そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

7月18日(土)

2009年07月18日 | 昔日記
 蒸し暑い。私のようなメタボには辛い時節である。娘がバイト先に弁当を持って行くというので、出汁巻き卵を作る。味は濃い目にしておく。パートナーはいなり寿司を作った。時期が時期だけに気を遣うが、匂いのしないようにしてと、なかなか注文が難しい。

 W文学会の例会である。渋谷に出て乗り換え、割とぎりぎりに会場校へ到着。私は例会副委員長なのだが、今日は当番ではないので気楽。

 前座がウチのU君。司会は外大のM氏だが、チクチク皮肉を言いやがる。S君、やっぱり読み原稿を用意していないらしく、はらはらする。以上で発表を終わります…おいおい、結論というか、肝心要なことを言ってないじゃないか! 質疑では最初にI先生が挙手してくださった。S君もぜひコメントをいただきたいと言ってたから、よかったね。続いて、敢えて私が質問する。指導教授が質問するのはとっても変なんだけど、背に腹は替えられぬ。それでようやく発表の趣旨が、聴衆に理解されたと思いまする。最後にNさんが、「学問所」の問題が重要だと、願ったりの指摘をしてくださった。今回はそれがキモだったんだよね。まあ、何とかなったかな。

 2人目は、先月のC文学会大会の発表者。その続きといった内容だ。とにかく資料が分かりにくい。質疑となって、Uちゃんがさっと挙手。おお、学会質疑デビューじゃないか! なかなか印象的なシーンでしたな。トリはMさんの精緻を極めた発表だったが、洛北の「長谷」を「はせ、はせ」と読むのが、耳につき、いたたまれなくなった。それで、「あれは〈ながたに〉と読むのではないか」と下らん指摘をしたら、「今回は〈はせ〉に統一してみました」と変なことを言う。基礎から勉強し直したまえ。お手上げだぜ。すると続いて、N女子大のO先生が、新たな伝本の存在を紹介された。会場が、おお!とどよめく。Mさんが発表した『新M集』は孤本で、江戸時代の目録にもう1本の所在が掲載されているのだが、どうやらその本が出現したということらしい。しかも序の一部が付いているという。いやはや、すごいことだ。こういう場面に居合わせるのが、学会参加の醍醐味の一つかもしれない。

 委員会は秋の大会の件が中心。発表申し込みが少なかったので、追加分を含めてすべてご採用とあいなった。Uちゃん、安心されたし。そうしたら、後ろの席に座っていた、多摩川のかなたの禅宗大学のN教授から肩を叩かれた。彼は今、C文学会の事務局を引き受けている。そちらも秋の大会発表者が足りないらしい。誰かお宅で出せないかと相談される。そこでK助手の携帯に電話すると、二つ返事でOK。面目をほどこす。やれやれ、札幌に行かなければならんなあ。

 今日のS君の発表により、去年の4月から始めて、私のところの博士課程研究指導参加者は、私自身を含め8名全員が、W文学会で研究発表をしたことになる。まあ悪くない回転率であろう。

 飲みには行かず、まっすぐ帰宅。パートナーからお小遣いをもらったが、使わなかった。おっつけ娘も帰ってきて、家族揃っての夕食は久しぶりだ。シアトル土産にA先生からいただいた、スモークされたサーモンを皆で食べた。娘が「アメリカで食べた味だ!」と感激している。

 私がブラザー・トムに似ていると、娘の友人たちが言ってるらしい。あんなに色が黒くはないぞよ。