そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

7月9日(木)

2009年07月09日 | 昔日記
 卒論指導は久しぶりに全員が顔を揃えた。百人一首がテーマの学生に、先月の新興古書展で衝動買いした古注の写本を見せると、関心がありそうだったので、調べてみなさいと貸し与える。昔むかし、正体の分からん百首歌の写本を学部生に貸したところ、幻の「正中百首」であることを調べてきて、びっくりしたことがあったな。今の博士課程の院生Hさんである。

 博士の研究指導はS君の下発表第2回。枠組みはうまく作られているが、冗長なところがある。あっと驚くような材料はないので、なかなか苦しいが、そこはそれ、まあ問題の焦点はよく分かる内容だから、発表する意味は大きいと指導教授は思いまする。いろいろ面白からぬこともあるようだが、短気を起こさず、ここはもうひと踏ん張りしていただきたい。

 修士演習は、K君が例によってツボを抑えた報告をしてくれたが、詞書の書かれ方をめぐっては議論があった。歌にちょっと分かりにくいところがあったし。

 演習の後、Mさんに学期末試験の採点補助の要領を説明し、キャンパス図書館の選書を行ってから、夏合宿の費用を支払った。ばたばたしているうちに、学生の研究会の時間となる。今日は学部4年のK君の卒論研究の発表。その前に、甘露寺親長筆の写本の難読箇所について確認があった。京都で買ってきた親長の短冊を、持ってくればよかったな。来週持ってきますわ。でも、とほほ、という感じの歌なんだよね。

  述懐 わがためにおしみし身さへとにかくに
      くやしかりけるおいのとしかな 親長

喜寿まで長生きした人だからな。

 K君の発表を聞いて、ざざっと意見を述べ、後はK助手に任せ教組の執行委員会へと走る。ちょうど報告事項の仕舞いのところで、私の出席により委員会が成立、審議事項に入った。春闘団交の話題が中心となったが、年収総額が変わらなければ、見かけ上はどうなってもいいという方向性が出てきたのは結構である。まあ、教組は当初からそういう考え方ではあったわけだが。職組は妥結を急いでいる感じだし、あんまり引っ張るのも生産的ではあるまい。

 お前渡りはなし難く、ちょいと一杯のつもりで「太郎月」へ。今宵はカウンターに先客が3人だけだった。「酉与右衛門」を飲む。で、とっとと失礼したのだが、電車が遅れ、やっとこさやって来たのは超満員で、たちまち汗だくとなる。ああ、何の因果ならむ。消耗の極み。

 娘は祇園祭を観に出かけた。夜行バスで、明旦京都駅前着だとか。