていなかったので、???と読み進めば、文中の引用歌も付いたり付かなかったり。岩波書店ともあろう出版社が、こりゃ誤植かしらん?と首をかしげた次第。啓蒙的な新書で、これはないわなあ。

 しかもまた、「八」字母の変体仮名をカタカナの「ハ」で表記しているのは、史学系の風習で、引用元がそうなっていたからであろうが、見識を疑う。「八」や「三」の字母のひらがなを、「ハ」「ミ」と翻字するのは、文字の位相を考えれば、もとより大間違いなのである。確かに、ひらがなとカタカナが混じっている資料も存在する。しかし、それとこれとは違う。

 ひらがな統一(1900年)以前は、「八」「三」字母変体仮名の活字も存した。大日本史料などでも使われていたから、そうした感覚が残ったのだと推測するのだが、実に困ったものだ。どなたか国語学者が、びしっと発言してくださらんものか。