そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

5月30日(土)

2009年05月30日 | 昔日記
 中世文学会の大会である。委員会があるので、11:00に会場校へ行く。司会を誰にするだの、総会の段取りだの、あるいは秋の大会の計画などなど。それでも1時間半ほどで終わり、お弁当をいただく。

 今日は第一日のシンポジウムで、パネリストは阪大の天野文雄氏と学習院女子大の徳田和夫氏だった。芸能をめぐるテーマが設定されたが、この間、伊勢物語注と能楽の関係を扱った博士論文を審査させられたばかりだったので、天野氏の報告は勉強になったし、徳田氏の風流(ふりゅう)の論も興味深かった。

 徳田氏の掲げられた風流記録のうち、『拾芥記』の「歌心尼一手持文一手持登橋。大江山いくのゝ道の遠けれはまた文も見ぬあまのはしたて」をめぐっては、小式部内侍が尼になった伝承があるのか?などという質問が出たが、「まだ文も見ず天(尼)の橋立(登橋=はしご?)」の言葉遊びなのだろう。要するに、尼のハリボテが、一方の手に開いていない手紙(文)を持ち、他方の手にはしごを持っているという風流が作られたという記録だろう。だから、小式部内侍自身とは関係なく、あくまでも歌意を言葉遊びで可視化したものに違いない。

 懇親会は案外参加者が少なかったが、なかなか豪華で、つい食べ過ぎてしまった。