そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

5月15日(金)

2009年05月15日 | 昔日記
 今日はまあ、「茶目子の一日」のような一日だったな。あ~忙しい忙しい。

 夕方の授業のためのpptを慌てて仕上げる。そうこうしているうちに11:00過ぎになった。13:00から北浦和大学で博士論文の公開審査、12:00過ぎにはT教授の研究室に到着していなければならない。予定通りに着く。そうしたら、NYの苺白書大学のHS教授から携帯に電話がかかってきた。9月から面倒をみる博士候補生の指導に関するリクエストを細かくうかがう。ありゃりゃ、もう審査会の時間である。すみません、これから会議ですからと電話を切る。

 審査委員は5名で、私は唯一の外部委員である。質疑講評はなかなか厳しかった。いわゆる論博なので、課程より基準が厳しいのである。まあ、ウチの大学のウチのコースでは、貰える学位は同じだという感覚にだんだんなってきたが、現在は過渡期なのである。1時間余のやりとりがあって、委員が協議して結論を出した。やれやれ。大学で車を用意してくださったので、最寄りのJR駅へ。大学に着いたのが夕方の授業の30分前。

 PCを準備して演習に向かう。16:30からの授業で、18:00までだが、今日は本来この演習を担当するはずになっていた故K先生を偲ぶ会が行われる。受講生諸君には先週来そのことを断り、30分早く授業を打ち切って、偲ぶ会に行かせてもらうことで了承をとってあった。そこで、プレゼンテーションの第1回だから、私が見本を示すことにした次第。資料を配り、pptの電子紙芝居を見せながら、五月の花札の図像が踏まえている古典的背景について説明しているうちに、すぐ17:30となる。授業を切り上げ、会場のある市ヶ谷へ、T教授、J教授と同道する。

 入口でロバート・キャンベルさんに声を掛けられた。お久しぶりです、時々TVを拝見してますとご挨拶。明日から日本近世文学会の大会が開かれる。それに合わせて計画された偲ぶ会なので、会は半ば近世文学会の懇親会の様相を呈している。

 中野三敏先生の開会の言葉にはじまり、続いて島津忠夫先生がお話をなさった。島津先生にご挨拶を申し上げる。驚いたのは、神保五彌先生が会場にお見えになっていたことだ。神保先生には学部生時代に習った(付いた成績は悪かった)が、亡くなった師匠と同じく昭和18年学徒出陣組でいらっしゃるはず。お元気そうである。ご挨拶したら、相変わらず、ある御仁の悪口をおっしゃった。

 故K先生は、難波女子大学から戸山大学に移られた最初の年に、私は学部の4年生で、ご担当の俳諧の演習を受講し『猿蓑』を読まされた。以下に思い出話をいくつか。

 オレは女子大から来たので男は嫌いだ。男は後ろの席に行けとおっしゃって、一年間、発表は女子学生だけが当たった。最後に、人数の関係で男性が1人発表することになったのが、現在日語研教授をしているK君である。そういえばさっき、市ヶ谷へ移動する途中の地下鉄のホームで、K君と擦れ違ったな。これもご縁であろうか。…それで、K先生は女尊男卑がひどいので何とかしてくださいと、仲間達と神保先生のところへ苦情を申し上げに行ったら、すまん、長い目で見てやってくれと言われたので、引きさがった。

 学年でコンパを開いたら、K先生お一人だけ参加してくださった。私が、先生、黄表紙って面白いですね、とお追従を申し上げた途端、素人が何を言うか!と、振り返りざまに顔面を殴られた(我々の時代、教授はよく学生を殴ったものだ。もっとも、学生もよく教授を吊るし上げたり、棒で殴ったりしていたから、お互いさまだったのだろう。今では考えられない光景だが)。

 前にもちょっと書いたが、東京国立博物館の新指定国宝重文展観に現在のパートナーを誘い出し、ゲートを入って右手に並んでいるベンチの、手前から2つ目に座ってプロポーズをした。冷泉家の文書が指定された年だったので、目の前を故福田秀一、佐藤恒雄といった大先生方が次々通って行かれるので、やばいなあと悪い予感がしていたが、故K先生が、見たぞ~と茂みの中から現れたのである。黙っててやるからな、とおっしゃり、10か月後に結婚式を挙げるまで、本当に内密にしてくださった。

 バカダで先生に殴られた第一号は私ですよ、と申し上げたら、もうそのことは言うなと、口止め料として集古十種の超大型版本、小倉色紙の冊をくださった。オレはもっといい刷りのを持ってるからとおっしゃったが、なるほど、後刷りも後刷り、薄くて読めないくらいで、かつ真中に大きな虫食いがある。有り難さも中くらいなり、ということで時々こうして口止めは緩むのであるが、あの本が先生の形見になるとは… 私も架蔵の美濃派の俳書を1冊、K先生に献上した。今も先生の文庫にあることだろう。当時の私の蔵書印が捺してある。