そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

5月9日(土)

2009年05月09日 | 昔日記
 学会のホスト(会場校)である。11:00に大学へ行き、案内表示などをささっと手配する。図書館の小展示のケースの中には、和歌三尊像のうち2体を安置した。藤平春男像と橋本不美男像である(もう1体は井上宗雄像なんだけど…)。まあ、私めの師匠方ですな。橋本先生は全集の俊頼髄脳の校注者だから、金葉集の写本の脇に置いた。藤平先生の像はもちろん歌学書のところである。また、パートナーの同僚教授のT先生から、小委員会も開きたいと承っていたので、会議室を開け、コーヒーと紙コップ、それにゆみこさん(「太郎月」の女将)お手製のクッキーもセットしておく。

 ここで腹ごしらえに行く。「すゞ金」の暖簾をくぐった。鰻重を頼むと、先生、肝焼きは?ときた。お願いして、ビールは小瓶にしておく。今日はなんだか暑いねえ。

 展示があるというので例会委員長(藤平先生のご長男)が気をまわし、いつもより30分開始時間が遅くなっている。参会者の出足が悪い。新型インフルエンザの患者が見つかったせいか。会場のすぐ横は、なんと国立感染症研究所なのだ。あな、恐ろし。連休前の通達では、国内で患者が発見されたら構内立ち入り禁止措置になるはずだった。それが連休明けに緩和されたのだが、危ういことであった。

 教育学部のT教授に逃げられたので、会場校の挨拶をする。研究発表は3本。前座はウチのNさんで、丁寧に調べ尽くしている点は評価されたが、やはり論証の弱さが指摘された。Nさんの論のいつもの弱点である。状況証拠に基づいて言い募ると、どうしてもそういうことになりますな。2本目は近世だったが、万葉などにも絡んで、いろいろな人から質問が出た。トリはざあさんで、資料研究の精華!という感じの、実にお見事な発表だった。

 久保田淳先生や後藤祥子先生、それに松野陽一先生も会場にお見えになっていた。松野先生はお元気そうで、ご挨拶を申し上げる。久保木哲夫先生はNさんに質問してくださったし、井上宗雄先生もお見えだった。5月の会としては聴衆はやや少なめだったけれど、珍しい先生方のお姿もお見受けできてよかった。

 資料展示も、宗祇の新出書状は、青学の廣木先生から、よいものだとのお墨付きをいただけた。

 終了後、委員会が19:00近くまであって、懇親会は「かわうち」へ行く。混んでいたが、12名分の席を用意してもらっておいたのが、ぴったりだった。手伝いの院生諸君は合流できないので、また今度ということにする。地下鉄駅近くの焼肉屋に入ったらしいが…。2次会は、福女のI氏、ざあさん、国文研のK氏を誘い「太郎月」へ。A学部の教授が貸し切りになさっていたが、隅っこの席に入らせてもらう。I氏はいま文学部長やっているが、相変わらず大声で下品なことを叫んでいる。大学院の橋本不美男先生の授業の時、私の隣でI氏が口説いていたのが、今の奥さんなのである。もう四半世紀も昔の話だ。横須賀線で実家に帰るI氏を送って東京駅まで行った。