そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

7月22日(金)演習クラスコンパ

2011年07月22日 | 公開

 18:30から2年演習のクラスコンパを「かわうち」で行なう。自ら幹事をかって出て、参加を募ったが、人数が集まらない感じだったので、席を少ないところに変えてもらったところ、来るわ来るわ、結局最初に想定した人数ぴったりだった。しかし、会費を半分にディスカウントしたから、差額分持ち出しで、正直痛いことこの上なし。

 皆に改めて自己紹介をしてもらう。大学の附属校、系属校出身者は、教わったという教員に知り合いが多い。中に山里学院出身の女子学生が2人いて、1人は卒論の指導がなんとNさんだったとか。実は昨日Nさんを苛めちゃったのだよ。そこでNさんの携帯に電話する。テーマは源氏だったよし。Nさんは目下「えいが」が専門だがね。

 そのほか、演劇のF氏をご存知ですか?と尋ねられた。よく存じあげてますよ、専門は同居人のほういが近いがねと答える。高校の先輩とのこと。また、入居している女子学生会館で、島根出身のYさんと親しいという人がいた。Yさんは博士課程の院生だが、修士課程の時、私の演習をずっととっていたのである。彼女、学会の賞をとったんだよと教えたら、驚いていた。Yさんのことを「A…ちゃん」と呼んでいるらしい。

 しかしまあ狭い世界である。私の次に教組執行委員をお願いしたK教授とご母堂が小学校の同級生だったという学生もいた。基礎演習の担当がK教授で、その名前を見たご母堂が同姓同名か?と調べたら分かったのだそうである。

 いろいろな先生の授業のことを、学生が話してくれたのも面白かった。某…系の女王様は、キャンパス内最大規模の教室での講義で、岩頭に立つご自身の画像を大写し、私は魔女なのよとのたもうたとか。ううう、目に浮かぶわい。民俗学を思想史的に研究しておられるT教授の講義を口を極めて絶賛する男子学生の話を聞いていたら、なんとそのT教授が店に入って来られた。大学の近くで飲んでいると、ままこういうことが起こるわなあ。T教授に握手してもらいなさい。

 …という仕儀で延々4時間。22:30になったので締めにする。二次会は付き合いません。とっとと退散。気がついたら、電車は二つ先の駅まで行っていた。


7月22日(金)床屋へ行く

2011年07月22日 | 公開

 台風は、福島原発と東北被災地をわざと避けて行ったような格好だな。もしや放射能の影響か? 台風にも心ありや?

 床屋へ行く。うんと短くしてもらった。ずいぶん頭が白くなったが、若旦那にそう言ったら、眉が白くなっていないから、さほど老けては見えないそうだ。なるほど、顔の印象に与える眉の影響は存外大きいのだろうね。眉毛まで茶色にする女の子がいますが、分かっちゃいないんですよ…とのこと。そういえば、眉をうんと太く書いて人気の出たタレントさんがおりましたな。

 同居人が金澤文庫へ調査に行くと言いながら、グズグズしている。今日見せてもらうという資料は、写真ではどう見ても本文と奥書が別筆である。鎌倉時代の著者自筆本であると、渋谷方面の某大学の偉い先生がのたまうておいでのよしだが、そんなことは絶対あり得ないのよと憤慨?している。まあ、存分に確かめてきなさい。また、世の翻刻なんぞは、おおむね当てにならないものである。自分自身が関わった翻刻の数々を思い起こしても、赤面することが多い。だから専門家は、原資料が扱えないと、本チャンではないのだ。かかる仕儀で、古いものを研究する学生が激減しているのかもしれない。